デモンストレーションと知られざる燃料
・デモンストレーションと知られざる燃料
「未来の知識……」
応接室で交わされた会話の後、七條院 桜の瞳は、まるで宝物を見つけたかのように輝いていた。
彼女の心には、失われた七條院家の栄光を取り戻し、自分を冷遇した者たちすべてを見返すという、揺るぎない野望が宿っている。
そして今、その野望を実現する鍵が、目の前の瓶田 嶺と結城 幸、そして彼らが持ち込んだ奇妙な品々に隠されていることを直感していた。
「では、早速ですが、瓶田様が仰せになった『機材』とやらを拝見してもよろしいでしょうか?」
桜は、焦る気持ちを抑えきれない様子で提案した。
嶺もまた、頷いた。
口頭で説明するよりも、実際に未来の技術を見せた方が、桜の理解を深め、今後の協力関係を強固なものにできると判断したのだ。
「ええ、もちろん。こちらへどうぞ」
嶺はそう言って、洋館の前に停めたEVカーへと桜を案内した。
幸もそれに続く。
由美と、物静かなメイドの萩原 愛、そして執事の近藤 宗次、庭師の後藤田 進、料理長の山方 宗司といった家人たちも、恐る恐る、しかし好奇心に満ちた目で彼らの後を追う。
彼らにとって、未来から来た「異邦人」と、彼らの乗る「車」は、得体の知れない存在でありながら、同時に強い興味の対象でもあった。
・巨大な門とギリギリの挑戦
「申し訳ございませんが、まずはこの車を敷地内に入れさせていただけますか? その方が、デモンストレーションもスムーズに運ぶかと」
嶺の提案に、桜は即座に頷いた。
「由美、近藤! 大門を全開にしなさい!」
桜の指示に、由美と執事の近藤が慌てて駆け出した。
古びた洋館の重厚な大門は、普段は固く閉ざされている。
その門が、ギギギ……と鈍い音を立てながら、ゆっくりと開かれていく。
門の向こうには、広い庭が広がり、デモンストレーションには十分なスペースがあるようだった。
「主任、本当にあの門、通れますか? かなり狭そうに見えますけど……」
幸が心配そうに呟いた。
彼女の視線の先には、全開になったとはいえ、EVカーの車幅とほぼ同じくらいの幅しかないように見える門が立ちはだかっている。
「問題ない。この車にはぶつかり防止装置がついているからな」
嶺は淡々と答え、運転席に乗り込んだ。幸も助手席に乗り込む。
桜たちが見守る中、嶺はゆっくりとアクセルを踏んだ。
EVカーはモーター特有の静かな唸りを上げながら、ゆっくりと門に近づいていく。
左右のミラーとフロントガラスから、門柱との距離を測る嶺の目は真剣だ。
車体が門をくぐり始めたその時、周囲から「おお……!」という感嘆の声が漏れた。
右の門柱と車のボディの隙間は、指一本分。
左の門柱も同様に、ギリギリの幅しかない。
まるで測ったかのような運転技術に、幸は思わず「主任、すごい!神業ですね!」と声を上げた。
しかし、嶺は涼しい顔で答える。
「いや、これは俺の腕じゃない。この車の衝突被害軽減ブレーキが、ミリ単位で障害物との距離を感知して、自動で操舵と速度を制御しているおかげだ。つまり、この車が優秀なだけだ」
その言葉に、幸は「へえ……」と感心したような、少し拍子抜けしたような声を上げた。
桜もまた、その「ぶつかり防止装置」という未知の技術に、さらなる興味を抱いたようだった。
・「魔法」の始まり
車を停め、嶺はリアハッチを開けた。
中には展示会で使われた様々な機材が整然と積まれている。
工業系の学校や研究室向けに用意された、ノートPC、精密測定器具、小型電子顕微鏡、光学式デジタルカメラ顕微鏡、さらには模型用のジェットエンジンや2サイクルエンジン、そしてCADソフトをインストールしたPCなど、この時代の人間にとってはまさに「魔法の道具」としか思えないものばかりだった。
「これが……」
桜は、車の内部に広がる光景に、思わず息をのんだ。
整然と並べられた金属製の機械、複雑な配線、そしてガラスでできたレンズの数々。
どれもが、彼女の知る技術水準をはるかに超えた、洗練された造形をしていた。
「では、まずは幸、頼む」
嶺は幸に目配せした。「はい、主任!」幸は元気よく返事をした。
「まずはこちらをご覧ください」
幸は、車内の中央半分を占めるデモコーナーに置かれた、光学式デジタルカメラ顕微鏡を指差した。
「これは、目には見えないほど小さなものを、ここまで大きく映し出すことができます」
その間に、嶺は手際よく外に回り、EV車の荷台から卓上型のミニ旋盤とミニフライス盤を降ろし、庭の開けた場所に設置し始めた。
そして、それらの工作機械を動かすための、箱型の静音型ディーゼル発電機も車から出し、所定の位置に置く。
静かに、しかし確実に作業を進める嶺の様子を、家人たちは固唾を飲んで見守っていた。
幸は、桜と由美、愛、そして家人たちを顕微鏡のモニターの前に招いた。
対象物の上にカメラを置き、モニターに拡大された映像を映し出す。
「例えば、こちらの雑草の葉を一枚……」
幸は、そばに生えていた雑草の葉を一枚摘み取り、顕微鏡の下に置いた。
モニターには、葉の表面を覆う無数の毛状突起や、複雑な細胞構造が鮮明に映し出される。
「うわあ……! すごい! こんなふうになっていたんですね!」
幸が、興奮して声を上げた。桜もまた、その映像に目を奪われていた。
微生物の世界、細胞の構造。
それは、この時代の人間が決して知り得なかった、ミクロの領域だった。
この技術があれば、病気の原因を探ったり、作物の成長を観察したり、様々な研究に役立つだろうと、桜は瞬時に理解した。
由美や愛、近藤たち家人も、固唾を飲んでその光景に見入っている。
彼らにとって、それはまさに「知られざる世界の扉」が開かれた瞬間だった。
・創造の「魔法」と静かなる力
幸の顕微鏡のデモンストレーションが終わると、嶺は桜たちを外に誘導した。
「次はこちらです」
彼が最初に取り出したのは、卓上型のミニ旋盤だった。
金属の塊を削り出し、精密な部品を作るための機械だ。
この時代の旋盤といえば、大型で人力か水力、あるいは蒸気機関で動かすものが主流。
しかし、嶺が取り出したそれは、片手で持ち運べるほどコンパクトでありながら、複雑な金属加工を可能にするという。
嶺は、発電機からケーブルを繋ぎ、電源を入れた。
**静かな電子音が響き、旋盤の刃が「シュイーン」という細い金属音を立てて回転を始める。
**そして、小さな金属の棒をセットし、スイッチを入れると、みるみるうちに金属が削られ、美しい円柱形に加工されていく。
削りカスが舞い、独特の金属の匂いが漂う。
「これは……! 一体、どういう仕組みで……」
桜は、その精密な作業に目を奪われた。
続いて、嶺はミニフライス盤のデモンストレーションを行った。
フライス盤が金属の表面を平らに削り、「ガリガリ」と微かな音を立てながら複雑な溝を刻んでいく様子は、まさに「形を変える魔法」だった。
「信じられませんわ! このような小さな機械で、これほど精巧な品を……」
桜の口から、感嘆の声が漏れた。彼女の冷たい印象は鳴りを潜め、純粋な驚きと興奮に満ちた表情になっていた。
「これがあれば、どのようなものでも、望む形に作り出せるのでしょうか?」
「はい。原理的には可能です。設計図さえあれば、様々なものを製造できます」
嶺の言葉に、桜の瞳がギラリと光った。
彼女の頭の中では、すでにこれらの技術を使って何ができるか、具体的なビジョンが生まれ始めていた。
新しい道具、機械、そして、まだ誰も見たことのない産業の萌芽。
工作機械のデモンストレーションが終わると、嶺は再び桜たちを車内へと案内した。
「最後に、こちらを」
彼が取り出したのは、三次元プリンターだった。
嶺はPCで簡単なデータを開き、プリンターを起動する。
**ウィーン、カチカチ、ジー……**と、まるで生き物のような複雑な駆動音が響き、樹脂を熱で溶かしながら、設計図通りに立体的な物体を形作っていく様は、彼らにとってまさに「無から有を生み出す」魔法そのものだった。
ゆっくりと、しかし確実に形を成していく小さなギアの模型に、桜の目は釘付けになった。
「これは……! これほどのものが、このようにして……!」
デモンストレーションが進むにつれ、家人たちの表情にも変化が見られた。
最初は警戒していた近藤も、その卓越した技術に感嘆の声を漏らし、庭師の後藤田は静かに、しかし熱心に嶺の手元を見つめていた。
料理長の山方は、興奮した様子で由美や愛に話しかけている。
彼らは、目の前で繰り広げられる「未来の魔法」に、純粋な好奇心を抱いていた。
一通りのデモンストレーションが終わり、嶺は機材の電源を落とし始めた。
幸に「悪いが、機材の片付けを頼む」と声をかけ、自分は桜たちの方へ向き直った。
その時、桜の視線が、庭に置かれた、もう一つの機械に釘付けになった。
それは、デモンストレーション中、ずっと静かに稼働していた、箱型の機械だ。
「瓶田様。あの機械は何でございましょうか? 先ほどから、ずっと動いているようでしたが、音もせず、煙も出ていないように見えますが……」
桜が指差したのは、会社の環境意識をアピールするために導入された、静音型ディーゼル発電機だった。
廃食油を加工した軽油で稼働する、最新鋭の小型発電機だ。
この時代の発電機といえば、蒸気機関や水力を使った大型で騒がしいものが一般的。
電気そのものも、まだごく一部でしか使われていない時代だ。
「あれは、『発電機』です。電気を作る機械で、先ほどの旋盤や顕微鏡も、あれから電気を供給していました」
嶺は簡単に説明した。桜の瞳が、さらに大きく見開かれる。
「電気を……? しかも、これほど静かに、ですか……?」
「はい。そして、この機械を動かす燃料は、『軽油』というものです。ガソリンとは異なりますが、この時代の灯油や、あるいは植物油に近い成分です」
嶺の言葉に、桜は深く考え込んだ。
ガソリンも電気も一般的でないこの時代において、「軽油」という新たな燃料と、それを効率的に電気に変える「発電機」は、まさに画期的な情報だった。
この技術が、いかにこの時代の産業に革命をもたらしうるか、彼女は瞬時に理解したのだ。
・燃料残量と未来への不安
嶺が桜に発電機の説明を終えた頃、幸が荷台の片付けを終えて、彼らの元に歩み寄ってきた。
「主任、片付け終わりました! あの、発電機の燃料、確認したんですけど、まだ満タンに近いですね。ほとんど減ってないみたいです」
幸は、デモ時の規則に従って燃料残量を確認していた。
確かに、デモンストレーション程度では、それほど消費しないはずだ。
「ああ、そうか。ありがとう」
嶺はそう答えたが、その瞬間、ある不安が彼の心をよぎった。
**EV車の燃料。**会社の環境意識をアピールするために導入された、廃食油を加工した軽油で走る最新鋭のモデル。
この時代には、その燃料を製造する設備も、ましてや供給網も存在しない。
車に積んできた予備の燃料も、いつかは尽きる。
そして、発電機もまた、同じ燃料で動くのだ。
嶺は、幸に気づかれないように、さりげなくEV車のダッシュボードにある燃料計に目をやった。彼らが**晴海の展示会場を出た時、すでに燃料計の針は半分をわずかに切ったあたりを指していたはずだ。**由比のパーキングエリアを出てからも、かなりの距離を走ってきた。
この時代の道の悪さや、濃霧での低速走行なども影響したのだろう。
「……っ」
嶺の顔色が変わったのを、幸は見逃さなかった。
「主任、どうかしましたか?」
「いや……なんでもない」
嶺は努めて平静を装ったが、声が僅かに震えているのを自覚した。
「主任、まさか、車の燃料のことですか?」
幸の鋭い指摘に、嶺はごまかせないことを悟った。
彼は重い口調で頷いた。
「ああ。発電機の燃料は問題ないが、車の燃料が、晴海を出た時よりも、さらに減っている。この時代の軽油は、成分が異なるだろうから、そのまま使えるかどうかもわからない」
幸の顔から、みるみるうちに血の気が引いた。
彼女は車のボディにそっと手を触れた。
**このEV車こそが、彼らが令和の技術と繋がる唯一の手段なのだ。
**バッテリーが尽きれば、この車はただの鉄の塊になる。
発電機も、燃料がなければただの箱だ。
「そんな……」
幸の唇が小さく震えた。
彼女の瞳には、再び不安の色が大きく広がっていた。
この世界で生きていくことの現実が、重くのしかかってくる。
桜は、二人の様子を静かに見ていた。
彼女は、二人の会話から、彼らが持参した「車」と「発電機」が、特定の「燃料」を必要とすること、そしてその燃料の供給に問題があることを瞬時に察した。
彼女の頭の中では、すでにこの問題への対処法、そしてそれを七條院家再興の糧とするための新たな計画が、うごめき始めていた。