令嬢の野心と未来への扉
・令嬢の野心と未来への扉
洋館の奥から響いてくる足音は、やがて目の前の扉の前で止まった。
由美が、どこか恐縮した様子で、しかし誇らしげに扉を開く。
その向こうから姿を現したのは、まばゆいばかりの存在感を放つ一人の少女だった。
嶺と幸は、その姿を目にした瞬間、思わず息をのんだ。
17歳という若さとは思えぬほど大人びた顔立ち。
すらりと伸びた手足、しなやかな立ち姿は、まるで絵画から抜け出してきたかのようだ。
夜会服を思わせる深緑のドレスは、彼女の白い肌を際立たせ、その首元には、かつての栄華を偲ばせる小さなペンダントが光っていた。
その印象は、どこか冷たく感じられた。
感情を読み取らせない、怜悧な眼差し。
だが、その瞳の奥には、燃え盛る炎のような情熱が、確かに秘められているのを感じた。
凛とした美しさの奥に隠された、得体の知れない野心。
それは、貴族令嬢という肩書きからは想像もつかないような、剥き出しの意志だった。
由美が、恐る恐るその少女に耳打ちする。
少女は、その報告を聞きながらも、ただ静かに嶺と幸を見つめていた。
まるで、彼らの魂の奥底まで見透かすかのような、鋭い視線。その視線は、やがて、洋館の前に停められたEVカーへと向けられた。
「……あれが、あなたがたの『車』とやらですか」
少女の言葉は、まるで氷のようだった。
だが、その声の奥には、わずかな好奇心が潜んでいるのを、嶺は聞き逃さなかった。
由美が、その場で緊張した面持ちで縮こまっている。
「はい。わたくしどもは、この『車』で、遠方からまいりました」
嶺は、丁寧に答えた。
幸もまた、その場の空気に気圧されながらも、少女の圧倒的な美しさに見とれていた。
少女は、ゆっくりと車に近づいていく。
その動きには、一切の躊躇がない。
まるで、珍しい美術品を鑑賞するかのように、流線型の車体をぐるりと一周した。
「見たことのない造りですわね。蒸気機関とも異なるようですが……」
彼女は、そう呟きながら、車のタイヤにそっと指を触れた。
その細く白い指が、ゴム製のタイヤに触れる。
この時代、車輪は木製か鉄製が当たり前。ゴム製のタイヤなど、彼女の知る世界には存在しない。
その瞬間、少女の脳裏に、電光石火のひらめきが走った。
目の前の「車」。そして、この異様な「旅人」たち。
(これだ……! これを取り込めば……!)彼女の瞳に、ギラリとした光が宿る。
「お二人、中へどうぞ。お話しを伺いましょう」
少女は、冷静な声で嶺と幸を洋館へと招き入れた。
洋館の中は、外見と同じく、どこか時代を感じさせる造りだったが、調度品は手入れが行き届いており、かろうじてかつての品格を保っている。
広々とした応接室に通され、嶺と幸は向かい合うソファに座った。
由美は、慌てて紅茶を淹れて持ってくる。
愛は、やはり無言で、部屋の隅に控えていた。
「改めて、わたくしは**七條院 桜**と申します。お二方のお名前を伺ってもよろしいでしょうか」
桜は、透き通るような声で問うた。
嶺は、この少女が持つ尋常ではない気迫に、内心で驚きながらも、冷静に答えた。
「瓶田 嶺と申します。こちらは部下の結城 幸です」
「瓶田様、結城様。先ほどの『車』とやらについて、詳しくお聞かせいただけますか?」
桜は、単刀直入に尋ねてきた。
彼女は、回りくどい駆け引きを好まない、行動的な性格なのだ。
嶺は、目の前の少女が、ただの没落貴族ではないことを悟った。
その才気と野心は、この時代に埋もれるにはあまりにも惜しい。
嶺は、ひとまず自分たちの現状について説明を試みた。
濃霧に巻き込まれ、道に迷ってここに辿り着いたこと。
そして、目的地であるはずの「高専」が、この辺りには見当たらないこと。
「高専、ですか……。そのような大きな学舎は、この焼津にはございませんわ」
桜の言葉に、嶺と幸の顔から血の気が引いた。
やはり、おかしい。自分たちが知る「焼津」ではない。
「あの、失礼ですが、今は西暦何年でしょうか?」
幸が、思わず尋ねた。桜は、不思議そうな顔で答える。
「西暦? そういう数え方は致しませんが……。今は、明冶十三年でございます」
その言葉が、嶺と幸の耳に届いた瞬間、二人の脳裏に強烈な衝撃が走った。
明冶十三年――。
自分たちが生きていた令和の時代とは、百数十年も隔たった過去。
そして、何よりも重要なのは、「明治」ではなく「明冶」であること。
そして、「徳川幕府」ではなく「徳臣幕府」……。
わずかな違いだが、それは、自分たちが単なる過去にタイムスリップしたのではなく、歴史が異なる「並行世界」に来てしまったことを示唆していた。
「まさか……本当に……」
幸が青ざめた顔で、嶺を見上げる。
嶺もまた、全身の力が抜けていくような感覚に襲われた。
ライトノベルの世界では「魔法使い」の資格を持つ彼だが、異世界転生は、あくまで物語の中だけの出来事だと思っていた。
まさか、それが現実に、自分たちに降りかかるとは。
「私たちは……タイムスリップしてしまったようです。そして、どうやら、私たちがいた世界とは少し異なる歴史を辿った世界のようです」
嶺は、重い口調で桜に告げた。
桜は、その言葉を静かに受け止めていた。
驚きよりも、むしろ、納得したような表情だ。
彼女は、最初から二人の異質さに気づいていたのかもしれない。
「未来から……。では、あなたがたは、この明冶十三年の日本の技術を凌駕する、はるかに進んだ知識と技術をお持ちなのですね」
桜の言葉に、嶺は頷くしかなかった。
彼女の視線は、再び窓から見えるの「車」へと向けられた。その瞳には、野心と、そして希望の光が宿っていた。
*****
七條院 桜。
かつて駿河国相良に1万3千石を有した大名の血筋。
しかし、明治維新後の廃藩置県、そして、父の事業の失敗により、家は完全に没落していた。
男爵位は空位のまま、わずかに残った家人に守られながら、この焼津の小さな洋館でひっそりと暮らしている。
広大な麹町の旧藩邸は、4大財閥の一つである二ツ井家に近しい二条公爵家の庇護を受ける見返りとして、狡猾にも奪われた。
その屈辱が、彼女の心に深い傷と、そして強烈なまでの野心を植え付けたのだ。
「絶対に成功してやる。私を冷遇し、家を蔑んだ者たちすべてを見返してやる」
――おおよそ貴族令嬢とは似つかわしくない、泥臭いまでの情熱が、彼女を突き動かす原動力となっていた。
そして今、目の前に現れた「車」と、それを作り出したであろう「異邦人」たち。それは、桜にとって、まさに天啓にも等しい存在だった。
この未知の技術と、それを操る知識を持つ彼らを取り込めば、きっと、失われた七條院家の栄光を取り戻し、いや、それ以上の高みへと成り上がることができると、彼女は直感したのだ。
*****
「未来の知識……。これを取り込めば、私は……」
桜は、そう呟き、ゆっくりと立ち上がった。
そして、嶺と幸に向き直る。
「瓶田様、結城様。もし、よろしければ……いえ、ぜひとも、わたくしに力を貸していただけませんか」
その言葉には、ただならぬ重みがあった。
それは、頼み込むような懇願ではなく、交渉のテーブルに着くことを促す、力強い提案だった。嶺は、桜のその並々ならぬ気迫に、圧倒されそうになる。
そして、嶺は、この世界の現状を改めて確認した。
道は未舗装で、車はまともに走れない。
電気もガソリンも一般的ではない。
スマホは圏外。
つまり、現代の技術をそのまま使うことは不可能だ。
彼らが持ってきた「未来の道具」を動かすには、この時代の資源と環境に合わせて、技術を「再構築」する必要がある。
そして、その過程で、この時代の日本の発展に寄与できる。
嶺の脳裏に、かつて夢想した「魔法使い」の姿がよぎった。
ライトノベルの世界で、彼はいつも「世のためになるよう偉大なことだって簡単にできる」と、中二病的な正義感を抱いていた。
それは、現実世界では決して叶えられない、ただの妄想でしかなかったはずだ。
しかし、今、目の前には、自分たちの知識と技術が、この見知らぬ世界を、この時代の日本を、大きく変える可能性が広がっている。
没落した家を再興させようとする若き令嬢の野心。
それは、彼の心に眠っていた「世のためになる」という、純粋な欲求と共鳴したのだ。この非現実的な状況下で、自分たちの存在が、誰かの、何かの役に立つ。
そのことに、彼は抗いがたい魅力を感じていた。
嶺と幸は、顔を見合わせた。
この世界で生きていく覚悟。
それは、自分たちが持っている未来の知識と技術を、この時代のために使うことだ。
「……桜様。分かりました。私たちに、お力になれることがあれば、喜んで協力させていただきます」
嶺は、深く頭を下げた。
幸もまた、嶺に続いて深々と頭を下げる。
桜の顔に、わずかな笑みが浮かんだ。
それは、冷たい印象の彼女には珍しい、確かな喜びの表情だった。
「感謝いたします、瓶田様、結城様。これで、七條院家再興の道筋が、ようやく見えましたわ」
桜の瞳は、未来への確かな光を宿していた。
彼女の野心と、嶺と幸の未来技術。
この異質な組み合わせが、明冶の世に、かつてない旋風を巻き起こすことになる。
「まずは、わたくしが持ち込んだ機材類の説明をさせていただいてもよろしいでしょうか。実際に見ていただいた方が、話が早いかと存じます」
嶺の言葉に、桜は力強く頷いた。
彼女の心には、すでに次のステップへの明確なビジョンが描かれていた。
この「異邦人」たちがもたらす「未来の魔法」が、彼女の野心を、そして七條院家の運命を、大きく変えることになるのだ。