何故「彼女」が死んだのに
『彼女』は、二〇〇五年三月三日に突然死んだ。
警察をしている"とある友人"によると『彼女』自身が病気などではなく、死因は「自殺」か「他殺」らしい。僕はその知らせを人伝に聞いてから『彼女』の母親に会いに行った。最初は僕が『彼女』の話をするのも拒んでいた。何度も何度もしつこく言い続けると、折れたように話をしてくれた。しかし、彼女もまた何故『彼女』が死んだのかは分からないようだった。母親ですら何故死んでしまったのかがわからないということは、これから原因を知るというのは不可能に近いのだろうと僕は直感的に悟った。
「他殺」だとしても正直『彼女』自身に問題があるようには、僕からは見えななかった。見えなかったというより、「なかった」と断言する方が正しいだろう。そして、『彼女』は周りに愛されていたからか、僕が『彼女』の話を友人に訊くと、必ずと言って良いほど表情を曇らせた。死んでしまったという事実をまだ受け入れたくないのだろうと感じる。受け入れなければ後から辛いということはわかっているが人間は困難から目をそらしがちになるからだろう。
「他殺」だとすると申し訳ないのだが、僕が怪しいと思うのは『彼女』の母親だ。父親とは僕が知る随分前に離婚しているようで、シングルマザーで『彼女』を育てていた。しかし、子育てとは過酷だ。彼女が別れた理由が娘である『彼女』だった場合にもしかしたら…と思ってしまうのだ。まあ、これは僕のただの推測でしかないのだが。
因みに『彼女』は今年で十六歳。死んだ当時はまだ十五歳であった。受験生だったが、成績優秀で周りから将来安泰だと言われていた。高校も県内で一番偏差値の高い高校に推薦で合格した。推薦理由が、彼女独自の実験が日本の未来を大きく動かしたから、よい高校に行かないともったいないとのことらしい。こんなことで推薦合格かよと思うかもしれないが、『彼女』が行った実験は今まで科学者が疑問に思ったものの、どのように実験を行うと証明ができるのかということが何十年もわかっていないことだった。そのことを"ただの疑問"と言って行動に移すことができた『彼女』の才能は末恐ろしい。因みに推薦されたからと言って必ず受かるわけではない。『彼女』の場合は実験がよかったから受かったという訳ではない。元々の一般入試の方が簡単とさえ言われるほどの難易度だ。先に行った成績と、入試の点数で合格が決められた。その入試は本番の難易度の五倍だと噂されていた。その噂通りの問題が出るからか過去数十年間は推薦での合格者はゼロらしい。
「自殺」だとしてもこれが原因ではないはずだ。『彼女』は死んだ日には推薦での結果は出ていたので、進学先にも問題は無かったからだ。僕は『彼女』と同じ学校に行けると思っていたからこそ、残念だという気持ちがとても強い。僕が絶対に合格するという確証はなかったものの、『彼女』と同じ高校に行きたいというだけで、校内の順位を一桁台にまであげることができていた。そして、校内順位だけではなく県内順位もそこまで悪くはないので、受かると思っていた。そんな僕が「同じ高校に進むつもりだ」と『彼女』に伝えた時には、はにかむような笑顔を僕に向けてくれた。あの笑顔を見せてくれた時のあの喜びは今でも忘れることができない。同じ高校に行く人が同じ中学校にいてよかったという安堵からの笑みだったとしても僕は嬉しい。そして、今でもふと思う。
『彼女』と付き合うことができていたなんて僕はなんて幸せだったんだ。
僕が『彼女』と付き合うこととなったあの夏。緊張しながら「一緒に学校に登校しないか」と『彼女』を誘った。なぜ自分なのだろうかと一瞬戸惑った表情を見せたけれど笑顔で頷いてくれた。僕は既に『彼女』のことが好きだった。そして、『彼女』を今日誘って学校に行くまでに告白すると僕は決めていた。学校に着く間際で「僕は『彼女』のことが前から好きでした。僕と付き合ってくれませんか」と言った。間際になって言ったのは、今のこの関係を崩してしまうと元に戻れないと思ってしまったからだ。僕の言葉を聞いた『彼女』はとても驚いた顔をしながら涙を目に溜めていた。あの時ばかりは「不味いことを言ってしまったのか」と流石に心配した。まぁ、最終的に驚きと嬉しさからなる嬉し泣きであって『彼女』と僕は付き合うことが出来たのだけど。
あの幸せの絶頂からは『彼女』と約八ヶ月で死別することとになるとは思ってもみなかった。神様に一つ何でも叶えてもらえるなら「僕の寿命を全て差し出すので『彼女』を長生きさせてください」だろうか。僕の寿命と彼女の寿命が対等だとは思ってもいないが、『彼女』が生きることができるなら自分の寿命ぐらいは投げ出していいと思っている。『彼女』が生きている際にもしこんなことを言った暁には怒られるのが安易に想像できて自然と笑みがこぼれた。
『彼女』は僕の生きる希望だった。
そんな『彼女』とは外ではデートを何度か行った。お互いの趣味が似ているということもあって、本屋デートや映画デートをしていた。クリスマスには、家でデートを行いたいと『彼女』に言うと、最初は外でデートをしたいと言っていたが、僕が何度かお願いすると困ったような笑みを浮かべて承諾してくれた。『彼女』を「他の男の目に晒したく無かった」というのが僕の本心だ。しかし、思っていた以上に僕と二人っきりのときの『彼女』は魅力的だったので、男には見せたくないが、僕の理性のために今度からは外でデートしたいと思う。
家でデートをすることとなって、買ってきたいものがあったので、「ちょっと買いに行ってくる」と言うと、『彼女』は「何を言っているんだこの人は」というような表情をしていたのは忘れられない。『彼女』がぽかんとしたような表情をするのは、僕と付き合ってから初めて見た。その時ばかりは僕も人の顔を見て笑ってしまった。僕はただただ『彼女』が読んでいる小説の発売日を珍しく忘れていたので、クリスマスプレゼントととして買って持っていくよという意味だったのだが、主語抜けを起こすと流石に『彼女』でも理解できない時もあるのだなと思い、今度から気を付けようと思った。まぁ、その後に『彼女』にポカポカと殴らる感覚を感じながら買った小説を渡したのだが、サイン入りの本を二冊持っていて、僕にくれると言ってくれた。「普通の本は買うの忘れてたの、ありがとう」と気を遣わせてしまったのは言うまでもない。頬を膨らませて怒っていると言わんばかりの表情をしているが、家に最初に居た時より『彼女』の機嫌が良いように感じたのは僕の気のせいだろうか。
そして新年になり、年が変わったのを確認して「あけましておめでとう!」と送り合ってから、『彼女』と初詣に行ったのも今ではとても懐かしい。おみくじを二人で引くと、何故か僕の物には「女難」と書いてあった。心配はさせたくないし、見せても「何したの…」と訊かれて機嫌が悪くなるのが目に見えている。だから僕は『彼女』には見せずに境内の木の枝に結びつけて帰った。しかし、見せなかったことで少し機嫌が悪くなってしまった。そして、未だに「女難」とおみくじに書かれていた意味がわからない。
『彼女』との思い出だからかは分からないが、たった二ヶ月前のことが懐かしいなんて人に言うと心配されるかもしれない。『彼女』のことを愛しているからだということにしておいてほしい。
受験に受かるようにと「絵馬を書いておきたい」と僕が言うと、『彼女』も書くと言ったので並んで書いた。僕は書いたことを見せたのに、『彼女』は誤魔化すように笑って最後まで見せてくれなかった。『彼女』が参拝の際に祈ったことは教えてくれた「幸せになれますように」と。「僕が『彼女』を幸せにする」と言うと、また困ったような表情を浮かべていた。そんな『彼女』の表情もたまらなく愛おしかった。
――愛していた。
『彼女』を、という自信はある。今まで恋というものをした事が無かった僕からすれば、頑張っていた方だと思う。出来るだけ『彼女』に愛を多く伝えていた。「重かったのでは」と訊かれると何も答えられない。僕自身の理想のようなものを『彼女』に無意識に押し付けてしまっていたのかもしれない。しかし、『彼女』も僕を愛してくれていたという自信はある。「好きだよ」とよく好意を伝えてくれていた。だが、これも僕が言っていたからという可能性もある。ここで一つ言わせてもらうと、僕は『彼女』のことを心から愛していた。それなのに何故『彼女』は僕のいない場所へと行ってしまったんだろうか。僕が進んで行くと怒られるだろうなとは思う。しかし、この気持ちの原因を知れたら確かに行ってみるのもいいかもしれないと思う。
僕は、『彼女』が搬送されて亡くなったという病院を訪れた。詳しいことは何も分からないが、『彼女』の母親が朝起きた時には既に…だったそうだ。「『彼女』さんは…」と要件を伝えると、受付の女性が困ったように隣の人を見る。その人は「自分でどうにかしろ」と言わんばかりに彼女を睨んだ。「お願いします、教えてください」と言うと、院長らしき男の人に止められてしまった。
院長は戸惑っている受付の女性に「あの人の『彼女』さんは…」と何か言っていて、話が進むにつれて受付の女性の顔が怒りや悲しみともとれる表情へと変わっていった。
「私共には何もできませんし、患者様そして元患者様の情報は漏洩することができませんので本日はお帰り下さい。後日同じ質問をなされても返答は出来ません」と言われて追い出されてしまった。院長の恨みでも買ってしまったのだろうかという気持ちになってしまった。院長なら、『彼女』に僕が会いに行っているのを知っているのだから、身分確認を行って教えてくれたらよいのにと今更ながらに思った。
僕は病院を追い出された後に、『彼女』の母親に再び会いに行った。しかし、彼女の目は生き生きとしていた。何か生きる希望があるかのように…『彼女』が…娘が…生きているかのように。僕は一縷の望みをかけて、『彼女』の名前を出した。すると、忘れていた『彼女』を思い出したかのように途端に目から生気が消えた。「私は…『彼女』が一番大事だったのに…『彼女』さえ生きていてくれたら私は…」と泣き出してしまった。彼女はなんだかやつれたように見え、最後に見た彼女より何十歳も老けて見えた。
僕が『彼女』の名前を出してしまったことで、嘆き始めてしまった彼女を見ると、何とも言えない気持ちになった。だが、会いに来て良かったとは思う。彼女が、『彼女』を殺した人間ではなかったのだという確信を持つことができたからだ。
何故なのだろうか
という言葉が溜息と共に幾度も口から出そうになる。そして、忘れようにも忘れられないトラウマのように記憶に刻み付けられていく。彼女の目を再び見る。今も泣いているとは言え、真っすぐとこちらを見続けている。
――あの目を僕は知っている。
どこかで――。
思い出せるはずもなかった。そして、何故僕自身が『彼女』が死んだことに対して悲しいという気持ちを今感じていないのだろうか…と。
「少しだけ『彼女』の部屋の私物を見てもいいですか」と僕が聞くと渋々許可を出してくれた。『彼女』の部屋は僕が前に来た時からほとんど変わっていなかった。クリスマスに渡した小説もサイン本と一緒に飾ってある。それを見ると心が痛んだ。本棚の中に混ざっている写真アルバムを見ると、『彼女』の今までの生き方が記してあった。写真を見ても『彼女』の事を断片的にしか思い出せない自分に溜息を吐き、借りても良いか許可を取った。彼女は泣きそうな顔で今すぐ出ていけと言わんばかりに僕の顔を睨んでいた。
『彼女』の母親に「すみません、お世話になりました」とお礼を告げて、玄関を出た。今回の事で、増々『彼女』の家へ行くのが申し訳なくなった。
僕は家に帰ってから彼女の目の既視感が気になり、スマホに残る自分の記憶の断片を見始めた。『彼女』との思い出や、同級生、そして何故か絡まれた際に無理矢理撮らされた写真の数々…消そうかと思った時、『彼女』が生きていたという証となるように思えて、手が震えて消すことが出来なかった。携帯電話のアルバムの検索バーに「二〇〇五年」と入れ、『彼女』と歩んだ八ヶ月間の記録を見返す。先程まで何も上手く思い出せなかったというのに、自分の頬を熱い液体が伝っていくのを感じた。『彼女』からの「愛してる」というメールのスクショを見つけた時には、柄になく号泣してしまった。借りたアルバムも見ると、『彼女』が撮っていて僕の携帯電話には入っていない写真もいくつもあった。泣き止んだと思えば、『彼女』をまた想いながら嗚咽をあげ、さも子供に戻ったかのように泣きじゃくり続けた。
流石に数時間泣き続けていたからか母親が何事かと僕の部屋へと向かってくる。「ここ最近は安定してたのに…」と母親が、「流石にそろそろ行かせてやった方がいいんじゃないのか」と父親が言う。しかし、何のことかも分からないが、涙が止まらない。ここ『最近』という言葉に少し引っ掛かった。さも僕が『彼女』が死んだ時に"悲しんでいなかった"かのようだ。僕は震える声で、「僕は…『彼女』が亡くなったと時に泣いたはずだよな」と訊くと、母親は首を縦に振った。だが、紡がれた言葉は思っていた言葉とは大きく違っていた。
――水希ちゃんが亡くなったのは数十年も前の事なのよ…
悲しかったとはいえ、ここまで引きずらないでほしいわ…
まるで心臓を鷲掴みにされたような錯覚を起こした。眩暈が起こり、床に座りこむ。身体中がその言葉を理解することを拒否している。吐き気がする。気持ち悪い。俺は自分自身の吐息が荒くなっていくのを感じた。自分自身の本能が駄目だ、見てはいけないと叫んでいる。だが、体は卓上カレンダーが置かれている方へと首を勝手に動かす。現実は非情で残酷で、その時に正しいことを突きつけてくる。否応なしに数字が目に入る。
二〇二五年…と
全てを理解した途端に、吐き気だけではなく、喉に異物がせりあがって来た。俺は為すすべなく床に異物を吐き出した。母親の悲鳴と父親のうろたえる表情が目に入る。吐いたからか何度も何度も咳込む。今までの違和感の正体が全て繋がったように思える。友人に水希の話を訊くと表情が曇ったこと。水希の母親に水希の話をすると、先程までの生き生きとしていた表情が姿を消し、話を聞くこと、話すことを拒絶した理由。母親が最近と言った理由――全ては…
俺自身も水希の死が衝撃的で記憶に蓋をしていたんだ。
記憶を改ざんしてのうのうと生きてきていたんだ。
悲しい気持ちはあったけれど、二十年経ったことで、やっと気持ちの整理がついたのだろうと思った。大好きだったからこそ水希の代わりに生きようと思った。そのために、思い出すと死んでしまいそうになることを記憶の奥底へ沈めた。それが、水希の死だった。そして、俺がどこかで見た事があると感じた水希の母親の目…あれは、昔水希が死んだ直後に見た目で、今の俺自身に向けられた殺意だと気付いた。
水希は俺が殺したも同然だ…
水希を殺すつもりはなかったと言うと、俺が傷つけようとしたように聞こえるが、実際そんなことを思ったことはない。そして行動にしたこともない。しかし、今までの自分の対応が良くなかったのかもしれないとは思う。決して俺から声をかけたわけではないが、街中で声をよくかけられた。友人は「いいじゃん」と言うが、三年間片想いをしている相手がいるというのにそんなことを言われてもと思う。誰が好きで知らない女性と話して楽しいと思うのか…
俺がされていたのはいわゆる「逆ナン」というやつだ。目立ってはいなかったはずだが、昔からいろんな人に声をかけられた。それもあってか「女性」という生き物は苦手だった。
水希のことも最初は嫌いだと感じるはずだった。だが、グループ活動やペア活動で水希といる時間は苦痛ではなかった。むしろ心地よかった。気づくと自然と水希のことを目で追うようになっていた。――俺の初恋だった。これまでは、俺なんかが女性に恋をすることなど絶対にないと思っていた。水希といると心地よく、ずっと一緒に居たいと感じたこの気持ちが初恋だと自覚したのは水希に出会ってから一年経ったときだった。鈍感で遅すぎるとは思ったが、水希と付き合えたのだからいいじゃないかと思う。
しかし、表現は少し変だが俺が水希への気持ちが初恋であり、水希に付き合ってほしいと言うのがもう少し早ければ水希を助けられていた。水希について思い出したことで、殺したのは俺に声をかけてきていた「女性達」だと確信した。彼女達からの誘いは、今まではのらりくらりと誘いを断っていた。だが、水希を待っていた際に「ねぇお兄ちゃん?」と声をかけられた際には不快だと感じ、「すみませんが、俺の可愛い彼女待ってるので…」と断った。「彼女?彼女なんかほっておいて私達と遊ぼうよーお兄ちゃんイケメンだし…」と絡まれていると水希がきた。水希が彼女達に危害を与えられるのではと思った俺は、彼女達に手を出される前に思わず水希の肩を抱き寄せていた。「これから俺の可愛い彼女とのデートなんで時間ないので失礼します、お仲間さん達にも声を掛けるな鬱陶しいとお伝え下さい」と言い放つと彼女達は俺...いや、水希のことを睨んでどこかへ去った。水希に目を向けると頬がほんのり赤く染まっていた。「かわいいかよ」と思ったが、俺のこの行動が水希に危害を加えさせるきっかけとなってしまったのだと思う。その後に本屋やアニメショップなどに行って、水希も俺も楽しめたと言えども、水希がこのことで殺されてしまったのなら…俺は…
悔やんでも悔やみきれない。
俺が直そうと思えば直せることはいくつもあった。水希がきたからと言って、同じ態度で拒否し続ければよかった。それに、「彼女を待っているから」で断らずに「用事があるので」と言って断ればよかったと今更ながらに後悔する。そうすれば、水希は彼女だと思われずに彼女達の妬みや怒りの矛先を向けられることがなかったのではないかと感じていた。…いや、「私達は断られたのになぜあの女は一緒に居れるのか」と妬みは向けられるかもしれない。彼女達は自分自身ののらりくらりとした態度で、期待していたのかもしれない。それなのに、急に「彼女にゾッコンである」という現実を突きつけられてもすぐには納得できないだろう。もしどうにか自分自身の力でできることなら「原因」であるものをどうにかしたいと思うだろう。極端に言うと、原因をこの世から消したいとも思うかもしれない。彼女達がどう思ったのかはしらないが、恐らくそのような理由で水希に危害を与えたのだろう。もしかすると自分自身で命を絶ったのかもしれないが、それはないと思いたい。そうやって今でも現実逃避をしようとする自分に嫌気がさす。
今思えば、危害を加えられていたのではと思い始めたタイミングに心当たりがある。水希が俺といる際に見せる笑顔に死んだ日に近い日ほど影を感じるときが多くあった。初詣の際であっても、水希は祈っていた。俺が幸せにすると言ったのに、最終的に俺が不幸せどころか命まで奪う原因となってしまった。そのような俺が人に恨まれるのは当然だ。俺の覚悟は決まった。彼女との思い出だけをお守りとして…
――『幸せになれますように』
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私は一仕事を終え、机の前に座りなおす。今回のことは私自身にとっても初めての経験だったため、上手くいくとは思っていなかった。だが、今まで何十年間の何回もの脳内シュミレーションにより、行動は全て体が自然に行っていた。彼が記憶を取り戻したら行動を起こすと決めていた。徹夜と過酷な肉体労働で体に蓄積した疲労を回復させるために溜息を「ふぅっ」と吐く。今まで張りつめていた緊張の糸が切れたのか急に眠気が襲ってきたため今から寝ようかと思った。だが、ふと時計を見ると既に日付を跨いでいたので寝ることは諦めた。「私が行動を起こしたのは夕食を食べた直後だったのに」と、意外と時間のかかることを知り、無駄な時間を過ごしたなと感じる。
ふと、大好きだった彼女のことを思い出す。彼女がなくなった日は「今日は放課後に用事があるんだ~」と言っていた。「人との食事」と言っていた。その中に遅効性の毒でも混ざっていたのではないかと思う。一緒に食事をしたのは、前に彼に絡んできていた女共だったからだ。家に帰ってきたときには元気に「ただいま~!!」「思ってたより楽しかった~!」と言っていたのに、次の日には冷たくなっていた。彼さえちゃんとしていればあの女共はこんな強硬手段に出なかっただろうにと思い出していらだちが募る。
思考を先程の仕事のことに戻す。まさか――日付が変わるとは思ってもみなかった。立てていた目標のことはすぐに終わったが、私がこれからも同じような生活を送るためには「もう少しできるだろう」と思った。そのせいで、これほど時間がかかるとは…そう思いながらも自然に笑みが零れる。こんな顔では仕事ができないのでやはり寝ようかと思ったときだった。ふと気になることがあり、リモコンをテレビに向けて電源をつけた。だが、小一時間待ったところでお目当てのものは流れてこず、時間の無駄だと悟った。流石に風呂にでも入るか…と着慣れない服を脱ぎ、「嘘」で塗り固められた分厚い仮面をもう一度付け直す。先程してしまったような笑みを出さないようにいつも通りの笑みを心がける。すると、今まで気づかなかったことが一度に情報として押し寄せた。自分が纏う「異様な匂い」、服に付着している「深紅の染み」そして、手に未だ残る「嫌な感触」があることにも気づく。それを多い隠すために「流石に…お風呂…入らないとねっ」と機嫌がよいと言わんばかりにスキップをしてお風呂場へ向かう。その背中に彼女が起こす行動に構わず、つきっぱなしのテレビが速報を流す。
速報です。今日未明、XX市に位置する皆師川の上流付近で、人と思われる死体の一部が浮かんでいるのが発見されました。被害者は昨夜から行方不明になっているXX市の三十五歳の男性だと思われます。そして、死体の形状的に浮かんでいたのは右腕と思われます。近くの岩には被害者のものだと思われる髪の毛などが付着していたため、上流からバラバラに切断した遺体をまとめて流したものだと思われます。切断された右腕に多くの刺し傷や痣などがあったため、日常的に暴力を受けていたか、犯人から強い殺意を向けられたのではと警察は捜査しています。下流の水には被害者の血液が多く含まれており、健康に害を及ぼす可能性があるので、川の水の使用は行わないようにしてくださいとのことです。そして、犯人に繋がる情報はないため、一刻も早い逮捕のために警察は情報提供を求めています――