バスの中で
「知ってる?ジャスミン茶を飲むとエッチの持久力が上がるって言われてるんだよ」
「へぇ、そうなんだ」
「と言うわけで、ここにジャスミン茶がありまーす」
「へぇ」
「さぁて、千頭絵さんの、ちょっと良いとこ見てみたーい」
「いや飲まないけど?」
「それ!イッキ!イッキ!イッキ!」
「だから飲まないって」
僕と輪は貸切バスの中でそんな会話をしていた。
現在時刻、20時。
いちばん後ろの席だから2人の運転手さんには聞こえていないだろう。
なんてことはなく、輪が大きな声で喋るので多分聞こえている。
本当に申し訳ない。
「なんで飲んでくんないかなぁ」
輪が思案顔になる。
頼むからそんかことに脳を使わずさっさと寝てほしい。
「はっ!」
そんな音を口から出すと、何かに気づいたような顔になった。
そして素早くジャスミン茶が入ったペットボトルを掴み、蓋を開け、飲み始めた。
「おぉー」
あまりの良い飲みっぷりに僕は感嘆の声を漏らした。
「ぷはぁ!」
輪は一気飲みをやめた。
ペットボトルは飲み干されていない。
ちょうど半分程度残っている。
「さぁ!飲め!」
そういい、輪はペットボトルを僕に突きつけた。
「飲まねぇよ」
「は?!間接キスしたいんじゃないの!?」
誰がそんなこと言ったんだよ。
「くそ〜これじゃないなら…はっ!」
本日2回目のはっ!を頂いてしまった。
さてさて、今度はどんな奇妙奇天烈な思考が生まれたのか。
そんなことを考えていると、また輪はペットボトルに口をつけた。
今度は少しだけ口に含んだようだ。
ここで『一発芸、噴水!』なんてやってくれれば爆笑ものなのだが、そんなに笑える話では無いようだ。
輪はジャスミン茶を口に含んだまま僕に近づいてきた。
「え?あ、あの?輪さん?」
輪が僕の肩に手を置く、その瞬間、僕の視界が揺れる。
お、押し倒されてしまった。
バスのいちばん後ろの席で押し倒されてしまった。
輪は僕に顔を近づける。
ま、まずい!
僕は輪の肩にまっすぐ手を伸ばす。
ごくん、という音がした。
「何すんの?」
「こっちのセリフだ!」
「そりゃ口移しだけど?」
「何のために?」
「飲ませるために」
「た、助けてぇ!」
僕は必死に抵抗する。
「ぐへへ、悪いようにはしないからねぇ」
「もう既になってるけどね!」
そんな会話は唐突に中止された。
車が停止したのだ。
さすがはプロ。
丁寧な停車だ。
しかし僕たちが乗っているのはバス。
さすがに揺れを0にするのは難しい。
輪はその揺れに負けて落ちてしまった。
「いてて…」
「SAにつきました。これよりトイレ休憩の時間とさせていただきます」
運転席の方から声が聞こえた。
「わかりました!」
さて、僕もトイレ休憩に行こうかな。
僕は輪を跨ぎ乗車口に向かう。
「お、置いてかないでー」
後ろから聞こえる声を無視して、僕はSAのトイレへと向かった。
SAのトイレは場所によってはすごく綺麗だが、あまり綺麗じゃ無いところの多いというのが僕の持論だ。
ここは多数派。
あまり綺麗では無い。
しかしすごく汚いわけでは無い。
最小限に汚れは抑えられているという感じだ。
やはり清掃員さんの努力のおかげだろう。
有り難い話だ。
そんなことを思いながら僕は便器の前に立ちチャックを開ける。
「ちょいと隣失礼」
僕の横から声が聞こえた。
どうやら僕に話しかけられているようだ。
「どうぞ」
「すまんなぁ」
元気なお兄さんだ。
みてみると、25歳から30歳ぐらいの男性だった。
顎には無精髭を携え、髪はボサボサ。サングラスを掛けていて、目を見ることができない。
あまり見た目に気を使うタイプではないらしい。
「お兄ちゃん、なんか悩み事でもあるのかい?」
「え?」
「そんな顔してるよ、おじさんは顔を見ればわかるんだ」
「は、はぁ」
「ま、悩み事なんて、こんなおじさんには喋りたくないよな。けどまぁあれだ、悩み事なんて、大抵時間が解決してくれるから、そんな悩むなよ」
「な、なるほど」
「ふぅー出し切ったぁ」
隣の男性はそういうとチャックを閉めて便器から離れた。
僕は顔だけを動かしてその人を目で追う。
「あぁ、そうだ」
男性は僕の方へと振り向いた。
「なんだかお兄ちゃんとはこれでお終いってわけじゃなそうだから、名乗っておくよ」
芯のある声だった気がする。
「僕の名前は安田康二。よろしくな」
ニヤリと笑みを浮かべて、そう言った。
「お兄ちゃんの名前は、またあったときでいいや。じゃあな」
そういうと、男性は今度こそ僕から離れた。
安田康二。
変人か変態か、そんなものだと思う。
しかし、その名前が、僕の頭には、深く印象に残った。




