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咲桜マーメイド

妖怪。


その存在は、遠い昔から語り継がれてきた存在。


妖怪と聞けば目玉親父や猫娘などを想像する俺だが、本物はそんなコミカルでアニメ染みた話では済まなかった。



本物の妖怪。


どこにでもいて―――


どこにいるかわからない――




人間でも、動物でもない。


人から見たら得体の知れない怪物。



妖怪。


俺が本物の妖怪に出会ったのは、中学校三年生の2月。


15歳の誕生日を迎えた後。


俺は妖怪に殺されかけた。


妖怪といっても、俺を襲った妖怪は西洋妖怪の類だと――

あの人は言っていた。




でも俺は助かった。


それ相応の代償を払って。


一昔前だったら、俺が助かる方法はなかったらしい。この話は親友の鳶町八雲(とびまち やくも)と、もう一人の親友、朱佐黄龍(すさ こうりゅう)しか知らない。

単身赴任で地方に仕事に出ている父親にも話していないし(母はだいぶ前に亡くなっていてこの世にはいない)毎日朝から顔を合わせる妹の(ひかる)にですら話していない。




自分が狼人間に襲われたこと。





狼人間の牙によって。


噛み憑かれて。



体の中に呪いをかけられて。


狼人間になった。



俺に噛みついた狼人間。



外見は、若干二十歳に見える姿形で。


彼女は美しい長い黒髪に灰色のメッシュ。赤い瞳にすらりと伸びた鼻。血の色のように真っ赤で暗がりでも目視できる唇。外見はとても美しい外国人女性のようで、普通に、人間に見えた。




獣のような耳が頭の上にある以外は。



それでも俺は、電柱の下で頭から血を流して倒れていた女性をほうっておいてはいられなかった。(その時は夜も更けていて視界が悪く、彼女の獣の耳は萎れるように自身の長髪の中に紛れていたので、人間としか見えなかった。)

瀕死状態の彼女は、俺に取引を持ちかけてきた。


不覚にも、俺はそれに乗ってしまった。


その日が満月だったのが、俺の運の尽きだったのかもしれない。

取引が成立した後、彼女がピンと立たせた獣の耳を見た俺は無様にも足がすくみ、動揺し、隙を突かれて。



彼女に噛まれた。




彼女は自分が助かるために俺を同類にして利用しようとしていた。








満月の夜に――――

自分の中に入り込んだ人狼の呪いに呼応し、その呪いに体が蝕まれて行くのを感じ、狂ったように夜道でのたうち回る俺は、

一人の老婆に拾われた。


竹宮千代美呼(たけみや ちよみこ)

彼女は、その手にまつわる専門家だった。俺に噛みついた狼人間を狩る最中だったらしい。

瀕死になるまで破壊した狼人間が逃走を図り、持久戦に持ち込んだ際に、俺はそれに巻き込まれたのだった。



そして俺は、彼女の助けによって自身に流れる狼人間の力を屈服させ、俺は助かった。


「もう授業は終わったよ。閃。」


机の上に突っ伏せていた顔を上げると、そこには親友の八雲が鞄を持って立っていた。

ゴールデンウイークが終わり、中間考査(簡単に言えば校内実力テスト)という重荷が外れた今日この日、6月2日。


くあぁ、と一欠伸。


「もう放課後?」


ぽりぽりと頭を掻いて再び親友を見上げる。

男にしては少し長めで茶色の髪(俺がみる限り幼稚園から茶髪なので、100%天然の茶髪である。)同じく茶色の瞳に、まだ中学生といっても通じるであろう童顔。


ボケ担当の俺の相方。




これが鳶町八雲。


俺、如月閃の無二の親友。

八雲とは幼稚園から今のここ、盟凰高校までずっと一緒だ。

クラスだって離れたことがない。

幼稚園から数えると、13回くらいクラス変えがあったはずだが俺と八雲は何百分の一の確率と偶然で、今の今までずっと一緒だった。



今考えるとすっげー偶然。



「早く帰ろうよ。朱佐も待ってるし。」


八雲は自分の鞄を持ち、俺の鞄を突き付ける。

終礼も終わったらしいし、帰ろうかな。


盟凰高校に入学して早二ヶ月。だいぶ高校生活にも慣れたし、この体にも随分慣れた。



人狼の細胞。



狼人間の呪い。



俺の体の中には人狼の細胞が寄生している。

化物。

妖怪。

怪物。

俺はどれにも当てはまる。


でも今は満月になっても獣のような耳が頭頂部から生える事もなく、自我を崩壊させる狂暴性も抑えられ、自分の人間の意識と意志を維持させている。まぁ後遺症みたいなもので、歯と爪の強度が人並み以上になったし、歯と爪の強度はコンクリートをも粉砕できる硬さを、指先に力を入れれば爪の伸縮が自由自在になった。

次に、体が丈夫になりすぎた。

2tトラックに跳ねられても、学校の屋上から飛び降りたとしても、怪我一つない。(この二つは今年の2月に実際に体験済みなので比喩表現ではない)



その二つを隠せば、ちゃんと「人間」と同じだ。



あとは、ステーキのレアが異常なまでに好きになったこと。

生肉とか、焼いてないウインナーを好む体になってしまった。





教室のドアの前には、朱佐が待っている。

俺よりもちょっと背が高くて、黒髪のストレートヘア。いかにも育ちが良さそうな顔つきに、運動神経も抜群で頭も切れる。




策士兼イケメン担当。




以上。この二人が俺の唯一の友人である。


俺達三人は数々の生徒達で賑わう廊下を喋りながら歩いた。

「聞いたよー。朱佐ってまた告られたんだって。これで何人目だよ。」八雲が肘で朱佐をつつく。

「さぁな。いちいち数えてられないさ。」

背も高くて頭も良くて運動神経も抜群。母親が外国人らしくて、日本人とは違う整ったハーフの顔立ち。ニキビ一つない色白の肌。これだけ揃ってりゃモテない訳ないよな。

恵まれすぎた男だよ。朱佐黄龍。家柄も良くて金持ちらしいし。



弱点が見当たらない朱佐黄龍。


でも。


「また振ったんだろ?」

俺が朱佐に振る。

「必要ないからな。」

そう。朱佐は彼女という存在を作らない。そういう主義らしい。

ひょっとして結婚もしないの?朱佐君。


ぷいと朱佐は横を向く。その横を向いた先にいた女子生徒二人が彼を見てキャーキャー喚いている。

「朱佐くーん!」

俺の横で朱佐を呼ぶ女子が三人。近距離なのに手を振る始末。三人共制服のネクタイが青なので上級生のようだ。

それに朱佐は笑顔(営業スマイル)で会釈を返す。

またも黄色い声援が湧く。


すぐ隣にいる俺と八雲の肩身が狭い。

「別に僕の肩身は狭くないよ。」

「え!?なんで俺のモノローグが悟られてんだ!?」

「何十年も一緒にいれば悟りは開けるものなんだよ。」

どこの賢者だよ!お前は!どこで学生から転職しやがった!あっ、さては前世は遊び人だな。色々と悪知恵働くから。



「鳶町くんっ。」

後ろから声。

しかも女の子の。

呼ばれていないのに、俺と朱佐も八雲に続いて振り返る。

そこには女の子が一人。赤いネクタイなのでこちらは同級生。

「あ、あのっ。鳶町君のメアド。教えて下さい!」

女の子の片手には携帯電話がスタンバイしている。

「うん、いいよ。はい。」

八雲ははにかみながらテキパキと自分と相手のメールアドレスを交換した。

女の子は感謝の言葉を八雲に伝え、駆け足で去っていった。




思わず溜め息が出た。

「肩身が狭いな。閃。」

朱佐が不敵な笑みを向ける。

「お前が言うんじゃねーよ!」自意識過剰過ぎる朱佐黄龍。

俺よりちょっと朱佐の方が背が高いので、別の意味で敗北感が積もる。


ここで補足。

如月閃。ツッコミ担当。

モテないって、嫌だね。


ちなみに朱佐が一番背が高くて182㎝。俺は176㎝。八雲が一番小さくて170㎝。

なんかいつでも二人の中間ってかんじで、これといって抜きん出た取り柄が見当たらない自分。

朱佐はクールで落ち着きのある大人ってイメージで通してるし。

八雲は存在自体が母性本能をくすぐるショタ系なので女子全般に好評。(これは上級生の知り合いから教えてもらった)

彼の性格上、基本的に乗りがいいので男受けもそこそこ(男子からは年下の弟みたいと、評価はいいようだ)



俺は、そもそも人間じゃないし。

狼まがいの人間。

決して人間とは名乗れない。



下駄箱で靴を履き替え、自動販売機を過ぎたところに一人のクラスメートを発見。


白崎咲桜(しろさき さくら)

彼女とは入学式の後に神社で知り合い、同じクラスということもあって一度だけ会話をしたことがあるのだが、5月のゴールデンウイークを過ぎてから彼女の様子がおかしい。

最近クラスで人と会話をしていないようだし(授業中も放課中も、ずっと具合が悪そうにうつむいていることが多い)テストが終わった後から欠席や早退が多い。

その刹那。彼女と目があった。

彼女は、俺の視線を拒絶するが如く目を逸らしてスタスタと学校を後にする。




白崎咲桜。

俺の知る限りの情報では、朱佐と同じ中学校の出身。

成績も良くて盟凰高校には推薦で入学し、運動も出来る。

中学校では陸上部で部長を務めていたらしい。短距離走が得意で、よく表彰を受けていたらしい。(これは全部朱佐から教えてもらった情報である)

ゴールデンウィークを過ぎる前までは、彼女は自分の前の席の先本小羽と一緒にいる。

落ち着きのある、物静かな彼女。



しかし今はどうだ。クラスで仲のよい先本とも話さなくなったし、顔色も悪くて話しかけ辛い。


体調が悪いのはわかるが、なぜこんなにも人を避けているのか。



重い病気にでもかかっているんだろうか。

実際病気を理由で欠席したりしている訳だし。



頑なに人を拒絶するようなオーラを放っている気がする。



こんな考えはただの憶測に過ぎないし、自分の勝手な想像と偏見で思い込んでいては彼女に悪い。


俺は八雲や朱佐にはこのことは話さず、他愛もない会話をしながら帰路についた。




それからは特に変わったこともなく日によって夏が近づき、我が盟凰高校指定の冬服のブレザーから夏服へと衣替えになった。


校章入りのカッターシャツとチェックのツータックズボン。

中学生の時に制服の格好良さで盟凰高校を選んだ甲斐があって、他の公立高校や私立校よりもお洒落である。そして女子の制服も可愛い。

また中学三年生の時に見た盟凰高校のパンフレットのモデルの女子校生の姿を見て決めたともいえる。

自由度が効く代わりに結構難易度が高い我が盟凰高校。


俺はなんとか一般入試で合格。

今は文化祭の準備が俺の背中を押している。


文化祭実行委員という俺の肩書が重くのしかかる。

クラスの委員会決めで、俺だけ熟睡していたことにより、勝手に俺の役職が決まってしまった。

男女二人でクラスの出し物を決め、その後文化祭の計画や準備などを切り盛りするのが文化祭実行委員唯一の役割。

しかも俺とパートナーを組む女子というのが、「白崎咲桜」だった。



白崎咲桜。いつもポニーテールで髪を纏めている物静かなクラスメート。


今は病欠や早退を繰り返している彼女。




なんとなく、話しかけづらい。

みんな大好き夏休みが控えている中、俺はアルバイトと文化祭の準備で余裕がない。


そんなことを毎朝思いながら登校する。

今日は7月3日。

プール開きの日。

季節限定の体育の授業の水泳。


なんと我が盟凰高校。男女混合で水泳をやるとのことで。

男子ウハウハ女子ブーイング。

もちろん健全な男子生徒である如月閃。

女の子に興味がないわけではありません。

でもこの場合だと女の子の体に、いやボディラインに興味あると言った方が正しいかな。

スクール水着を作った人は偉大だと思う。



こんないやらしいこと考えてしまうなんて。

結構人間らしくなったかな。


狼人間だった時は生きた感じがしなかった。もちろん人間ではなかった訳だし。。



プールを楽しみに思いながら教室へと入る。

いつも通りの朝から賑わう教室。

いつも通り俺は自分の席に着く。

テストが終わり、先週の木曜日に席替えが行われた結果

俺の後ろの席には八雲がいる。右横には朱佐がいる。

(こんなに都合良く俺達三人の席順が揃っているのは、クラス室長の朱佐黄龍の権力である)

「閃おはよー。」

後ろから八雲。

「おう八雲。朱佐もおはよう。」携帯電話をしまい込んで挨拶を交わしてくれる朱佐。




俺も鞄から携帯電話を取り出そうとした時、今日一番の失態に気付いた。





水着がないっ!!!!!!


衝撃的過ぎて立ち尽くす自分。

「どうかしたのか?」

「閃どうしたのー?」


多分、玄関に忘れてきたんだ。そうに違いない。

「……水着を…忘れた。」


俺の一言に二人は呆れた表情を見せる。

「50mの補充。頑張ってね。」

苦笑いの八雲。

そう。我が盟凰高校の水泳の授業では病気や正当な理由ではない限り、必ずプールに入らなければならない。

水着を忘れたり不当な理由で体育の授業を休むと、授業の補修分+1時間休むにつき50mの補充測定を受けなければ水泳(二学期の体育)の単位が貰えないというルールになっている。


ちなみに盟凰高校のプールは、15レーンのコースがあって長さが50mで水深2mの町内では珍しいプールである。(夏休みには市民プールとして開放している)

「めんどくせ〜。」

朝からテンションダウン。

崩れるように席についてうなだれた。


こうして如月閃の学校生活が始まり、水泳の補修も玄関に置いてきぼりにしてきた水着も忘れる程の出来事に、俺は遭遇してしまった。

いや、今思えば自分から遭遇しに行ったのかもしれない。




――――照りつける太陽。素足では火傷してしまうようなアスファルト。

現在水泳の授業。

ジャージに着替えてプールサイドで体育座りをする俺。



俺の視線の先のプールの中では、男子と女子が2レーンで分けられて楽しそうに泳いでいる。

ついさっき俺はシャワーを浴びている他の男子達を後目に女子達の準備体操(言うまでもなく全員水着)を、日陰の中のベストポジションで観察させてもらっていた。(さりげなく。女子達にばれないように。)



俺も健全な男子高校生。いや雄という立派な生き物なので、女性に無関心な訳ではない。


しかしそんな目の保養になる天国は、そう長くは続かなかった。


一人の体育教師に、

水泳を見学している生徒全員に水泳のプリントの書き写しが言い渡された。

最悪だった。


天国のような光景の水泳が、見たくもないプリントを書き写す授業に変わった瞬間だった。

書き写すのはプリントを見ながらしか出来ない。


よって、プールを見ることができない。



く〜。水着見て〜よ〜。



水が跳ねる音。数メートル先で笑いあう女子達の声。

俺は50分誘惑に耐えきってプリントの書き写しを終えた。



プリントを仕上げ、瞬時に視線をプールへ向けると、男女共にプールから上がっているではないか。


「せーんー!」

八雲が俺を呼んでいる。

男子全員で集合して終礼をするらしい。


書き終わったプリントを片手に、俺はのろのろと集合場所へ向かった。終礼を済ませた男子生徒一同は、向かい側に整列する女子生徒達の水着をまじまじと眺めた。

もちろん俺もその中に入っている。

濡れた髪や照らされる水着と肌のコントラストが男共の煩悩を刺激させる。

挙げ句の果てに個人毎に点数をつける男もいた。


「いーよなー。雨宮志乃美(あまみや しのみ)はさぁ。」

俺の隣の男が目を見開いて前方を凝視する。



雨宮志乃美。

多分あそこ。名簿順に並んでるから先頭にいるローツインの女子。

水着を着ているからこそ分かる彼女のメリハリボディ。

余計なものは無くて、出るとこだけ出てるかんじ。

そんな世の男共の視線を釘付けにする彼女。

話したことはないが、噂は聞く。

いいとこのお嬢様だとか。今まで誰とも付き合ったがないだとか。

「次の授業は移動教室なんだから、早く行くよ閃。」

八雲が俺のジャージの襟首を引っ掴んだ。

まさに烏合の衆からはみ出た雛鳥状態。

餌が欲しいよ。

もっと水着見させろよ。


振り返って八雲に悪態を吐く。

「科学の実験の用意を集めて来るのが閃の仕事なんだから。早く行って僕達だけ早めに予習しておこうよ。」

ちなみに次の授業は科学。

三人一組に分かれて実験を行う授業。

体力的な事は俺担当。

実験を進行させるのは八雲。

最後にレポートにまとめるのが朱佐。

見事に三人の長所を生かしている。

でも今日は自分の水着を置いてきたこと女子生徒の貴重な水着シーンを余り見れなかったため、乗り気じゃない。


後ろからキャピキャピした女子達の声がする。

終礼を終わらせたのだろう。

悔いが残らないようにもう一度水着を見て目に焼き付けようとして向かい側を見てみる。

あーあ。みんなもうタオルとかで髪拭いちゃったりなんかしてるし。

これはこれでそそるものがあるのだが。

重要なのはそこではなかった。多くの女子生徒達が狭いプールサイドで賑わい、もつれ合う中、何かの拍子で一人の女子生徒がプールの中へ落ちた。

あれだけの人数と狭いプールサイドでごちゃごちゃしていたら思い浮かぶ光景だった。


女子達とは反対側にいる男子生徒達は爆笑し、誰が落ちたかと笑い合う。

俺も誰が落ちたかは気にはなったが、先程の二つのことで頭がいっぱいで笑いはしなかった。

向かい側の女子は混乱状態。

男共は笑っている。


ほんの少し時間が経って───普通ならすぐ上がって来るはずの女子生徒が、上がってこない。

ちなみに我が盟凰高校のプールは水深2m。

足がつく奴なんてそうそういない。


やっと事態を察知した男共がどよめく。

「先生呼んだ方がいいんじゃね?」

バカ。遅っせーんだよ。

俺は八雲の手を払い、ジャージのままプールへ飛び込んだ。

プールの端から反対側の端まで泳ぐ羽目になった。

ジャージを着ているので体が思うように動かせず、ジャージが水を吸って重い。


しかし俺は人間に見えて人間ではないので、人間の常識はあまり通用しない。


並外れた体力を持っているので、疲れ知らずのこの体。ジャージの重みもなんのその、伸縮自在の爪を伸ばして簡易型の水掻きを作って潜って泳いで行くと。


水の中で一人の女子がもがいている姿を発見した。

俺と同様の見学者だったのだろう。水中でもがく彼女もジャージ姿だった。

ひとまず彼女が生きている事を視認し、爪を縮ませてから暴れている彼女のジャージの肩を掴んで水面へと引き上げる。

その時俺は、驚くべきものを見てしまった。

俺の中学三年生の冬の出来事を彷彿させるような光景。





彼女の足には、ヒレがあった。二本の――――人類の足ではなく。




まるで海洋類のヒレが下半身にくっ付いているような。


人魚。みたいな。



「ぷはっ。」

俺達二人は無事に水面から顔を出した。

流石に俺でも水中では呼吸出来ないので、水面から顔を出してたっぷり息を吸って呼吸を整える。


その時俺は初めてプールに落ちた女子の顔を見た。




白崎咲桜。

最初は神社で出会い、中学校では元陸上部の部長を務め、最近は病欠や早退を繰り返す白崎咲桜だった。


ショックか何かで水面に上がった時から気絶している。

幸い呼吸はしているので一安心。




している場合ではなかった。

そう。今彼女を陸に引き上げれば、絶対に周りはパニックになるだろう。




プールサイドからは見えないと思うが、彼女の足にはヒレがある。すねのあたりなんてウロコとか生えてるし。


何とかして彼女を助けるため、俺は片手でジャージの上着を脱いだ。(もう片方は白崎の肩を掴み。足は沈まぬように必死にばた足である)

そのジャージで彼女の素足の部分に巻き付けてヒレを隠す。


やっとのことでプールサイドに上がり、彼女をお姫様抱っこで持ち上げる。

彼女のヒレしか頭に入っておらず、周りの世間体なんて気にしなかった。


「閃!!」

慌てた八雲と朱佐が駆け寄る。

「わりぃ。保健室行くフリして早退するわ。なんか言い訳しといてくれ。」

状況を察知したのか、八雲は走ってプールサイドから出て行った。

「早退の理由はそのジャージか?」

朱佐が尋ねる。鋭い奴だよまったく。

「そんなもんよ。あとで話すよ。」

楽しみだな。と朱佐の言葉を苦笑いで紛らせてプールサイドから出ると、プールの入り口に八雲が待っていた。

「サンキューな。」

八雲は俺に鞄と制服を渡した。こっちは気の利く奴。

「先生には朱佐と僕で誤魔化しとくよ。」

「わりぃな。」

「モスバーガーね。セット付きの。」

「高いのは無しな。」

八雲が鼻で笑った。


交渉成立。



俺は八雲に別れを告げ終え、こそこそと裏側の校門を出た。




これから向かう場所は一つ。





駄菓子屋である。

学校の授業をサボって俺達二人が行き着いた先は、何の変哲もないただの駄菓子屋である。


しかしその駄菓子屋でしか出来ないことがある。

俺が狼人間になった時に、色々と世話になったこの駄菓子屋「竹宮亭」。


今俺は竹宮亭の座敷に腰をおろしている。

すぐそこの布団の中には、先程救出した白崎咲桜が意識を失っている。(睡眠とは近いようで違うようだ。)


竹宮亭についてすぐに八雲からメールが届いた。

うまい具合に誤魔化せたらしい。


それにしてもこの駄菓子屋。80年代臭さがプンプンする。

いや俺は平成生まれだからこの雰囲気を懐かしいと思う訳ではない。

色々な媒介のメディアを取り入れて育ってきたので、これしき一般知識として記憶している。

古めかしい障子に足を畳まれて収納されているちゃぶ台。

古そうでも汚れてはいない手入れされた七畳の畳。


住宅化が進むこの町で、唯一この駄菓子屋だけが時代から取り残されている孤立感があった。いや、あえてそうしているのかもしれない。



俺が鞄に手をかけた時、丁度白崎が意識を取り戻した。

「ここは…。」

「ただのしがない駄菓子屋だよ。お前プールに落っこちたんだぜ。」

「見たんだな。」

一瞬だった。

掛け布団を被せられて。

気が付いたら、俺の上には白崎が見下ろしていた。

片方の手で俺の首を押さえ、もう一方にはシャープペンシルが、ペン先が怪しく光る。


「ちょっと!待て待て待て待て!落ち着けって!」

「お前が落ち着け。もう一度聞くぞ。見たんだな?私の足を。」弁解の余地はなかった。

口封じってやつ。

彼女は鋭い眼光で、威圧的なオーラを放って。

俺を脅迫する。

手荒なことはしたくないんだけどなぁ。

ひとまず冷静さを取り戻してもらいたい。

「とりあえず!とりあえず落ち着いてくれ!」

大事なことなので2回言った。

しかし彼女は微動だに動かず喋らず俺を睨みつけている。

「見たのか見てないのか。どっちだ?」

どうやら発言はそれしか許されないらしい。

はぁ。と深いため息。

「見たよ。」

と一言。その刹那。思い切り彼女の腕が振り下ろされたので反射的に身構える。

目を開けると。俺のすぐ横、頬のすぐ真横にシャープペンシルが畳に深々と突き刺さっている。

恐怖。

もし刺さってたら相当な。考えただけで身の毛がよだつ。

ポツン。と頬に落ちる水滴。

間違えた。

目線を前に向けると、彼女から涙が。

ぽつぽつと。

俺に当たる。

「好きで…。こんな体に……なった訳じゃ…ない。」

涙を拭い、再び俺に眼光を向ける。涙で余計に光っている彼女の瞳には、何とも情けない男子高校生の姿が。

「なにをしておるんだ貴様等は、行為に及ぶのならホテル(よそ)でやらんかい。」

無粋な。

天の邪鬼な。

KYな。

救いの手が、俺の手に差し伸べられた。



部屋の入り口の前にはこの駄菓子屋の主、竹宮千代美子が立っていた。

そうこの竹宮千代美子こそが。

狼人間だった時の俺を助けてくれた人物である。

「どうしてもと言うから部屋を貸したというのに、お前は発情するためにうちへ来たというのか。」

「誤解だっつの!俺を変態みたいな設定にするな!こいつのことについては色々あるんだよ!」

誤解を解こうとしたが、千代美子からのげんこつで俺は畳に埋まった。

「あーあ畳がこんなに。こりゃまた借金が増えたなぁ。ほれ、起きんかイヌ。」

竹宮千代美子。

年齢不詳。

外見は二十代後半。毎日色鮮やかな着物を着て、後頭部にあらんばかりの簪を刺しているのが特徴だ。

ここで一つの矛盾点を挙げると。

俺が初めてであった時の彼女は、外見が今とは比べ物にならないくらいの年寄りで、突いたらコテンと倒れそうな背の低い老婆だった。

外見を自由自在に変えることができる女。なぜそんな非科学的な芸当ができるのかは今は伏せておこう。大事な伏線なのだから。

今は二十代後半の顔立ちで、俺と白崎を見下ろす。

背はスラっと高くてモデル体型。

でも腹黒い。

「っいてっ!。」

「なんか言ったか?イヌ。」

そのくせ暴力的。命の恩人とは思いたくない人物No.1である。

ちなみにイヌってのは俺のこと。



狼人間だったからね。

「畳の修理代で借金はプラス10万円だな。」

「そんなぼったくりがあるか!!」


ちなみに今俺が抱えている借金の総額は300万円+10万円。

300万円の借金を負うことで、俺は狼人間から元の人間に戻れた。(完全にではないけれど)

そして、俺の体にのしかかっていた白崎が名乗りを上げた。

「ご迷惑をおかけしてしまってすみませんでした。白崎咲桜です。」

さっ、と俺から離れてお辞儀をする白崎。

もう涙は流していない。



「礼には及ばん。如月、詳しく説明してもらおうか。」

俺はついさっきまでの出来事を全て説明した。

白崎がプールに落ちたことから始まり、そして溺れていた彼女を助けてみると、足が尾ヒレになっていて、下半身は鱗まみれで、まるで人魚だった。と、

「今はヒレなんて生えておらんがの。」

千代美子が白崎の下半身をまじまじと見つめる。観察するようなフリをしていて、実はこの事態の何もかもを見透かしているような気がするのは俺だけだろう。

「水に浸かると、変わってしまうんです。」

えらく冷静に、冷ややかに白崎は言う。

「いつから変わるようになった?」

千代美子が質問すると、白崎はうつむきながら、先程と同じ口調で答える。



ゴールデンウイークを過ぎてから。と、

「最初はお風呂に入った時でした。その時すぐ湯船から出たら元に戻ったのですが。」

段々治るのに時間が掛かるようになった。と、一向に顔を上げようとしない彼女。


「どうしてそうなったのか。心当たりはあるか?」

「ゴールデンウイークに家族で湖に行って、妹と二人で人魚の伝説が奉られている鍾乳洞の中の奥の御堂にあった綺麗な石を取ったことが、……原因だと思います。」

「その鍾乳洞とは、滋賀にあったものではないかの?」

その言葉に、白崎はふっ、とうつむいていた顔を上げ、酷く驚いた表情で目を細めて不敵に微笑する千代美子を見た。

「どうしてそれを……。」

「古い文献で得た知識よ。その昔、十人もの人数の話を聞ける変人が滋賀で人魚を見たと言われとるらしい。人魚と言われたらそれぐらいしか思いつかんのでのう。図星かの?」

こくり、と一回うなずいた彼女は再び顔をうつむけた。



その変人は多分、歴史の教科書に登場する聖徳太子の事だと思うのだが。


「綺麗な石。と先ほど申したが、それは本当に、石だったのか」

「鍾乳洞を出るまでは石だと思っていました。でも、もう一度手に持ってみたら、軽石みたいに軽くて、ただの塊のようでした。」

「その石はお前が持ち出したのか。ふぅ…。よいか。それは石ではなく人魚の破片、いわば肉塊と呼ぶにふさわしいモノじゃ。その肉塊には人魚の魂が込められておる。御堂は魂を込めておくための結界じゃ。その結界から解き放たれたならば、言わずとも解るじゃろう。」


人魚の魂が解き放たれる。

「でもそれが何になるんだ?」

思わず口を挟んでしまった。千代美子の物事を焦らす口調に俺は我慢が出来なかった。


「現世に色々と水害などが出ると憶測できるが、この人魚はまだ性質のいいやつでよかったのう。この少女を呪うだけで満足している。」

今でもすぐ近くで憑いておるぞ。と、ドスの利いた声を出す千代美子。

辺り見回す俺と白崎、しかし四畳の畳部屋には三人しかいない。

「その呪いを解く方法はないのかよ」

「あるぞ。その娘一人では無理じゃが、お前がいれば大丈夫じゃろう。」

にやり、と笑って見せる千代美子。



________「それじゃ、気をつけてな」

千代美子から解決策の御教授を受け、時刻は夕方になった。

白崎の家の近くまで送って行き、別れの挨拶を告げる俺。彼女は軽く会釈をして立ち去って行ってしまった。

思えば竹宮亭での襲撃以来彼女とは一度も喋ったりはしなかった。

竹宮亭で事件の発端と解決策を聞いた俺にはそれ以上彼女と関わることはないのだが。


前に―――神社で初めて彼女に会った時とは違っていた。

上手く言い表せないのが苦渋だ。


あの時と、今の白崎咲桜は何かが違う。

竹宮亭で聞いた人魚の呪いとやらは、足だけでなく人格も変えてしまうのだろうか。




考えても無駄だな。

こういう事は専門外と悟り、千代美子の言葉を思い出した。


「代わりに背負ってやれ。」

今思えば意味も分からずに了解を得てしまったことを後悔し、(拒否したところで借金が増えてしまうと本能的に察知したのが盲点だ)俺はくるりと踵を返して自宅へと歩いた。白崎の家の近くまで送って行き、別れの挨拶を告げる俺。彼女は軽く会釈をして立ち去って行ってしまった。

思えば竹宮亭での襲撃以来彼女とは一度も喋ったりはしなかった。

竹宮亭で事件の発端と解決策を聞いた俺にはそれ以上彼女と関わることはないのだが。


前に―――神社で初めて彼女に会った時とは違っていた。

上手く言い表せないのが苦渋だ。


あの時と、今の白崎咲桜は何かが違う。

竹宮亭で聞いた人魚の呪いとやらは、足だけでなく人格も変えてしまうのだろうか。




考えても無駄だな。

こういう事は専門外と悟り、千代美子の言葉を思い出した。


「代わりに背負ってやれ。」

今思えば意味も分からずに了解を得てしまったことを後悔し、(拒否したところで借金が増えてしまうと本能的に察知したのが盲点だ)俺はくるりと踵を返して自宅へと歩いた。

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