伯爵令嬢の勘違い騒動記 ~面倒くさがり王子に恋したわけじゃないんです!~
ラヴィニア王国の夏は、やたらと長い。
その日の午後も、燦々と降り注ぐ太陽が窓から差し込み、ソフィア・ランデールは重たいため息をついた。
涼しい室内にも関わらず、心はどうにもこうにも落ち着かない。原因はひとつ――。
「やっぱり……王子に嫌われたんだわ……」
自らそう結論付けて、ベッドに転がる。ピンと張りつめた真っ白なシーツが彼女の背中を冷やしてくれるが、
心の冷や汗は一向に止まらない。ソフィアは伯爵家の一人娘。頭脳明晰、容姿端麗――とは言われているが、
本人はどうもそうは思っていない。今日も貴族の社交界デビューを果たしていたのだが、問題はそこでの舞踏会だ。
「よりにもよって、あの第二王子セドリック様にぶつかるなんて……どうかしてるわ……」
彼女がため息をつく理由は、まさにそこ。舞踏会の最中、貴族たちの踊りに巻き込まれて、
王子にぶつかってしまったのだ。顔を真っ赤にして謝ったものの、王子はあの無表情のまま、
何も言わずに彼女を見下ろしていただけだった。もう、これは確実に嫌われたに違いない――そう思い込んでいる。
「王子に嫌われるなんて、一生の恥だわ……もう、舞踏会なんて二度と行けない……」
そう嘆いていると、窓際に立っていたエリオットが苦笑した。
「ソフィア様、王子にぶつかったくらいで嫌われるなんてこと、普通はないと思いますが……」
エリオットはソフィアの幼馴染であり、彼女の忠実な従者でもある。彼は彼女の性格をよく知っているため、
こういうときは基本的に反論しないようにしていた。だが、さすがにこの思い込みはひどい。
「いや、エリオット。君は分かってない。あの冷たい目……無言……絶対に嫌われてるわ!」
「……冷静に考えれば、ただ驚いただけなのでは?」
「違うのよ! あれは確実に私を軽蔑していた顔よ!」
ソフィアは真剣な顔で反論するが、エリオットは困ったように肩をすくめる。彼女のこの勘違い癖は、
もう治らないと半ば諦めていた。
翌日、ソフィアは親友であるアリシアとランチをとっていた。社交界でも人気の伯爵令嬢アリシアは、
今日も華やかなドレスをまとい、上品に紅茶を口に運んでいる。
「それで、どうだったの? 昨日の舞踏会は」
アリシアの問いに、ソフィアは一瞬言葉に詰まるが、すぐに思い出し、顔を赤くして答えた。
「それが……最悪だったのよ! 王子にぶつかっちゃって……もう、絶対に嫌われたわ……」
「王子にぶつかっただけ?」
「だけじゃないわよ! あの冷たい視線……まるでゴミを見るかのようなあの目……」
ソフィアは自らの不運を嘆き、アリシアに向かって熱弁を振るう。だが、アリシアは紅茶を置き、ニヤリと笑った。
「ソフィア、それって……もしかして、王子があなたに興味を持っているんじゃないの?」
「えっ?」
「だって、普通の人なら気にしないはずよ? それに、王子って滅多に感情を表に出さないんでしょ?」
ソフィアはぽかんとした顔でアリシアを見つめる。確かに、セドリック王子はあまり感情を表さないことで知られている。
だが、そんなことが関係あるだろうか?
「もしかして、王子が私に興味を……?」
アリシアの言葉に引きずられるように、ソフィアの思考は新たな勘違いへと進んでいく。
「それは絶対にないわ……でも、もし本当にそうなら……どうしよう……!」
「いいじゃない、アプローチしてみなさいよ! 王子に振り向いてもらえるチャンスかもしれないわ!」
「いや、でも……」
アリシアは楽しそうに笑いながら、「恋愛は勇気よ!」と励ますが、ソフィアはすでに頭の中で大混乱。
どうすればいいのか、まったく分からなくなってしまう。
セドリック王子は、今日もいつも通り王宮の書斎で本を読んでいた。彼は王位継承には無関心で、
面倒なことは極力避けて生きていきたい性格だ。そんな彼の元に、一通の手紙が届けられる。
それは伯爵令嬢ソフィアからのもので、何やら真剣な謝罪文のようだ。セドリックは眉をひそめ、手紙を読み進める。
「……なんだ、これは」
内容は、昨日の舞踏会でぶつかってしまったことに対する謝罪と、「私を軽蔑しないでください」といった、
まるでセドリックが彼女を嫌っていると勘違いしているような文章だった。
「……そんなこと、考えてもいなかったが……」
彼は少し困惑しつつも、「面倒なことになったな」とため息をついた。
王宮の大広間で、セドリック王子は淡々と待っていた。彼は今回の件を早く片付けて、元の平穏な生活に戻りたいと考えていた。だが、ソフィアが到着し、挨拶を交わすや否や、彼の計画は大きく狂っていく。
「えっと、その……この前のこと、本当にごめんなさい!」
ソフィアは緊張のあまり、何も考えずに深々と頭を下げた。セドリックは困惑しながらも「いや、気にしていない」と答えたが、彼女の謝罪の意味を理解していなかった。
「つまり、私を軽蔑しないでいただければ……!」
「軽蔑……?」
セドリックは何を言っているのかまったく理解できずにいたが、ソフィアはそのまま彼に謝罪を続ける。
セドリックは話を進めるうちに、彼女が大きな誤解をしていることに気づき、なんとかそれを解こうとする。だが、ソフィアはそれを全く違う方向に受け取ってしまい、混乱はさらに深まっていく。
「王子様、本当に申し訳ありません!もう二度とこんな失態を犯しませんので!」
セドリックは頭を抱え、冷静に言い返すことに決めた。「いや、本当に気にしていないんだ。それに、君のことは全然軽蔑していない。むしろ……」と優しく話しかけるが、ソフィアは再び勘違いをしてしまう。
セドリック王子は再度、話を整理しようとするが、ソフィアの頭の中ではすでに誤解がどんどん膨らんでいく。
「ですから、王子様、本当に申し訳ありません。もう一生会わない方がよろしいかと……」
セドリックは頭を抱えつつも、もうこのまま彼女に何を言っても伝わらないことに気づいた。彼は内心ため息をつきながらも、冷静にこう言った。
「いや、君が私を誤解しているだけだ。実際には、私は……」
だがその瞬間、王妃が乱入し、さらに混乱が広がる。
「まあ! セドリック! ついに決心がついたのね! 早く婚約を……」
ソフィアは王妃の言葉に驚愕し、さらに大きな誤解をしてしまう。
最終的に、セドリックはようやくすべての誤解を解くことに成功するが、ソフィアは相変わらず自分が嫌われていると思い込んでいる。だが、王妃の計らいにより、彼らの婚約が公然と発表されてしまう。
「え……私は本当に婚約するんですか?」
セドリックは苦笑しながらも、「まあ、そういうことだ」と答えるしかなかった。そして、結局はソフィアも少しずつ彼のことを受け入れるようになる。
数年後、彼らは正式に結婚し、ソフィアの誤解もようやく解ける。その後は幸せな生活を送りつつも、彼女の勘違いは時折続くのだった。