歩くのは得意だと思っていましたが。
コーヒースタンドから市役所までは徒歩で一時間くらいの距離だった。素足は更に傷が増えていて、冷たいアスファルトを歩き続けるのはかなりの難関だったと思う。だから店主が教えてくれた大きなガラス張りの建物を見つけた時は本当に嬉しかった。
「市役所ここかぁ…ガラスがキラキラしてるから、市役所全体が煌めいてるみたい」
市役所の隣には大きな公園があり、確かにそこでは私と同じような身なりの人たちが炊き出しにお世話になっていた。
勇気を出して近づいていくと、優しそうな老婦人が声をかけてくれる。
「あら、はじめましてのお嬢さんかしら。まぁまぁ!こんなに痩せこけてしまって可哀想に。とりあえず温かいものを食べて頂戴」
老婦人は私の手を引いて炊き出しをくれるテントに連れて行ってくれるようだ。
「あなた、おなまえは?」
「わかりません。何も覚えていないんです。ただ気づいたらここの街の外れで倒れていて」
老婦人は心から悲しそうな、私を憐れんでくれるような顔をして、もう大丈夫よと頬を寄せてくれた。そして
「名前がわからないのは困るわね。そうね、なにか愛称をつけてあげなくちゃ!覚えていないならわからないでしょうけど、今夜はクリスマスイブなの。安直で悪いんだけどマリアとかどうかしら」
異世界転生あるある。異世界なのに元いた世界の季節のイベントがそのまま存在する。
「マリア様は流石に恐れ多いです。マリではだめでしょうか?」
「マリにするのね。じゃあマリさん、ようこそタングラムシティへ!」
タングラム。元いた世界では組み合わせパズルの名前だ。チェスタウンとかショーギヴィレッジとかもあるのかもしれない。そんなことを考えられるほど、この世界に飛ばされた直後よりは私の心は軽くなっていた。
「私の名前はラディス。みんなはラディって呼んでいるの。マリもそう呼んでくれたらとても嬉しいわ!私は炊き出しじゃなくて物品支給の担当だからあとでいらっしゃい。その格好じゃ冬を越すことどころか今夜を越すことすら難しいかもしれないもの」
「はい、ラディさん」
「さんはいらないわよ〜」
そんなことを話してからラディは手を振って自分の担当のところに戻っていった。この世界の私は本当に運だけは良い。
炊き出し担当の奥さまたちも優しくて、ちゃんと食べなきゃ!と私のは大盛りにしてくれた。
「まずは元気な身体にならないとね」
「そうよそうよ!」
「次はお医者さまと看護師さんがいるテントに行くと良いわ。あの緑色のテントがそれよ」
私はなんどお礼を言ったかわからなかった。
炊き出しのごはんはポトフとふわふわのパン2つ、そして少し苦いけど疲労を回復してくれそうな温かいお茶。今の私は相当空腹だったようで大盛りにしてもらったにも関わらず、あっという間に食べ終わってしまった。