やさしいひともいるんですね。
とりあえず私は人を探してみることにした。この場に留まっていても何も起きそうにない。異世界転生したのならばなにかイベントが発生してもおかしくないじゃないかって。
前の私がいた世界では猛暑日が続く夏だったけど、ここは酷く寒いので冬なんだろうか。素足で素手かつガリガリの身体にはこの寒さはきつすぎて、全身がガタガタ震えているし、とにかく進まなければこの世界でも死んでしまう。素足に冬のアスファルトは冷たすぎて一歩歩くたびに足の傷が痛んだ。今の私は上着も持っていないし、防寒具なんてあるはずもなかった。でもとりあえずただただ路地をまっすぐに進んでみた。
しばらくすると大通りに出ることができた。それなりに人の行き来もあるが、周りのたぶん人間と思われる人たちは私を憐れむような目でチラ見して通り過ぎていく。
ああ、ここでも私はどうでもいい存在なんだ。異世界転生ってもっと薔薇色の運命が待っているんじゃなかったっけ。そもそも嫌いなくせになんでそんなことまで知っているのかというと、流行っているからと何冊か買ってみて読んだことがあるのだ。その結果このジャンルが自分は嫌いだと気づいたからその後読まなくなったし、本も全て手放してしまった。
こんなことになるなら嫌いでも興味本位にもう少し読んでみてもよかったのかもしれない。でもこの世界は私が読んだ中の異世界転生ものとはなにもかもが一致してないので、結局のところなすすべなどわからないのだけど。
仄暗い青い空。冬の朝の澄んだ空気。そこにボロボロの見た目で立っている私。行き交う人は私と同じサイバーパンクな身なりをしているけど、彼等はみんな上等か普通の状態で歩いていた。
私はここでスラム育ちかなにかだったのだろうか。ひどくお腹も空いているけど…
ふと自分が小さなカバンを肩に下げていることに気づいた。なにか小銭でも入っていないだろうか。ちょうど目の前にコーヒースタンドがあるじゃないか。
カバンを調べてみると数枚のお札と少しの硬貨が見つかった。数字をみる限りこのコーヒースタンドでなんとか一食分は食べることができそうな金額。
優しそうな店主に話しかけてみた。
「ホットコーヒーとホットドッグをひとつ」
「あいよ!」
淹れたてのものを出してくれるのか、辺りにコーヒーのいい匂いが立ち込め、ジュージューとウインナーが焼かれる音もした。
ぐううううう。私のお腹の音がひどく響く。
「そんなにお腹空いてるのかい?」
とウインナーを焼いている店主が私を心配そうに見つめた。
「こんな量じゃ足りないだろう」
「とはいっても手持ちのお金じゃこれくらいしか買えないので」
恥ずかしさに顔を真っ赤にしながら私は小さな声で答えるのがせいいっぱいだった。
店主はそうか、とつぶやき、焼き立てのパンに焼き立てのウインナーとレタスを挟んで、紙にくるんで渡してくれた。
「マスタードとケチャップはそこにあるから好きに使ってくれ。コーヒーにミルクや砂糖はいるかい?」
「ひどく疲れているからどちらもたっぷり入れてください」
「そうだろうねぇ…さあ、お待ちかねのコーヒーだ」
「ありがとうございます」
凍える身体に温かなコーヒーと出来立てのホットドッグは、持つだけでも少しの温もりを与えてくれた。
店主に一礼してその場を離れようとすると
「市役所の近くの公園で毎日炊き出しをやっているよ。そこに行けば食べ物にはありつけるし、寄付された物品を譲ってくれたりもするらしい。ともかく今のあんたには靴と上着が必要不可欠だろう」
ぺこり、と頭を下げたものの…
「あの…市役所がどこにあるか聞いてもいいですか?」
店主はひどく驚いた顔をしたが、この街に来たばかりなのかな?と私の都合よく解釈してくれたようだった。そしてこの大通りを左にまっすぐ進むとガラス張りの建物があってそれがこの街の市役所だよと教えてくれた。
「ここの福祉は充実しているから、あんたもなんとか暮らしていけるんじゃないかと思うよ。非力そうな若い女の子だ。保護施設を訪ねたら居場所も与えてくれるだろう」
「!」
「この街まで来たのにそのことも知らなかったのかい?不思議な子だね。ただ、運だけはいいようだ。じゃあ、とりあえず市役所を目指すんだよ」
運だけはいい。これも些細なことながら転生者のチートなのだろうか。とはいえこんなボロボロの身体にとっては少しのプラスでしかなさそうだけど、とりあえず優しいコーヒースタンドの店主に遭えたことも運の良さなのかもしれない。
深々とお辞儀して私は歩道に置かれたベンチに座ってコーヒーを飲み、ホットドッグに齧りついた。
そして何故か涙が溢れてきた。
やっぱり異世界転生してもこんな貧相なモブになるやつもいるじゃないかって思ったけど、一方でこんなやつでも優しく接してくれる人もいたのだ。恵まれてはいないけれどこの世界で生きていくしか私にはできない。都合よく元の世界に帰る方法なんてこんな状態じゃ見つかりっこない。
涙が止まらない。そのうち啜り泣きになったが優しい店主の顔を思い出しながら私はしっかりとコーヒーとホットドッグを平らげたのだった。