ちくわの穴を覗くとき、ちくわもまたこちらを覗いている。
幼い頃の記憶だ。
僕はおでんのちくわが大好きだった。
出会いはいつも、突然に訪れる。
冬のある日、夕餉に供されたそれは、手頃でありながら一口では食べきれないサイズ感、焼き目の描き出すあえやかなグラデーション、肉感と優しさを同居させるしなり具合、あまりにもすべてにおいて僕の理想のちくわそのものだった。
興奮しながら箸でそれをつまみ上げた僕はふと、おつゆを滴らせるその小さな穴に異常なほど惹かれている自分に気付く。それはなぜだか、とても悪いことのようにも感じられた。
家族はそれぞれが自身の膳に向き合っている。誘惑に抗えず僕は、家族の目を盗むように、そっとちくわの穴を覗き込んだ。
その向こう側には、同様にこちらを覗き込む深い碧色の瞳があり、ゆっくりとまばたきをして、長いまつ毛が揺れた。
驚きでちくわを箸からとり落としてしまった僕は、あわてて左手でそれをキャッチしたものの、あまりの熱さに再び空中へと放り投げてしまう。
蛍光灯の白光を全身に受けながらうつくしい放物線を描いたそれは、吸い込まれるようにして、風呂上がりの父親のゆるんだシャツの胸元にすべり込んでいった。
その後の阿鼻叫喚や、両親からのしたたかな説教よりも、台所の三角コーナーにうち棄てられた理想のちくわの成れ果ての姿が、僕にはとてもこたえた。
あれから何年経つのだろう。あいかわらず、僕はちくわが好きだ。今日も、仕事帰りにコンビニでおでんのちくわばかり三本、言い訳がましく卵と大根もひとつずつ加えて買ってきた。
しかし、あのときほど理想通りのちくわにはついぞ巡り会えていない。穴を覗き込むことも、あれ以来していない。
ちくわの向こう側にいた、あの碧色の瞳の主はいったい誰なのだろう。もしかしたらあれが、僕の初恋だったのかもとさえ思うのだ。
「ちくわの穴を覗くとき、ちくわもまたこちらを覗いている」
スマホの画面内でニーチェじみたおかしなセリフを吐いているのは、さいきんの僕が夕餉の伴として日課のように見ている配信者だ。
なんでも、運命の人を探しに地上にやってきた海底人、というのが彼女の「設定」らしい。期日まで出会えなかったら地上への総攻撃がはじまってしまうとかうんたらかんたら。
そういうの、いまどきはVでやるものだろうに、普通にコスプレ的な衣装でやってる。
正直さむいし、話術もないし、とびきり美人なわけでもない(とは言えまあこれは主観の絡むところであり、僕個人としてはけっこう好みではあると付け加えておく)けれど、おそらく同世代であろう彼女のことが、僕はなぜだか気になってしかたないのだ。
さきほど更新されたその動画は、偶然にも、彼女が大量のちくわを美味しそうに食べまくるというものだった。
彼女の育った海底王国アトランティスにもよく似た食べ物があって、幼いころからの大好物なのだという。
ちくわの穴を見せようとしてカメラに顔を近付けた彼女の瞳が、きっとカラコンなのだろう、美しく深い碧色をしていたから、僕は心臓が停まりそうになって、箸からちくわを取り落とした。
コンビニおでんのちくわはそこまで熱々ではなかったから、今度はちゃんと、左手で受け止めることができた。
(おわり)
おでんが美味しい季節が来ますね。
僕は大根と卵が好きです。餅きんもあると嬉しい。