第二章 一流への道 7-絶世の美女、現る。
Noir L'aubeは本日、月曜日が定休日である。
特にやることがなかったスヴァンはふらふらと街を歩いていた。すると、雪が降る通りの先にトレインの姿を見つける。
「お、トレイ……」
スヴァンが遠くから声をかけようとして、それは途切れた。
……トレインの横に、ドレスを着た金髪の美しい少女がいたからだ。
「誰だ? ……にしてもあの女、周りと比べてもかなり綺麗じゃねーか」
その少女がどこかの姫だと言われても納得してしまいそうだった。おそらく、どこかの令嬢ではあるだろう。
少女が美しい素振りで可憐に笑いかけ、トレインも笑いながらうなずいている。
こういう時に堂々とトレインの前に姿を見せられればいいのだが、スヴァンは殺し屋である負い目を感じてしまって前に出られない。
スヴァンは踵を返して、背を向けて歩き出す。つい、自分に嘲笑した。
「俺……、『Noir L'aubeのシェフ』じゃなかったのかよ……」
*
地下のリビングにスヴァンが戻ると、トレイン以外の皆が各々過ごしていてなんだかその様子にホッとしてしまう。
「ん? スヴァン、戻るのが早かったじゃないか。どうしたんだ?」
ダルクが新聞を開きながら階段の所にいるスヴァンを見上げた。
スヴァンは軽く首を横に振る。
「別に。……あぁ、そういやダルク、トレインが外で女と一緒にいたんだけど誰か知ってるか?」
スヴァンが話しながら皆が集うテーブル席に座ると、アレンが温かいココアを持ってきた。「気が利くじゃねーか」とアレンの頭を撫でてココアを飲む。
「女? どういう人だ?」
「なんか金髪でドレス着てて、どっかの令嬢みたいな感じ? けっこー美人」
その話を聞いた途端、アレンとロンは目を見合わせた。
少し考える素振りをしていたダルクは腕を組みながら宙を見ていて、
「うーん……わからないな。でもトレインは結構顔が広いからそういう知り合いがいてもおかしくはないだろう」
「『知り合い』ねぇ……。新しい女だったりして」
「ところで今この話を聞いてアレンとロンが目を見合わせてたが、お前たち何か知ってるのか?」
アレンとロンはもう一度目を見合わせて、ロンがうなずいてアレンが話し始める。
「『知っている』というほどではないんですけど、この前僕たちもトレインさんがその女の人と歩いているのを見かけました」
『尾行した』とは言わないところがアレンは賢い。ロンは心の中でグッジョブと親指を立てた。
「ほう……。もしかしたら本当に新しい女なのかもしれないな」
ダルクがそう言うと、シューレは読んでいた本から顔を上げて随分と厭味ったらしく、
「これだから顔の良い奴はー」
と言うと、クロワールが「ジェラシー! ジェラシー!!」と茶化す。
その隣に座っていたハミエルは起きてきたばかりなのか目をしょぼしょぼとさせながら老眼鏡を拭きつつ、
「こらこらクロワール、茶化してはいけないよ」
と穏やかに言った。
しばらくして皆が自室に戻ったりなどしてバラバラに行動し始めた頃にトレインは帰ってきて、十日間の休みを申し入れる。
ダルクが休みの理由を聞くと、「副業なんだ」と申し訳なさそうにトレインは言った。
***
それからはダルクにとって嵐のような日が続いた。
ホールにアレンとダルクが入ることになったのだが、皿洗いを平行してやらねばならず休む暇はない。しかもたまにやらかして謝りに行ったり、『いつものウェイターさんはいないの?』と聞かれたり、その度にシューレはその場に居ないトレインへの毒舌を吐いて、それをなだめたり。
へとへとになって自室に戻ったら、他に何もする気が起きずに寝る日々が続いた。
*
運命のその日は突然訪れる。
ダルクにとっては代り映えのない日でも、客たちにとっては特別な日。クリスマスイブだ。
「今日も美味しかったよ、メリークリスマス」
客からこんなことを言われて、初めてダルクはその日がクリスマスイブだと知った。
忙しすぎて全然目に入っていなかったのだが、そういえば数日前からシューレのケーキレシピには期間限定の『クリスマスケーキ』が追加されていたし、スヴァンのレシピにもターキーが追加されていたのだった。
「みんな! 今日はクリスマスイブだぞ!」
とダルクが厨房で言うと、皆から「何を今さら」という目で見られた。
ダルクは自分にいかに余裕が無かったかを思い知らされて、ため息をついてから気持ちを切り替えてホールに戻ったとき。
――カランカラン。
来店のベルが鳴ったのでそちらに目を向けたらそこには他の客とはオーラが全く違う、純白のドレスを着た美しい金髪の美女がいた。少し顔立ちが幼いから美少女、なのかもしれない。
「席は空いていますかしら」
落ち着いた声音で問いかけるその女性の青い目は人形のように美しい。どこかの令嬢か?とダルクが思ったとき、この前のスヴァンの言葉を思い出した。
『なんか金髪でドレス着てて、どっかの令嬢みたいな感じ? けっこー美人』
……この人だ!!
「あ、あぁ……ちょうど人気の窓際の席が空きましたので、そちらにどうぞ」
「ありがとう」
辺りの客がざわつき始め、あちらこちらからひそひそと称賛と羨望の声があがる。
「それでは、ダージリンのミルクティーとクリスマスケーキをいただけますかしら」
「かしこまりました」
メニューをパラパラとめくり、その令嬢はスムーズに注文したのでダルクは早急に厨房へ伝えに行った。
そして小声で「あの人か!?」とスヴァンとアレンに聞くと、スヴァンは厨房からホールを覗き見れる場所で、アレンはホールに続くドアをちらっと開けて見て、うんうんとうなずいた。
別の客の会計を促すベルが鳴り、ダルクがなんとか会計をこなすと男性はこそっとダルクに聞いた。
「なぁなぁ、あの嬢ちゃんはどこの人だい? 随分と綺麗な子じゃないか」
「私たちにもさっぱりで……」
「そうなのかい。あんないい客、逃したら駄目だぞ!」
そう言って上機嫌でダルクの肩を叩き、店を出ていった。
*
しばらくして、シューレが完成したクリスマスケーキをダルクに託した。プレートにはケーキと添えられた可憐な花、チョコで書かれた「Merry Christmas」という文字が栄える。
ダルクは緊張しながらも令嬢のもとにしっかりと届けた。
その美女は口元に片手を当て、「まぁ、なんて美しいケーキでしょう」と綺麗な笑みを浮かべる。
「どうぞお食事をお楽しみください」
「ありがとう、素敵なウェイターさん」
ダルクが微笑み、その場を後にしながら心の中でガッツポーズを決めた。
*
――チリンチリン。
令嬢のテーブルのベルが鳴ってダルクが近づいたところ、令嬢は片手を軽く上げてこう言った。
「失礼。パティシエを呼んでちょうだい」
ダルクはドキッとした。こんなことは初めてで、一気に緊張する。
「はい、かしこまりました」
そうして厨房に戻り、神妙な顔でシューレに伝えた。
「あの令嬢が、パティシエを呼んでほしいと言ってる」
途端にシューレはおどおどとし始める。
「え、僕何か悪いことでもしたかなぁ。ちょっと怖いよー」
「わからない……。いざという時は、できる限り俺がフォローする」
「ありがとう、行ってくるねー……」
シューレは心臓をバクバクとさせながらぎこちない歩き方で令嬢の元へと向かった。
「あなたがパティシエかしら」
「はい、その通りでございます。何か、至らぬ所などありましたでしょうか……?」
「いいえ。飾られたベリーはほどよく甘く煮詰め、添えられたカスミソウはまるで今宵の雪のよう。チョコレートの文字もお見事でした。そしてなにより……アナタの作るこのクリスマスケーキ、とても美味しかったわ」
そう言ってニコッと笑ったその表情にシューレはズキューーーン!とハートを撃ち抜かれた。
「はわっ……、あ、ありがとうございます! えっと、その、失礼ですがお客様のお名前は……?」
「いえ、名乗るほどの者ではございませんので。それでは、お会計をお願いしますわ」
「はい、ただいま」
夢見心地な顔のシューレを軽く小突いて正気にさせたダルクが会計に取り掛かる。
シューレは頭からぷすぷすと湯気を出しながらぎこちない歩き方で厨房に戻っていった。
その令嬢がレストランを去ると、客たちのざわざわとした声は雪が解けるように消えていく。
「すごいな、シューレ! すごい褒められてたじゃないか!」
厨房に戻ったダルクがシューレにそう言うと、振り返ったシューレはデレデレした顔になっていた。
「いやぁ、僕はやるべきことをやったまでだよー。カスミソウの花言葉を知ってるかい? 『夢見心地』っていう意味もあるんだよー。まるで今の僕のようにね、ふふふ……」
……ドン引きした。
***
それから数日の間、シューレの夢見心地な気分は続き。
そしてNoir L'aubeの客足は格段に増えた。年末が近いからというわけでなく、あの美女目的で客が来たのだ。その中の数人は『あの美女は来ないのか』とダルクたちに直接問い合わせる者もいた。そんなの、わかるわけがない。あの美女はあくまで客としてこのNoir L'aubeに来たのだから。
「おいシューレ。てめーいい加減しっかりしろよな。ミスでも起きたらどうする」
スヴァンも最初は笑って浮かれ気分のシューレを見ていたものの、さすがに注意せざるを得なかった。シューレは少ししょぼんとして、謝ったのだった。
***
そんな中、来たるはニューイヤーズ・イブ。いよいよひとつの年が終わる、世の中がざわめく夜に再びあの絶世の美女はNoir L'aubeを訪れた。閉店間際のことである。
「こんばんは。この間は素敵な時間をどうもありがとう。他の料理も味わってみたくなりましたの。閉店時間が近いのに、ごめんなさいね」
「いえ、また来ていただきとても光栄です。空いてるお好きな席をどうぞ」
「ありがとう」
客たちのざわめきは厨房にも伝わり、シューレはまたもやおかしくなり始める。スヴァンがいよいよシューレが何かやらかしそうだと心配していたのだが、今回令嬢が頼んだのはスヴァンの料理であるムニエルだった。シューレが肩を落としたのは言うまでもない。
しばらくして食事を終えた令嬢は上品に口元を拭き、ダルクを呼んだ。
「はい、どうされましたか」
「ちょっとお話があるのだけれど、お店を閉めていただけません?」
「!」
元々閉店間際の時間だから店を閉めることは別に構わない。しかし令嬢の言葉はやけに緊張を生む。
厨房にも彼女の言葉は届き、同じく緊張を生んだ。……いや、一人だけまた自分のスイーツが褒められるのではと浮かれているやつもいるのだが。
まもなくして店は閉められ、令嬢と厨房のメンバーがホールに集まる。
令嬢は静かに雪の降る窓の外を眺めてから、全員に向き直った。
「改めまして、こんばんは。今日のお食事もとても美味しくいただけました。シェフの持つ技術の高さがうかがえます。先日は時間がなくて言えませんでしたけど、この建物もとても素敵。聞いた所によると、二階には特別席になりえる空間があるのだとか」
「よく、ご存じですね」
「えぇ。……失礼。本題に入りましょうか」
メンバーは息をのむ。
「先日はお誘いしていただいたのにお断りしてしまい申し訳ありませんでした。でも、気が変わりましたの」
皆の頭には「?」の文字が浮かぶ。「お誘い」とは? 「お断り」とは?
しかしそれ以上の驚愕の瞬間が待っていた。
……令嬢は美しい金髪の髪を掴み、その髪をテーブルに叩きつけて言った。
「オレも仲間に入れてくれ!」
「「「「!?」」」」
令嬢の元の髪は黒く、男性の髪型の中ではやや長めな髪の長さだ。
そして一同は一言。
「「「「……誰?」」」」
その反応を見て驚きもしない令嬢は軽く息を吐く。
「この顔じゃわかんねーか。オレは時雨。トレインの友人……と言えばわかるかな?」
そう言いながらカラコンらしきものを目から取り除いた。彼の元の目の色は黒らしい。
この時点でシューレは失恋。玉砕するまでこれが恋だったということにさえ気づかなかったようだ。そしてガタッと膝から崩れ落ちる。
そんなシューレをスルーしたスヴァンとダルクは目を見合わせてから、時雨を指さしながら目を見開いた。
「あー!! あの情報屋か!?」
「ご名答」
するとその時、鍵が差し込まれる音と扉が開く音が時雨の背後から聞こえて、上機嫌のトレインが外から帰ってきた。
「ハッピーニューイヤー! いやぁ、いい仕事をしたなぁ、僕……」
そこでトレインと時雨の目があう。
「よう」
「あれ? 時雨じゃないか、どうしたんだいその格好で?」
「アンタがいない間にここの料理を食べたんだ。ウワサ通り、良い味だ。だから気が変わって、仲間になりたいと志願してみた」
時雨の言葉にトレインは目を見開いてから嬉しそうに話しだした。
「本当かい!? みんな、時雨は実に有能な情報屋だよ。デザイナーの才能もある。僕たちの衣装を作ってくれたのは記憶にあるだろう? ……どうかな?」
「オレは料理やホールの仕事は向いていない。だけど情報屋として存分に力になろう。それに追加でこれも言わせてくれ。この前のクリスマスイブにオレがここに来てから、店の売り上げが上がったはずだ。こういったことしかできないが、サクラとしてたまに女装して店に顔を出すことを約束する。たまにはバイオリンでも弾くよ」
ダルクは腕を組みながら聞いていたが、やがてうなずく。
「俺は君を歓迎したい。みんなはどうだ?」
すると、放心状態のシューレ以外は嬉しそうにうなずいた。
「よし、決まりだ。これからよろしくな、時雨」
「ありがとう」
こうして新年の初めに時雨が仲間になったのであった。




