優しい死神
掌編になります。シリアス寄りです。
よろしければ読んでみて下さい。
二○一号室だった。
一人の少女が清潔なベッドに横たわり、窓の向こうを眺めている。乾いた冬の景色は澄んでいて、はしゃぎ回る子供たちを僅かに羨ましく思う。
――絶対に、自分では手に入らないものだから。
少女がずっと無言で外を眺めていると、コンコンと二回に分けて扉がノックされた。大きすぎず小さすぎず、お手本のようなノックだった。
まず少女は首を傾げた。友人はおろか、家族すらいない自分にお見舞いなんて考えるのも馬鹿馬鹿しい。この部屋を訪れるとしたら、ルーチンワークが目的の病院関係者だけだ。
少女が対応に困っていると、ゆっくり扉が開けられた。男だった。彼は中に入ると、静かに扉を閉じる。一連の動作には礼儀が感じられた。
そして、男はベッドに目を向け――
「うおっ」
――やっと少女の存在に気が付いたのだった。
「どうして……ここにいるの?」
「それはこっちの台詞ですよ」
「うっ」
内心動揺していたのだが、あんまりな言葉に少女も口調がきつくなる。
男は真っ黒な衣装に身を包み、無精髭とボサボサの髪でだらしなさをアピールするようだった。少女は一応訊ねることにする。
「お医者さん……ですか?」
「いやぁ。医者ではないよ?」
「じゃあ誰ですか?」
「え!? それは……お見舞いだよ、お見舞い!」
初対面の男はあたふたと目を泳がせる。
少女はジト目で彼を観察するが、やがて彼が結論付けた言葉には、思わず笑ってしまったのだった。
「大丈夫っ。怪しい者じゃないから!」
驚いたことに、男は次の日もやって来た。その次も、さらに次の日も。まるで仕事であるかのように、この二○一号室の扉を開いては少女と他愛のない話を繰り返すのだった。
少女は困った態度を貫いてはいたものの、本心では男との会話が楽しくなっていた。
男は険しい顔つきに似合わず、礼儀正しかった。
「今日は果物の盛り合わせを買ってきたんだ」
こんな感じで、必ずお見舞いの品を持ってくる……最初は持ってこなかったくせに、一度お見舞いだと言った以上は持ってこなければならないと思っているようだ。
「……おいしい」
「あぁー、良かったぁ」
さらに質が悪いことに、少女が喜ぶ物を持ってくるのだ。そして少女が喜びを表情に出すと、ほっとしたように目元をくしゃくしゃにする。
それからは決まって、
「さっき犬がそこの庭を走り回っていたんだよ」
「……そうなんですか」
「うん、きっと動物が病気に良い影響を及ぼすんだろうなぁ」
「……」
「……」
「……それが、どうしたんですか?」
「え! 動物はすごいなぁって……」
こんな風にベッドの少女にオチのない話を一日中聞かせるのだった。
でも、少女は退屈ではなかった。
そんな日々が日常と化した頃だった。男は突然、思い詰めた表情で切り出した。
「君に、大事な話がある」
急に病院中が騒がしくなった。
医者と看護師が場所をわきまえずに廊下を走る。
「それで、どこの部屋だ!?」
「……二○一号室です」
医者の問いに看護師が落ち着かない様子で答えた。
「まったく、なんでこんな事件が――」
目的の部屋までやって来た医者は言葉をぶつ切りに、乱暴な動作で扉を開けた。
「――っ!」
中では喪服を着た男性が部屋の中心で眠るように死んでいた。心臓発作……安らかな死に顔は苦しみと無縁に見えた。
「彼は誰だね?」
「少し前に、この部屋で亡くなった患者の――お兄さんだそうです。毎日この部屋まで来ていたみたいで……」
看護師が医者に男の説明を始める。それを聞きながら、ベッドの上で膝を抱えた少女――死神はそっと呟いた。
「また、一人になっちゃった……」
その声も、姿も、その場の誰一人として認識は出来ないのだった。
「君に、大事な話がある」
少女が静かに続きを促すと、男は一つ訊ねた。
「君は誰だ?」
「それは……」
少女が言葉を濁すと、男は瞳を真っ直ぐに見返して、
「この病室は今、空き部屋だそうだ」
責める声ではなかった。
それに少女は覚悟を決める。
「私は……死神なの。死が近い人にしか見えない」
少女は俯いて、囁くように声を出した。
「っ――そうか」
ちょっとは予想していたのか。男は少しだけ驚いた様子で、身の上話を始めた。妹がいたこと。この部屋で死んだこと。今でも、苦しみが減らないこと。
そして、最後に訊いた。
「君が僕の妹を殺したのか?」
少女は顔を跳ね上げ、何度も首を横に振る。会ったこともない。ただ、空き部屋で静かに過ごしたかった……本当に、それだけだったのだ。
「なら!」
男の目から涙が零れ落ちる。最初は一筋。やがて滂沱の涙となって、声を絞り出した。
「早く……僕を殺してくれ……」
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