9話
私がジェフ様と馬車に乗り、出立してから半日近くが過ぎていた。
やっと、イリノア辺境伯領に入り、ジェフ様の住むお屋敷まで後少しらしい。私は窓に流れる景色をぼんやりと眺めていた。
「……ナタリア、疲れてはいないか?」
「ちょっと、疲れてはいますね」
「そうか、もう少しで屋敷に着くから。辛坊していてくれ」
私は苦笑いしながら、頷いた。ジェフ様の気遣いは有難い。が、疲労はじわじわときていた。何より、足腰が痛かった。まあ、流石に辺境伯家所有の馬車だから、クッションもふかふかだ。そして、馬車自体が衝撃を上手く吸収し、分散させる仕組みになっているようだし。おかげで耐えられてはいたが、休憩もろくに取っていないので限界が近い。眠たい中で我慢をしてもいた。
「仕方ない、話でもしようか。少しは気も紛れるだろう」
「はい」
「ナタリアの姉君は公爵家に嫁いでいらしたな?」
「ええ、確か。ブレイン公爵家の嫡男の方と結婚していますね」
「……ブレイン公爵か、あのスチュワート様だな。彼が姉君のお相手だったのか」
成程とジェフ様は納得したように頷く。私もブレイン公爵子息のスチュワート様とは、お茶会や夜会で会った事がある。ちなみに、スチュワート様もジェフ様に負けず劣らずの美男であるが。
「ふむ、兄君もいらしたな。サリアス様とショーン様だったか」
「はい、サリアス兄上も結婚はしていますよ。奥様は名前をシャーリー様と言って。なかなかに明るくて朗らかな方です」
「そうなのか、けど。お姿を見なかったな」
「母から聞きましたが、シャーリー様も懐妊なさっていて。今は実家にお帰りになっていますね」
「それでいらっしゃらなかったんだな、道理で」
私が答えると、ジェフ様はまた頷く。その後もポツポツと話をしたのだった。
1時間程が経ち、お屋敷に着いたらしい。御者が知らせてきた。馬車が静かに停まる。しばらくして、扉が開けられた。先にジェフ様が降り、次に私が降りた。その際にエスコートをしてもらう。ジェフ様は手を差し伸べてくれた。かの元婚約者とは、大違いだわ。つい、また比べてしまった。まあ、仕方ないかしらね。そう思いながらも、ジェット様にお屋敷へと連れて行ってもらう。
お屋敷の前には、黒の燕尾服を着た家令らしき男性と中年と思しき黒髪に薄茶色の瞳の男性、淡い栗毛色の髪に翡翠色の瞳の女性が待ち構えていた。家令と隣に佇む男性は初対面だが、女性とは1回だけ会ってはいたか。確か、名前はオリヴィエ様と言ったはずだ。
「……遠路遥々、よく来てくれた。あなたがヒルデガルト侯爵令嬢かな?」
「はい、そうです」
「ジェファーソンから常々、話は聞いているよ。穏やかで心優しい女性だとね」
「……私は」
「いや、緊張しなくていいよ。むしろ、こんな急に呼び寄せてしまってすまなかった」
「父上、立ち話もなんですから。中に入りましょう」
ジェフ様が言ったので、男性や家令、オリヴィエ様も仕方ないと頷いた。私はこうして、辺境伯のお屋敷へと足を踏み入れた。
その後、早速応接間に通される。ジェフ様が簡単に紹介をしてくれた。
「まず、黒髪な方が父上で。栗毛な方が母上だよ。もう1人は家令のセヴァというんだ」
「初めまして、イリノア辺境伯様。お分かりでしょうが、私はナタリア・ヒルデガルトと申します。以後お見知り置きを」
「ああ、儂の名は本当は。ステファン・イリノアという。何だったら、お義父様と呼んでくれても構わないぞ」
「ふふっ、わかりました。今後はそう呼ばせていただきます」
「わたくしの名は既にご存知でしょうけど、改めて自己紹介するわね。オリヴィエ・イリノアです、これからも仲良くしてちょうだいね。ナタリアさん」
「はい、オリヴィエ様」
「あ、わたくしの事もお義母様と呼んでくださいな。その方が嬉しいわ」
「では、お義父様、お義母様。今日は挨拶をなさりたいとの事でしたね。どうして、今日になったのかお聞きしても?」
私が問うと、辺境伯もといお義父様は苦笑いする。
「……なかなかにジェフが君を連れて来ないから、こちらが痺れを切らしてしまったんだよ。まあ、主にせっついていたのは妻だがね」
「ああら、そういう旦那様だって。毎回、ジェフが帰ってきた時は「あの令嬢はどんな方なんだ、1度でいいから連れて来なさい!」と言っていたではありませんか」
「ヴィエ、いきなり何を言い出すんだ」
「事実でしょうに」
「な、ナタリアさんの前だぞ。あまり、余計な事は言わないでくれ」
お義父様は慌てたように言う。私はつい、笑いそうになるのを堪えた。なかなかにお義母様とは仲が良いらしい。
「大丈夫です、私は何も聞いていませんから」
「……父上、母上。夫婦喧嘩はよそでやってください。ナタリアや俺もいるんですから」
「はあ、ジェフ。お前はナタリアさんをちょっとは見習え」
「何でですか?」
「ナタリアさんはまだ若いのに、なかなかにおおらかさがあるじゃないか。そういう所を見習えと言っているんだ」
お義父様が言うと、ジェフ様はやれやれと言わんばかりにため息をつく。私とオリヴィエ様はこの2人のやり取りに笑ってしまうのだった。