6話
私はジェフ様と意気投合していた。
ジェフ様にもかつては、婚約者がいたらしい。けれど、彼女は浮気をした。しかもジェフ様よりも格上の公爵令息とだ。
ちなみに元婚約者は名をケレン・ウォルナットと言って子爵令嬢である。年齢は現在で18歳らしい。浮気相手もとい、新しい婚約者はサレジオ・エルグランドというそうだが。ウォルナット子爵令嬢とは同い年だとも聞いた。
ジェフ様は仕方なく、婚約を解消したとか。今から、2年前の出来事らしい。
「……大変だったのですね」
「まあ、サレジオ様は明るく朗らかな方だから。ウォルナット嬢にとっても良かったんだろう」
「はあ」
私は何とも言えずに、相づちを打つ。ジェフ様は気を取り直すように笑った。
「それよりも、ナタリアは馬に乗れるかい?」
「馬にですか、苦手ではないですけど」
「そうか、なら。今から遠駆けに行かないか?」
「はあ、構いませんが」
「決定だな、俺は準備をしてくるから。ナタリアも着替えた方がいいな」
私はとりあえずは頷く。ジェフ様はニッコリと笑う。先に彼はそのまま、応接間を出てしまった。慌てて、私も自室に向かった。
アエラやイリア、エリスに乗馬服を用意してくれるように言った。三人は大急ぎでスラックスやブラウス、ジャケットなどをクローゼットから出してくる。手伝われながら、着替えた。お化粧もやり直したり髪を一束ねに纏めたりと手早くする。身支度ができたら、自室を出た。エントランスホールに着くとジェフ様は既に待っていた。
「身支度はできたようだな」
「はい、急いで着替えてきました」
「すまない、是非君に見せたい物があってな。じゃあ、行こうか」
頷いて、ジェフ様が差し出した手に自身のそれを載せた。ギュッと握られる。こうやって異性と触れ合うのは初めてだった。緊張しながらもエントランスホールを出た。
本当に、ジェフ様は一頭の立派な馬を待たせている。御者役の従者が手綱を持っていた。
「……ナタリア、俺が先に乗るから。後から君が乗ってくれ」
「はい」
頷くと、ジェフ様は従者から手綱を受け取る。馬は綺麗な鹿毛だが、足が太く体つきも筋骨隆々としていた。それに驚いていたら、ジェフ様がヒラリと鐙に足を掛けて跨った。
「ナタリア、手を貸してくれ」
「は、はい!」
さらに驚きながらも差し出された手に自身のそれを重ねる。幼い頃に習った事を思い出しながら、鐙に左足を掛けた。ジェフ様はグイッと引き上げてくれる。右足を向こう側にやり、鞍に跨った。位置をもぞもぞと微調整していたが。ジェフ様がくすりと笑ったのが気配でわかる。
「ナタリア、俺に寄っかかってくれたらいいぞ。一応、鍛えているしな」
「すみません」
「いいって、じゃあ。行くか」
頷くとジェフ様は膝の動きだけで馬に合図を送ったらしい。馬はヒヒインと嘶くと走り出す。パカラパカラッと蹄を鳴らしながら、疾走したのだった。
しばらくはひたすらに、馬を走らせた。私はその間ずっと口を閉じている。ジェフ様が両腕や体で支えてくれているから、落馬などの恐れはないが。それでもこの密着度合いはどうにかならないものか。私の背中は割と彼にくっついている。おかげで温かいが、恥ずかしくもあった。ぐるぐると早く目的の場所に着く事ばかりを考えていた。
しばらく経って、やっとジェフ様が手綱を引いて馬を停めた。
「……ナタリア、着いたぞ」
「あの、ここは?」
「俺が住むウェーハ辺境伯領とツェルニー領との境界線の辺りだ。ここには湖があってな。なかなかに静かで良い所だから、時々来るんだ」
私は先に降りたジェフ様の手を借りながら、馬から降りる。地面に足をつけたら、膝が笑ったように震えてしまう。恥ずかしくなって顔に熱が集まる。
「う、何で膝が震えて……」
「ああ、慣れていないからだろうな」
「これじゃあ、歩けませんね」
私がため息をつくと、ジェフ様は何を思ったか、グイッと腕を握って引き寄せてきた。気がついたら、視界がぐんと上がり、ジェフ様の顔が間近に迫っている。背中や膝裏に腕を回されている事から、横抱きにされているのに気がつく。
「ジ、ジェフ様?!」
「ちょっと、すまんが。湖までは我慢してくれ」
「……わかりました」
仕方なく頷いた。ジェフ様はスタスタと馬と一緒に歩き出す。手綱も持っていないのに、馬は大人しく付いてきたのだった。
湖畔まで来たらしい。ジェフ様が立ち止まる。
「ここだな」
「……はあ」
ジェフ様はそっと、私を降ろしてくれた。やっと何とか、膝などの震えはおさまっている。これなら問題なく、歩けそうだ。編み上げのブーツのつま先をトントンと地面に打ち付けてみる。大丈夫そうだとわかると、彼にも言ってみた。
「ジェフ様、もう歩いても大丈夫そうです」
「そうか、なら。行くか」
「はい」
頷くとゆっくりと湖の周りを歩き始めた。とても、静かで長閑な所だ。湖から吹く風がひんやりしていて気持ち良い。日の光に照らされて湖面がキラキラと煌めく。薄いエメラルドブルーの湖は神秘的で何か不思議なものが棲んでいそうだ。辺りは開けているが、林のようになっている。
「本当に静かで良い所ですね」
「だろ、俺は幼い頃からよく来ていたんだ」
「そうなんですか」
ポツポツと喋りながら、砂利を踏みしめた。湖の周りには小石や砂があり、歩くたびにザクザクと音が鳴る。時折、小鳥などの囀る声や風で木々が揺れる音が聞こえるくらいだ。
「昔からこの湖には、精霊が住んでいるとか言われていてな。確か、祖父が教えてくれた。だから、湖には決して入るなと」
「はあ、夏場に泳いだら。涼しそうで良いと思いますけど」
「近づいて眺めるくらいなら良いんだ、けど。中には入ってはいけないと口を酸っぱくして言われたな」
私は意外に思って湖を見つめた。ただ、ザザッと水面が波立つだけだが。まあ、入れないなら仕方ない。諦めてジェフ様に話しかける。
「それはそうと、ジェフ様のお祖父様はこの辺りの事にお詳しいのですね」
「ああ、祖父と言っても。父方だがな」
「まあ、という事は先代のイリノア辺境伯様ですね?」
「そうだ、もう引退したが。今は辺境伯領の北部にある別荘で悠悠自適の隠居暮らしをしているよ」
「へえ、一度お会いしてみたいです」
私が言うと、ジェフ様は苦笑いの表情になった。
「……まあ、近い内に君と挨拶しに行く事になるから。その時に会えるよ」
「そうですね」
「さ、湖を一周したら疲れたろう。そろそろ、帰ろうか」
私は頷くと、馬に目線を向ける。馬は気がついたらしく、ジッとこちらを窺う。
「……ふむ、ベレトが人に興味を持つとはな。珍しい」
「あら、そうなのですか?」
「ベレトはその、天馬の血が入っていて。普通の馬よりは賢いんだ。勘か何かで乗せる人間を見分けているしな」
私は天馬と聞いて驚いた。確か、天馬は大昔にいた霊獣で別名をペガススとも言ったとは聞いた事がある。まさか、このベレトが天馬の血を引いているとはね。意外な事もあるものだ。
「ベレト、帰りたいから。行きと同じように頼むよ」
「ブルル!」
試しにジェフ様が声をかけた。すると、答えるようにベレトが鼻を鳴らす。確かに賢いと思った。
その後、ジェフ様が先に乗り私はまた鐙に足を掛けて引っ張り上げてもらう。行きと一緒だ。ベレトの首筋を軽く撫でて内心でお礼を述べる。
『……礼は牧草でな』
見かけによらず、低く渋い声で返答があった。一瞬、誰かと思ったが。どうやら、ベレトが喋ったらしい。かなり驚いて声を上げそうになる。寸での所で両手で口を押さえた。危ない、危ない。不思議そうにジェフ様がする。それに誤魔化すように笑ったのだった。




