4話
私は朝食を済ませた後、アエラ達と一緒に馬車に乗り込んだ。
宿泊費などの支払いは既に終わらせている。後は出立するのみとなっていた。御者が台に乗り、馬車が動き出す。アエラが心配そうに言ってきた。
「……お嬢様、途中で盗賊に遭わないでしょうか」
「そうね、私もそれは思ったわ」
「お嬢様、その時は私どもの事は置いて。直ちにお逃げくださいね」
私はあまりの事に言葉が出ない。アエラがそんな事を言うとは思わなかったからだ。
「アエラ、悪いけど。それはできないわね」
「ですが」
「皆の事を置いて、一人だけで逃げるなんて。そんな事をするくらいなら、賊と戦ってでも守る方を選ぶわ」
私がきっぱりと言うと、アエラは目を開いて黙り込んだ。私から意外な答えが返ってきた事に驚いているらしい。その後は沈黙が続いた。
この日の夕方に、ツェルニー領に入った。アエラやエリス、イリアは三人でほっと安堵したような表情になっている。
「やっと、ツェルニー領に入りましたね」(イリア)
「本当にね」(エリス)
「久しぶりだわ」(アエラ)
私はそれを横目で見ながら、さてと考えた。母上や兄上達には何て説明したものやら。とりあえずは掻い摘んで言うしかないだろう。そっとため息をついた。
ツェルニー領の本邸に着いたのは夜遅くになってからだ。外では執事や兄上達が出迎えてくれる。
馬車から降りると、長兄の
サリアス兄上がこちらに来てエスコートをしてくれた。
「久しぶりだな、リア」
「はい、お久しぶりです。アス兄上」
「大きくなったな」
サリアス兄上は私がタラップを降りきると肩に手を置く。私は早く中に入りたかったが。まあ、仕方ないかと思いながら兄上が手を離すのを待つ。
「アス兄上、もういいんじゃないですか?」
「ショーン、そうだな」
気を回して次兄のショーン兄上が声を掛けてくれた。私は助かったと思って、馬車の出入口から離れる。後から、メイド達が降りてきた。荷物を両手に皆、持っている。執事や他のメイド達もやってきて手伝う。私はそれを横目に見ながら、兄上達と先に本邸に入った。
中に入ると、夜も遅いと言うのにスカーレット姉上と母上がエントランスホールにて迎えてくれた。
「ナタリア、久しぶりね。おかえりなさい」
「はい、お久しぶりです。姉上」
「本当に、久しぶりね。見ない間に大きくなったわ」
「母上もお久しぶりです、お元気そうで良かったです」
「ええ、あなたがキーラン殿下に婚約破棄をされたと聞いてから。気が気じゃなかったわ」
母上がそう言って、ほうとため息をつく。姉上も苦笑いしている。
「私も母上から聞いたわ、まさかとは思ったけどね」
「事実ではありますけど」
「そうなのね、まあ。今は遅い刻限だから、湯浴みをして休んだらいいわ。後で軽食でも持って行かせるわね」
姉上がそう言って、私付きのメイドであるアエラに声をかける。
「確か、アエラだったわね。荷物を運び終わったら、ナタリアに湯浴みをさせてあげて。軽食は本邸のメイドに頼むから」
「かしこまりました、一旦失礼します」
「ええ」
姉上が頷くと、アエラは小走りで行ってしまう。私は姉上や母上に部屋へ戻る旨を告げた。アエラ達の後を追ったのだった。
荷物が運び終わると、アエラやエリス、イリアに本邸のメイド二人も加わって、湯浴みをさせてくれる。ちなみに、本邸で過ごしていた頃にお世話をしていてくれたメイド達だ。名前は赤毛の背が高い方がカーラ、黒髪で若干小柄な方がキアラという。カーラは25歳くらいでキアラが26歳くらいだったか。二人ともメイドとしてはベテランの域に入る。
アエラが髪や体を丁寧に洗ってくれた。猫脚の浴槽にたっぷりのお湯が溜めてあり、私はゆっくりと浸かる。ハーブでイルンの成分が使われた入浴剤が入っているらしい。甘いながらも上品な香りが浴室に漂う。しばらく楽しんだら、上がった。
浴室を出たら、髪や体をバスタオルで丁寧に拭かれた。夜も遅いので、後は手早く肌着類を身につけてネグリジェを着た。ちなみに、現在は4月の下旬に差し掛かっている。と言っても夜はまだ冷えるが。アエラが上にガウンを着せてくれた。
「お嬢様、今はまだ冷えます。これを上にお召しくださいね」
「わかったわ」
頷いて、脱衣場から出る。浴室の片付けがあるからとイリアとエリスが浴室に行く。アエラやカーラ、キアラが来てくれた。本来はマッサージをしてもらうが。時刻が遅いので、省略だ。代わりにかつての自室のベッドにて髪に香油を塗り込み、ブラシで梳いてもらう。終わったら、首筋や肩を軽くマッサージもカーラがしてくれた。
「……お嬢様、だいぶ凝っていますね」
「うん、3日間くらいは馬車に乗っていたから」
「でしょうね、肩が特に酷いです。ここは念入りにマッサージしておきましょう」
カーラが肩を特に指圧してくれた。結構、痛気持ちいい。あー、極楽だわ。そう思いながらしばらくは微睡むのだった。
マッサージが終わり、顔や首筋にお化粧水やらを塗り込む。それを済ませるともう眠気が最高潮だ。アエラ達が退出の旨を伝えるのをうつらうつらしながら聞く。かろうじて頷いたら、アエラ達は去っていった。私は何とか、ベッドのブランケットをまくって潜り込む。横になった瞬間、深い眠りに入っていた。
朝になり、6の刻辺りには目が覚めていた。ベッドから出てふかふかの絨毯に、裸足で降りる。背伸びをしたら、自分で窓のカーテンを開けに行く。既に夜は明けていて日が昇っていた。窓も開けて、朝方特有のひんやりとした空気を肺いっぱいに吸い込む。やはり、朝の空気は清々しい気持ちにさせてくれるわ。背筋がシャキッとするというか。十分に深呼吸したら、自室にある洗面所に向かう。確か、タオルや石鹸、歯磨きセットが用意してあるはずだ。
(あったわ)
胸中で呟くと、蛇口を捻って水を出す。実はツェルニー領には上下水道が配備してあり、浄水場も存在していた。他領や王都はまだそこまで進んでいない。ちなみに、不浄処は水洗だ。
さて、その水を陶器製のコップに入れて歯ブラシに歯磨き粉をつける。そのまま、歯を磨いた。何度かしたら、口を水でゆすいだ。3、4度したら歯ブラシやコップなども水洗いする。
それを済ませたら、洗顔もした。ふうと息をつき、タオルで水気を拭く。後はアエラ達が来るのを待つだけだ。洗面所を出た。
アエラ達がやって来る。既にカーテンを開けていたので、ベッドのメイキングなどをイリアとエリスがやってくれる。残った3人で身支度を手伝ってもらう。今日に着る服を選ぶのはキアラがやり、着替えや髪結いなどはカーラやアエラがやってくれた。2人でネグリジェを脱がせる。素早く、キアラがデイドレスを持ってきた。
「お嬢様、このドレスでいいですか?」
「構わなくてよ」
頷くと、アエラとカーラが着せてくれる。鏡台の前に行き、椅子に座った。アエラが香油を出し、手に振りかけた。それを手のひらで温めて髪に塗り込んでいく。全体的にしたらブラシで梳いていった。髪に艶が出たらヘアピンで留めていき、シニヨン風に纏める。アシアナネットを使う。次にお化粧水などを塗り込み、薄くお化粧を施す。
今日のデイドレスは淡い藍色のタートルネックのデザインだ。袖は七分丈でフリルがさり気なくあしらわれている。キアラはなかなかにセンスが良いわね。そう思いながら、身支度を終えた。朝食を済ませるために食堂に向かった。椅子から立ち上がり、廊下に出たのだった。