10話
私がイリノア辺境伯邸に来てから、しばらく時が過ぎた。
たぶん、来てから半日は経ったろうか。ジェフ様はしばらくご両親にお説教をされていた。代わりに、家令のセヴァが客室に案内してくれる。
「お嬢様には、こちらを使っていただきます。何なりとお申し付けください」
「わかったわ、ありがとう」
「また、壁際に銀の鈴があります。メイドを呼ぶ際に使ってください」
私は頷く。セヴァは一通りの説明を終えると、客室を一旦出て行った。身一つで来たようなものだから、辺境伯邸で必要な物を用意してくれるのは有難い。そう思いつつ、ソファーに座った。ほうと息をつくのだった。
しばらくして、セヴァは二人のメイドを連れて戻ってくる。
「お待たせしてしまい、申し訳ありません。こちらの二人は今日からお嬢様の身の回りのお世話をするメイドです。左側がキャロル、右側はクリスと申します」
「初めまして、キャロルと申します。お嬢様のお世話を致しますので、よろしくお願いします」
「クリスと申します、以後お見知り置きを」
セヴァが紹介すると、人懐っこい感じでキャロルが言う。反対にきちんとした感じでクリスが名乗る。なかなかに正反対な二人だなと思った。その後、セヴァはまだ仕事があるからと退出したのだった。
キャロルが紅茶を淹れてくれたので、休憩を取る事にした。やっと、一息がつける。クリスが気を利かせてお茶菓子も持ってきてくれた。
「こちらはイリノア領の特産品であるフールーという果物を使った菓子です、フルースという名前なんですよ」
「へえ、なかなかに良い香りがするわね」
「はい、フールーの果肉を細かく刻んで生地に練り込んであります。フールー自体も凄く薫り高い果物なんです」
クリスがにっこりと笑って説明をしてくれた。キャロルもどことなく、誇らしげだ。私はフルースを一つ手に取ってみる。きつね色に焼かれた丸い片手に乗るくらいの大きさの焼き菓子だ。見かけは、普通だが。一口齧ってみる。途端に、口内に果物の芳醇な香りと甘み、程よい酸味が広がった。後から、生地の甘みやしっとり感もくる。しかも、シャリシャリと果肉も歯ごたえがあり、なかなかに美味しい。これは王都にはない味だわ。
「……凄く美味しいわ、是非私の家族にも食べてもらいたいわね」
「気に入って頂けたようですね」
「ええ、確か。クリスだったわね、これを私の実家に贈っていいかを辺境伯閣下に訊いてみてくれない?」
「わかりました、早速伺ってきますね!」
「お願いね」
私が言うと、クリスは快諾してくれた。そのまま、客室を出て行った。キャロルと二人で見送ったのだった。
少し経ってから、クリスが戻ってくる。息を切らしながらだが。
「あの、旦那様が良いとの事です!」
「本当に訊きに行ってくれたのね、わざわざありがとう」
「これくらいはお安い御用です、フルースを気に入って頂けて私達も鼻が高いですし」
クリスがエヘンと胸を張る。なかなかに、その様子が可愛らしくてつい笑ってしまう。
「あ、フルースの他にもお菓子はありますので。召し上がりたいのであれば、言ってくださいね!」
「わかったわ、なら。カヌレはあるかしら?」
「ああ、カヌレですか。バター入りの物でしたらあります」
クリスはそう言って、また客室を出て行く。キャロルも紅茶のお替りを淹れてくれた。
「どうぞ、お嬢様。クリス、なかなかに賑やかな子でしょう?」
「そうね、キャロルとは同い年くらいなの?」
「いえ、私の方が三歳は上です。クリスはまだ十七歳でしてね、メイドになってから日が浅いんです」
キャロルの言葉に私は驚きを隠せない。クリスは私より、一歳上だったのか。けど、あまりそうは見えないが。それを見て取ったキャロルは苦笑いした。
「……意外でしたでしょうか」
「ええ、まさか。私より年上だったなんて」
「あら、お嬢様はまだお若いんですね。これは失礼を致しました」
「気にしないで、実年齢より上に見られるのは慣れているから」
私が言うと、キャロルは目を見開いた。
「んまぁ、お嬢様は老けてなんていませんよ。むしろ、可愛らしい方だと思っていたところです!」
「そ、そう。ありがとう」
「けど、実年齢より上に見られやすいなんて。どなたが言っていたんですか?」
「……前の婚約者だった方よ」
「あら、そうなんですね。もし、目の前にいらしたら。危うく、踵で足を踏みつけるところでした」
にこにこ笑いながら、キャロルは怖い事をさらりと宣う。実際にやりそうだから、手に負えない。私が震え上がっていると、キャロルは気を取り直すように笑った。
「失礼を致しました、さ。そろそろ、クリスが戻って来ます」
「そうね」
キャロルが言うと、パタパタと軽い足音がした。ドアが開き、クリスが元気よく戻ってくる。
「お嬢様、カヌレを持って来ました!」
「ありがとう、美味しそうね」
笑いながら言うと、クリスはお皿をテーブルに置いた。また、紅茶を飲みながらしばらくはカヌレを食べるのだった。




