4.新しい暮らしと妹からの手紙
新しい暮らしはエルランジェ侯爵家の領地であるリルトという町で始まった。
エリクは、エルランジェ家の領地の産業と町のそれぞれの特色を繋ぐ事業の一つとして、この町に作られた拠点で働き始めた。
私は妻としてエリクを支えられるように、エリクから紹介されたこの町の人々や、以前から用意していた書物等から学ぶ日々だ。
本来なら侯爵家令嬢が町民として生きるには、もっと時間が必要だと思うけれど、それなりに馴染んできたのではないかと思う。
それは、エリクからの申し出に救われ、本人の未来を縛らないようにこっそりとだけれど、平民となる想定をして生きてきたからだ。
「良し。これで完成」
私は寒い時季が長いリルトで妻が稼ぐ定番の内職も行っている。
ずっと前から準備していたことの一つ。
例えば、女性の内職としてポピュラーな刺繍やレース編み。刺繍やレース編みの柄や技術は代々受け継ぐもの。
芸術性の高い品はそれだけ単価も高い。
また、将来がどうなるにせよ、技術や知識を身に付けておいて損することは無い。
淑女の嗜みとして、家庭教師から熱心に教わったり、文献を読み込んでも誰も訝しんだりしなかった。
一つ完成するまでに時間がかかるけれど、場所は取らない。沢山作っておいて良かった。
これからこの地方には伝わってはいない柄を沢山作り、お友達になってくれた人達と教え合うことや合作もできるかもしれない。
縫製も学んでいたので挑戦してみたいことがある。
私はこの地域の特産の絹織物を取り出した。
エリクが加わっているエルランジェ家の領地の産業と町のそれぞれの特色を繋ぐ事業。
この新規事業が立ち上げられた大きな理由の一つがこの地域にある。
この地域の産業の一つに蚕産業がある。
実はこの地域の製品にだけ、能力と相性が良いという特色がある。微弱ではあるものの、安定した効果が見込めるようだ。
例えば、『聖女』様が治癒能力を施すとその効能が宿る。傷口部分に巻けば、自然治癒より早い治癒が望める。
おそらく、能力は人間にだけ宿るわけではないのだ。ただし、本来は極めて珍しいことで、ほとんどの場合は微弱だけれど。
蚕の寿命を鑑みると、蚕以外に要因があるのかもしれない。
私が感知・探知できる範囲外に原因はあるようで、リルトに到着してからも分からないままだった。
気付いてお父様に調査を進言したのはエリクだったので、エリクがこの事業に参加することは自然なことだった。
私は探知能力があるので宿った微弱な効能を力として感知できるけれど、それを目に見える状況から、今までほとんど前例が無かったことを推測するなんて、エリクは本当に凄いと思う。
まだわからないことは多いけれど、領主がしっかりとイニシアチブを握っておく必要があったので、他の重要産業と合わせて表向き領地の産業と町のそれぞれの特色を繋ぐ事業の一つとして扱われることになったという。
私はこの蚕から生まれた生糸で織った絹織物に自分の能力を宿してみてはどうだろうと思っている。
例えば町と町を渡る旅の途中に危険に晒された時。私の能力を宿した大きめの布で身を包めば比較的外敵に見つかりにくいはず。
その効能はほんの少しとはいえ、私の能力が及ばない範囲にいても大切な人が危険な目に遭う可能性を減らせるのなら……。
でも能力を隠すという約束があるので、エリクに相談してからだけれど。
それと、これは想定外だったのだけれど、傷を隠すためにしていた化粧方法や、肌に良い材料等の知識もこの町で活かせるかもしれない。
この町に来てしばらくした頃、エリクと相談した上で薄化粧にしたのだ。
この町で知り合った人々の中に、その違いを見て傷や痣を隠す化粧方法や、肌に良い保湿液について尋ねてくる人達がいた。
みんな様々な事情で悩みを抱えている。私の知っていることが少しでも役に立つと良いな。
エリクのこと、この町の人々との人間関係、やりたいこと……やるべきこと。とても忙しいけれど、充実した毎日。
幸せで、時々夢を見ているのではないかと思う。
そんな幸せの中の心配事。それはミラベルのこと。
リネリュートに対する自分の心中だけの危惧を元にミラベルを守っているつもりだったと気付いたから、状況を自然に委ねることにしたのだけれど……。
自分の判断は正しかったのか、時々不安になる。
そんな時、エリクが手紙を持って来た。
エリクが持ってきた手紙は、ミラベルからのもので、パメラがミラベルの能力に気付き、組織に能力測定を依頼したらしい。
見事に認定され、パメラは大変名誉なこととミラベルを祝福。
ミラベルはジョスタン・ダルシアク様との婚約は辞退し、『充実した日々を送っている』とのことだった。
良かった。私の心配は本当に杞憂だった。これで過去の暮らしに未練を持たなくて済む。
私はふと、夕食のための調理中の手を止めて虚空を見た。
私は今も密かに能力を使うことがある。それはこの愛おしい日常を守るためにだ。
この町に来てしばらくした頃に気付いた。
アルバンお父様が用意周到に選んでくださった私達の新天地たるこの町では、力ある者が密かにこの町を守るために守護能力を使うことがある。
身近に人の気配を感じることはあるけれど、それはおそらくお父様が手配なさったのではないかと思う。
それらの気配とは違い、明らかな能力の変動が見られる。
組織に所属していないであろうことは、力の性質や使い方で分かる。
おそらく、ひっそりと生きたいのだ。
私も、エリクの忠告で能力の使用に慎重になった。
その人も秘匿能力も同時に使用しているけれど、完璧には隠せてはいない。
私はそんな時、能力使用者本人の認知を遮断しないように気を付けながら、そっと能力を使う。
相手はミラベルと違って自分の能力を把握し、行使して生きてきた者だ。
以前との違いに気付いているはず。
多分、お互いの存在は感じているけれど、それぞれ相対することは無いままで生きていくのだと思う。
この町でそれぞれが、守りたい者と生きていくために。
もうすぐエリクが帰って来る。
私は鍋の蓋を開けて出来を確認する。
侯爵家令嬢として暮らしている時は、厨房に入ると流石に訝しがられる可能性が高いと思ったので、料理については本を読んだだけだった。
なので初めは上手くいかなかった。
新しいレシピは試しに自分の昼食用に作ってみることにしている。
今日は上手くできた気がする。
エリクの足音が聞こえてきたのでキッチンから離れ、玄関のドアを開ける。
「おかえりなさい」
私は貴方とこれからを生きていく。それは、私の最高の幸せ(未来)。




