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夏祭りの翌日、私は朝早くに目が覚めました。
(……嘘、ですよね?)
夢を見ました。詳しい内容は覚えていませんが、大まかなことはわかります。
それは私が一番知りたくなかったことでした。
「ゆかりさん?」
ベッドの下で寝ていたマスターが起きて私を呼びました。
「す、すみません……ちょっと、怖い夢を見まして」
「怖い夢?」
それを聞いてマスターは体を起こして私を見ます。
「……マスター」
「何?」
「今日、仕事でしたよね?」
「え? う、うん、そうだけど」
「休んで私とデートしませんか?」
8月6日。俺は駅前で待ち合わせをしていた。相手はもちろん、ゆかりさん。今朝早く、ゆかりさんにデートに誘われたのだ。これを断る俺など俺ではない。すぐに仕事場に電話して今日、休む事を知らせた。その後、ゆかりさんに9時、ここで待ち合わせしようと提案されてこうしている。
(でも、ゆかりさん、急にどうしたんだろう?)
「お待たせしました」
考え事していると目の前にゆかりさんがいた。服はいつものパーカーだが、少しだけ化粧をしているようでめちゃくちゃ可愛かった。
「ぜ、全然待ってないよ」
「そうですか、では行きましょう」
微笑みながらゆかりさんは俺の手を掴む。
「……そうだね」
今日はとことん、デートを楽しむとしよう。
「次はあそこに行きましょう」
「ちょ、ちょっとゆかりさん!」
私はマスターの手を引っ張ってカラオケ屋に入ろうとしますが、マスターに止められてしまいました。
「どうしたんですか?」
「いや、もう午後9時だよ? そろそろ、帰らない?」
マスターが携帯のディスプレイをこちらに見せながら言います。
「嫌です。まだ、遊び足りません」
「ゆかりさん、どうしたの? 今日、様子がおかしいけど」
「……」
「顔は笑ってるけど、なんだか悲しそうだった。何かあったの?」
さすがはマスターです。ばれないように化粧をして、笑っていたのにばれていました。
「……マスター、聞いてください」
「何?」
「……私、今日で消えちゃうんです」
「……え?」
家に帰って来た。俺の正面で俯いたまま、ゆかりさんはゆっくりと今日の朝に見た夢の話をしてくれる。
その夢に神様が出て来たらしい。その神様が告げたことはたった一言。『明日、立秋だと』。
PCで調べたが『立秋』とはその日から秋が始まる日らしい。
「マスターは願いましたよね? 『ゆかりさんと一緒に楽しい夏を過ごせますように』、と。つまり、私がこうやって三次元にいられるのは夏が終わる日――そう、秋が始まる日までなのです」
「じゃあ、ゆかりさんは……」
「はい、今日が終われば消えてしまいます」
「そ、そんな……」
俺はゆかりさんと暮らしていてとても楽しかった。一緒にご飯を食べ、一緒に喋って、たまに喧嘩して、謝って。そんな日々が楽しくて、楽しくて仕方なかった。
「嫌だ……ゆかりさんと別れるなんて!」
「……私だって嫌です。マスターと暮らしていてとても楽しかったですから」
ゆかりさんも俺と同じ気持ちだったようでそこだけは嬉しかった。
「マスター、怖いです。消えちゃうのが。人間じゃなくなるのが。マスターと別れちゃうのが。怖いです、怖い……」
ゆかりさんは肩を震わせて言った。すぐさま、ゆかりさんの傍に移動し、抱き寄せる。
「マスター?」
「ゆかりさん、何かしたいことある?」
「え?」
「このまま、別れるなんて嫌だ。ゆかりさんには笑顔でいて貰いたいから」
ギュッとゆかりさんを抱きしめて言った。
「……ありがとうございます、マスター」
抱きしめているからゆかりさんの顔は見えないが、その後すぐ俺の肩が少しだけ濡れた。
私が泣き止んでからマスターと一緒にテレビゲームをしたり、お料理を作ったり、お喋りしたりと楽しい時間を過ごしました。
「「……」」
でも、それも長くは続かず、午後11時半。後、30分で秋が始まります。そのせいで私もマスターも俯いたまま、何も喋られなくなってしまいます。
「……マスター、最後に一ついいですか?」
私が声をかけるとマスターは顔を上げて私を見ます。
「何? ゆかりさん」
「伝えたいことがありまして」
そこで言葉を区切って深呼吸。マスターも黙って待っていてくれています。
「好きです」
「俺もゆかりさんが好きです」
「……え?」
マスターの返事に私は思わず、聞き返してしまいます。まさか、即答されるとは思わなかったのです。
「ゆかりさん、俺は君のことが大好きです。PCにいた頃とは比べ物にならないほど、君が好きです」
「え? え、ちょ、ちょっとマスター?」
「最初の頃はゆかりさんにもセクハラしたりしてたけど、あのナンパ事件があって、君も一人の女の子なんだって実感した。多分、あの頃から俺、ゆかりさんのことが好きだったんだと思う」
だから、マスターはあれ以来、変なことをして来なくなったのですね。でも、まだ疑問は残っています。
「PCの中にいた頃からじゃ?」
私の問いかけをマスターは首を振って否定します。
「俺、寂しかったんだよ。友達もいないし、仕事は始めたばっかりだったから話せる人がいなかった。家に帰って来ても誰もいない。だから、俺は君を買った。少しでも寂しさを紛らわせるように」
初めて知りました。マスターが寂しがっているなんて思いもしませんでした。だって、私と話している時は笑顔でしたから。
「ゆかりさんと一緒に暮らして来て本当に俺は幸せだった。ありがとう」
「……ずるいです」
そんな優しい笑顔で言われたら泣いてしまいます。
「マスターばかりずるいですよ。自分の気持ちを言っちゃうなんて」
「だって、今言わなきゃ一生、言えなかったし」
「それはこっちもです。選手交代です」
そう言って私はマスターの隣に移動して正座します。
「マスター、私は貴方のことが好きです。初恋です」
「まぁ、人間になってまだ1か月だもんね」
「茶化さないでください。最初の頃、マスターは気持ち悪くて料理が美味しくてお話していると楽しくて……そして、あのナンパ事件で助けてくれた。マスターと一緒で私はあの時、マスターが好きになったと思います」
それと同時に私のマスターでよかったと思いました。
「マスター、私を買ってくれてありがとうございました。私と一緒に暮らしてくれてありがとうございました。私を助けてくれてありがとうございました。私を、私を好きになってくれて、ありがとうございました」
時計を見ると11時50分でした。
「でも、お別れしなくてはいけませんね。ほら、見てみてください」
そっと、右手をマスターに見せます。
「ゆ、ゆかりさん、その手……」
私の手から光の粒が飛んでいます。最初は少なかったけどどんどん増えて行きます。
「マスター、最後に言わせてください。幸せになって。私を好きだと言ってくれたけど私はVOICEROID。人間ではありません。でも、マスターは人間で、これから、たくさんの出会いがあります。だから、素敵な人と幸せになってください」
「ゆかりさん……」
マスターの目から涙が零れます。私も負けないぐらい、泣いていると思います。
「そして、ここからは私の我儘です。お願いします、私のことを忘れないで」
「忘れるわけない! 初恋の人を忘れるわけない!!」
マスターも初恋だったのですね。嬉しいです。
「マスター、本当にありがとう。これはお礼です」
そう言ってマスターの頬に軽くキスをします。
「ゆ、かりさん……」
「ファーストキスは取って置いてください。きっと、素敵な人が現れますから」
私はマスターの両手を握ります。そして、お互いにおでこをくっ付けました。マスターの顔が近くてドキドキします。
「ゆかりさん、ありがとう。ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございました。マスター、大好きです」
「俺も、大好きだ。ゆかりさん」
私の身体から漏れる光が一際、大きく、増えて行きます。もう、時間が残っていません。
「マスター、私はこれからも、マスターのこと、見守っています。だから、寂しくありませんよ。幸せに、暮らしてください」
夏祭りの時にも言いましたが、私の気持ちは今から言う言葉では足りないほど大きいものです。でも、今はこれしかこの気持ちを伝えられる言葉はありません。だから、もう一度だけ言います。
「愛していますよ、マスター」
そう言って、私は――消えました。