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先輩からゆかりさんが倒れたと聞いて慌てて帰って来た。油断していた。神様から1週間の猶予を貰ったので仕掛けて来ないと決めつけていたのだ。自分の不甲斐なさが嫌になる。
「ゆかりさん!」
家に着き、乱暴に靴を脱ぎ捨て、俺は居間に突撃した。
「あ、マスターおかえりなさい」
「……おかえり」
しかし、そこには布団の中から笑顔を見せたゆかりさんと呆れた様子で洗面器を持った先輩がいた。
「……あれ?」
予想していた光景とは違い、戸惑ってしまう。倒れたはずのゆかりさんは元気そうだし、先輩も落ち着いている。
「全く……最後まで人の話を聞きなよ。倒れたって言ってもただの寝不足から来る貧血だ。命に別状もなければ神様からの攻撃でもない」
「寝不足? 貧血?」
「心配かけてしまってすみません……少し休んだら元気になりました」
体を起こしたゆかりさんは申し訳なさそうに謝った後、笑って言った。なんだ、そうか。俺の早とちりだったのか。よかった。
「……ところで、マスター。従妹は?」
「……あ」
ゆかりさんの指摘にゆかりの存在を思い出す。やばい、道場に置いて来た。
「お兄さん」
その時、右肩を凄まじい力で掴まれる。その怪力で肩が砕けそうだ。何より背後から伝わって来る殺気のせいで振り返ることができない。
「ゆ、ゆかり……」
「なぁに?」
「すみませんでした」
「別に私、怒ってないよぉ? でも、ちょっとだけ、お話、したいなぁ」
この後、めちゃくちゃOHANASHIされた。
「さて、後輩君も目覚めたことだし……ゆかりさん、君は一体、何をしてたんだい? 寝不足で倒れるなんておかしいだろ」
ゆかりのOHANASHIから目が覚めた時にはすでに他の3人は晩ご飯を食べ終わり、倒れたゆかりさんに話を聞くことになった。因みに俺は今日、晩ご飯抜きだそうです。まぁ、デート相手を放置して家に帰ったのだから仕方ないか。
「……えっと」
先輩の質問を受けた彼女は戸惑い、視線を逸らした。何か隠しているのは明白だ。何かいけないことでもしていたのだろうか。
「すみません……言いたくない
「……それは危ないことだから?」
「いいえ、違います! ただ……」
俺の追究を否定したゆかりさんはそのまま俯いてしまう。このまま問い詰めてもいいが、病み上がりの彼女に無理はさせたくない。先輩もゆかりも同じ気持ちだったのか小さくため息を吐いていた。
「話す気はないんだな?」
「すみません」
「……はぁ、わかった。もう聞かない。でも、いつかは教えて欲しい」
「……はい、善処します」
先輩のお願いにゆかりさんは俯いたまま、承諾する。だが、『善処する』と言って善処されたところを俺は見たことがない。それにしても一体、ゆかりさんは何をしていたのだろう。神様の話を聞いて落ち込んで眠れなかったのかと思ったが、それも違うようだ。
「じゃあ、この話はこれでおしまい。ところでずっと気になってたのだが、何で後輩君は頬に傷ができているのかい? 転んだ?」
「あ、いえ、ゆかりと戦った時にできた傷です」
「戦った!? デートじゃなかったのか!?」
さすがにデートの内容が『模擬戦』だとは思わなかったのか先輩が声を荒げた。やっぱり変だったようだ。
「ゆかり、お前はそれでよかったのか? せっかくのデートだったんだぞ? もっと、こう……甘々な感じとか」
「んー……それもよかったけどこんな状況で普通のデートしても楽しめなさそうだったし、何よりお兄さんとは一回、戦ってみたかったんだ」
嬉しそうに語るゆかりだったが、そんな理由で戦わされたこちらはたまったものではない。ただの戦闘狂である。後で左足の傷に湿布でも貼っておこう。何もしないよりはマシだ。
「これで後はゆかりさんだけど……デート、どうする?」
「あ、はい! 是非、お願いします!」
笑顔で頷いたゆかりさんを見てホッと安堵のため息を吐いた。先輩とゆかりからデートに誘われたので今度はこちらから誘ってみたがここで断られていたら恥ずかしくて死にそうになっていただろう。
「でも、貧血とは言え、病み上がりだ。遊園地とかは避けた方がいいんじゃないか?」
嬉しそうにしていたゆかりさんに先輩がそう忠告した。確かにデート中に倒れてしまったら大参事になる。特にゆかりさんの場合、戸籍がないので病院に連れて行かれてしまったら面倒なことになりそうだ。
「あ、その点に関しては大丈夫ですよ」
そんな俺の心配とは裏腹にゆかりさんは得意げに立ち上がった。何というか今日のゆかりさんはテンションが高い。何かあったのだろうか。首を傾げていると満面の笑みを浮かべながら彼女がこちらを見て口を開いた。
「マスター、私……お家デートがしたいです」
「じゃあ、存分に楽しみな」
「行って来まーす」
念のため、一日ゆかりさんを休ませようと言う話になり、家デートはゆかりとのデートから2日後の金曜日に行われることになった。そして、今日がその金曜日。先輩とゆかりは俺たちに気を利かせてくれたのか、仕事や学校が終わった後、どこかに寄って時間を潰してから帰って来るらしい。ゆかりのデートの時もそうだが、仕事に関して先輩には本当にお世話になっている。部長たちへの言い訳もそうだが、俺の分まで仕事を片付けてくれているのだ。
「行ってらっしゃい」
そう言って俺は2人を見送る。因みにゆかりさんはまだ寝ていた。いつもならこの時間には起きているが、何故か起きないのである。声をかけたり揺すったりして起こそうとしたが、ビクともしなかった。昨日の夜も遅くまで起きていたのだろうか。あまり無理はして欲しくないのだが。
「……さてと」
先輩たちの見送りも終わったのでまずはゆかりさんを起こす――前に彼女の朝ごはんの準備でもしておこう。このまま寝かせてあげたいが、せっかくのデートの日を寝て過ごしたなんてなれば後悔するに決まっている。
(まぁ、朝ごはんを準備してる間は寝かせておこう)
神様が来るのは明日の夜9時。その時になったら全てが変わってしまうだろう。だから、今だけは“今”を楽しもう。きっと、“今”を楽しめるのは今しかないのだから。
(良い匂い……)
ふわふわとした気分の中、とても良い匂いが私の鼻をくすぐりました。ですが、少々肌寒く感じます。肌寒さを覚えた私は無意識でダルい右腕を動かし、暖かい何かに触れました。それを掴み、引き寄せようと懸命に腕を動かしますが、その暖かい何かは一向に動く気配はありません。
「――りさん」
何でしょう? 何か聞こえたような気がしました。しかし、今はこの暖かい何かを引き寄せることが優先です。それにしてもなかなか頑固ですね、暖かい何か。こうなったら両手で引っ張るしかないでしょう。そうと決まれば実行あるのみです。右手で掴んでいた暖かい何かを両手で掴み直し、体を捻りながら引っ張りました。
「うおっ……」
そんな声と共に地面が揺れました。何か重い物でも地面に落ちたのでしょうか。まぁ、いいでしょう。目的である暖かい何かを引っ張り込むことに成功したのですから。予想とは違って暖かい何かはなかなか大きいです。これほど大きければ両腕で抱きかかえられそうですね。ふふ、とっても暖かそうです。では、さっそく――。
「ゆ、ゆかりさん! 起きてって!」
――抱き着こうとした矢先、耳元で誰かの声がしました。はて、誰でしょう? そもそも私は今、何を?
「ん……」
疑問に思いながらゆっくりと目を開けるとマスターの顔が見えました。いえ、マスターの顔しか見えませんでした。顔を赤くして慌てています。何かあったのでしょうか?
「ます、たー?」
「あ、起きた! そろそろ放して欲しいんだけど」
放して欲しい? どういう意味なのでしょう。まだ意識がはっきりしていないようで状況を飲み込めません。えっと、私は一体、何を? 顔を動かして周囲を見渡します。どうやらここはベッドの上で今まで私は眠っていたようです。
「あっ……」
そこでやっとマスターの体に腕を回していたのに気付き、放しました。ベッドに両手を付いて密着を防いでいたのか、マスターは安堵のため息を吐きながら離れて行きます。
「す、すみません! 寝惚けていたようで……」
「ううん、気にしないで。ちょっと吃驚しただけだから。おはよう、ゆかりさん」
困った表情を浮かべながら朝の挨拶をするマスター。ですが、先ほどのこともあって私は咄嗟に顔を背けてしまいました。そして、顔を背けた先に出来立ての朝ごはんを見つけます。
「あ、そうだった。朝ごはん、もうできてるから冷める前に食べてね」
そう言ってマスターは台所へ消えて行きました。壁に掛けてある時計を見れば9時半を少し過ぎています。完全に寝坊です。
「あ、あぁ……」
今日はマスターとのお家デート。私の計画ではマスターが起きる前に朝ごはんを作り、彼を起こす予定でした。ですが、起きてみれば立ち位置が逆になっていました。今日が楽しみでなかなか眠れなかったのが原因でしょう。
「……食べましょう」
寝坊してしまったのは完全に私のミスです。マスターやテーブルの上に鎮座しているホカホカの朝ごはんに罪はありません。美味しくいただきましょう。そして、食べ終わったら遅い朝の挨拶をするのです。
「いただきます」
そう決めて私はパジャマ姿のまま、箸を持っていただきますの挨拶をしました。
朝ごはんを食べ終え、きちんとマスターに朝の挨拶とお礼を言った後、今日の予定を話し合うためにテーブルを挟んで向かい合いました。
「ゆかりさんは何かしたいことある?」
ガラスのコップを傾け、冷たいお茶を口に含んだマスターがそう問いかけて来ます。
「そうですね……色々したいところですが、とりあえずこれ見ませんか?」
そう言いながら私は予め背中に隠していた1枚のDVDをマスターに見せます。
「それは?」
「映画のDVDです。昨日、先輩に頼んで借りて来て貰いました」
少し前、テレビで放送していた映画です。その時は後になって放送していたことに気付き、見逃してしまったので丁度いい機会だと思い、頼みました。
「へぇー……って、ラブコメなんだね」
「そのようです。気になっていたので勝手に借りてしまったのですが、大丈夫でしたか?」
「構わないよ。じゃあ、お菓子とか広げて食べながら見よっか。映画館のポップコーンみたいに」
「はい!」
マスターと2人きりで映画鑑賞。これぞお家デートという感じがしてわくわくします。マスターに『準備して来るからちょっと待ってて』と言われ、DVDプレーヤーにDVDを入れ、今か今かとマスターを待ちます。
「あー……ゆかりさん」
しかし、少ししてマスターが困った表情を浮かべたまま、戻って来ました。何かあったのでしょうか?
「どうしたのですか?」
「それが買い置きのお菓子、切らしちゃってて」
「では、買い物に行きましょう!」
立ち上がってそう提案します。私はほとんど外に出ませんので是非ともお出かけしたいです。特にマスターとお出かけなどめったに出来ませんから余計この機会を逃すわけにはいきません。
「そうだね……うん、わかった。ついでに今日の晩御飯の買い物もして来ちゃおっか」
「わかりました、今日のメニューは何ですか?」
「んー……どうしよっか。まぁ、適当にお店見て回って決めようかな」
「そうしましょう。あ、今日の晩ご飯、一緒に作ってもいいでしょうか?」
「もちろん、頼りにしてるよ」
そう言って笑ったマスターはポンと私の頭に手を置いて買い物の準備をしに居間を出て行きました。
「……えへへ」
撫でられた頭に手を当てて思わず、笑みがこぼれてしまいます。ですが、いつまでも余韻に浸っているわけにはいきません。DVDプレーヤーからDVDを取り出し、ケースにしまった後、私も着替えるために箪笥に向かいました。
買い物から帰って来た私たちは早めにお昼ご飯を済ませました。現在、マスターは食器を洗っています。私もその間にお菓子と飲み物の準備を終え、座って待機しています。
「お待たせ」
リモコンを握りしめながら待っているとマスターがタオルで手を拭きながら戻って来ました。
「お疲れ様です。準備できていますよ」
「お、ありがとう」
隣に置いておいた座布団を叩きながらそう言うとお礼を言いながら座ってくれました。私が召喚されたばかりの頃は隣に座ることすら躊躇していたのでこの数か月間で私たちの距離はグッと近づいていたのだと今更ながら気付きました。
「ふふ」
「ん? どうしたの?」
笑みを零すと不思議そうに私の顔を覗き込むマスター。自然と顔が接近して思わず、仰け反ってしまいます。
「ま、マスター近いです」
「あ……ごめん。じゃあ、見よっか」
すぐに離れた彼は私の手からさりげなくリモコンを取り、映画を再生させました。
(マスター?)
違和感を覚え、マスターに視線を向けますが特に変わった点はありませんでした。きっと気のせいだったのでしょう。そう結論付けた私はテレビに視線を戻し、すぐに映画の世界に夢中になりました。
あれから1時間ほど経ち、映画も序盤の伏線を回収し始めました。まさかヒロインが男性だったとは。禁断のBLなのでしょうか。続きが気になります。
「おかしいなぁ……ラブコメって言ってたのに……」
さすがにBL展開は嫌なのかマスターはげんなりした様子で呟きました。
「ラブコメなのではないでしょうか、BL」
「そうなんだけど……って、ゆかりさんBL知ってるの!?」
「えっとー……あはは」
「何でそこで笑うかなぁ!」
そんなことを話しているとテレビの中で主人公とヒロインが2人きりになっていました。ヒロインが男性だと知り、主人公は彼女――いえ、彼とどのように接すればいいのかわからなくなり、疎遠になっていたのです。しかし、ヒロインはどうしてももう一度主人公と話がしたかったようで手紙で呼び出し、やっと2人きりになることができたようです。そして、主人公は自分が男性ではなく女性であることを告白しました。
「「え、ええええええ!?」」
主人公のカミングアウトに私たちは声を揃えて驚いてしまいました。まさかの天丼です。最初、ヒロインが男だと告白した時点でもしやとは思っていましたが本当にそうだったとは。マスターも目を丸くしています。
「いやぁ……まさか、ね」
「ええ……まさかのです」
画面の中でもヒロインがパニクッています。それを見た主人公もパニクッています。それから二人はお互いに事情を説明しました。どうやら、主人公もヒロインも特殊な家訓のせいで女装や男装をする羽目になったそうです。お互いに肩を叩き合い、慰め合っていました。仲直りできたようでなによりです。
秘密を共有し合った二人は前にも増して仲良くなり、次第に相手に好意を持つようになったようでドキドキするようなシーンが増えて来ました。しかし、とうとう主人公が男装していたことがクラスメイト全員にばれてしまったのです。それから主人公は避けられるようになってしまい、落ち込んでしまいます。見た目は完全に男の人ですが、中身が女の子だとわかっているので不思議と応援したくなります。
主人公の秘密がばれてから数日後、主人公が教室に行くとクラスメイトが騒いでいるのに気付き、何だろうと中を覗き込みます。すると、教室の中にいたのは男子生徒の制服を着たヒロインでした。彼は楽しそうに友達とお話しています。目の前の光景に困惑しているとヒロインが主人公の存在に気付いて笑顔で手を振って来ます。そう、ヒロインは秘密がばれ、避けられてしまった主人公のために自分の秘密について皆に説明しました。そのおかげで主人公はクラスメイト達から受け入れられるようになり、今までのように――いえ、今まで以上に仲良くなることができました。そして、そのことがきっかけとなり、主人公はヒロインに告白し、見事恋人同士になりました。結ばれてよかったと安堵のため息を吐いていると二人の距離は次第に縮まり――。
「っ……」
――口付けを交わしました。唐突なキスシーンに体を硬直させてしまいます。しかも、そのキスというのが激しいと言いますか。触れ合うような軽い物ではなく、なかなかハードな物だったので思わず、テレビから視線を逸らしてしまいました。
「あ……」
しかし、逸らした先が間違いでした。同じタイミングで顔を逸らしたマスターと目が合ってしまったのです。先ほどのキスシーンにあてられたのかマスターの顔はほんの少しだけ紅くなっています。きっと私も同じなのでしょう。ドキドキと心臓の音がうるさく感じます。
「マスター……」
「ゆかり、さん」
彼の名前を呼ぶ私の声は自分でも驚くほど震えていました。マスターも目を丸くして驚いています。私はおそらく――。いえ、今はマスターとのデート中です。この先に待つ未来の話は今は止めておきましょう。思考を切り替えるために頭を振り、もう一度マスターを見上げ、“気付きました”。
「……映画、終わってしまいましたね」
「え、あ……そう、だね」
「では、片付けましょうか」
それから私たちは無言で後片付けを始めました。
マスターと一緒に晩ご飯を作り、特に会話もしないまま、食べ終わりました。せっかくのデートですが、私はマスターとお話しする気力もつもりもありません。マスターは私の方をチラチラと見て来ますが、話しかけて来る気配はなし。おそらく、話しかけても無駄だとわかっているのでしょう。
「……お風呂いただきました」
「うん」
お風呂から上がり、久しぶりにマスターに声をかけます。ですが、彼は今までと特に変わった様子もなく、返事しました。そう、何も変わった様子がないのです。
「……マスターは」
「え?」
「もう……諦めてしまったのですか?」
「もう……諦めてしまったのですか?」
一瞬、ゆかりさんの言葉の意味がわからなかった。諦める? 何を? そして、すぐにわかった。だが、言葉の意味はわかってもその言葉の真意は理解出来なかった。
「諦めるも何も……手の打ちようがない」
先輩も言っていたように神様の企みは完璧だった。どうすることもできないのだ。
「……そうかも、しれません」
俺の前に座ったゆかりさんはパジャマのポケットから何かを取り出し、そっとテーブルの上に置いた。それはこの前、ゆかりさんに買ってあげた携帯電話。
「まずは謝らなければなりません。マスター、すみません。携帯、壊しました」
「……へ?」
たった数日で携帯を壊すとは思わず、目を丸くしてしまった。ゆかりさんは道具を乱暴に扱うような性格ではない。それに目の前に置かれた携帯は綺麗で故障しているようには見えない。新品そのものだ。
「触っても?」
「はい、どうぞ」
ゆかりさんの許可を得て携帯を手に持ち、画面をタッチしてみる。反応はなし。ホームボタンや電源ボタンを長押ししてみるが動く気配はなかった。本当に壊れているらしい。
「本当に壊れてるね」
「どうやら中の回路が焼き切れてしまったようで……すみません」
「ううん、気に……するよ! え、何? 回路が焼き切れただって?」
買って数日で回路が焼き切れるなど聞いたことがない。一体、何をすればそんなことに。
「ッ……まさかずっと能力を使って?」
「……はい」
そうか、やっと全部繋がった。きっとゆかりさんは神様が来た日――いや、あの日は落ち込んでいたから先輩にフォローされた日から一昨日までほとんど寝ることなく、能力を使って神様の企みをどうにかするために調査をしていたのだ。だから、携帯の回路は焼き切れ、ゆかりさんも寝不足から来る貧血で倒れた。ゆかりや先輩、俺がすぐに諦め、運命を受け入れた中、ゆかりさんだけはずっと諦めていなかったのだ。
「そう、だったのか」
「正直に話そうにも何も成果がなかったので言えなかったんです……それに心配もかけたくなかったので」
「何も話さない方が心配するよ。それこそ俺たちに話してくれれば――」
「話せるわけないじゃないですか!」
ゆかりさんが声を荒げた。膝の上で白くなるほど強く拳を握っている。
「話せる、わけないじゃないですか……先輩も従妹ももう諦めたような顔でマスターのことを心配してるんですよ? 諦めちゃ駄目だって言えるわけないです」
「……」
確かに先輩もゆかりも最初から自分が消える前提で俺とデートをしていた。そして、今日の俺も。
「それに期限まで1週間もあったので」
「……1週間も?」
普通、1週間しかないと思うのでは?
「あの時は1日しかありませんでしたから。今回は1週間もあると思って」
そうか。そうだった。ゆかりさんはすでに“消滅の恐怖”を体験している。しかも、あの時は夢に出て来た神様に忠告された日から消滅する日までの期間は1日。どうにかしようとも考えられないほどの短い期間。だからこそ、ゆかりさんは最期の思い出を作ろうとした。だが、今回は違う。消滅する日まで1週間“も”あった。単純計算で7倍もの猶予があった。それに加え、今のゆかりさんは自分の能力を自覚している。調査に適した能力だったこともあってゆかりさんは『諦めるにはまだ早い』と判断したのだ。
「その結果がこれです。携帯は壊れ、私は倒れてしまいました」
そう言ってゆかりさんは自虐的な笑みを浮かべる。しかし、すぐに俺の顔を見て目を伏せた。
「でも、マスターだけは……最後まで諦めることなく、もがいてくれていると、私たちのために運命に抗ってくれていると思っていました」
「ッ……」
「マスターはいつも私を、皆を守ってくれました。私がナンパされた時も、従妹が自殺しようとした時も、先輩が神様に殺されそうになった時も……だから、今回だって同じなんだと少しだけ高を括っていたんです」
それは買い被りすぎだ。俺はただ反射神経だけが人一倍優れているただの人なのだ。
ゆかりさんがナンパされた時は相手が弱かったから睨むだけで追い返せただけ。
ゆかりが自殺しようとした時、必死になって説得したが、ゆかりが強い子じゃなければ俺の拙い説得では彼女を救うことはできなかっただろう。
先輩の時など半分は俺のせいである。俺が神様に好かれてしまったせいで彼女の命が狙われたのだ。
何より、俺はすでに親友を守り切れず、死なせて――いや、殺してしまった。そんな奴に何を期待しているのだ。罪悪感で押し潰されてしまう。もう、守れないことは確定しているのだから。だからこそ、最期くらいいつも通りにしようと頑張った。今日、ゆかりさんの笑顔を見る度に泣きそうになるのを必死に我慢した。
「でも、今日のマスターを見てわかったんです。私の身勝手な期待に。全部、マスターに押しつけようとしていることに。そんな自分が嫌になりました。猶予があると決めつけて、いつまで経っても見つけられない無理難題な解決方法を闇雲に探して、壊して、倒れて、心配をかけて、自分では無理だったから全てをマスターに押しつけようとして……マスターが諦めていたとわかった途端、マスターに失望していました。そして、そんな自分にも」
「ゆかりさん……」
「ごめんなさい、マスター、私は悪い子です。自分勝手な私を、許してください」
涙を流して謝るゆかりさん。俺はただ彼女の名前を呼ぶことしかできなかった。
(なんだよ、これ……)
目の前で謝り続ける彼女を見てそう頭の中で呟く。そして、俺の携帯が鳴った。先輩とゆかりが帰って来る合図だ。
「もう、時間ですね」
そう言ってゆかりさんは立ち上がった。そのまま玄関の方へ向かう。
「ゆかりさん、どこに!」
「マスターは……とても優しい人です。だから、どうか苦しまないで。例え、この先に待っている未来がマスターにとって真っ暗でもきっとその先に光があるはずです。私は、そう願っています。さようなら」
「待っ――」
最期に伝えたかったのかゆかりさんは震える声で言い、咄嗟に手を伸ばすが彼女は家から出て行ってしまった。
「……」
それからしばらく時計の秒針の音だけが部屋に響いていた。残酷にもそれは迫るタイムリミットを告げていた。
「何だよ……」
勝手な期待をされて、勝手に失望されて、勝手にお別れを言われた。
「ふざけんなよ……」
何で、何も言わなかった、俺。目の前でゆかりさんが泣いていたのだ。何故、何も言わなかった? どうして、何も言えなかった? 諦めてしまったからか? 彼女の、彼女たちの消滅を受け入れたからか? 逃れることのできない運命を受け入れてしまったからか?
「くそっ……」
自問自答してすぐにわかった。ああ、そうか。俺は受け入れていたのか、彼女たちの消滅を。俺を助けてくれた子たちの消滅を。そして、その消滅を受け入れ、のうのうと生きようとしていたのか、俺は。ふざけるのも大概にしろ。なんで、今まで気付かなかった? そういうことだろう? 俺は、彼女たちを見捨てて生き残ろうとしていたのだ。
(そんなこと……させるものか)
皮肉にもゆかりさんの涙を見て心に火が点いた。そんなこと俺が許さない。許せるわけがない。じゃあ、どうすればいい? みんなを守るために俺はどんな選択をすればいい? なぁ、教えてくれよ、親友。俺は、何をすればいいんだ?
――それに消えたとしても私は君の傍にいる。そう、約束しただろ?
そう言った彼女は己の消滅が迫っているのに笑って俺の今を――未来を守ると誓ってくれた。
――お兄さん、さっきの気持ち、忘れないでね。最後まで優しくて格好いいお兄さんでいてね。どんなに苦しい状況でも諦めず、足掻いて。後悔しないで。
そう言った彼女は塞ぎ込んでいた俺を殴って強さを思い出させてくれた。
――マスターは……とても優しい人です。だから、どうか苦しまないで。例え、この先に待っている未来がマスターにとって真っ暗でもきっとその先に光があるはずです。私は、そう願っています。さようなら。
2度目の絶望に立ち向かい、敗れ、自己嫌悪に苛まれ、泣いた彼女はそれでも俺の未来を健気に願ってくれた。
――生きろ。夢中になって生きろ。お前はそうやって、生きてきたろ? だから、俺がいなくなっても、生きろ。親友。
血だらけのあいつが微笑みながら俺の頬に手を当ててそう言った。
――俺に、縛られるのだけはやめてくれ。好きなように、生きるんだ。きっと、それが一番お前らしいから。新しい何かを、見つけろよ。
「……」
ああ、そうか。そうだよな。俺は俺の守りたい物を守ればいいんだよな。なら、やることは決まっている。最初から決まっていた。
「……」
気付けば朝日が昇り、運命の日になっていた。全ては俺次第。必要な物、大切な物は全部皆から貰った。皆が教えてくれた。絶対に上手くやってみせる。それが今の俺にできる唯一の恩返しと罪滅ぼしなのだから。




