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結月祭シリーズ  作者: ホッシー@VTuber
第3章 今ヲ結エル月兎
15/26

3

「ただいまー」

 お兄さんとゆかりさんがデートすることが決まって数日後、部活でヘトヘトな体に鞭を打って何とか帰って来た。

「あ、おかえりなさい」

 鞄を床に置いて一息ついていると洗濯籠を持ったゆかりさんが笑顔で挨拶する。デートが決まってからものすごく機嫌がいい。それに反比例するように私の機嫌は悪いが。まぁ、デートは4日後なので少し我慢すれば近い内に私の番が来る、と思いたい。

「うん、ただいま。何かあった?」

「いえ、特に。マスターからの連絡もありませんでした」

 お兄さんと先輩は現在、会社に行っている。さすがに命が狙われていると言う理由で休ませてくれなかった――と言うより、説明のしようがなく2人は仲良く出勤していた。羨ましい。

「そっか。あ、ごめんね。邪魔しちゃって」

「大丈夫ですよ。すぐに終わらせますのでその後にお茶出しますね」

 そう言ってゆかりさんは洗濯籠を抱えてベランダへと向かった。お兄さんがいない時の私たちは比較的、仲は良い。ただお兄さんが関わると喧嘩になってしまう。





 ――プルルルッ!




 ゆかりさんが来るまで宿題でもやろうかと考えていると不意に電話が鳴り響く。お兄さんからかもしれない。

「はい、もしもし」

『あ、ゆかりちゃん?』

 聞き覚えのない声だった。しかし、向こうは私を知っているらしい。

「えっと……」

『あら、もう忘れちゃった?』

 その後に電話相手は自分の名前を言った。それはお兄さんと同じ苗字だった。そう、お兄さんのお母様だ。いや、ここはあえてお義母様と呼ぼう。

「ど、どうも……」

『ん? なんか前とは少し様子が違うわね』

「え!? そ、そんなことないですよ!」

『んー、そうかしら? 前はもっと落ち着いてたような……』

「部活で少し疲れていまして、あはは」

 多分、ゆかりさんだ。それしか考えられない。

『そう言えば、この前送ったアルバム、役に立った?』

「へ? あ、はい。それはもう」

 なるほど、あの時のアルバムはゆかりさんがお義母様に頼んで送って来て貰ったようだ。そのおかげで私はお兄さんに本気で――。

『今、あの子はいないわよね?』

「はい、仕事中ですね。もう1~2時間ほどすれば帰って来るかと思います」

『そうね……じゃあ、伝えておいてくれるかしら? そろそろ、あの子の命日だって』

「あの子ってお兄さんの親友ですか?」

『……ええ』

 お義母様はそれ以上、何も言わなかった。やはり親友の死はお兄さんにとって重荷になっているようだ。

「……あの、少しいいですか?」

『ん? 何?』

「アルバムを送ってくれたばかりですが……もう1つ送って欲しい物があって」

 この選択が正しいのか私にはわからない。お兄さんにとって辛いものになるかもしれない。でも……きっと、お兄さんの枷を外すために必要になる。私はそう確信していた。













「マスター! こっちです!」

 日曜日。俺とゆかりさんは予定通り、デートに出かけた。さすがに普段の姿で出かけたら騒ぎになってしまうかもしれないのでゆかりさんはゆかりの私服を借りている。可愛い。

「ちょ、ちょっと待ってよゆかりさん!」

 俺は俺の手を引っ張ってどんどん進むゆかりさんに翻弄されまくっていた。

「前のデートは消えることに怯えていたのでほとんど覚えてないんです! 今日はとことん遊びますよ!」

「わかった、わかったからもう少しゆっくり! いつっ……」

 この前、車を回避した時に無理し過ぎてしまったようで左足に痛みが走った。その痛みで顔を歪めてしまう。そして、運悪くそれをゆかりさんに見られてしまった。

「だ、大丈夫ですか!?」

「あ、ああ……ちょっと痛むだけだから。でも、もう少しゆっくり歩いてくれると助かる」

「すみません……テンションが上がってしまって」

「ううん、気にしないで。それだけ楽しいってことでしょ?」

「はいっ」

 満面の笑みを浮かべるゆかりさん。ゆかりが来てから二人っきりになることなどほとんどなかったので少し緊張していたが今ではいつも通りに接することができた。

「それにしても本当に大丈夫なのでしょうか、先輩」

 手を繋ぎながら並んで歩いていると不意にゆかりさんが呟く。先輩は今、家で大人しくしている。外に出ることはもちろん、出来るだけその場から動かないように言っておいた。ご飯もテーブルの上に置いておいたし。動く時と言えばトイレぐらいだろう。

 因みにゆかりは部活だ。大会が近いらしいのでほぼ毎日、居残り練習をしているらしい。でも今日は午後に帰って来ると言っていた。やはりゆかりも先輩が心配なのだろう。

「何かあったら電話を掛けて来るって言ってたし。頭痛が起きたらすぐに帰ることにしてるから……まぁ、出来るだけ家の近くで遊ぼうか」

 感知できるからといって間に合わなかったら意味がない。

「はい!」

 ゆかりさんも頷いたことだし、今日は遊ぼう。しっかりとゆかりさんの手を握ってどこで遊ぼうか話しながら歩き続けた。









「ここの天丼、美味しいね」

「こっちのかけそばも美味しいですよ。食べます?」

「あ、じゃあ貰おうかな」

「はい、あーん」

「ッ……あ、あーん」

 そんな甘いやり取りをしていたらいつの間にか午後1時になっていた。午前中はウィンドウショッピングをしてお昼になったので適当な店に入ったのだが、大当たりだった。またここに来よう。今度は皆で。

「さて、この後どうします?」

 店を出てすぐにゆかりさんが質問して来た。

「行きたい場所があるからそこに行こうかなって」

「いいですよ、どこに行くんですか?」

「……そうだね、ゆかりさんだけ知らないのも悪いから話そうかな」

 この1週間、俺はずっと悩んでいた。あいつのことをゆかりさんに話すかどうか。そして、昨日やっと決心が付いたのだ。ゆかりさんだけが知らないのは寂しいと思ったから。

「話って……3年前の?」

「うん。さすがに察するか。今から行く場所はね」

 4日前、母さんの伝言で思い出した。





「俺の親友の墓参りだよ」





 あいつの命日が今日だって。













「よ。3年ぶりだな」

 少しだけ汚れた墓石に向かって話しかける。あの日以来、ここに来るのは初めてだった。

「ごめんな。母さんに言われるまでお前の命日、忘れてたよ」

 母さんは毎年、こいつの命日を教えてくれていた。しかし、去年まで俺はここに来ることは出来なかった。あの日のことを思い出してしまうから。

「多分、独りじゃ来れなかったと思う……でも、今日は連れがいるから来れたんだ。ゆかりさん」

 俺の後ろで待っていたゆかりさんを呼ぶ。彼女は1つ頷き、俺の隣に移動した。

「……初めまして。結月ゆかりです。マスターには色々お世話になってます」

 丁寧にお辞儀をして挨拶するゆかりさん。

 ここに来るまでに俺は3年前に起きたことを『全て』ではないがゆかりさんに話した。どうやら、予めゆかりと先輩から概要は聞いていたようでゆかりさんは少しだけ泣きそうになるだけだった。

「ほら、お前……ゆかりさんのこと好きだったろ? 今じゃ三次元にいるんだぜ」

 俺がゆかりさんを知ったのはこいつが好きだったからだ。ことある毎にゆかりさんの話をしていた。

「今、色々変なことが起きてるんだ。また……3年前のようなことが起きるかもしれない」

 こいつが死んだのは俺のせいだ。人より少し強いだけで天狗になっていた。テロリストにも対抗できるって思っていた。そのせいで、俺の代わりにお前が死んだ。

「だからさ。もう俺は間違えない。俺にできることをやる。無理はしない。でも、助けられるなら俺はどんなことをしても助けるよ」

「安心してください。マスターが無茶しそうになったら何としてでも止めるので」

 ギュッと俺の右手を握りながらゆかりさんが断言する。とても心強かった。

(見てるか? お前は言ったよな。生きろって)

 いつも俺の隣で笑っていたあいつを思い出して想う。きっとこれから何か起こる。それは俺たちにとって悪いことかもしれない。でも、お前の最期の願いを叶えるために頑張ろうと思う。

「……そうだ。ゆかりさん」

 墓石を見ていたゆかりさんに声をかける。それを聞いた彼女は視線だけ向けて首を傾げた。

「携帯、欲しくない?」

「携帯、ですか?」

「ああ、俺が仕事中に何かあるかもしれないから念のためにね」

「そうですね。連絡手段は欲しいです。お願いしてもいいですか?」

「もちろん」

 実はもっと早く買うつもりだった。でも、ゆかりさんが三次元に再召喚されてから色々なことがあって今日まで伸びてしまったのだ。

「それじゃ、また来年来るから。それまで見守っててくれ」

 墓石を一度、撫でて立ち上がる。そして、空を見上げた。

 その空は雲一つない快晴だった。







――ああ、見守っててやる。そして、お前が後悔しそうになったらその背中を一度だけ押してやるよ。それと、ゆかりさん。そいつのことを頼む。俺はもう傍にいてやれないから。困った時には使ってくれ。あの日、俺から譲り受けたそれを。















「ふふ」

 俺の隣で新品のスマホを眺めているゆかりさんはとても嬉しそうに笑っている。

「本当にそれでよかったの?」

 ゆかりさんが選んだのは俺の同じ機種だった。新しい機種があったのにゆかりさんは頑なに譲らなかったのだ。俺のスマホも新品だが、前に使っていた奴と同じ物にしたので最新機種ではない。

「マスターと同じ物がよかったんです」

 ニコニコ笑って教えてくれた。それを聞いて思わず、顔をそらしてしまう。電子の世界にいたからか無意識に妙に照れくさい台詞を言うことがある。急にそっぽを向いた俺をゆかりさんは不思議そうに見ていた。だが、すぐに携帯を操作し始める。

「ん?」

 すると、ポケットに入れてあった携帯が震えた。先輩からかも知れないので急いで取り出す。

(あれ、非通知だ)

 しかし、携帯のディスプレイに表示されていたのは非通知の3文字。少し怪しいが出てみることにした。

「もしもし?」

「『もしもし? マスターですか?』」

「……は?」

 2重に聞こえた声ですぐにゆかりさんの方を見る。すると、彼女は満面の笑みを浮かべながら携帯を耳に当てて俺に視線を向けていた。

「『あ、通じてるみたいですね。よかったです』」

 どうやら、初めての携帯ではしゃいでいるらしい。でも、そんなことよりも気になることがあった。

(まだ……電話番号、教えてないぞ)

 それどころかゆかりさんに俺の携帯の中身を見せたことがない。色々見せられない物があるからだ。それなのにゆかりさんは俺の携帯に電話をかけることができた。

「あの……ゆかりさん? どうして俺の携帯番号を?」

 困惑しながら問いかける。

「え? ああ、それはですね――」





 ――バチッ!





 ゆかりさんが俺に説明しようとした刹那、あの頭痛が襲った。その衝撃で足元がふらつく。結構、大きな頭痛だ。頭を押さえて頭痛が治まるのを待つ。

「マスター? どうしました?」

 急に動かなくなった俺を見て首を傾げるゆかりさん。それに対して右手を挙げて大丈夫だと答える。

「無理しないでくださいよ? これから遊園地(・・・)に行くんですから」

「……遊園地?」

 待て。そんな予定はなかったはずだ。この後は適当に歩きながら家に帰るだけだったのに。

「もう、忘れたんですか。数日前(・・・)からの約束だったんですよ?」

 おかしい。数日前から決まっていたなんてありえない。俺とゆかりさんのデートプランは今日、行き当たりばったりで決めていたからだ。

(じゃあ、あの頭痛で?)

「……っ! 先輩!」

 もしかしたら先輩に何かあったのかもしれない。急いで手に持っていた携帯を操作し、自宅に電話をかける。応答なし。次は先輩の携帯にかけたが結果は同じだった。

「マスター?」

「ゆかりさん、本当に遊園地に行くって約束したんだよな!?」

「え、ええ……まさか?」

「……ああ」

 やられた。またあの頭痛だ。しかも、今度はゆかりさんにも影響があった。多分、これは誘導である。俺たちを遊園地に誘い込むための。先輩と一緒に帰っていた時は記憶操作ではなく、事故だった。しかし、事故だけでは俺という存在のせいで先輩を殺せなかった。だから、今度こそ殺せるように舞台を用意したのだ。

「さっき立ち止まったのは頭痛のせいなんですね!?」

「頭痛の記憶はあるのか……」

 だが、今回の頭痛でわかったことがある。

(頭痛があったのは落石事故の時とゆかりの写真が変わった時、そして先輩の命に危険が迫った時……後は、3年前の――)

『うっ』

『ん? どうした?』

『いや……変な頭痛がして』

『大丈夫なのか?』

 ああ、そうだ。あいつと一緒に自転車で大学に向かっていた時だった。

『ああ……もう治まったし』

『そっか。それにしても災難だよな』

『え?』

 俺の隣で自転車を漕いでいたあいつは鬱陶しそうに空に目を向けて言った。

『雨が降ってくるなんて』

『……は?』

『うへぇ、もうべちゃべちゃ。仕方ないから歩いていくか。駅に自転車置いておけばいいし』

『そ、そうだな……』

 どうして、俺はあいつに言わなかったのだろう。思っていたことを話せばあいつを救えたかもしれないのに。






 ――今の今まで雨など降っていなかった、と。雨に濡れていたあいつとは違って俺は全く濡れていなかった、と。まるで、俺だけ別の世界から来てしまったようだった、と。






(あの頭痛は運命が変わる前兆だ)

 落石事故――いや、大地震が起きない運命から起きる運命へ。

 ゆかりではなかった従妹が結月ゆかりとなって産まれて来る運命へ。

 何事も起きない運命から先輩が死ぬ運命へ。

 家に帰る運命から遊園地に行く運命へ。

 晴れる運命から雨が降る運命へ。

 そう、犯人は運命を改変する力を持っている。そして、俺はそれを予知または弾くことができる。多分、あの頭痛は弾いた時の後遺症だ。一番辻褄が合う仮説だと思う。

(まぁ……ゲームによく出てくる設定だしな)

「マスター?」

 半分呆れているとゆかりさんが訝しげな表情を浮かべて俺を呼ぶ。

「……ゆかりさん、遊園地に行こう」

「え、でも頭痛があったんですよね? なら、家に帰らないと」

「多分……先輩も遊園地にいる」

 素早くゆかりに事情を書いたメールを送り、覚悟を決める。

「今の俺に何ができるかわからないけど、このまま見過ごすことはできない」

 確かに俺は軽率な行動で親友を殺してしまった。俺が調子に乗らなければあんなことにはならなかった。でも、それは今まさに殺されそうになっている知人を助けない理由にはならない。

「ゆかりさんは危ないから家に帰ってて」

「……ふふ」

 俺の隣で目を丸くしていたゆかりさんだったが、すぐに微笑んだ。

「ゆかりさん?」

「マスターは勘違いしていますよ」

 彼女は俺の手をそっと握って頷く。

「私の役目はマスターの傍にいること。あの人にも約束しましたから。マスターが無茶しそうになったら止めるって。だからこそ、隣にいさせてください」

 ああ、そうだった。ゆかりさんはいつも俺の傍にいてくれた。俺が彼女を買った時からずっと。あの日――ゆかりさんを買った日から俺はずっと彼女に助けられて来た。死んでいた俺の手を引いてくれた。それは今でも変わらない。ゆかりさんがいてくれたからあいつの墓参りに行くことができた。

「……行こう!」

 俺は弱い人間だ。独りでいることが怖い。何かを失うのが怖い。でも、ゆかりさんと一緒なら大丈夫だって思える。ゆかりさんに頷いてから彼女の手を握り返して俺たちは遊園地に向かって走り出した。





「ま、マスター……ま、待って、くださ、い……い、息が、できな」

 走り出したのはいいものの、ゆかりさんがすぐにガス欠を起こしたのでタクシーを拾うことにした。















「はぁ!?」

 お兄さんから送られて来たメールを見て私は思わず、声を漏らしてしまった。

(遊園地に行く約束が……なかった?)

 数日前、テレビで新しくオープンする遊園地のCMを見てゆかりさんが行きたそうにしていたのをお兄さんが見つけて行くことになったはずだ。しかし、その記憶は偽物で元々、遊園地に行く約束などしていなかったらしい。

「でも」

 あの時の記憶は本当に偽物なのだろうか。お兄さんを疑っているわけではない。ただ、偽物とは思えないのだ。私が実際に体験し、感じたはずだ。

「……」

 怖い。あの時と同じだ。私は私ではないと、私はゆかりではなく別の人だったと自覚してしまった時と。私の中に蓄積された思い出が全て、偽物なのだと。

 知らない間に私の思い出が改変され、本物を偽物にすり替える。そして、私はそれに気づくことなく偽物を抱きしめて思い出に浸る。それがとても恐ろしかった。

「ただいま……」

 挨拶しながら玄関のドアノブを捻る。しかし、鍵がかかっていた。

「……先輩!」

 急いで鍵を開けて家の中に入った。玄関に先輩の靴はない。それから家の中を捜索したが先輩の姿を見つけることはできなかった。

(お兄さんの言ってたとおりっ……)

 『遊園地に行く』という偽物の約束は先輩とお兄さんたちをおびき寄せる罠だとメールに書いてあった。先輩が家にいないかもしれないとも書かれていた。すぐにお兄さんに電話をする。

『もしもし! ゆかりか?』

「お兄さん、やっぱり先輩いない!」

『くそ……わかった。俺たちは遊園地に行って先輩を連れ戻すからゆかりは家にいてくれ!』

「あ、お兄さん!」

 私の制止の言葉を無視して彼は電話を切ってしまった。ツーツーと言う音しか発さない携帯をソファに投げてその場にへたり込む。

(また、私は……)

 お兄さんに守られる。あの、落石事故の時のように。

「なんで……なんで!」

 あの時、誓ったのだ。今度は私がお兄さんを守ると。あれから私は強くなったと思う。多分、素人相手なら負けない。しかし、私はお兄さんの隣にいない。ただ、安全なところで唇を噛んでいるだけだ。




 ――いいのか? こんなところで腐ってて。



 いいわけがない。私はお兄さんを守りたい。



 ――じゃあ、どうして動かない?



 わからない。動きたいのに動けない。怖いのだ。どんな相手が来るのかわからないから。相手がどれほどの強さなのか計り知れないから。




 ――ああ、そりゃそうだ。誰だって怖い。どんな敵かわからず突っ込むなんてただの馬鹿か。自殺志願者だけだ。あいつは調子に乗ったアホだったけどな。でもな? 俺は、あいつを……お前のお兄さんを格好いいと思うぞ。



「え?」



 ――テロリスト相手に正面から突っ込んでバッタバッタ倒して……最後、俺がヘマをしなきゃあんなことにはならなかったし。まぁ、俺が言いたいのは一言だけ。お前が一番、怖いと思うことはなんだ?



「私が、一番怖いと思うこと」

 その答えはすぐに見つかった。すると、震えていた足に力が入り、自然に立ち上がることができた。



 ――さぁ、行こう。世話の焼けるあいつを助けに。



「うん……って」

 あれ、私、今何と話していたのだろうか。キョロキョロと辺りを見渡すが私以外何もいなかった。

「なんだったんだろう……」

 首を傾げていると不意にチャイムが鳴った。お兄さんのところに向かいたいが仕方ない。

「はーい」

「お届けものでーす」

 ドアを開けると細長い荷物を抱えた宅配のお兄さんがいた。

「っ……今、ハンコ持ってきます!」

 なんというタイミングだろう。まさかこのタイミングでお義母様に頼んでいた物が届くなんて。

(待ってて、お兄さん。今、行くから)

 私が一番怖いのは――お兄さんたちを失うこと。もう、私の大切な人を失うのは嫌だ。だから私は立ち上がる。お兄さんたちを助けるために。そう決心してハンコを探すが、ハンコの在り処がわからず、結局サインすることになった。

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