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結月祭シリーズ  作者: ホッシー@VTuber
第3章 今ヲ結エル月兎
14/26

2

「本当に、これ後輩君が作ったの?」

 翌日の朝。二日酔いなど知らない先輩は俺が作った朝食を食べて目を丸くしていた。因みにゆかりさんとゆかりは青い顔をしながらまだ寝ている。たまにうなされているから少し心配だ。

「いつも作ってましたから」

 麦茶の入った容器をテーブルに置きながら答える。

「へぇ、これなら毎日食べたいな」

「ありがとうございます」

 笑顔で美味しいと言われて嬉しくない人はいない。素直にお礼を言った。

「それにしても、よく寝てるなー。お酒でも飲ませたの?」

 味噌汁を啜りながら先輩。どうやら、昨日の記憶がないらしい。

「先輩のせいですよ」

「え? 私、飲ませちゃった?」

「いえ……飲ませたわけじゃないんですけど……」

 何だか、言葉にすることを躊躇するような内容なので口を噤んでしまった。

「なら、大丈夫か。ご馳走様でした」

「……」

 手を合わせてお辞儀をした先輩をちょっと可愛いと思ってしまい、首を振って頭を切り替える。

「お粗末様でしたっと」

 先輩の使っていた食器を持ってキッチンへ向かう。ついでに冷蔵庫の中を覗いて食材の有無を確認する。

(うーん、買いに行かないとな。昨日でほとんど使っちゃったし)

「それじゃそろそろ帰るよ。結構、長居してしまったからね」

 キッチンから先輩の方を見るとすでに帰る支度を終えていた。

「あ、待ってください。送っていきますよ」

「夜でもないのに送ってくれるのかい?」

 現在の時刻は午前10時だ。俺も先輩も少し起きるのが遅くてこのような時間になってしまった。本当に今日が休みでよかった。

「いえ、そう言うわけでは……」

 『食材を買いに行くついで』と言おうとした瞬間――。







 ――やめておかねーか? なんか、嫌な予感がする。ほら、徒歩で行こうぜ。







「……ちょっと嫌な予感がしまして」





 ――何故か、そう呟いていた。




「? まぁ、いいや。それじゃ行こうか」

「え? あ、はい」

 不思議に思っていると先輩が先に行ってしまう。急いで出かける準備をしてから先輩を送るついでに買い物して来ることをメモに残してその後を追った。

「いい天気だね」

「そうですね」

 そんな他愛もない話をしながら道を歩く。

「そう言えば、先輩の家ってどこら辺なんですか?」

「ああ、それは」

 先輩によると先輩の家は少しだけ遠いようだ。でも、電車を使うほどではない。なので、このまま歩いて行くことになった。

「それにしても、まさかこんなことが起きるなんてな」

 その途中で先輩がボソッと呟く。

「現実は小説より奇なり、ってことですかね」

 そりゃ、ソフトが現実世界に召喚されたとなれば驚くに決まっている。俺自身、『これは夢ですよ』と言われれば信じるだろう。

(でも……)

 ゆかりを助けた時の水の冷たさは本物だった。後少しでも遅ければ彼女はそのまま――。

「ッ……」

 思わず、身震いしてしまった。

「どうしたんだい? 後輩君」

 それを見ていた先輩が不安そうに聞いて来る。

「いえ、何でもないです。先輩の話って結局、何だったんですか?」

「あー……また今度ね」

 俺の質問を先輩ははぐらかした。その顔は少しだけ青い。彼女にとって辛い思い出なのだろうか。

「じゃあ、質問を変えますね。先輩の話と今回の件、関係ありそうですか?」

「……それは、わからない。それほど君たちが巻き込まれている事件は謎だらけさ」

 肩を竦めてため息を吐く先輩。まぁ、確かに今のところてがかりは3年前と13年前というワードのみ。情報がなさすぎる。

「それで? 後輩君はどっちがいいんだい?」

「え? どっちとは?」

 意味が分からず、聞き返した。しかし、すぐに後悔する。先輩の顔がにやついていたのだ。

「何って決まってるじゃないか。ゆかりさんとゆかり。どっちがいいんだい?」

「……えっと、どういう意味でしょうか?」

「んもう、はぐらかしちゃって。好みだよ好み。大人しくてとても君のことを信頼しているゆかりさん。元気があって君のことが好きで好きでたまらないゆかり……どっちが好き?」

「そんな目で2人を見た覚えなんて……なんて……」

 思い出されるのは2つの光景。

 1つはゆかりさんが消えてしまった日、2人で気持ちを伝え合った時のゆかりさんの微笑み。

 1つは昨日、俺を見上げて『好き』と言ってくれたゆかりの笑顔。

「……」

「……あれ? あながち、間違いじゃなかった?」

「そ、そんなこと、ないですよ!」

 駄目だ。今はそんなことを考えている場合ではない。とにかく3年前と13年前の共通点を――。





 ――バチッ!





「くっ……」

 その時、頭に電流が走った。一瞬だけだったが思わず、その場で立ち止まってしまう。

「こ、後輩君!? どうしたの!?」

 ふらつく俺の両肩を掴んで先輩が支えてくれた。

「ありが――先輩!」

「きゃっ」

 顔を上げてお礼を言おうとした時、先輩の頭上に向かって落ちて来る植木鉢を見つけて反射的に先輩ごと前に倒れ込んだ。すぐに後ろから植木鉢の割れる音が聞こえる。何とか躱せたようだ。

「ごめんなさい! 大丈夫ですか!?」

 その声を聞いて上を見上げるとマンションのベランダからこちらを見下ろす女性がいた。あそこから落ちて来たらしい。

「はい、大丈夫です!」

 女性に俺たちの無事を報告して立ち上がる。

(さっきの頭痛は一体……)

「後輩君、ありがと」

 謎の頭痛について考えようとするもまだ地面にへたり込んでいる先輩が先だ。

「いえ、無事でよかったです」

 そう言いながら手を差し出す。彼女は素直に俺の手を掴んで立ち上がった。

「それにしても危なかったな。まさか植木鉢が落ちて来るとは……」

「……ええ、そうですね」

 マンションを見上げて不満げに語る先輩だったが、俺は他のことを考えていた。

(あの頭痛……ゆかりの写真を見た時にも襲って来た。何かかんけ――)




 ――バチッ!




 また頭痛だ。それと同時に背中が凍りつくような錯覚に陥り、先輩の腕を引っ張った。

「え?」

 突然、腕を引っ張られた先輩は俺の胸にぶつかる。そのまま右腕だけで抱きしめて思いっきり、前にダイブした。その直後、背後から凄まじい轟音。

「はぁ……はぁ……」

 大して動いていないのに汗が止まらない。この感覚は久しぶりだ。もう二度と味わいたくないと思っていた――死の感覚。

「こ、後輩君……これは、一体?」

 俺の下敷きになっている先輩は後ろを見て声を震わせていた。無理もない。

「……何が起きてんだよ」

 体を起こして顔だけで背後の様子を窺う。





 先ほどまで俺たちが立っていた場所に電柱が倒れていた。









 ――バチッ!


「先輩、危ない! ぐはっ」


 ――バチッ!


「先輩! ごばっ!」


 ――バチッ!


「せんぱっぎゃん!」


 ――バチッ!


「がはっ」


 ――バチッ!


「ちょっ」


 ――バチッ!


「まっ」


 ――バチッ!


「あだっ」










「はぁ……はぁ……」

「こ、後輩君……大丈夫?」

「だい、じょうぶじゃ……ないです」

 何だ。何が起きている。

 満身創痍な体を眺めながら俺は混乱していた。そのせいか最後に俺の頭に直撃したタライを回収していたのに気付く。あのまま捨てておくのも気が引けるから持って帰ろう。でも、どうして少しだけ水滴が付いているのだろうか。

「一回、後輩君の家に戻ろう。ここからなら後輩君の家の方が近い。まずは傷の手当てを」

「い、いえ……このまま行きましょう」

 先輩の提案を首を振って拒否した。軋む体に鞭を打って歩き出す。嫌な予感がするのだ。

(あの頭痛がする度……先輩の身に危険が迫ってる)

 俺の考え過ぎかもしれないが、どれも先輩の命を狙っているとしか思えない事故ばかりだ。最後のたらいはよく分からなかったけど。

「でも……」

 歩き出した俺に先輩は辛そうな眼差しを送って来る。その視線の真意はわからなかった。

「後輩君……あのね」

 すぐに先輩は何かを決意したような表情を浮かべ、声をかけて来る。しかし――。








 ――バチッ!!







 ――その時、今までで一番、激しい痛みが俺の頭を襲う。その痛みは俺に忠告してくれた。死ぬぞ、と。ほぼ同時に背後でドン、と何かがぶつかる音が聞こえた。タライを投げて先輩の手を掴み急いで右に飛ぼうとするがその直後、再びあの頭痛が襲った。まるで、逃がさないぞと言っているように。このまま、左右に跳んでも俺たちは死ぬ。そう悟った。

(ならッ……)

 先輩の体を抱きしめて近くの木に向かってジャンプする。その木を右足で蹴ってすぐに隣に立っていた木を左足で蹴る。出来るだけ高く跳べ、と祈りながら。

「ぐっ……足曲げて!」

 左足に鋭い痛みが走り、空中でバランスを崩しそうになったが根性で踏ん張る。それと同時に先輩に向かって叫びながら俺も両足を曲げて体を丸めた。

 その後すぐに俺たちの足すれすれを猛スピードで車が通り過ぎて行く。俺たちの後ろで衝突事故が遭ったらしく、コントロールの効かなくなった車が歩道に侵入し、俺たちに向かって突進して来ていたようだ。救いだったのはその車の高さが低かったこと。トラックだったら俺たちはあのまま――。

「後輩君、これってもしかして」

 さすがに先輩も気付いたようだ。

「ええ……先輩、何か悪いことでもしました?」

 先輩の命が狙われている、何かに。
















「ただいま」

「……」

 あの後、摩訶不思議な頭痛は起きなかった。そのおかげで俺たちは無事に俺の家に帰って来られた。

「あれ、お兄さん? 先輩を送りに行ったんじゃ……って、どうしたのその怪我!?」

 俺の声を聞いて不思議そうにお出迎えしてくれたゆかりだったが、俺の姿を見て目を丸くする。

「色々あってね……それよりそっちこそ大丈夫?」

「思い出させないで。お願いだから」

 記憶はあるらしい。これ以上触れない方がいいようだけど。

「……それより、そのタライ何?」

「気にするな」

 幸運と言っていいのかわからないがタライも無事だった。玄関に立てかけておく。

「そう言えば、ゆかりさんは?」

 さっきのことを皆で話し合おうと思っているのでゆかりに問いかけた。

「朝ごはん作ってるよ。お昼ご飯って言った方がいいかな」

「そっか。なら食べながら話そうか」

「……何か、あったの?」

 俺の怪我を見たからか何か起こったことを悟ったようで心配そうに聞いて来る。

「それが……いまいち、俺たちも状況が飲み込めなくて」

 先輩の命が狙われていることはわかった。しかし、何故狙うのか。どうやってあの怪奇現象を起こしたのか。あの頭痛の正体は何なのか。わからないことだらけだ。

 首を傾げながら居間に移動し、キッチンにいるであろうゆかりさんに声をかけた。

「ゆかりさん、ただいま」

 後ろに先輩とゆかりを従えてキッチンを覗くとゆかりさんは大根を切っていた。朝の味噌汁は二人前しか作っていなかったのでもうないから新しく作るようだ。

「あ、マスター。おかえ……って、どうしたんですか!? 転んだんですか?!」

 そうだったらどれだけよかったか。俺を見て目を丸くするゆかりさんを見ながらそっとため息を吐く。

「は、早く手当てをしなくては!」

 慌てたのか叫びながらゆかりさんは少し強めに手に持っていた包丁を置いた。






 ――バチッ!





「ッ――」

 頭痛のせいで歪む視界の中、ゆかりさんが持っていた包丁の刃が根元から折れ、先輩の首に向かって真っすぐ飛んで来るのが見えた(・・・)。それと同時に素早く先輩の前に移動して右手を前にかざす。包丁の刃はゆっくり(・・・・)と右手の指の間を通り、タイミングを見計らって指を閉じた。

「……」

 誰も言葉を発さない。無理もない。突然、包丁が折れて先輩の方に飛んで行き、それを俺が片手真剣白刃取り(・・・・・・・・)したのだから。

「ま、マスター!? 大丈夫ですか!?」

 しばらく折れた包丁を見て呆然としていたゆかりさんが駆け寄りながら叫ぶ。

「ああ、大丈夫だよ」

 少し指の皮が剥けてしまったがたいしたことではない。

「後輩君……君は今、何を」

 先輩の声は震えていた。包丁が飛んで来た恐怖と目の前で見た俺の不可解な行動で気が動転しているらしい。

「何をって……普通に包丁の刃を掴んだんですけど」

「そんなことできるわけがッ……あ、いや。後輩君ならできなくもないか」

「いやいや、無理に決まってます! 包丁の刃、ものすごいスピードで飛んでましたよ!?」

 何故か自己解決した先輩にゆかりさんが噛みついた。まぁ、先輩は俺の『過去』を知っているようなので納得してくれたらしいが、普通の人はそう簡単に飲み込めるはずがない。

「あー……お兄さんの反射神経は世界一って言われてるから」

「せ、世界一って……大げさな」

「「……」」

 ゆかりさんは首を振って否定するもゆかりと先輩は顔を見合わせて肩をすくめた。

「はいはい、それ以上はもういいでしょ。それよりも変なことが起きて」

「変なこと、ですか?」

「うん、お昼でも食べながら話すよ」

 そう言いながら包丁の刃をゴミ箱に捨ててキッチンに入る。見たところ、お昼はおにぎりとお味噌汁にする予定だったようだ。ゆかりさんはまだ簡単な物しか作れない。本人はもっと本格的な物を作りたいみたいだが、慣れるまで凝った物は禁止にしている。

「あ、待ってください。私も手伝います」

 それから10分ほどでお昼ご飯は完成し、先ほど起きたことをゆかりさんたちに話した。

「先輩の命が……」

 話し終えてすぐにゆかりさんが顔を青くしながらそう呟く。目の前に命が狙われている人がいるのだ。ショックを受けるのも無理はない。

「でも、今のところ全部、防いだんでしょ?」

 3杯目の味噌汁を啜りながらゆかりが俺に問いかけて来た。

「何とかね。こんな有様だけど……」

「そう、問題はそこなんだよ。どうして、お兄さんは先輩の危機を察知できるの?」

「俺もわからない。ただ突然、電流が走ったような頭痛がして」

「頭痛……もしかして、先ほども?」

 包丁の刃が折れた時のことを言っているのだろう。俺はゆかりさんに頷いてみせる。

「あの、私の勘違いなら申し訳ないのですが……マスターがその頭痛に襲われているところを見たことがあります」

「え!? それは本当かい!?」

 ゆかりさんの発言に先輩は目を丸くして驚愕した。俺の頭痛は先輩の命の危機を察知して起こるものだと思っていたからだ。

「ゆかりさん、それいつ!?」

「その……従妹の写真が変わる直前です」

 ゆかりの方をチラリと見ながら言いにくそうに話す。まぁ、デリケートな話なので言ってもいいのか迷ったのだろう。本人は全く気にしていないようだが。

「じゃあ、あの頭痛は一体なんなんだ?」

「少なくとも私の命の危機を察知するわけではないようだね」

「あ……」

 今度はゆかりが声を上げた。何事かと全員が彼女に目を向ける。

「え、いや……私も見たことがあったような気がして」

「ゆかりも?」

「うん、落石事故の直前、私を追いかけてたお兄さんが突然、頭を押さえてたから」

 『それに頭痛って言ってたし』とそう締めくくるゆかり。十中八九、俺はその時、頭痛に襲われていた。やはり先輩の命の危機を感知するわけではないらしい。

「でも、それなら頭痛が起きる法則がわからないな……」

 うーんと唸りながら呟く先輩の湯呑にお茶を注ぎながら考える。

(頭痛が起きたのはゆかりの写真が変わった時、落石事故の時、先輩の命に危機が迫った時……そして――)






 ――3年前にも俺はこの頭痛に襲われていた。そう、あの日に。






「……」

「マスター?」

 心臓が痛くなって右手で押さえているとゆかりさんが首を傾げながら声をかけて来た。

「ううん、何でもないよ」

「そうですか?」

「うん」

 3年前のことは誰にも話したくない。ゆかりと先輩は何か知っているようだけどゆかりさんだけには知られたくなかった。






 だって、あいつ(・・・)が死んだのは全て、俺のせいなのだから。






「先輩、お願いがあるんですが」

 ゆかりさんとの会話を切り上げて先輩に話しかける。

「ん? 何だい?」

「ここに住んでください」

「「「……はいっ!?」」」

 俺の提案を聞いた3人は目を丸くして声を荒げた。言葉が足りなかったらしい。

「えっと、先輩は今、命を狙われてます。それを感知できるのは俺だけです。なので、出来るだけ俺の傍から離れないで欲しいんですよ」

「た、確かにそれはそうなのだが……この部屋じゃ狭くないかい? 4人も住めないと思うんだけど」

「あ、大丈夫ですよ。俺はどっかそこら辺の床で寝ますから」

 運よく寝袋があるのでそれを使おうと思う。今の内に日光に当てておこうか。

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 寝袋を出そうと立ち上がったらゆかりさんに右手を引っ張られて止められた。因みに左手はゆかりに捕まっている。

「どうしたの?」

「どうしてそうなるんですか!? 唐突すぎません!?」

 すごい剣幕で俺に詰め寄るゆかりさん。ゆかりさんの言いたいことはわかる。俺を襲う頭痛が先輩の命の危機を察知するのかわからない。そんな不確定要素が多いのにわざわざ先輩をこの家に住まわせようとしているのだ。何が起こるかわからないのに。でも――。

「俺の知り合いが死ぬところはもう見たくないんだよ」

 自分でも恐ろしいほど低い声で言ってしまった。それを目の当たりにしたゆかりさんはビクッと肩を震わせて俺の手を離す。

「はい、この話はここでお終い! 先輩、必要な物を紙に書いておいてください。後で買って来ますので」

「あ、ああ……」

 戸惑いながら頷く先輩を見て急いで部屋から出る。一刻も早くゆかりさんの前から逃げたかったのだ。

「……」

 色々な物を収納している物置に体を突っ込んで埃まみれの寝袋を取り出した。

「何やってんだよ、俺……」

 寝袋の埃を叩き落としながら呟く。


 よりにもよってゆかりさんに当たるなんて俺はなんて弱い奴なのだろうか。

















「……」

 マスターが慌てた様子で部屋を出て行ってから私たちはずっと黙ったままでした。

(あの目は……)

 私が先輩をこの家に住まわせることに文句を言った時にマスターから向けられた目はとても恐ろしいものでした。そう、私をナンパから助けてくれた時に見たあの目です。まさか自分に向けられるとは思わず、背筋が凍りついてしまいました。

「ゆかりさん、大丈夫?」

 体の震えが止まらないのを見たのか従妹が声をかけてくれます。

「は、はい……大丈夫です」

「……きっとお兄さんもゆかりさんの言いたいことはわかったと思うよ。でも、ちょっとデリケートな話だからさ」

 私が文句を言ったのは何もライバルを増やしたくないからではありません。まぁ、少しはそういうのもありましたが……このまま、先輩をこの家に住まわせたらマスターが傷ついてしまいそうな気がしたのです。何か取り返しのつかないことが起きそうだと予感したのです。

「ごめんね、ゆかりさん。私のせいで」

 俯いたまま謝る先輩はすごく落ち込んでいました。

「いえ、先輩のせいではありません。顔を上げてください」

「私が狙われなかったらこんなことにはならなかった。君にも後輩君にも辛い思いをさせなくて済んだのに。やっぱり、断って――」

「それだけはやめた方がいいと思う」

 先輩が立ち上がろうとしましたが従妹がそれを止めます。その目はとても鋭く先輩は半端な姿勢のまま、動けなくなってしまいました。それは先ほどのマスターの目と同じものでした。

「先輩も何か知ってるんでしょ? 3年前の事件」

「……」

 また『3年前』。私はその単語を聞く度に心がもやもやしてしまいます。自分だけがのけ者にされているような感覚。いえ、実際にそうなのです。私はマスターの過去を何も知らないのですから。

「……ああ、知ってる。いや、知ってるじゃないな」

 どこか諦めたような先輩はチラリとマスターが消えて行った扉の方を見ます。マスターの気配はありません。マスターに聞かれたくないことなのでしょう。

「3年前。あの電車事故……違うか。あのテロ事件で生き残ったのは2人。それ以外は皆、死んだ」

「ッ……その生存者ってまさか」

 私は目を丸くして呟きます。3年前の事件がそこまで酷いものだとは思いもしなかったからです。電車事故だと言っていたので酷くても脱線事故だと思っていましたから。

(それが、まさか……テロ事件だったなんて)

 驚愕している私を見て少しだけ顔を曇らせる先輩でしたが、一度だけ深呼吸した後、はっきりと言い放ちました。

「生存者は2人。1人は左足を銃で撃たれ、もう1人は怪我をした彼に守られていたから無傷……ここまで言えばわかるかな」







「私は……3年前のテロ事件で後輩君に守られた生存者なんだ」







 それを聞いた私たちは思わず、息を呑んでしまいます。

「で、ですが……先輩は生き残ってますよね? じゃあ、どうしてマスターはあんなに?」

 マスターは言いました。もう知り合いが死ぬところを見たくない、と。でも、先輩は生き残っています。

「「……」」

 先輩と従妹はまた黙ってしまいました。それだけで私の発言が間違っていることを察しました。

「お願いします。教えてください……何も知らないまま、マスターを傷つけたくないんです」

 先ほど私はマスターを傷つけました。何も知らなかったからこそマスターの触れてはいけない部分に触れてしまったのです。そのせいでマスターにあんな目をさせてしまった。そして、今マスターは私にあんな目を向けてしまったことを後悔しています。部屋を出て行く時に見えた横顔が後悔の色に染まっていました。

「……私も聞いただけなんだけどさ。お兄さんには仲のいい友達がいたの。親友だって。いつも一緒にいたんだって」

 長い沈黙の後、従妹がそっと口を開きます。

「あの日、いつものように2人で大学に向かってた。でも生憎の雨で自転車は使えず、電車で行くことにした。そして……あの事件に巻き込まれたって」

「ああ、そうだ。私は事件に巻き込まれてすぐ後輩君たちと会って一緒に行動することにしたんだ。何とか3人でテロリストたちを倒してたんだけど……私と後輩君の親友が狙われて後輩君が動揺している時に拳銃に撃たれて動けなくなってしまった。そして……後輩君の親友が後輩君を庇って撃たれて死んでしまった」

 従妹の説明を先輩が引き継ぎましたが、顔が歪んでいます。先輩の話を聞いて私と従妹は絶句していました。まさかマスターがこんな壮絶な経験をしているとは思わなかったからです。従妹もそこまで知らなかったようで言葉を失くしていました。

「それから後輩君は入院生活を送り……最終的に私が勤めていた会社に入社し私の後輩になった」

「そんな、ことが……」

 もう言葉が出ません。今のマスターはとても元気で時々変態で……優しい人です。全く知りませんでした。想像すらできません。

「まぁ、後輩君がここまで立ち直ったのは全部、ゆかりさんのおかげなんだけどね」

「私の?」

 意味がわからず首を傾げてしまいます。だって、私に自我が生まれた頃には今のようなマスターになっていましたから。

「最初は酷いもんだったよ。私が声をかけても全く反応しなかったし。仕事は黙々とやっててすごい不気味だった。テロ事件のお礼を言おうかと思ったけど……あんな後輩君を見てたら『あの時、助けられた人です』なんて言えなかった。髪型とか変えてたから後輩君も気付かなかったし」

「じゃあ、なんでゆかりさんのおかげで元気になったの?」

 私と同じ疑問を持ったのか従妹が質問します。

「言ってたんだ。ゆかりさんを買ったって。その頃から少しずつ後輩君も元気になって来てね。やっぱりゆかりさんのおかげだと思う。私は……何の役にも立たなかったから」

 それが悔しいのでしょうか。先輩はギュッと両手を握って拳を作ります。

「だからゆかりさん、君に一つ頼みがある」

「頼み、ですか?」

「後輩君を元気付けるためにデートしてやって欲しい」

「……はい?」















 自己嫌悪のせいでしばらくその場から動けなかったがそろそろ戻らないと余計心配させてしまう。

「いやー、寝袋がどこにあるのかわからなくて時間かかったよ」

 そんな嘘を吐きながら部屋へと戻る。

「うぇいッ!?」

 その瞬間、ゆかりさんが見ているこっちが吃驚するほど狼狽していた。何かあったのだろうか?

「ゆかりさん、どうしたの?」

「へっ!? あ、いや……その」

 見るからに動揺している。それを見てニヤニヤしている先輩と何故か不機嫌そうなゆかりも気になったが、今はゆかりさんが優先だ。

「もしかして……さっき、俺が睨んだから怖くなっちゃった?」

 ゆかりさんはナンパされた時から少しだけ男嫌いになっていた。俺には心を許してくれていたのだが先ほどの出来事で俺も嫌われてしまったのかもしれない。

「違います!」

 落ち込んでいるとゆかりさんが首を横に振って否定した。俺の早とちりだったようだ。

「ま、マスター!」

「は、はい!」

 突然、大きな声で呼ばれたので背筋を伸ばして返答する。何を言われるのかドキドキしながらゆかりさんを見ると顔を真っ赤にして俺をジッと見ていた。

「……」

「……」

「……」

「……」

「いや、何か言えよ」

 見つめ合っていると先輩のツッコミが飛んで来た。そう言われてもゆかりさんが何か言ってくれないと俺は動けないのだが。

「その、頼みというのはですね……えっと、お願いがあってですね。だからあの」

 ものすごくモジモジしているゆかりさんがめちゃくちゃ可愛い。

「わ、私と……デートしてください!」

「喜んで!」

「……え?」

 俺の返事を聞いた彼女は目を点にして呆然としている。どうしたのだろうか。

「いいんですか?」

「逆に何で駄目だと思ったの?」

「……妙に納得出来てしまう返しをしないでください」

「でもどうして急に? 俺は嬉しいけど」

「マスターはどこか焦っているようだったので息抜きが必要かなと思いまして」

 確かに今の俺は焦っていた。だからこそ、あんな提案をしたわけだし。

「あ……先輩はどうしよう」

 そうだった。今、先輩は命を狙われているのだ。そんな中、俺たちは遊びに行っていいのだろうか。

「行っておいでよ。私はここで大人しくしてるからさ」

「いいんですか?」

「ああ、今の君はすごく不安定だからね。少しでもストレスを発散して来るといい」

「ゆかりさんのデートが終わったら今度は私だよ。約束ね、お兄さん」

 少しだけ呆れた様子の先輩と頬を膨らませているゆかり。2人とも俺のことを心配しているのが手に取るようにわかった。

「……ありがとう、皆。でも、少しだけ様子を見てからで」

 話し合いの結果、ゆかりさんとのデートは1週間後の日曜日で、デートプランは全く考えず、出かけた先で行きたい場所に行くことになった。先輩が大変な目に遭っているが、焦っても仕方ない。むしろ、焦り過ぎて取り返しのつかないことをしないためにもデートを楽しもう。まぁ、その前に携帯を買おう。壊れたままだった。

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