5
私は、誰なのだろう?
私は、結月 ゆかりではない。それはわかっている。
ならば、私は誰なのだろう? 誰だったのだろう?
「私は、誰?」
思わず、声に出して呟いてしまい、ハッとする。
「あ、あれ?」
キョロキョロと辺りを見渡すが、見覚えのない場所だった。どうやら、いつの間にか変な場所に迷い込んでしまったらしい。
「……はぁ」
ため息一つ。
「ん?」
その時、耳が何かの音をキャッチした。
(この音は……水?)
音は右の方から聞こえて来る。何となく、そっちへ行ってみた。
「あ……」
河川敷に出た。川の名前は確か、音峰川だったと思う。水が夕焼けを反射していてとても綺麗だった。
「……はぁ」
ため息二つ。
(どうして、こんなことになっちゃったんだろう……)
私はただ、お兄さんの傍にいたかっただけなのだ。
あの日――私とお父さんが乗った自動車が事故に遭った日に強く願った。
――お兄さんの傍にいたかった、と。
その願いが叶ったのか、私はほぼ無傷……いや、違う。お父さんが私を守ってくれたのだ。だからこそ、私は今、ここで生きている。
それなのに、お父さんがそこまでして守った命が本物なのか、わからない。お父さんが守ってくれた命に価値があったのかも、わからない。本物ではなかったら、私の存在に意味など無いのだから。
「……」
気付けば、私は河川敷――いや、音峰川の方へ歩いていた。
(お父さん……ごめんなさい。こんな私のために、その身を犠牲にさせちゃって……ごめんなさい)
この罪を償うにはどうしたらいいのだろうか?
それは、簡単だ。
この身を持って、償おうではないか。こんな意味のない命に何の価値もないのだから。
「……」
季節は秋。そろそろ、寒くなって来る季節である。
その川へ私は、入った。
(あれ……冷たくない)
不思議と川の水は冷たくなかった。ならば、もう気にすることはない。このまま、進んでしまおう。
ジャバジャバと水をかき分けて進む。どんどん、体が沈んでいく。
(本当に……私の人生って、何だったんだろう?)
自分の記憶さえ、本物かわからないのだ。
あの日の、お兄さんの、言葉でさえも――。
「……はぁ」
ため息三つ。スリーアウト。人生と言う名の試合はここでゲームセットだ。
「さようなら、お兄さん」
この川は深いようで、もう顔すら沈んでしまいそうだ。ここで、膝を曲げれば私の顔は水の下に沈む。
不思議と怖くはなかった。
ゆっくりと、膝を曲げて私は水の中へ沈んだ。
目を閉じているから周りの様子はわからない。でも、どんどん川底へ沈んでいるのはわかった。もうすぐで肺の中に残っている酸素を使い果たし、私の命は果てる。
(これで、よかったんだよね? お兄さん)
最期くらい水の中から夕焼けを見よう。そう思って体を捻って顔を上に向けて、目を開けた。
「ッ……」
沈んでいく私に向かってお兄さんが手を伸ばしていた。
(どうして!?)
目を見開く私の手を掴んで引っ張るお兄さん。抵抗しようにも体に力が入らず、私はどんどん浮上していく。
「ゆかり! しっかりしろ!!」
水面に顔を出してお兄さんが私を呼んだ。
「お、にいさん……どうして」
しかし、私はどうしてここにお兄さんがいるのか気になった。
「それは後! まずは、陸に上がろう!」
「嫌!!」
それを拒否した。
「何で!?」
「私はもう、どうしたらいいのかわからないの! 何を信じていいのかわからない!! 嫌だよ! 自分自身が何者なのかわからず、生きていくなんて!! 私は何を信じて生きて行けばいいの!?」
「なら、俺を信じろッ!!」
――俺を信じて!
「ッ!?」
私はその言葉を聞いて驚いてしまった。でも、お兄さんは叫び続ける。
「ゆかりが何者なのかなんてどうだっていい!! お前はお前なんだよ!! それでいいんだ!! 何も信じられなくなったんなら、俺の言葉を信じればいい! だから、生きろ! ゆかり!!」
「……」
何も、言えなかった。
「ほら、行くぞ」
「……うん」
その後、私たちは無事に陸に上がることが出来た。
「はぁ……はぁ……」
人一人を抱えて泳ぐのは大変だった。陸に上がった頃には俺は肩で息をしていた。
「はぁ……はぁ……」
俺の隣でゆかりも息を荒くしている。
「お、お兄さん……」
「お前はバカかッ!!」
思わず、絶叫してしまった。
「ひぃっ」
「何で、死のうとしたんだ!?」
「そ、それは……自分が何なのかわからなくて……私を守って死んだお父さんに申し訳なくなって……」
「なら、お前が死んだらお前のお父さんが帰って来るってか? ふざけんのも大概にしろよ!? 確かに、あんな写真見たら混乱するのも分かる。だからって、死のうとすんじゃねーよ! そんなことしても帰ってこないんだよ!!」
今のゆかりを見ていると過去の俺を見ているようだった。俺もそんなことをしようとしたことがあったから。
「ご、ごめんなさい……」
俯いてゆかりが謝った。
「……まぁ、何ともなくてよかったよ」
ポンと彼女の頭に手を乗せる。つい、昔の癖が出てしまったようだ。
「本当に、ごめんなさい」
だが、ゆかりは泣き出してしまった。
「えええええ!? ご、ゴメン!?」
そんなに怖かったのだろうか?
「違うの……違うんだよ、お兄さん」
涙を拭いながらゆかり。
「違うって?」
「嬉しいの。お兄さんがお前はお前だって言ってくれたから……私は、私でいいんだね」
「う、うん……俺はそう思うよ」
無意識で叫んでいたので、改めて確認されるとちょっと困ってしまう。
「うん……私は私。うん。そうだね、私だもんね」
「ゆかり?」
「お兄さん……本当にありがとう」
ギュッと俺の両手を握ってゆかりがお礼を言った。
「そんなに感謝されること?」
「そりゃ、そうだよ……私、自分自身のことはあまり信じられなくなったけど、お兄さんの言葉なら信じられるの」
「俺の、言葉なら?」
「13年前……落石事故に巻き込まれて不安だった私にお兄さんが言ってくれたから。『俺を信じて』って」
それを聞いて一瞬だけ、脳裏にノイズが走った。
(何か、思い出しそうになった……?)
その何かはわからない。でも、すごく大切なことだったと思う。
「って、お兄さんは覚えてないんだよね」
「あ、ああ……ゴメン」
「ううん、いいの。退院したお兄さん、落石事故の記憶が全く、なかったから」
『頭に岩が直撃してたし……』と少しだけ目を逸らしながらゆかりが呟く。想像しようとしたが、痛そうだったのでやめた。
「……帰ろうか」
立ち上がって俺はゆかりに手を差し伸べる。
「……うん!」
ゆかりは笑顔で頷いて、俺の手を握った。そのまま、立ち上がらせる。
「あ、お兄さん」
歩き出してすぐ、後ろから声をかけられた。
「何?」
反射的に振り返った。
――チュッ。
そして、唇に柔らかい何かが触れる。
「……ッ!?」
何が起きているのかわからず、体を硬直させてしまった。
(え!? えええええええええええええ!?)
数秒後、自分がゆかりにキスされているのだと理解し、慌てて後ろに下がってゆかりから離れる。
「お、お前!? 何やって!?」
「ふふふ……お兄さんが悪いんだよ?」
顔を紅くしたまま、ゆかりは不敵な笑みを浮かべた。
「はぁ!?」
「もうちょっと、様子を見てから行動しようと思っていたのに、お兄さんがあんなこと言っちゃったから……本気で好きになっちゃった」
「好きって……Like?」
「NO……Love」
Oh。
「ちょ、ちょっと!? 何で、俺!?」
そんな素振りみせていなかったのに。
「ずっと前からだから、覚えてない……けど、これだけは言える。今でも私、お兄さんのことが好きだよ?」
そう言って俺に抱き着いて来た。
「ゆ、ゆかり!?」
「お兄さんは……きっと、ゆかりさんが好きなんだよね?」
「ッ……ああ」
これだけは断言出来た。
「そう……なら、頑張らないと」
「頑張る?」
「お兄さん、覚悟しててね? 絶対に振り向かせちゃうんだから」
俺を見上げて笑いながらゆかり。その顔は夕焼けに照らされてとても綺麗だった。
「……はぁ」
さりげなくゆかりを体から引き剥がしながらため息を吐く。
(何で、こうなるかなぁ……)
でも、思ったよりもゆかりが元気そうでよかった。
「帰ろうか」
「うん!」
頷いた彼女を見て歩き出すがすぐにゆかりは俺の腕に抱き着く。
「お前なぁ……」
「いいでしょ? 今、ものすごく寒いんだからお互いに暖め合わないと」
「……それは、言えてる」
秋にずぶ濡れのまま、外を歩くのはかなり辛い。
「でも、歩き辛い!」
「我慢我慢」
「やっぱり、離れて」
「えー?」
「いいから!」
「嫌だ!」
そんな言い合いをしながら、結局、家に着くまでゆかりを引き剥がすことは出来なかった。
今回は誰も傷つかなかったけれど、すでに何かが動き出している。これから俺たちは色々なことに巻き込まれることになるかもしれない。辛いことになるかもしれない。
でも、それでも――俺は生きる。それが、あいつとの約束なのだから。
「「ただいまー」」
家に着いて俺たちは同時に挨拶する。
「てか、家に着いたから離れてよ!」
「いいじゃん! 私はもう、本気なんだから!」
「いや、これとそれは別でしょ!」
「それでもいいの!」
仕方なく、ゆかりをくっ付けたまま、部屋に入った。
「おかえりなさい」「おかえり、後輩君」
何故か、先輩がいた。ゆかりさんと一緒にお茶を飲んでまったりしている。
「せ、先輩!? どうしてここに!?」
「3年前の話をしようと思って来た。電話はしたんだけどね?」
「そんなはず……あ!?」
携帯電話をポケットに入れたまま、川に入ったので壊れてしまったようだ。ボタンを押しても動かない。
「そんなことより、これはどういうことかな?」
そこで、俺にくっ付いているゆかりと湯呑を傾けてお茶を飲んでいるゆかりさんを交互に見ながら先輩がジト目で俺を見た。
「な、何がでしょう?」
「君の家には従妹がいるのは知っていた……だが、どうしてボイスロイドの結月 ゆかりとこれほどまでに酷似している? そして、君の腕を抱きしめている子も結月 ゆかりに似ている。あり得ないだろう?」
「ッ!? 結月 ゆかりを知っているんですか!?」
「これでも私、暇なときは動画を見るのが趣味でね。特にゲーム実況。それによく、結月 ゆかりが使われているからね」
マズイ。結月 ゆかりを知らない人ならば、双子だと言って誤魔化すことは出来る。しかし、結月 ゆかりを知っているのならば、話は別だ。
「説明して貰うよ、後輩君?」
ずいっと俺に顔を近づけながら先輩。
また、一波乱ありそうだ。
いい感じですね♪
ですが、まさかあの子が近づいて来るとは……。
これは、何か、対策を立てないといけませんね。
さて、どうしましょうか?




