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私がまた三次元に召喚されてから3日が経ちました。
「暇ですねー」
マスターは仕事。従妹は学校に行っているので私は一人でお留守番です。ですが、家事は一通り終わらせてしまったので、することがありません。
(外に出るのは……まだ、怖いですし。うーん、どうしましょう?)
「うわっ!?」
腕を組んで悩んでいると、突然、電話が鳴りました。思わず、悲鳴を上げてしまいます。
「で、電話……」
今、この家にいるのは私だけ。ですが、私は電話に出たことがありません。それに、この家はマスターの家です。勝手に出てしまっていいのか判断出来ませんでした。
「よ、よし」
いつまで経っても電話が鳴り止まないので、そっと受話器を持ちます。
「もしもし……」
『あ、もしもし? ゆかりちゃん?』
知らない女性の声でした。
「えっと……」
『あ、ごめんなさい。わからないわよね』
「え?」
それから、電話を掛けて来た相手は名前を言いました。その苗字はマスターと同じものでした。
(もしかして、マスターのお母さん!?)
心臓が飛び出るかと思いましたが、何とか飲み込みます。
『どう? あの子、ゆかりちゃんに迷惑かけてない?』
「いえ、マス――お兄さんはよくしてくれています」
『そう? よかった……って、あれ? どうして、お昼前に家にいるの? 学校は?』
そう言えば今、従妹は学校に行っています。このままでは従妹がサボっていると誤解されてしまいます。
「きょ、今日は開校記念日なので、休みなんですよ」
『あ、そうなの。まぁ、上手くやっているようで安心したわ』
マスターのお母さんはホッと安堵のため息を吐きました。
『今日は、様子を聞きたかったからこれで切るわね、それじゃ』
「あ、待ってください!」
マスターのお母さんが電話を切りそうになった時、私はそれを止めます。3日前、従妹が言っていたことを思い出したのです。
『どうしたの?』
「その……」
私は深呼吸してからマスターのお母さんにあるお願いをしました。
「ただいまー」
ゆかりさんが召喚されて1週間が過ぎた。その間、何も起こっていない。しかし、その代わりに何もわかってもいなかった。
俺は玄関のドアを開けながら挨拶する。
「おかえりなさい、マスター」
微笑みながらゆかりさんが出迎えてくれた。
「あれ? ゆかりは?」
いつもならゆかりさんと競うように出て来るのにいなかったので首を傾げる。
「部活で遅くなるそうです。先ほど、電話で言っていました」
「そっか……確か、運動部だったからお腹空かせて帰って来るね。今日はスタミナが付く料理にしよっか」
「わかりました、お手伝いします」
「うん、ありがとう」
ゆかりさんと一緒にキッチンに向かおうとした矢先、玄関のチャイムが鳴った。
「あ、はーい」
急いで、玄関のドアを開ける。
「お届け物です。ここにハンコか名前をお願いします」
少し大きめの段ボールを持った配達員のお兄さんだった。
「ちょっと待っててください」
一度、部屋に戻ってハンコを手に取り、玄関に戻る。
「はい、どうぞ」
「確かに。それでは」
段ボールを受け取って玄関を閉めた。
「母さん?」
どうやら、この荷物を送って来たのは俺の母親のようだ。
「あっ……」
部屋で大人しくしていたゆかりさんが荷物を見て声を上げる。
「どうしたの?」
「それ……私が頼んだ物です」
「頼んだって……まさか、母さんと話したの!?」
「はい。4日ほど前に」
「大丈夫だったの?」
もし、ゆかりさんのことが母さんにばれたらこっちに飛んで来そうで怖かった。
「その点は安心してください。従妹と勘違いしていましたので」
「そ、そっか……それで、この中身は何なの?」
「アルバムです」
「アルバム? 誰の?」
「マスターのです」
「……はい!?」
まさかの俺だった。
「どうして!?」
「詳しく言えば、マスターと従妹が一緒に写っている写真をまとめて送って貰いました」
「俺とゆかりの?」
「はい、マスターは従妹との記憶がほとんど残っていないようです。なので、昔の姿を見たら何か思い出すのではないかと思いまして」
なるほど。ゆかりさんの狙いはわかった。
「俺が思い出せば、13年前と3年前の共通点がわかるってことだね?」
「その通りです。ですが、このことは従妹も知りません。なので、従妹が帰って来る前に一度、見ておきましょう」
「え? どうして? 一緒に見た方がいいんじゃ?」
「……いいから、早く見ましょう!」
何故か、ゆかりさんは譲らなかった。
「わ、わかった」
あまりの剣幕に従うしかなく、段ボールを床に置いてガムテープを剥がす。
「うわ、でっか」
中には分厚いアルバムと小さなアルバムが、入っていた。上のアルバムには俺だけが。下の小さめのアルバムに俺と従妹が一緒に写った写真が入っているらしい。アルバムの上に置いてあった紙にそう書いていた。
「まずは、上から見てみましょう」
そう言いながらゆかりさんが段ボールからアルバムを取り出し、1ページ目を見る。
そこには5歳の俺が全裸のまま、池で遊んでいる写真があった。
「きゃあああああああああああ!?」
「見ないでええええええええ!!」
顔を真っ赤にしたゆかりさんからアルバムを引っ手繰る。
「何で、この写真が一番、最初なんだよ!!」
叫びながら写真を抜き取り、ゆかりさんの目の届かない場所へ放り投げた。
「ま、まま、まま、ま、マ、ます、ますた、ま、ますす、マスターの……あ、あそこが……」
「落ち着け、ゆかりさん。あれは5歳の俺だ。今のモノとは全く違う。だから、落ち着け」
「で、でも……」
ゆかりさんの目に涙が溜まっていく。
(あ、PCの中にいたから……こんなに純情なのか)
「わ、私……初めて、見ました……」
「いや……まぁ、そうだけど」
「あんな、形……何ですね」
「うーん……子供の頃のヤツだから、そんなに参考にならないと思うよ?」
「そ、そうですか?」
やっと、ゆかりさんが落ち着いてくれた。
「それでは、アルバムを見てみましょう」
そう言って、俺からアルバムを奪い取り、2ページ目を開ける。
そこには6歳の俺が全裸のまま、池で遊んでいる写真があった。
「きゃあああああああああ!?」
「何でだあああああああああ!!!」
あの池で全裸のまま、遊ぶのは毎年やっていたことなのだろうか?
その後、俺がアルバムの中にある地雷を除去する作業をした。結構あった。
「それにしても……マスター、可愛いですね」
安全なアルバムになったのでゆかりさんも一緒にアルバムを見ていたら唐突にそう呟いた。
「そうか?」
「はい。だって、今はこんなんなのに昔は本当に無邪気だったんだなって」
「こんなん言うなや」
さすがの俺でも傷ついてしまう。
「さて、マスターの子供の頃はもういいでしょう。では、従妹も一緒に写っている写真を見てみましょうか」
アルバムを置いて段ボールの中にあったもう一つのアルバムを手に取る。
「……マスター」
しかし、ゆかりさんはアルバムを開けずにジト目で俺を見た。
「何?」
「さすがに従妹の前で全裸になっていませんよね?」
「なってるわけないだろ!?」
「ですよね。さすがに……」
「……ゴメン。確認させて」
手を差し出した俺をゆかりさんはものすごく冷たい目で見ていた。耐え切れなくなったので、アルバムを奪い取るように貰ってページを捲る。
「……は?」
一瞬、母さんが間違って写真を入れたのかと思った。
「マスター? どうしました?」
「……」
俺は答えられなかった。いや、動けなかったのだ。
「マスター?」
俺の様子がおかしいことに気付いたゆかりさんが後ろからアルバムを覗き込む。
「マスター……この子、誰ですか?」
そして、写真に写っていた女の子を指さしながら問いかけて来た。
「……」
「これ、従妹と一緒に写ってる写真を集めたアルバムですよね? なのに、何で従妹以外の子が写ってるんですか?」
そう、中学1年生の俺ともう一人……ツインテールの女の子が写っているのだ。髪は茶色。歳はだいたい4~5歳ぐらい。
「……ゆかりさん、ここ見て」
やっと動けるようになった俺が写真の横に書いてあった文字を見るように促す。
「……え? 従妹とのツーショット?」
首を傾げるゆかりさん。そりゃそうだろう。
髪型はもちろん、今のゆかりの面影など一切ないのだから。
「あまりにも……似てない」
「はい……マスターの子供の頃は、今のマスターの面影がありました。ですが、この子と従妹は別人って言えるほど似ていません」
――バチッ!
(くっ……)
突然、襲う頭痛。いや、これは頭痛と言っていいのだろうか? 頭痛と言うよりも一瞬だけ電流が走ったかのような感覚。
「マスター?」
俺の様子がおかしいと思ったのかゆかりさんが首を傾げながら問いかけて来る。
「だ、大丈夫……」
そう簡潔に答えながらもう一度、写真を見た。ゆかりさんも俺につられてそれを見る。
「「……え?」」
同時に声を出して呆けてしまう。
「何で……」
「……従妹の顔が」
ゆかりの顔が――先ほどと違う顔になっていた。今度は今のゆかりに似ている顔だ。
(何だよ……これ)
何かがおかしい。今、俺たちの目の前で現実では起きてはいけない現象が起きた。
「マスター……三次元では、これが普通なのでしょうか?」
冷や汗を流してゆかりさんが問いかけて来る。
「ううん。こんな現象、起きない。起きちゃいけない……」
「なら……これは、一体?」
「わからない」
手が震えていた。それでも何とか、ページを捲る。
「ッ……」
そこにあったのは1ページ目と違う女の子が写っている写真だった。その女の子は見たことがある。先ほど、ゆかりの顔になる前のツインテールの子だ。
「さっきの子です」
「そうだね。じゃあ、さっきのあれは――」
そう言いかけたその時、俺たちは見てしまった。
写真に写っているツインテールの子がゆかりの顔になっていくところを。
「は?」
意味が分からない。真実を知るためにまたページを捲る。今度はすぐにツインテールの子がゆかりになった。捲る。
「あれ? ゆかりの顔だ……」
だが、4ページ目にはツインテールの子がおらず、全ての写真にゆかりが写っていた。
「何が、起きているんですか?」
不安なのか俺の袖を摘まみながらゆかりさん。
「俺にも、わからない」
ゆかりさんにあまりにも似ているゆかり。
三次元に再召喚されたゆかりさん。
二人が聴いた声。13年前と3年前と言う単語。
そして……今の出来事。
「……」
「マスター?」
「ッ……な、なに?」
「大丈夫ですか? 顔、真っ青ですよ?」
「……うん、大丈夫」
安心させるためにアルバムから右手を離してポンとゆかりさんの頭に乗せた。
でも、本当はものすごく怖かった。ありえないことが立て続けて起きているのだ。何かが、始まった。何故か、俺はそう思ってしまう。起きてはいけないことが、起こってはならないことが、起こしちゃ駄目なことが、起きた。いや違う。
(あの声の主が……起こした)
それに、その声の主が言っていたそうだ。
――じゃあ、次のステップです! 二人とも、頑張ってくださいね♪
「まさか……これ以上のことが、起きるってか?」
「ただいまー」
「「ッ!?」」
ゆかりが帰って来てしまったようだ。
「あれ? どうしたの?」
居間に繋がるドアを開けたゆかりが俺たちを見て質問して来た。
「い、いや! 何でもない!!」
右手をゆかりさんの頭から離して叫ぶ。しかし、その拍子にアルバムを落としてしまった。
「ん? なにこれ?」
更に運が悪く、アルバムから1枚の写真が抜けて、そのままゆかりの足元に落ちる。首を傾げながら彼女がそれを拾う。
「従妹! 見ちゃ駄目です!!」
「え?」
ゆかりさんの制止を聞かず、ゆかりは写真に目を落とし――見開いた。
「何……これ?」
すぐに立ち上がって、写真を覗き込んだ。丁度、ツインテールの子がゆかりの子供の頃の顔になった瞬間だった。
「え? 何これ……だって、え? これ、私だよね? さっきの子は……あれ?」
ゆかりの様子がおかしい。手が震えているし、息も荒い。とうとう、写真を落としてしまった。
「ゆかり! 落ちつけ!」
ゆかりの肩に手を置いて軽く揺らす。
「お兄さん……今の、写真に写ってたツインテールの子……私なの。でも、今、写ってるこの子も私……あれ? どうして、私の子供の頃の顔が二つあるの?」
ゆかりの目の焦点が合っていない。相当、混乱している。
「従妹! 考えちゃ駄目です! まずは深呼吸しましょう!」
ゆかりさんも心配そうにゆかりの顔を見ていた。
「そうだよ……私の顔は最初のツインテールの子だよ……じゃあ、どうして今の私はゆかりさんの顔なの? どうして、私は結月 ゆかりなの? 私の本当の名前は? 結月 ゆかりって名前になる前の名前は一体? 思い出せない。思い出せない……思い出せない。私は、結月 ゆかりじゃない。私は、私じゃない。なら、私は――誰?」
マズイ。どんどん、呼吸のリズムがおかしくなっている。
「ゆかりはゆかりだ!! だから、安心しろ」
「お兄さん……ねぇ、教えて。私の本当の名前……私は、本当に私なの?」
何かにすがるようにゆかりが俺の目を見ながら問いかけて来た。
「っ……」
俺は、即座に答えられなかった。何故なら、ゆかりに会った頃の記憶を忘れてしまっていたから。
「お兄さんでも……知らないんだね」
顔を真っ青にして、ゆかりが後ずさった。
「ゆかり?」
「……ちょっと、外、出て来ます」
俺たちに背を向けてゆかりは家を出て行ってしまった。
「従妹!!」
ゆかりさんがその後を追う。だが、俺は動けなかった。
「マスター! 従妹が、従妹が行ってしまいます!! 早く、追いかけないと!!」
「でも……」
ゆかりの質問に答えられなかった俺が行った所で、余計、ゆかりを不安にさせてしまうだけだ。
「マスター!!」
ゆかりさんが俺の肩を激しく揺らす。
「どうして、行かないのですか!? 従妹、泣いていました!! 早く、早く行かないと!!」
「ゆかりさん……俺に追いかける資格はないんだよ」
「どうしてですか!?」
「……前に少しだけ言ったでしょ? 俺はゆかりの記憶がほとんどない」
昔に会ったなぁ、ぐらいだ。
「だから、ゆかりの質問に答えられなかった、俺が行っても――」
――パンッ!
右頬を強い衝撃が襲った。
「ゆかり、さん?」
ジンジンと痛む右頬に手を当てながら目の前で涙目になっているゆかりさんを見る。それだけで、今、俺はゆかりさんにビンタされたとわかった。
「マスター!! しっかりしてください!!」
「しっかりするも何も……」
「前……私がナンパに遭った時、マスターはこうやって何か考えて行動しましたか?」
「え?」
「きっと、考えていなかったと思います。だって、靴すら履き忘れていたのですから……」
ポロポロとゆかりさんの目から涙が零れた。
「私、嬉しかったです。それほど、私のことが心配だったんだなって……そんなに私のことが大事だったんだなって……ものすごく、嬉しかったんです」
「そりゃ、ゆかりさんのことは大事だから……」
「では、従妹の事は大事ではないのですか?」
「ッ……」
ゆかりさんの言葉が胸に突き刺さる。
「どうして、考えるのですか? どうして、怯えているのですか? どうして、逃げようとするのですか? どうして、恐れているのですか?」
涙を流しながらゆかりさんは俺の胸に右拳を叩き付けた。
「考えないでください! 怯えないでください! 逃げないでください! 恐れないでください! マスターはマスターのやりたいように、やればいいのです!! 何も考えずに行動すればいいのです!! だから、行って!! 早く、従妹の傍に行ってあげて!! 今、従妹はあの日の私のようにものすごく怖い思いをしているのです!! だから、あの日のように! 靴すら履き忘れるほど、夢中になって追いかけてくださいよ!! マスター!!」
――生きろ。夢中になって生きろ。お前はそうやって、生きてきたろ? だから、オレがいなくなっても、生きろ。親友。
「……行って来る!!」
俺は玄関を飛び出した。
「マスター! 靴!」
「おっと!」
本当に靴を履き忘れてしまったようで、ゆかりさんから靴を受け取り、急いで履く。
「じゃあ、行って来る」
「はい、お留守番はお任せください!」
「ああ!」
ゆかりさんに頷いて見せて俺は全力でゆかりを追いかけた。




