第七話:Re:お菓子の家 前編
――夜更かしすることなく眠りにつき、翌日。
小鳥が囀っている中、俺は重い体をどうにか起こし、時間を確認しようとスマホを起動する。
すると、昨日より幾分か遅い時刻と共に、一つの通知が来ていることに気づいた。
【かずくん。今日、ウチに来ませんか?】
確認すると、そんな内容のL〇NEだった。送り主は二乃だ。
用件の詳細は記されてはいないものの、どうやらお隣の此花家に招待されたらしい。
ちなみに言っていなかったが、『かずくん』とは俺の古い愛称だ。
ただ、今ではもう二乃しか使っていない。言うなれば、二乃専用のあだ名と言えるかもしれないな。
……いや、『専用のあだ名』ってなんだよ。
それはさておき、俺たちは幼馴染で仲良しといえど、実は互いの家に入り浸ってはいない。
つまり言えば、俺は二乃の家に慣れているわけではないのだ。
だからこそいちいち招待されているし、それを見た俺は少しばかり緊張している。
だがそれでも、俺がその答えを決めるまでの時間は、一秒もなかった。
□
――朝のルーティンを済ませてから。
俺は此花家の前に立って、ポストの上についていたインターホンを人差し指で押した。
オシャレな外観を改めて目の当たりにし、更に緊張感が昇ってくる。
西洋風な建築、白とベージュで纏められた壁、パステルカラーの花をつけた観葉植物。
隣のウチとのギャップが凄まじいな……一体いくらしたのだろうか?
そんなことを考えていたら、中からとてとてという足音が聞こえてきた。
「………」
扉を開ける音と共に出てきたのは、昨日と同様二乃だ。
彼女は俺を見るなり、ぱあぁ、っと眩しい笑顔を見せてくれた。
「おはよう、二乃」
その表情を見て頬を緩ませつつ、俺もそう言って手を挙げる。
二乃は健気に頷き返してくれて、早速とばかりに大きく扉を開け、俺を中へ入るよう促してきた。
「じゃあ、お邪魔します」
その気遣いに甘えて、そう断りを入れながら此花家に入らせてもらう。
だが、いつもと違う二乃の姿が気になり、入るなり振り返って二乃を見つめる。
「………?」
扉を閉めた二乃は、何故か自分を見つめている俺に気が付き、首を傾げている。
直に、恥ずかしくなってきたのか頬を染め、もじもじと体をよじらせ始めた。
「……似合ってるな、そのエプロン」
しばらくして俺は我に返り、ぽりぽりと人差し指で頬を搔きながら呟いた。
やけに恥ずかしくて、頬が熱い。だからといって、掻くだけで冷めるわけもないが。
……二乃は空色のワンピースの上に、黄色のエプロンという格好をしていた。
肩甲骨まで伸びた亜麻色の髪はシュシュで一つに纏められ、全体的にどこかフェミニンさを感じる。
それを見て……不釣り合いの極みなのに、思わず二乃と結婚した妄想をしてしまった。
可愛い子ども達……調理する二乃の後ろ姿……そんな、ただ幸せな空間。
……今一度思い出すとものすごく恥ずかしくなってきて、俺は二乃から目を逸らした。
おかげで、二乃が今どんな反応をしているかは全くわからない。
「──あらあら、一樹くんじゃない!」
そんな時だ。突然後ろから、聞き覚えのある声で名前を呼ばれ、俺は驚きながら振り返る。
そこには、栗色の髪を肩に掛けている、大人びた女性が笑顔を浮かべて立っていた。
二乃の産みの親……此花乃々華さんだ。
「あっ、どうも。お久しぶりです」
「ほんとほんと!久しぶりねえ。前にあったのはいつぶりだったかしら〜」
反射的に頭を下げると、乃々華さんは気分良さげな様子で両手を合わせた。
昔と変わらず元気だ。1JKの母親にも関わらず、その美貌は娘同様である。
ちなみに言っておくと、色素が薄い二乃の体質は父からの遺伝だ。
だから、乃々華さんの肌は健康的な乳白色で、茶色い瞳もハイライトが目立つ。
「……ん?」
そんなモノローグに耽っていると、右手が何かひんやりとしたものに包まれた。
これは……振り返ると、案の定というべきか、二乃が俺の手をぎゅっ、と握っている。
上目遣いでこちらを見つめてくる二乃は、何故だか頬をぷくっ、と膨らませていた。
その表情もどこか可愛くて、その柔らかそうな頬をつい突つきたい衝動に駆られる。
「……あらあら、どうも私はおじゃま虫みたいねえ。じゃああとは若いおふたりで♪」
「え?ちょ──」
すると突然、乃々華さんがニヤニヤとした様子でこの場を去ってしまう。
なにか誤解している様子だったので止めようとしたが、それも無惨に。
そんな乃々華さんのことを、二乃はじとっ、とした目で睨んでいた。
そんな二乃の表情を見て、俺は少しばかり目を丸くする。
思春期故仕方がないのだろうが、二乃のあんな表情はあまり見た事はなかった。
「………」
すると二乃がこちらを向いたと思えば、くいっくいっ、と俺の手を引っ張った。
同時にリビングの方を指差すあたり、早く上がろう、ということらしい。
俺は頷いて、靴を綺麗に揃えてから、二乃と共にリビングへと赴いた。
リビングにはフローリングと白い壁という外観で、オープンキッチンが備わっている。
ソファ、テーブル、TVなどの家具は掃除が行き届いており、装飾もオシャレだ。
掃き出し窓からは綺麗な空気が入り込み、レース状の白いカーテンが美しく靡く。
心做しか、何か美味しそうな匂いが漂って来ているような気がした。
そんなことを考えていると、二乃にソファへ座るようジェスチャーで促してくる。
一応客の立場なので、俺は素直に従って水色のアームソファに腰掛けた。
すると、二乃がオープンキッチンの方へとてとてと向かっていく。
ふりふりっ、と、シュシュで纏められたポニーテールが愉快げに揺れる。
「……ああ、もう」
その後ろ姿を見て、やはり二乃が嫁みたいだなあ、と顔を熱くした俺なのだった。
□
今日もアドバイスを実行しようと思います。
ただ、母さんに邪魔されたもののエプロン姿を褒められたのは僥倖でした。
彼に褒められるだけで、私は思わず頬が緩んでしまうのです……
しかし、これを治そうとは思いません。
だって、その時はとても幸せな気分になるからです。
……さて。
これ、この前挑戦して上手く行きましたが、今回も上手くいっているでしょうか……
せめて、かずくんには……美味しいと言って、貰いたいです。