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杳(よう)  作者: 野川杳介
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それは、三星samsungに入るというサプライズからはじまった

「二十七坪ほどのアパートですけど、これくらいならよろしいですか?」

「ええ。もちろんですわ」

三星人力開発院のキム課長という人からもらった最終的な合格の知らせはこの電話だった。かみさん(美宇、みう)の声は弾んでいる。サムソングループといえば、今では知らない人がいないほどあまりにも有名であるが、当時、杳介ようすけは三星という漢字は見たことがあるくらいで、それがいかほどの企業体なのか全く知らなかった。三星を「みつぼし」と読んでいたくらいだ。これが韓国語の発音で「サムソン」ということを知ったのも、今回の面接をうけてからのことだった。


 面接は四回あった。龍仁ヨンインの自然農園の奥にある人力開発院の湖巖館ホアムグァンという赤いレンガの建物で四回とも行われた。1990年のことである。

 一回目はキム課長との面接で、これは十分ほどで終わった。「何人か受けてますので、合格の暁には次の面接の日をご連絡します」ということだった。不合格であれば連絡はなしということであろうか。

 二週間後に電話がかかってきて、「次の面接は来週の金曜日の午前十時からということでよろしいですか。場所はこの前と同じ湖巖館です」一次は合格のようだ。「次の時も奥さんといっしょに来られますか?」と聞いてきた。いたずらっ子そうな声だった。キム課長の日本語は流暢でかつかなりこなれている。

「はい。わたし一人ではバスの乗り換えがまだおぼつかなくて」

と答えてみたものの、なんでそんなことを聞いてくるのか疑問だった。

 当時杳介と美宇夫婦の住まいから龍仁の奥まったところに位置している湖巖館に行くためには、電車で水原スウォンまで行って、水原からバスに乗り換えて龍仁の自然農園まで行き、ここが終点になっているためここで降りて、さらに小高い丘を越えて歩いていくしかなかった。歩きは三十分ほど。六月の初夏の風が吹き始めるころに第一回目の面接があった。夏の打ちつけるような陽ざしの中を三十分歩くのは けっこうつらかったが、美宇と手をつないで歌を歌いながら歩いて行ったので、二人とも汗だくにはなったけれどそれほど長いとは思わなかった。杳介は三十そこそこ、美宇は一コ下。美宇の場合はとくに、旦那が合格できてサムソンマンになれたら、それこそ宝くじの一等賞を引いたも同様の結果であることを実感として持っていたからか、足取りは杳介の三倍は軽かった。自然農園といっても野菜が生えて牛や豚などが悠々と寝っ転がっているところではなく、ディズニーランドの縮小版のようなテーマパークだった。なぜ自然農園なんて名前をつけたのかはわからない。ただ英語で言えばナチュラルファームとなるのでそれほど変な感じもしないでもない。今はエバーランドとなっている。

 二回目の面接は、担当のキム課長といっしょにチェ部長という人が座っていた。キム課長はどことなくいたずらっぽそうな顔つきだけれど、チェ部長は四角っぽい顔をしていて実直という単語がピタッと当てはまるような人物だった。あとでわかったことだが、軍人出身だった。きょうも杳介は美宇といっしょに来ている。美宇は控え室で待っている。

「きょうもお二人ですね。ご夫婦、仲がいいですね」

と、この日もキム課長がちょっと笑いをこらえているような風情で声をかけてきた。

「いや、仲がいいとかっていうことじゃなくて、彼女がいないとわたし、ここまで来れないんです」

 杳介は己の非力を素直に表明した。キム課長は流暢な日本語でしゃべってくる。杳介も日本語で答える。チェ部長は韓国語で話す。杳介もそれに合わせて韓国語で答える。韓国に来て二年ほど経っていたこともあり、日常会話の韓国語はほぼ問題なくできるようになっていた。外国生活二年目のころというのは、その外国語を使いたくてうずうずしている時期だ。チェ部長の質問にはなんのよどみもなく答えることができた。

 杳介が応募しているのは、三星人力開発院(綜合研修院)の外国語教育パートにおける日本語教育の講師の口だった。だから日本語教育の能力がどれくらいあるかを試験する模擬講義のようなものがあるかと思っていたが、結局最後までそうしたものはなかった。「韓国での生活はどうですか。」といった軽い質問がほとんどだった。

「じゃ、きょうのところはこのへんで終わりにしましょう」

それでも十五分くらいはしゃべったろうか。「あ、そうですか」と杳介。

「実はきょうは、水原まで行く車が今玄関の前で待機しているんですよ。よろしかったら奥さんといっしょに車に乗って帰られてもいいですよ」

「えっ? まだ合格してもいない身なのにいいんですか。お言葉に甘えて、お車、使わせていただきます」

杳介は帰りもまたあの小高い丘のような野道を歩いて越えていくことを思うと、内心気が重かった。お昼までにはまだ少し時間があるが、じりじりの天日に焼かれながらの徒歩路程はうんざりだった。それが車だと? 渡りに船とはこのことか。控え室で待っている美宇の手をとるとキム課長について玄関まで急ぐ。ソナタが待っていた。

「それじゃお気をつけて。またご連絡いたします」

「どうもありがとうございます。よろしくお願いします」

キム課長がわざわざ後ろのドアを閉めてくれた。音もなくなめるようにソナタは動き出した。ソナタは、現代ヒョンデの若干高級な乗用車である。

水原スウォン駅まで行けばよろしいですか?」

運転手さんがきいてくる。

「はい、水原駅までいってもらえたら本当にうれしいです」

美宇が弾んだ声で答える。美宇は韓国人だから韓国語はもちろんお手のものだけれど、きょうの彼女の韓国語はまたいつになくきれいだった。

「面接、どうだったの?」

「きょうは模擬講義かなにか、そんなことがあるかなって思ってたけど、そういうものは何もなくて、生活はどうですか、みたいな軽い話だけやってたような気がするな。日本語教育能力を見るというよりは、人間性をみるって感じかな」

「どう? うまくいってると思うの?」

「わからないけど、こんな車まで用意してくれるところをみると、悪い感じではないよね」

「あ、だからこの前の電話のとき、次もまた奥さんとご一緒ですか、なんてこと聞いてたのかしら?」

「そうだね。君がいっしょでいてくれたから会社の車に乗せてもらえたんだな、たぶん」

杳介は面接の結果にはある程度自信はあった。一、二週間後にまたキム課長から電話があり、美宇と二人で出かけた。終えるとやはり会社の車が準備されていた。こうして初秋の風が吹き始めたころ、四回目の面接の連絡がきた。面接だけ形の上でやっておいて結局は落とすためのルーティーンをやらされているんじゃないのか、という疑いの念が途中でかすかに鎌首をもたげたことを白状せねばならない。四回も面接するところがどこにある。最初から別のある人が決まっているのに、形を整えるために二、三人お飾りとして最後まで面接に臨ませるというようなことがあるといった話をちらと聞いたことがあったのだ。

四回目の面接(結局これが最後の面接となったわけだけれど)は、キム課長のそばに研修院のナンバーワンが座っていた。「こちら副院長のです」とキム課長が多少緊張した声で言った。「野川杳介です」簡潔に挨拶をかわす。杳介の目を見つめるその眼光は鋭いものがあったが、口元にはかすかなほほ笑みをたたえているおかげで、杳介自身はそれほど緊張することなく二十五分くらいの面接を無事、終えることができた。研修院のナンバーワンなのになぜ院長じゃなくて副院長か。三星会長のイ・ゴンヒ氏が名目上研修院の院長を兼任しているからである。帰りは恒例となった会社の車で美宇といっしょに水原駅まで行ってくれるものと思っていたら、「家はどちらですか?」と聞いてくる。「えーと、シフンドンというところですが ・・」と美宇が答える。もちろん韓国語で。

「そうですか。実はきょうは、そちらの方向へ行く予定があるものですから。近くまで行ったら声をかけてください」

シフンの中央市場のあるロータリーまで来た。「ここでいいです」と美宇。

「そうですか。アンニョンヒ カシプシオ」(気を付けて行ってください)とドライバーの人が、明るい声であいさつする。杳介と美宇は口々に「ありがとうございました」といいながら車を降りた。面接は三回目までは午前中にあったが、この四回目は午後二時からだった。シフンに着いた時には午後五時近くになっていた。涼しい初秋の風に吹かれながら中央市場の通りを歩いていると急に腹のすいていることに気がついた。

「なにか食ってこうか」

「そうね。お疲れ様ということで、チュオタンはどう?」

「なに、それ?」

「ドジョウをすり込んでタンにしたもの。タンというのは、汁とかスープっていう意味。ドジウ汁って感じかな。栄養もあっておいしいわよ」

「おお、ドジョウか。いいね。それにしよう」

こじんまりとした小さな店に入った。おばあさんが一人で切り盛りしていた。

「チュオタン、二つください」「はいよー」

しばらくすると小さな土鍋に入ったチュオタンが出てきた。キムチや煮豆などの付属のおかずが三、四点もついている。ご飯も勿論ありだ。ふうふういいながらチュオタンをスプーンですくって口に入れる。ドジョウの味がかすかにする。姿は勿論見えない。杳介は小学生のころ田舎の田んぼでドジョウをとってよく食べたものだ。おばあちゃんが料理してくれた。たいていは豆腐とドジョウのしょうゆ味の汁物だった。生臭いドジョウの味がしたが、それも杳介にとってはおいしさの一つの要素だった。

「チュオタン、どう、おいしい?」

「うん。かなりうまい。こりゃ、いけるわ」

「あらそう。よかった。これ、韓国人でも食べないって人がたまにいるのよ」

美宇はそう言うのであるが、杳介ははじめて食べるチュオタンであったけれど、実に心の底からおいしかった。杳介にとって今でもチュオタンは美宇との思い出のタンであり、おいしい韓国料理十傑の中にまちがいなく入るものとなっている。

チュオタンを堪能して帰った日から二週間後にかかってきた電話が、

「二十七坪ほどのアパートでいいですか?」

という例の電話だった。アパートは江南バスターミナルの近くだという。江南バスターミナルといえば、ソウルの中心のなかでもさらにその中心だ。ソウルのど真ん中に住めるのか。しかも三星という会社のお金で。電話を受けた美宇は頭の中が真っ白になるくらいの衝撃だった。足掛け四か月におよぶ面接路程が終わったわけだ。ヨンインのバスの終点から湖巖館まで、直射日光で焼かれる野道ウォーキングも今となっては懐かしい思い出。面接の帰りは会社の車に乗れたけど、行きのあの直射日光路程はそれほど気持ちいいものではなかった。でもあの苦しさがあったからこそ合格の味もひとしおのものとなったことはまちがいない。


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