【魔王は炎の薔薇が気になっている!】
驚くフレアローザ殿に曖昧な微笑みを返す。
嘘だ。真っ赤な嘘だ。俺は迷子などではない。本当は、森の魔女とやらが魔人族領に対して不利益をもたらさないかどうか、魔王として確認をしに来ただけなのだ。いきなり降って湧いた『善行を積む魔女』を手放しに信用してしまうわけにはいかなかった。だから俺が来た。俺ならば、いざというときは魔女程度に実力で打ち負かされることはない。民の命が脅かされてからでは、なにもかもが遅いのだから。
「まさか、貴方が迷子でしたとは」
「情けないことにな!」
森の中を歩きながらお喋りに興じる。
彼女には申し訳ないが、俺のことを知らないのならばわざわざ俺が魔王だと教える必要もないだろうと、その辺りの事情は黙っている。
彼女に言った、「ただのヴィルディエールでありたい」という言葉だけは、本心からのものなのでおかしなことでもないだろう。
城に帰れば、俺は『偉大で誇り高き魔王』でいなければならない。魔王とは、民の憧れの心を一身に引き受ける者でなければならない。強くあれ。そして、弱きを見せぬ頂であれ。それが俺が自身に定めた『魔王』としての在り方である。
しかし、いくら俺であろうと、疲れはある。たまに魔王としての顔でいることが苦痛になることもある。齢50で両親が死に、幼き未熟な精神の頃に魔王にならざるを得なかった俺は、魔人族が長い年月をかけて成長していく過程をひとっ飛びに大人へとなるしかなかった。それが、魔王に就任した俺の役目だからだ。難儀なものだな。
「……分かりました。魔族領のほうへお連れいたします。はぐれないように、イグニエラと共に付いてきてくださいませ」
「ああ! 助かる!」
欲を言えばもう少しここにいたいが、彼女の負担になるわけにはいかない。手を握った際に呪いの痕跡がないかをざっと確認したが、これといったものもなかった。彼女が俺に対して怯えてしまうのは、どうやら精神的な問題らしい。頬や腕の傷といい、いったい、なにがあったのやら。
「しかし、魔族は魔物に襲われないと思っていたのですが……貴方達も襲われるのですね」
「もちろんだ! あれらの発生に俺達が直接関わっているわけでもなし。それに魔人族と魔物に関係性はないからな!」
「……え、そうなのですか?」
彼女が目を丸くして驚く。なるほど、やはり知らなかったか!
どうりで俺達のことを『魔族』と呼ぶわけだ! なるほど、なるほどなあ。
「それに、俺は魔族ではなく魔人族だ。俺達も『人』の括りの中にある」
「魔人……ひと……同じ……」
フレアローザは口元に手を当てて震えた。本当に知らなかったらしい。俺達も人間の一種だ。魔人族と人族は種としては親戚関係に当たる。全くの別物などではない。その辺りを、どうやら向こうの国は教育していないらしい。いや、長い歴史の中で闇にでも葬られたか?
人族は俺達のことを化け物かなにかだと思っている節がある。同じ人間。身体能力や身体的特徴など少しの違いこそあるが、人種の違い程度で言葉を話すことも、感情を持つことも、寿命があることも同じだ。寿命だって、時間が長いか短いかの違いしかない。俺達とて、長い時間をかけて老いる。
魔人と人とで恋をすることだって大昔はあり得たというではないか。今は向こう側の国が俺達を殊更に嫌い、親交は途絶えているが……よもやここまで歴史が歪んでいるとは。さすがに想定外だったな。
「そうか、そうか。かの国とは親交も途絶えて長い。そちらは世代交代も早いと言うし、歴史が歪められていても仕方のないことだろう。かと言って、俺の国の歴史が全て正しいとも限らない。君がよければ、また来たときにでも話をしようか?」
「興味はあります。でもその、ヴィルディエール様は迷子になられていたのでしょう? 私の元に来る理由はなにもないのでは、ないかと」
本音を言うと、この一度きりの邂逅で彼女を信用しきるわけにはいかない!
故に何度か経過観察が必要なわけだが……うん、俺自身もいい『サボり場所』が見つかってしまったからには、これを逃す手はない。
彼女になにがあったのかも知りたいと思うし、なにより親交が途絶えて久しいあちらの国について情報を引き出したい。迷子と言ってしまっている以上、今回はこれ以上のことは聞けぬだろうし、彼女とて国の事情を初対面の人物に話すような愚かなことはしないだろう。どうにか何度か通って聞き出すしかないだろうな。
「そんなことはない。俺は有名人だからな! 国にずっと居ては少々肩が凝る。君のところに遊びに来てもよければ、息抜きに訪れようと思うが、どうだ?」
「私は、構いません。その……また倒れてはならないので、仮面のようなものを、つけていただければそれで」
「そうか、ならそうしよう! 楽しみにしてるぜ」
笑いながら言うと、前を歩く彼女の髪の隙間からその横顔がチラリと覗く。
照れたように少しだけ朱に染まった耳が、その心情を切に表していた。
彼女は感情が表情に出にくいようだが、照れ屋なようですぐに体温を上げる。それに、仕草や振る舞いでなんとなく察することもできた。
俺と初対面のときも、涼しい顔をしながらかなり焦っているのは伝わってきていた。心を読めるわけではないから、なぜ焦っていたのかは分からない。しかし、疑問を口に出すほど無遠慮ではない。気にはなるが、知らなくても問題はないのだ。
「迷子にならずに、あそこまで来れるのですか?」
「行くことならできるだろう! 今のですっかり道を覚えた」
「そんなに御聡明なら、迷わずにいられたでしょうに」
「はじめての場所には弱いんだ! 実に申し訳ない!」
少し無理があるかと思ったが、彼女はやけにあっさりと騙されてくれた。こんなにも素直な性格で大丈夫なのだろうか。悪い男にでも騙されやしないだろうかと、心配になるほどの少女だ。
「また、来るのですね」
「そのつもりだが」
俯いている彼女の表情は分からない。
起きてから、一度も目を合わせてくれないことに少しばかり寂しさを覚えた。
「もしや、訪問されるのは嫌だろうか?」
「い、いえ、そんなことはありませんわ」
嫌がられているのかと思ったがどうやらそれも違うようで、フレアローザ殿は視線を下に向けたままあっちこっちへと目を泳がせている。
「その……また、いらしてください、ね?」
彼女の瞳が俺を見上げて射抜く。
ずうっと目を逸らし続けていた彼女が、だ。
腕をさすりながら、やはりすぐに目を泳がせてしまうが、一度だけしっかりと目があった。彼女の穏やかなラピスラズリの瞳に捉えられ、釘付けになる。
ただ目が合っただけのそれに、胸の中心が熱くなるような、鼓動がうるさくなるような自身の変化に戸惑った。
燃えるような紅色に隠された深い青。目が合っただけで彼女は倒れてしまうくらい、俺に怯えていたのに、勇気を出して俺をまっすぐと見つめたその胆力。
可哀想に。腕をさすっているということは、俺を見て平気になったわけでもないだろうに。それでも、彼女はしっかりと目を合わせて微笑んだ。
「………………もちろんだ!」
答えるのが遅れてしまったが、俺も笑顔を浮かべる。
国に戻って彼女のいない時間を過ごすのがもったいないと思ってしまった。そんな胸の中に渦巻く激情を飲み下し、そっと手を取る。
「フレアローザ殿、また会おう!」
「ヴィルディエール様、お待ち……しております」
拒絶されればすぐにでも手を離すつもりだったが、彼女は一瞬手を引きそうにしながらも、最終的にはされるがままでいた。
眉を寄せてはいたが、俺が嫌で接触を拒んでいるわけではないと直感する。傷跡に関係するなにかだろうか……しかし、こうも芯の強そうな眼差しで見つめられると、なんともいじらしく可愛らしいものだと、あたたかい気持ちが胸中に染み渡っていく。
なんとなんと、まさかこのようなことになるとは思ってもみなかった!
こともあろうにこの俺が、魔人族の王であれと自身を鼓舞する俺が。
まさか……こんな気持ちを抱くことになるとはな。あと数百年は縁のないことだと思っていたが、巡り合わせとは妙なものだと思う。1000年を生きる俺が、まさかまさかなことだ。
そのとき確かに俺は、はにかんだ少女に恋心を抱いたのだ。
なお、ローザは単に「勇者のせいでアレルギー発症してるのがムカつくからなんとかして克服しようと勇気を出してるだけ」でこれをやっている。他意はない。