【魔王はちょっと困っている!】
これは困った。非常に困ったぞ!
目の前で倒れた『森の魔女』の背に手を回し、咄嗟に体を支える。しゃがんだ際にばさりと羽織っていたマントが翻り、地面についた。
だが気にしてなどいられない。さすがに女性をこのままにしておくわけにはいかないし、どうして彼女が気を失ってしまったのか見当もつかない。
まさか呪いにでもかかっているのか? それとも病気か? 俺がいるときでよかった。家がすぐそこにあるとはいえ、森の中で倒れてしまっては冷たい地面で体温を奪われてしまうだろうし、魔物に襲われてしまいかねない。
……随分とここらは魔物が少ないようだが、それもこの御人が抑止力となっているからだろう。彼女が倒れている間に襲撃されかねない。ならば、彼女が休んでいる間は俺が様子を見ているのが一番だ。
「君、そこの君だ。森の魔女殿を家に運んでやりたいんだが、入ってもいいだろうか?」
炎がチラつく馬に声をかける。どうやら精霊の加護を受けて精霊獣となった動物のようだ。俺が彼女を受け止めた際に、遠巻きにしていた動物達が殺気だった。そんなときに彼らを制止したのが、この精霊獣だった。きっと、この中ではリーダー格となっているのだろう。
魔女殿のことを尋ねるのならば、彼にするのが一番だと判断した。
「ブルルッ」
「……! 感謝する」
炎馬は鼻を鳴らして首を振り、家の裏に向かっていく。「ついてこい」というジェスチャーを受け取り、そっと彼女の膝裏を掬い抱き上げる。
彼女の燃えるような紅色の髪は垂れ下がり、くったりと力の抜けた体は異様に軽い。心配になるほどの軽さに、思わず眉を顰める。
「失礼する」
ドレスも非常に質素で、よく見たら生地と生地のツギハギになっているようだ。こんな森の奥に住んでいれば、満足にお洒落もできないだろうに。
「ブルルッ」
「ああ、今行こう……意識のないときにすまない」
そっと呟いて炎馬についていく。
裏は畑らしきものと馬が休むのだろう厩舎らしきものが建っていた。そして、どうやら厩舎から家の中へ通じる扉があるようだった。そちらの扉は馬や動物達が自力で開けられるようにか、簡易なものになっていて鍵もかかっていない。あまりの不用心さに呆れてしまうが、いやしかし、普段は動物達がここを見張っているのだろう。ならば女性一人の生活でも、案外なんとかなるのかもしれない。
……それに、彼女は敵相手にそう素直に膝をつくまい。随分と気の強そうなお嬢さんだった。
まさか、本当にこの森に『人間』が住んでいるとは思っていなかったな。噂は所詮噂で、人間に見た目を似せたエルフか魔人族辺りが住んでいるだけだと思っていたが……確認しに来てみるものだな。こんなところに住み着いているとなると『訳あり』だろう。魔の森は国境ギリギリだから、さては向こうでなにかが起こったな?
彼女には悪いが、あちらの国の事情に少し探りを入れておきたい。利用するようで悪いが、起きたら上手く話を聞けないかを試してみることにしよう。
「この傷跡は……ふむ、触れないほうがいいか。炎馬殿、ここに寝かせればいいだろうか?」
「ブルッ」
「そうか、分かった」
頬と左腕に深い切り傷が治った跡があるのが確認できた。
どうやら腕のほうは向こうの国で言う『神』の印の上にバツをつけるように斬りつけられた跡らしい。
頬はなぜだろうか。同じように傷つけられでもしたか。女性の顔になんてことをするんだ。静かな憤りに眉を寄せる。
彼女は光の精霊からの加護を感じるし、神に寵愛されているということは治癒魔法が得意なはずだ。国民から上がってくる噂と報告でも、彼女に怪我を治してもらったという話がよく上がってくる。
治癒魔法が得意なはずなのにこれほどまでに深い傷が残っている……普通なら、自分に治癒魔法をかければ傷跡なんてものは残らない。なのに傷跡が残っているということは、傷つけられてから傷が塞がるまで魔法を使うことのできない状況に追い込まれていたことを指す。
魔法を封じる呪具でも取り付けられていたのか。そんなものをつけられるのは罪人くらいだ。つまり、彼女は罪人扱いをされ、一人国を放り出された可能性が高い……か?
……国民からの報告では、彼女が魔物を簡単に討伐してみせたというものも上がっている。
魔物は『強い憐れみと祈り』がなければ討伐することは叶わない。
基本は魔物の『正体』を知った上で憐れみ、そしてどうか来世では幸せにと、祈らなければならない。そうすれば誰でも魔物を滅することは可能だ。しかし、真に憐れむことのできる者は少ない。
城の者達から『人間』は随分と昔に魔物の正体を忘れてしまっており、聖女や勇者などの特別な者しか討伐できないと思い込んでいるらしいという話は聞いていた。
しかし、魔物の正体を知っていたとしても、真に憐れみ未来を祈ってやれる存在は少ないというのに、まさか知らずに真に祈りを捧げてやれる『人間』がいようとは。
神の寵愛があるから、それも理由の一つではあるだろうが……真に魔物を憐れむことのできる女性を、こうも簡単に捨て去ってしまうとは。なんともったいないことを。
ベッドに横たえさせて女性の白い顔を見ていると、炎馬が控えめにそばに寄った。部屋の中でも彼はお構いなしに上がってくるらしい。いや、なによりも彼女が心配だからか。
当たり前だ。見知らぬ奴に大切な主人の世話を任せきりにするわけがなかったな!
「心配するな、なにもしない。多分俺の不手際だろう。申し訳ないから目が覚めるまで待っていてもいいだろうか?」
「ヒン……ブルッ」
「ありがとう! じゃあ、待たせてもらうぜ」
色々と思うところがあるが、全ては彼女が起きてくれないとどうにもならないことばかりだ。
まずは自己紹介をして……事情を説明して……さて、なんと名乗るかな。
彼女は俺のことを知っているだろうか? 先程の様子だとなんとも判断がつかない。驚いて気絶までしたということは俺のことを知っているのだろうか? それとも、単にビックリしただけなのか……下手なことを言うと墓穴を掘ることになってしまいそうだ。
参ったな、どうしよう。
――俺が魔人族の王だと、話すべきだろうか。
ベッド脇に椅子を借りて座り、考える。
そうしている間に……いつのまにか、俺もうつらうつらと船を漕ぎ始めてしまう。
ああ、そういえば執務でしばらく寝ていないか。
自覚すると眠気が強くなってくる。
少しだけ……少しだけなら。
そう思い、腕を組んで目を閉じた。
剣で髪をばっさり切られてから一年サバイバルしているので髪もある程度は伸びています。