フレアローザは吹っ切れました
ガラガラガラと、馬車を曳く音が道中に響く。
腕に刻まれた傷は深く、治療も満足にできなかったせいで傷跡がはっきりと残ってしまっている。あのあと勇者にざっくりと剣で髪まで切られ、頬にも深い傷がついた。
女としては終わりだ。こんな大きな傷跡があっては、いくら聖女として力を振るうことができても、気味が悪いと思われてしまうだけ。
ただ一人、ボロい馬車と小さな馬だけでどうしろと言うのか。食料もない、衣服もない、なにも持ち出すことは許されず、目の前で全て燃やされてしまった。私の趣味ではなかったが、勇者からの贈り物も全て。そして私が勇者に贈ったものも……。
しかしただひとつ、彼が首から下げていたネックレスは残されていた。後日、私が彼の誕生日のために渡そうと準備していたものだ。
それを指摘すれば彼は怒った。「これはアザレアが作ったものだ! お前はまだ嘘を吐こうとするのか!」と。
嘘をついているのはあの子の方なのに。悔しくて、でもどんな努力をしても見てはくれない彼にほとほと愛想を尽かしていた私は、逆にほっとしてしまった。
一生魔法力タンクとして使ってやると拘束されなかっただけ、きっとマシなんだ。追い出されたあとは、自由がある。
……いつ死ぬか、どう死ぬかの自由でしかないと思うが。
「私に巻き込んでしまって……本当にごめんね……」
「ブルルル……」
小さな馬は鼻を鳴らしてガコガコと蹄で地面をかく。
お腹が空いているようなので、引き手綱を持って草の地面のあるところに連れて行った。汗をかいていて、蹄も泥だらけだ。国の厩舎で最低限整えられていた蹄でも、鉄を履かせてもらっていないので長時間歩き通しになれば傷つきやすい。
この子は森の中にでも入れば食べ物に困らないが、私はそうも行かない。野草のどれが食べられるのかなんて知識もない。下手に口にすれば死んでしまいかねない。
聖女としての力は治癒に秀でてはいるが、宮廷育ちの私に体力なんてものはなく、魔法を何度も何度も使えば息切れをしてしまうはずだ。
小さく家庭で使うような魔法ならば、休みを入れて使えばなんとかなるけれど……それでお腹が膨れるわけでもない。
せめてこの馬だけは生かしてあげたい。私に巻き込まれてしまった被害者だ。ここで私が死んだとしても、獣に食われて自然に還るだけ。
怖くない……怖くない……なんて自分に言い聞かせていたら、ふつふつと怒りが湧いて来た。
……なんで被害者の私がうじうじ考えなくちゃいけないわけ? あんなやつらのこと、もうどうでもよくない?
「あーあ、魔女ですって。ひどいわよね。このお力は授かり物なのに……あら?」
国外に出てから、なぜだか全身に魔法力が漲っている気がする。んー? おかしいな。さっきまでもうダメだと弱気になっていたけれど、この感じ……魔法をばんばん使っても疲れなさそう……?
城にいる間はいつもだるくて、なにかに魔法力が持っていかれているような気がしていたが、今はそれもない。
もしや、無断で魔法力を搾取されていたのでは?
その事実に思い当たって唇を噛む。ずっと、私の体力がないのがいけないのだと思っていたのに、ここに来て原因がはっきりとしてしまった。
体力がなければ魔法は十全に使えない。そもそも体に魔法力がなければ精霊に捧げるほどの量に達しないし、それらを無理矢理魔法の為に捧げてしまっていたら倒れて当たり前だ。魔法力が枯渇するのは生命の危機に値する。生命力の一種なのだから。
……一発くらいお城に火炎魔法でもぶち込んでくればよかったかしら。それとも氷雪魔法? 今の私ならなんでもできる気がするわ。
「はー……動き辛いわね」
ドレスの端を結んで足を出し、動きやすくする。
泥だらけになりながら広い広い草原から、森に入った。森なら、身を隠せる。
そろそろ魔族の住む場所に近くなっているだろう。国から叩き出された際にはこちら側に行くように誘導されて、そして逆らうこともできなかった。きっと『魔族は野蛮だから』と私を放り出して、死ぬのを待っているのだろう。自分の手を下さないところが最高に悪趣味。
あ、もう死んでやりたくなくなった。なにがなんでも生きてやる。雑草でもなんでも食って生きてやるわ。それでお城の生活よりも優雅にのんびりと自由に暮らすのよ! 頑張ろう! 私!
「いったん休憩よ。お馬さん、足を見せて」
「ブルッ」
馬の頸筋を撫でながら立ち止まる。でこぼこの道を歩いて蹄も痛いだろう。なにより、泥道にも踏み入れていたので、蹄の裏には泥が詰まってしまっている。
「【アクア】」
お嬢様として、聖女として蝶よ花よと育てられ、乗馬も習っていたために知識は一応叩き込んである。あの城から持ってこられた一番の有用なものは、恐らくこの知識だけとなるだろう。活用しなければ。
馬の蹄はお椀型に似ていて、土が詰まりやすい。これをかぎ爪のような専用の道具でかき出して水洗いしてあげないと、ふやけて腐ってしまう。そんなことになったら可哀想だ。この子も私も綺麗になって、自由に生きてやるんだから!
今は道具もないので小さな魔法を使い、水圧を使って水洗いをする。せめて休憩中にやってあげないとね。汗も可哀想だし……もう必要ないもの、構わないわ。そんな思いで、ドレスを破り、汗を拭き取る。
少しばかりの休憩を終えて、歩みを再開する。馬車なんてもういらない。置いていこう。馬に乗ったほうが早いはず。それに馬だって、ボロくても大きな馬車より女一人乗せて歩く方が楽なはずだ。
あと、お城からもらったものをそのまま使うことが癪に障る。馬? 馬は私と同じ被害者だからいいのよ! この子も絶対に幸せにしてみせるんだから!
でもそこは元お嬢様。馬車を打ち捨てて小さく「ごめんなさい」と呟いた。
こんなところに捨てて行くのは(街道にゴミを捨てるのは良くないと言う意味で)胸が痛いが、私が少しでも長く生きるためだ。仕方ない。
「行こう、お馬さん」
「ヒンッ」
段差を使って馬の背中に乗り、たてがみを掴む。鞍もない。馬の口につける頭絡にハミもない。でもこの子はそこそこ賢いみたいで暴れることはなかった。暴れられていたら死んでしまうもの。良い子でよかった。
お腹を軽く蹴って『前進』の合図を出す。
馬は、短く鳴いてパカパカと歩き出した。
やだ賢い。普通に軍馬になれるでしょうこの子……小さいからって能力があるのに捨てるなんて、あんまりだわ。
「夜になってしまうわ……どうしましょう」
夜は魔物が出る。普通の獣は人間を襲うこともあれば襲わないこともあるが、魔物は積極的に人を食べようとしてくるらしい。全て城で聞いたことのあるだけの頭でっかちな知識だ。
森の奥の奥へ。
食べ物になりそうなものは……ない。
馬の負担になるのでしばらく行ったところで降り、邪魔なヒールの靴は投げ捨てた。枝葉や小石で足の指を切ったりしながらゆっくりと歩いているが……血の匂いで魔物を引き寄せてしまうかもしれない。
「ねえ、お馬さん。もし、命が危なくなったら、私を置いて逃げてね」
「!?」
馬が私を驚いたように見る。しかし、どちらのほうが生き残る可能性があるかと言ったら、断然この子のほうだ。私には食料だってないんだから、遠からず死ぬ。でも、この子は逃げ切れさえすれば食べ物には困らない。優先するのは、助かる命だ。
だからといって、そう簡単に死ぬつもりはないけどね。雑草食ってでも生き延びてやるわよ。いざ危なくなったら、もりもり湧いてくる魔法力をありったけ込めて魔物をやっつけちゃえばいいんだもの!
「……」
私の内心とは裏腹に、馬は寂しげに鼻を擦り寄せて来たので、ゆっくりと頸を撫でる。ぽんぽんと優しく叩けば、馬は目を細めて鼻を鳴らした。
大丈夫よ。大丈夫。私と一緒に幸せになりましょうね。
「あ、あんなところに小屋があるわ! 大改造して住みましょう!」
「ブルッ!?」
有り余る魔法力を駆使して少しずつ小屋を改築し、一年後に私は『魔の森の魔女』と呼ばれるようになるのだが……それはまた後の話。
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馬につける頭絡
→手綱と馬が咥えるハミのついた道具一式のことを正式名称で頭絡と呼ぶ。鞍と頭絡がないと本来はものすごく難易度が高い。
本日はあと12時過ぎに投稿。
明日も夜に投稿予定です。