一、鬼火に導かれて……
――そのわずか数分後。
♪ ♪ ♪ ……
机の上に置いていた,美咲のスマホが着信音を奏でた。電話の着信音だ。
「……えっ? 電話?」
PCにメールで返事が来るものと思っていた美咲は,思わず発信者の番号を確かめる。番号は,PCの画面に表示されている〈嵯峨野よろず相談所〉の番号そのものだ。
(……おっと! 早く出なきゃ,先方に失礼だよね)
美咲はひとつ深呼吸をすると,スマホ画面の通話ボタンをタップして耳に当てた。
「お待たせしました。堀田です」
『堀田美咲さんの携帯でしょうか? 先ほどメールを頂いた,〈嵯峨野よろず相談所〉の嵯峨野大我と申しますが』
聞こえてきたのは,いわゆる"イケボ"――世の女性たちを虜にしそうな,落ち着いた男性の声。
けれど,まだ年齢はそれほどいっていないのではないだろうか。せいぜい三〇歳かそのあたりだと推測される。
「はい! あたしが堀田美咲です。総合求人サイトでそちらの募集記事を見つけて,応募させて頂きました。――というか,募集記事について,お訊きしたいこともあったので……」
そもそも,"よろず相談所"とは一体何なのか? どんな仕事をすればいいのか? 武道の有段者であることが,仕事と何の関係があるのか? ――など,美咲には訊きたいことが山のようにあるのだ。
『そうですか。では面接に来られた時に,直接僕からお話ししましょう。――それで堀田さん,面接はいつがよろしいですか? ご都合の悪い日時などはありますか?』
訊ねられた美咲は,「えーっと……」と悩む間もなく即答した。
「今日中にお願いします。夕方でも構わないので」
まだ正式にカフェを解雇されたわけではないので,明日からはまたシフト通りに出勤しなければならない。
が,今日中に即日採用されれば,明日にでも依願退職の旨を会社に伝え,めでたくあのいまいましいカフェチェーンとおサラバできる。
『分かりました。では,夕方五時でどうでしょうか?』
早ければ早いほどいい。――美咲は何のためらいもなく返事をした。
「はい,大丈夫です。――あの,履歴書は必要ですか?」
面接に必要だと思われる情報は,先ほどメールで送ったけれど。必要とあらば,この電話を終えたら大急ぎで書けばいい。
『履歴書は必要ありません。必要な情報はメールで頂きましたので。では,夕方五時,事務所でお待ちしています。――場所は分かりますか?』
「はい。求人情報に載っていたので。だいたいの場所は分かります」
このページをプリントアウトして,それを頼りにスマホの地図アプリを見ながら行けば辿り着けるだろう。同じ東京都内だし。
『そうですか。では近くまで来られたら,連絡を頂けますか? 案内役の者をよこしますので』
(……案内役?)
美咲は首を捻った。どんな人が来てくれるのか分からないけれど,一人で行って迷うよりはずっと安心だ。
「分かりました。ありがとうございます。では夕方五時,よろしくお願い致します。失礼致します」
美咲は先方が通話を切るのを待った。――ビジネスの電話は自分から切らないのがマナーである。
「よし☆ あとはこれで,すんなり採用が決まれば……」
これだけの好条件だし,こんなうまい話が世の中にゴロゴロとあるわけがない。普通なら,「怪しい」と疑ってかかるべきなのだろう。
けれど美咲には,自分がこの求人に自然と導かれた気がしてならないのだ。
(誰に? って訊かれても,誰にだか分かんないけど)
理屈じゃなく,第六感でそう感じるのである。"野生のカン"というのか……。
「ふーっ。とりあえず,面接決まっただけでも一歩前進だな」
美咲はホッとして,一人呟く。
求人情報の画面右上にある「印刷」のボタンをクリックすると,Wi―Fiで接続されたレーザープリンターからビーッ……と一枚のプリント用紙が吐き出された。
――実は,美咲にはもう一つ,秘められた特殊な能力があった。
印刷されたばかりのプリント用紙に手を伸ばすと,美咲はふと眉をひそめる。
「……あれ? この求人,なんか不思議な感じがする。気のせいかな?」
彼女は物心ついた頃から,妖怪を視ることができたり,不思議な力を感じたりすることが時々ある。それは邪気だけではなく,霊力のようなものだったりもする。
今感じたのは,どちらかといえば清い力の方だったように思う。
「もしかしてここって,普通の相談所じゃないとか……?」
まさかなあ,と思いつつ,美咲はまたPCに向かった。
この〈嵯峨野よろず相談所〉について興味が湧いてきて,試しに検索エンジンにかけてみる。
ウェブサイトでもあれば,検索に引っかかるはずである。
「まあ、応募先の企業ののことを知るのも,就活の一環だしねえ。――お? ビンゴ♪」
何件かの情報がヒットしたらしく,〈嵯峨野よろず相談所〉のホームページからSNSの評判までがズラリと出てきた。
美咲はまず,ホームページへは行かずにSNSや口コミの情報をチェックしてみた。
『代表の嵯峨野さん,想像以上にイケメンでマジ感動♡』
『あのイケメン占い師ナニ? めっちゃ神なんだけどー!!!』
『ルックスはもちろん,アドバイスも分かりやすくて的確。相談しに行ってよかった☆』
……なるほど,評判は良好ながら謎のワードが飛び交う書き込みのオンパレード。
(えっ,イケメン? 占い師? ここって一体どんな相談所なの??)
美咲の頭の中には,"?"マークが飛び交う。ますます謎は深まるばかりだ。
「謎を解くカギは,やっぱりホームページにあるのかな」
思いきって相談所のホームページを開いてみた。――ここに何か秘密があるのか?
見たところ,紫色をベースにした割と普通のホームページのようだ。……が。
「……ん? 何だろコレ?」
美咲の目は,冒頭に書かれた〈代表より〉という文章の一部分に釘付けになっていた。
〈――当事務所は,目に見えないものによる摩訶不思議な現象にお困りの方々に手を差し伸べるべく,開設した「よろず相談所」である。〉 ――
その前には「妖怪」「悪霊」といった禍々しいワードが並んでいるので,それに関する相談を受けているらしいと理解できた。
「う~ん……,よく分かんないなあ」
ホームページの内容が充実していないせいか,そこから得られる情報は少ない。
首を捻りつつ,美咲はPCを閉じた。
――それにしても。
「ホントに偶然なのかな? それとも何かの符合?」
美咲自身は妖怪が視える体質で,転職先として応募したところが妖怪などに困っている人達のための相談所なんて……。
(やっぱりあたし,何らかの見えない力に導かれてる?)
彼女の中に芽生えた疑問は,徐々に確信へと変わりつつあった――。
****
――〈嵯峨野よろず相談所〉は,下町・浅草にあるらしい。
夕方五時少し前。昭和レトロ感漂う町並を美咲はスマホと睨めっこしつつ歩いていた。
「えーっと? 確か住所ではこのあたりのはずなんだけど……」
ふと視線を上げると,そこにある電信柱に張り付けられた町名のプレートが目に留まった。
間違いなく,ここは相談所の近くであるらしい。
美咲はスマホで時刻を確かめた。――あと一〇分ほどで五時になる。
「近くまで来たら連絡してほしい」と,嵯峨野から言われていたことを覚えていたので,美咲は登録しておいた相談所の番号をコールした。
電話はすぐに繋がったので,美咲は淀みなくこう告げる。
「五時から面接にお伺いすることになっている堀田です。今,そちらの近くまで来ているのですが……」
『そうですか。分かりました。――では,案内役のものをすぐに行かせます』
今どのあたりなのか訊かれた美咲は,町名プレートが貼られた電柱の前だと伝えた。
――一分も待たなかっただろう。確かに,彼女のところへ"それ"はやって来た。
ふよふよと宙に浮いている,謎の浮遊物。
「おっ……,鬼火!?」
美咲も何度か目にしたことがある,火の玉のような妖怪。確か,死者の怨念が具現化したものらしい。
けれど,この鬼火からは怨念めいたものは感じなかった。――むしろそいつは美咲のことを認識しているようで,ある方向へふよふよとゆっくり移動しようとしている。
もしかして……。
「――えっ? あたしに『ついて来い』って言ってるの?」
こいつが嵯峨野の言っていた,"案内役のもの"なのだろうか?
(確かに,発音だけなら"物"も"者"も同じ"モノ"だもんね。嵯峨野さん,ウソは言ってないか)
美咲が一人で納得していると,鬼火はそれに構わず(?)ふいーっと飛んで行こうとする。それに気づいた彼女は我に返った。
「……あっ!? ちょっと待ってよ! 置いてかないでよっ!」
慌てて鬼火を追いかけようとする美咲だったが……。
(しまった! スニーカーで来ればよかったな……。まさか走ることになるなんて思わなかったから)
彼女は面接用に気合いを入れた服装――白い襟付きシャツにベージュのチノパン・グレーのテーラードジャケット――に合わせ,ヒールが五センチくらいある黒いパンプスを履いてきていた。この靴で鬼火を追いかけて走ることは容易ではない。
せめてローファーで来るべきだったと後悔したものの,面接の約束をしている五時は目前に迫っている。
「しょうがない。走るか!」
腐っても(いや,腐ってはいないが)元体育会系である。ヒールを履いて走るだけでへたばるほどヤワではない。
危うく見失うところだった鬼火の姿を捉えると,美咲はその方向に向かって猛ダッシュしていった――。
****
――それから二分後。
「はー,ギリギリ間に合った……」
美咲は息を切らしながら,鬼火が姿を消した一軒の大豪邸の立派な門扉の前に着いた。
大正時代から昭和初期に建てられたと思しき二階建ての洋風邸宅で,石で造られた〈嵯峨野〉という表札の上部に〈嵯峨野よろず相談所〉と彫られた真鍮製の楕円形プレートが太めのチェーンでかけられている。
(ここが相談所か……。ってことは,個人で細々とやってるのかな)
"細々と"やっているわりには,この屋敷は大きすぎる気もするが。「相談所」とはそんなに儲かる商売なのだろうか?
(……えっと,インターフォンはどこ?)
自分が到着したことを、中で待っているであろう嵯峨野氏に知らせなければ。――門扉の隅から隅まで見ても,それらしいものは見当たらない。
――と,その時。
『堀田美咲様でいらっしゃいますか?』
屋敷の方から,一人の少年がすぅーっと出てきて美咲に声をかけてきた。
年は十五,六歳くらい。一瞬女子と見間違うほどの中世的な顔立ちと声。それだけなら,嵯峨野氏の親族の子だと思うだけで,別段驚きはしない。
が,彼の服装が何だかおかしい。
"水干"というのか,歴史の資料などでよく見かける平安貴族の少年が身にまとっているような装束なのだ。
(もしかして,この子も普通の人間じゃなかったり……)
先ほど鬼火に案内されたばかりなので,さすがにこれしきのことでは驚かないが……。
「あっ,はい。堀田美咲です。――あの,こちらのスタッフの方ですか?」
明らかに違うと分かっているのに,ついそんな訊き方をしてしまう。
『まあ,そのようなものです。――屋敷の中で,我があるじがお待ちでございます。こちらへどうぞ』
その少年は曖昧にはぐらかし,嵯峨野氏のことを(だと美咲は解釈した)"あるじ"と言った。
「"あるじ"って……,もしかして嵯峨野さんのこと?」
――屋敷の中を案内されながら,美咲は彼に訊ねてみる。
『ご明察でございます。私は大我様にお仕えしております,琴葉と申します』
「"お仕え"って……」
『そうですね……。"式神と申した方がお分かり頂けるでしょうか』
――ということは,やっぱり……。
(この琴葉君も妖怪……なワケだ)
"式神"とは本来,陰陽師や呪術師などがしもべや配下として使う存在のことで,たいていは妖怪が選ばれるようだ。
式神を置いていることからして,嵯峨野氏はそのどちらである可能性が高くなった。
(あたし,なんかとんでもないところに面接に来ちゃったなあ……)
玄関は欧風スタイルのようで,美咲が靴を脱ごうとすると,『お履き物はそのままで』と琴葉に教えられた。
廊下は広く,壁面にはアンティーク調の照明器具が点々と設置されている。
その廊下の突き当りに見える,大きな両開きの扉の前で琴葉が立ち止まり,美咲を振り返った。
『こちらが,あるじがお待ちしている部屋でございます。――大我様,堀田美咲様がお見えになりました』
琴葉は後半部分を部屋の中に向けて言い,「入れ」と応答があると『美咲様,どうぞ』と中へ案内した。
「琴葉,案内ご苦労。――君が堀田美咲君だね?」
「はっ,はいっ! よろしくお願いします」
「俺が当相談所の代表・嵯峨野大我だ。よろしく」
嵯峨野大我は,美咲の想像通りまだ三〇そこそこの若い男だった。
身長は一八〇センチあるだろうか。細身でスラっとしているが,少しヒョロっともしているように見える。"体力には自信ナシ"とみて間違いないだろう。
着ているものは白いスーツに黒いシャツでノーネクタイ。
色素の薄い髪は少し長めで,目はネコのように鋭い。
ネットの評判通りイケメンではあるが,どこか冷たい印象を受けるのは目つきのせいだろうか?
(……っていうか言葉遣い,電話の時と全然違うんだけど!)
電話の話し方では,もっと爽やかで柔らかな印象を受けたのだけれど。実際に会ってみると,一人称は「俺」で,何だか横柄な感じ。
この落差はなに……?
「――さて,早速だが面接を始めさせてもらう。……が,その前に。ここまで迷わずに来られたかな?」
「はい,大丈夫です。鬼火がちゃんと連れてきてくれましたから」
「そうか……。けっこう」
嵯峨野はそう呟いてから,目を細めて美咲の顔をじっと見つめた。――まるで,彼女から何かを感じ取ろうとしているかのように。
(……えっ? な,なに?)
しばらくそうした後,彼は何かを呟き,目を瞠った。
「黄金の……気? まさか」
(…………は? "キンのケ"ってなに?)
美咲は彼が何を言ったのか,全く理解できなかった。
「嵯峨野さん……,あなたは一体,何者なんですか? 式神が何体もいたり,占いみたいなことをしたり……」