30話・帰路とその先へ
リケーネ滞在三日目。
私たちが帝国へ帰る日がやってきた。
城を出て直ぐの場所にはもう既に馬車が待っていた。
たったの三日間、だけどなんとなく思い入れのある三日間となった。
七色の花畑、二人の親子の絆、夜ノアと逃げ出したり、衛兵に追いかけられたりと鮮明に思い出される記憶はどれも素敵でおかしなものばかり。
「ありがとう、ラヴィニアさん。息子も僕も随分とお世話になってしまったね。なんてお礼をしていいのか」
「そんなお礼なんて、むしろ私の方こそ色んな意味でスリリングな旅行ができてお礼をしたいくらいです。ところで肝心のテオ王子はどこに?」
「あー………うん。それは、ねー……」
視線を泳がせ明らかに言葉を濁すサミュエル。
お別れの握手をしていた手が汗ばみ始める。
(これは、何か隠しているわね……)
早く吐けとニッコリしながら握っている手に力を込めると「いててててて!」と顔を歪める。
それでもまだ黙っているサミュエルに嫌気がさしてきたので、手を握りつぶすつもりで力を込めると、さすがに観念したのか視線は俯いたままだが話し始めた。
「僕もテオに"ラヴィニアさんの見送りをしよう"って声をかけたんだけど、"そんなのいらない"って部屋から一歩も出ないんだ。きっと寂しいんだと思う」
「あ、それはないです」
キッパリハッキリ真顔で告げる。
あれだけ嫌味三昧だったテオ王子が寂しいなんて思っている姿は想像もつかない。
思えばこの三日間、テオ王子には大変迷惑をかけられた。いや、迷惑しかかけられていない。
最後の最後までテオ王子はテオ王子ということなのだろう。
「今日はちゃんと見送ってくれてると思ったのに───ッ!?」
プスッと何かが頭に刺さり、反射的に刺さった頭部に手を当てようとする。
だがそれよりも早く隣に立つ父が片手で掴み上げ、その何かの正体を露わにする。
「…………紙の、鳥?」
鳥に似た形に折られた紙が風の抵抗があるにも関わらずちょうど私の頭に刺さったらしい。
訳が分からずポカンと口を半開きにしたまま父の片手へと視線を預ける。
暫くそれを見つめた父はハッとした顔をして紙を広げ始めた。
「"この三日間、いい退屈しのぎになった"」
父の口から発せられたのはそんな単調な言葉だけ。けれどこの三日間でこんな事を書く人物は一人しか思いあたらない。
お別れを直接言いに来ることは少し恥ずかしいようで、思いついた代案が手紙でのお別れなんてテオ王子らしい、と微笑ましく思い口元に手を当て自然と顔を綻ばせた。
「…………サミュエル」
「どうしたんだい? エルヴィス」
「自分の息子は自分で躾ろ」
「躾って、テオは犬じゃないよっ!」
「そういう話をしているんじゃない」
父とサミュエルの楽しそうな会話を流し聞きしながらテオ王子からの手紙を眺める。
どこかにいるかもしれない、と紙が降ってきた頭上を見回すけれど、テオ王子の姿はどこにも見当たらない。
(空気抵抗に逆らって私の頭に刺さるなんて偶然にしてはできすぎている、ってことは、魔法を使ったのかしら……?)
自身の魔力を削って手紙を届けてくれたのなら、テオ王子にとってもこの三日間は特別なものになったのだろう。
手紙を抱き締めて暖かな気持ちになる。
「それではお父様、行きましょう」
「ああ。サミュエル、今度は帝国に招待してやる。ついでにあの女も呼んでやる」
「あはは~、あの女ってアウロラさんのことかな? だったら丁重にお断りするよ。………じゃあまた、機会があったらよろしくね。二人とも」
馬車に乗り込み、最後の挨拶を告げて私たちは帝国へと向かった。
ガタンっと馬車が大きく揺れたり小さく揺れたり……
馬車の中は大変静かなものだった。
向かい合うように座る私たちに流れる空気はとても気まづく、重く感じた。
話しかけようにも何を話せば良いのやら、と色々考え込んだ末に黙りこくって仕舞うのがオチだった。
「……リケーネは楽しめたか」
「!はい!景色も綺麗で人も優しくて何より食べ物が美味しかったです! それに、貴重な経験を積むことが出来ました」
「経験? それは、昨日使っていた大規模な幻影魔法についてか。ノアから教わったのか」
「お父様、見ていらっしゃったのですね。ええ、ノアの得意魔法と聞いたので、私も生徒として先生の得意魔法を習得してみたかったんです」
どこから見られていたのか、父が完全に気配を消して見ていたという事実に驚きを隠せず目見開いた。
城からでは距離があって見えないはずだから、少なくともあまり離れていない場所から見ていたはずだ。
(お父様もサミュエル陛下と一緒にアウロラの学院へ通っていたらしいから、魔法もかなり使えるってことよね。魔法科だったのかしら。あんなにも完全に気配を消し去るなんて芸当、そう易々とできるものでは無いもの)
未だに二人きりの空間は気まづい。でも父を見る目が恐怖だけでは無くなったことは確かだった。
小さく深呼吸を繰り返せば自ずと気持ちは穏やかになり、強ばった顔の筋肉が柔らかくなるのを感じる。
(本当はお父様に"どうして私を処刑したのか"って聞きたいところだけど、今のお父様に聞いたところでどうにもならないことはわかっているのよ)
過去を思い、伏せた目は悲しく揺れる。
膝の上に丁寧に重ね置かれた手に力が入り、無意識のうちに口を引き結んだ。
私の僅かな表情の変化に気がついたのか、父は一瞬戸惑った表情をし、その大きな手を私の頬へと伸ばした。
「何故、そのような顔をする」
呟かれた一言は返事を返すべきなのかわからなくなってしまうほど曖昧なもの。
父の瞳は切なげに揺れ、その顔は何かに捕まってしまっているかのように苦しみ、今にも悲鳴をあげてしまうのでは無いかと思わせる。
手のひらが私の頬をすり抜けて地面へと落ちようとした時、コンコンと御者のいる方から壁を軽く叩く音が聞こえ顔を上げる。
馬車の中と御者側との間にある壁には小さな小窓のようなものがあり、何かあった時にそこから会話ができるようになっている。
丁度父の座っている方が御者側だった為、父はくるりと後ろを振り返り「なんだ」と小さく声をかけた。
馬車は走り続けたままガラッと小窓が開き外からひょっこり顔を出す御者。
「陛下ー、手紙です。宰相さんから」
「そうか」
「……………はい?」
見覚えのある顔、と言うよりは雰囲気や魔力がそっくり同じ黒髪の男。
珍しい赤目を持つその男は馴染み深い幼い少年の姿ではなく、腰の辺りまで伸ばした髪が艶やかに光る美男子だった。
「ああーーーっ! 城で助けてくれた時の大人バージョンのノアだ!! なんでノアが御者をやってるのよ!? 先に屋敷に帰ったんじゃ……というかなんで大人の姿? お父様も全然驚かないし、どうなってるのよおっ!?」
「あー………待て待て、落ち着け」
父に宰相からの手紙を渡し終えると「めんどくせーな」と呟きながら頭の後ろ搔いた。
「護衛なの、俺は。あんたらが無事に家に帰れるようにお守りする為にこの姿になっているんだ。子供が御者になってたら街の人もビックリだろうよ」
「た、確かに」
言われてみれば、とノアの正論に納得しコクと頷き乗り出していた体を引っ込める。
ノアは話を終えると前に向き直りまた手網を引いて馬車の運転を再開した。
父は神妙な面持ちでノアから渡された手紙を眺めていた。
所々で僅かに息を飲み口を固く結ぶ姿が目に入る。
もちろん内容を見ることは叶わないが、普段無表情でクールビューティな雰囲気の父が手紙一つでここまで表情を変えられてしまうのだから気になるのも無理はない。
あまりに気になっていつの間にか凝視していた私の顔は引きつってとても不細工なことになっているだろう。
ガタンと再び馬車が揺れた時、私も父もお互い手紙の内容に夢中になっていたせいで体は大きく上下し父が前のめりになった瞬間、その手にある手紙の内容が見えた。
一瞬のため読んだわけではない。ただ気になるワードがチラチラ私の視線に入ってきたのだ。
「────ッ!!?」
そこには言葉を失ってしまう程の恐ろしいことが記入されていた。
(どういうことなの?ウェスタドール伯爵家、放火、全員焼失ってこれが全て一連の出来事なら、世の歴史に残る大事件じゃない)
自身の目を疑った。
手紙を覗き見ることは出来ないから、それが真実かどうかを確かめる術は私には無い。
けれど、真実かどうか分からない内容のものをわざわざ皇帝へ直接届けるだろうか。
つまり、この手紙に書かれている全てが真実だということだ。
(それに、ウェスタドールって、まさか……っ!)
ウェスタドール伯爵家。
外交関係に携わっている由緒ある家柄だ。
問題はそこの一人娘である、とあるご令嬢。
名前は──シェリア・ウェスタドール。
私の生前、聖女と認められその希少さ故に皇帝自らウェスタドール家と交渉し養子とした、私の死と最も繋がりの深い少女。
(一家全員ということは、シェリアも……? 私が記憶を持ってもう一度人生をやり直しているから、代わりにシェリアが死んだってこと? 本来なら死ぬのは私だった……どうしてよ)
「私は幸せになってはいけないの…………?」
重ね合わせた手に視線を落とすと、小さな呟きと呼応して手の甲には数滴の涙が落ちた。
私の死に繋がる一番の懸念事項は消えた。シェリアという今はまだ幼い少女の死によって、だ。
精神的に追い込まれていた当時の私なら喜んでいたかもしれない。けれど今は別の幸せを手に入れている。
これ以上私は何も望まないから、奪っていかないで、そう願うしか無かったその事実に絶望して私は顔面蒼白の状態になる。
馬車の揺れでの安全を確認しに再び開かれた小さな小窓からノアの顔が伺えた。
ノアも同様に私の顔が見えたのだろう。ぎょっとした表情を浮かべたかと思えば今度は何かに耐えるような表情をする。そして諦めたように、苦しみを我慢するように、無理やり笑顔を作って、
「そんな眉間にしわ寄せてると、将来老け顔に拍車がかかる羽目になるぞ」
「老け顔って………まだ八歳なんですけど」
「はいはい。ほら、またしわ寄ってる」
トンッと人差し指で眉根を突かれ驚いた拍子に眉間のしわがとれた。
心配して不器用にも励まそうとしてくれた気持ちは伝わったけど、老け顔と言われたことに対して内心傷ついた。
だがしかし、ただ傷ついて終わる私ではない、とノアに顔をズイっと近づける。
「っ、だから、近いっ!」
「ノア………」
「そ、そんな真剣な顔して、どうした……」
「眉間にしわ寄せてると老け顔に拍車がかかるわよ?」
「…………」
ニヤリと小悪魔な笑みで言ってやると、さっきまでのおどおどしていた態度が嘘のようにスンと真顔へ逆戻り。
その瞳は最早私を映しておらず、なんとも言えない微妙な表情をキープ。
その後のことは言うまでもあるまい。
いつもの如くデコピンだけで済むはずもなく、明日からの練習メニューを何十倍に増やすと言い出し、それに文句をたれる私。
更に「静かにしろ」と父が苛立ち始め……
私たちの帰路は賑やかに終わりました。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ラヴィニアたちはつい先程帰路に着いた。
たったの二日間だったとは思えない程多くの苦楽、主に苦の方を共にした。
それなりに親しくもなった。少なくとも別れが寂しいとちょっとでも思えるくらいには。
(まっ、僕達も明日帰るんだけどさ。午前中は父さんも仕事があるからってことで午後に遊びに行くことになったんだよね)
用意された部屋の窓からはラヴィニアたちが帰り道に通って行った綺麗に整備された石畳の馬車道が見えた。
午後の楽しみに思いを馳せ、一人のふふっと小さく笑っている様子を自分でも気持ち悪いと思わなくもない。
父とこんな風に楽しみができるようになったのは多少なりともラヴィニアのおかげということもあり、感謝はしている。
「あれ?珍しい。君がそんな楽しそうに笑うなんて」
そう声をかけてきたのは、長い黒髪に赤い目を宿すスラリとした長身の男。
僕は男を一瞥すると再び窓の外を眺め片膝をつき、その上に置いた手の甲に頬をあてる。
そして苦虫を噛み潰したような顔で嫌味っぽく、というかもろ嫌味を言ってやる。
「リアム。面倒事全部押し付けて今までどこに行っていたわけ、別にどうでもいいけど。おかげで僕は父さんとも上手くいったし、それなりに充実した日々を送れたからね」
「あはは、相変わらずひねくれてるね~。そこが、テオくんのいい所なんだけどね」
「あんたも相変わらず悪趣味な性格してるよね」
「お褒めに預かり光栄だよ」
部屋に現れた時と同じように、どこからともなくポンッと手品のようにティーセットを出現させ、魔法で空中に浮かせながら紅茶を注ぎ入れる。
神出鬼没な上にこんな器用な芸当ができるこの男を感心する反面、恐ろしく思う。
「実は私も機嫌が良くてね。最近いい人形を見つけたんだ」
「人形、ね………」
「早速使ってみたけど、実に良い使い心地だったよ。テオくんの方は上手く観察できたかな?」
知っているくせに、と言うのは心の中だけに留めておいた。
この男のことだからきっと僕の知らない魔法で事の詳細を監視しているはずだ。
(………試されているってことだよね)
ここで嘘をつくのは逆効果だと踏み、リアムを一瞥して自身の見たありのままの真実を話す。
「無詠唱魔法を使えるようになっていた。といっても一回が限度でできないのと同じなんだけどさ。………ねぇ、これも全部あんたの読み通りなわけ?」
窓へ向けていた視線を再び男へと移す。
リアムはニッコリと微笑んだ。微笑むと言うにはあまりにも不気味で、冷たくて、ゾッとする笑み。
「正直、予想外な事が多くてね。私の計画では彼女が一番の要になる存在なわけだけど。以前の彼女は後何年か先に"死の予兆"が見えていたんだ………今はそれが完全に消えている」
リアムは未来を視る事ができる。事の詳細までは視る事ができず、死ぬか生きるか、といった大雑把な未来だけ。
それでも"死の予兆"というのは滅多に覆ることのない未来の一つなのだ。
「天才と名高い君なら何かわかると思って。丁度いい機会だし少し脅すようにお願いしたんだけど、どうだったかな」
「うっわ………やめよね、そういうの。天才なんてあんたに言われたくない」
「たまには素直に褒められることを覚えたらいいのに。まあ、世の中の大抵の天才は皆私にとっては凡人のそれと同じだけどね」
「………ほんとにいい性格してるよ」
空のティーカップに注がれた紅茶がふよふよと宙に漂いながら目の前へとやってくる。それを警戒することなく一口含む。
「僕達のレベルまで行くと魔法の概念なんて無いに等しい。凡人がいくら水だ風だと自身の属性を語ったところで僕達は簡単にその垣根を踏み越えてしまえるからね」
「その第一歩が無詠唱魔法。そう教えたのは私だったね。しっかり覚えているなんて、テオくんは偉いね~」
子ども扱いをして頭を撫で回される。子供だけども中身は大人顔負けの頭脳を持っているんだぞこっちは、とムスッとした顔を向ける。
気づいているくせに見て見ぬふりをするだけでなく、周囲に花なんか咲かせて笑顔で撫で続けるところが嫌いだ。
「てゆうか、その顔で笑わないでよ。かなり気持ち悪い……」
「ええっ、テオくんの理不尽っ!ブーブー!」
「いい大人が可愛こぶんないでよね」
怒っているにしては陽気な態度を示す男に冷静にツッコミを入れていく。
おっさんと呼ぶにはまだ何十年早い見た目をしているが、とっくに成人している年齢の男に「ブーブー!」などと言われて喜ぶような変態チックな趣味は持っていない。
リアムは新しい玩具を見つけた時と同じ少し紅潮した顔で笑みを浮かべる。
「でもそっかー………、テオくんノアに会ったんだね。あの子も変わらず仏頂面ばっかりだっただろう? ふふ。あんなふうになった原因が私だっていうことが一番気分がいい話だよね」
「そのノアから伝言預かってるよ」
「えっ!? なんだいなんだい! それを早く言っておくれよ」
「そんな必死になってまで聞くような内容じゃないけど。『次は無い』だってさ」
「………次、ねぇ。相変わらず甘いなノアは。だから何でも手遅れになるんだよ。でもそうだね、お互い次は無いよ。テオくんも手を組んでくれたし、今回は黙って引き下がってあげるけど」
それをどういう意味で言っているのかは知らないが、どうせ聞いたところで教えてくれないのはわかっている。
(今、僕がしている事が正しいのか正しくないのかって言ったらきっと正しくないんだと思う。それでも互いの契約の下、僕はどんな裏切りだって行うつもりだ)
心の中で何度も"裏切り"という言葉を言い聞かせ、その度に僕は自分を見失っていく気がする。
瞳の奥から光が消え、闇だけが渦巻いているような。
「そういえば、あんたご自慢のお人形さんで何したの? ノアが気になるならそっちを直接操作しちゃえばいいじゃん」
「それは出来ない相談だよ。ノアと私は近い存在だからね。無闇に同調しようとすれば操るだけですまない。それと、お人形さんはお人形さんで色々と遊ばさせてもらっただけだよ。お人形さんの心の奥深くの意志をこじ開けてあげたんだ。これからどうなるかはお楽しみだよ」
赤い双眼は怪しく光を灯す。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
あれから一旦城へ寄り、父がアルディートに回収される瞬間を目撃して私たちは邸へと再び馬車を走らせた。
馬車にはノアと私の二人だけとなった。
「さっきの陛下、めちゃくちゃ帰りたくないって顔してたな」
「旅行から帰ってきて直ぐに仕事が待っていたら皇帝様でもあんな顔をするものなのね。なんだか新鮮なものを見た気分よ」
手網を引きながらそんなことを言い出すノアにクスッと笑ってその時を思い返す。
半年前は恐怖の対象で極力接触を避けるよう考えていたような関係だったけど、最近はそうでも無い。テオ王子の一件で父の努力も苦労も、冷酷な父の裏側を少しだけ見る事が出来た気がする。
(最近はお父様といることも怖くはない。かと言って楽しい訳でもないのだけど)
私は父がアルに連行された時の記憶を思い出していた。
長い馬車の度を一時終え、城に着くと鎧を纏った兵士たちが敬礼をし、数名の執事やメイドが父を出迎えた。
「陛下。宰相のハンドバルク様が奥の部屋にてお待ちしております」
馬車の扉を開けて早速仕事の話を持ち出したのは父の執事であるアルディートだ。
長旅から帰ってきたばかりだと言うのに既に秒単位で組み込まれたシュケジュール。それに嫌気をさしたのか、父はしかめっ面が定着してしまうほど歪んだ顔をする。
「そんな顔をしても無駄ですよ。ほとんどの仕事はハンドバルク様が片付けてくれましたので、残っている書類は陛下にしか手が出せないような重要なものばかり。休暇の余韻につかる分には構いませんがすぐにでも取り掛かって頂かないと帝国の政治が傾きます」
「………サミュエルとの会談の前に終わらせたはずだ」
「増えました」
「何故だ」
「なぜも何も、陛下宛に送られた手紙にも示してあった通り、例の件に関する情報が毎日更新され追加されていくのですから、暫くは休めないと思ってください」
眉間のしわを一層険しくする父。
次の瞬間、踵を返して颯爽と逃げ出そうとする父をアルは「させるかっ」とどこから取り出したのか太い麻縄をクルクルと中で振り回し父へと投げつけ見事捕獲。
「アルディート………」
「逃がしませんよ………こちらも徹夜でそろそろ限界なんですよ………それに、陛下の自由奔放ぶりに宰相様方が苛立っておられます」
「宰相共にゴミのように扱われるか、明日処刑されるか。どちらか選べアルディート」
「どちらも遠慮致します。それではラヴィニア様、ノア様。陛下はこちらでお引き取り致します」
「お願いします?」
抵抗を続ける父を構うことなく無理やり執務室へと連行するアルの後ろ姿まさに社畜そのもの。
(アルに連れ去られる際のお父様、姿が見えなくなる最後まで負のオーラを全力で出していたわね。残念ながらアルの仕事に対する気迫には負けたみたいだけど)
その出来事が私の笑いのツボに入りクスクスと小さな笑いが止まらなくなってしまった。
ノアは相変わらず馬車の手網を握ながら私の笑い声に安心したように微笑む。
「あ」と短い声がノアから漏れ出たため既に回収された父の座っていた座席側にある小さな小窓をガラガラと開き様子を伺うと、ノアは自身の顎を前に突き出し「見てみろ」とその方向を示す。
「着いたぞ。俺たちの家に」
見えてきた三日ぶりの我が家に少なからず胸が踊った。
「姫様。お帰りを待っておりました。ノアと一緒だと知った時は斬り殺してやろうと思いましたが、無事で何よりです」
「斬り殺……え?なんて?」
「お気になさらず」
有無を言わせぬ天使の笑顔で言いきられ、それ以上何も追求できないだろうと口を噤んだ。
「ラヴィニア、荷物は部屋の方へ運んでおいたから後で荷解きするぞ」
「えー………」
「俺も手伝ってやるから」
「はーい」
返事だけは一人前だと思う。
もう私は慣れてしまったけど、ユーリはノアの大人の姿を初めて見るため、驚いたのか声にならない音を発しワナワナと震え始める。
「誰ですか、この不届き者は。姫様の荷解きを手伝う?それは姫様の騎士である私の仕事だ!」
「ユーリの仕事でも無いわよ」
「ハっ! ひ弱な貴族の坊ちゃんにラヴィニアの荷解きが務まるわけがないだろう。ガキは大人しくべそでもかいて寝てろ」
「随分と失礼なことを言っている自覚はあるのからしらね。私の荷物は国宝かなにかなの?ねえ?」
私のツッコミは二人の熱の前では完璧なスルーを決め込んだ。
姿かたちが変わっても賑やかな喧嘩に変わりはなく、喧嘩するほどなんとやら、なんて思ったことはここだけの秘密だ。
「お帰りなさいませ姫様」
「ただいまリディ」
「お荷物の方は私が先にお預かりしておりますね」
「助かるわ。あとはよろしくね」
そう言って私の着ていたコートや帽子を預かり片手にかけて部屋へと向かったリディの背中を見つめる。
入れ違うようにパタパタと可愛らしい足音が聞こえ、それは一気に近づいてくる。扉から万遍の笑みで出迎えてくれたのは私の親友のシェリーだ。
シェリーは大胆にジャンプして私に抱きついた。
「ラヴィニア様!お帰りなさい!」
「ただいまシェリー。留守の間用があると言ってどこか出かけていたようだけど、もう大丈夫なの?」
「はい。もう済みましたからご安心ください」
そう言って首の後ろへ回していた腕を解き笑顔を見せるシェリー。
気がつけばガヤガヤと周りは騒がしくなっていて、「おかえり」と私を出迎えてくれる人達が集まっていた。
ようやく帰ってきたんだ、と暖かな気持ちになり、笑顔でお決まりのセリフを告げる。
「ただいまっ!」
───あれから四年。
私たちは十二歳となり、波乱の入学試験が始まる。
次回から新章へ入りますが、
旅行などなどで暫く投稿できません。
読んで下さっている皆さんすみません!




