25話・氷の都⑤
「なんであんたがここにいるわけ………」
「お前こそ、こいつに何しようとしたっ」
抱きしめられた腕に更に力が入る。
お互い睨み合って緊迫した空気が生まれ、一触即発の状態で均衡を保っている。
ノアのここまで威嚇した目は初めて見るけど、不思議と恐怖はない。
むしろ安心するというか、なんでだろ。
「言っておくが、こいつに手を出してただ殺されるだけで済むと思うなよ」
「…………」
無言の睨み合いが続いた末、体の感覚が戻ってきた。
腕も、足も、自由自在に動かせることに、ここまで感謝する日は今後こないわね。
というか、来ないことを祈るわ。
目を逸らして「冗談だよ」と軽く笑くテオ王子。
それにすぐさま「冗談だと?」と反応し、ノアは眉をひそめる。
「<魅了魔法>に<拘束魔法>。どちらもそれなりに高度な魔法だ。それをわざわざ冗談半分で使うわけが無いだろう。ふざけているなら本当に灰にするぞ」
声変わり前なのに、ドスの効いたノアの声。
私の方がビクッとビビってしまった程、かなり威力がある。
ノアは庇うように前へ出て私を自分の背中に隠してくれる。
そして警戒心を限界まで引き上げて、殺意の籠った眼でキッと睨みつける。
体の周りにはうっすらと淡い光が輝き始め、念じればすぐにでも魔法を使える状態だ。
「……はぁ、別に危害を与えようとしたわけじゃないよ。今がどの程度なのかの確認をしただけだから。この結果ならあの人も満足するだろうしもうちょっかいは出さないよ」
悪びれる様子も無く、ため息なんかついて「やれやれ」とかなんとか言っているクソガキ王子。
猿の如くムキーっと怒りたい気持ちは山々なんだけど。
というか内心、もう激おこですよ、全く。
でも、怒りの感情に任せて行動したら、私自身、何を言い出すかわかったものじゃない。
それに、このクソガキバカ王子の軽薄な発言と行動のせいで、ノアの怒りが爆発しそうで怖いから、大人しく黙っています。
「で? 僕を捕まえるの? 捕まえたところで証拠もないし、一国の王太子を拘束した罪で罰せられるのはあんた達の方だよ?」
「口の減らねークソガキだな。いっそ燃やして消し炭にしてやろうか……」
「気持ちはわかるけど、こんなでも王子なわけだから消し炭にするのはダメよ」
舌打ちをしつつも、ポキポキと指の骨を小指から親指にかけて順に鳴らし始める。
そう。ノアの目がガチなのだ。
止めに入らなかったら本気で殺す勢いだったのだ。
「じゃあ、僕、部屋に戻るから」
「………は?」
唐突に「じゃあね」と片手を振ってその場からそそくさと立ち去ろうとしたもんだから、そりゃあ無意識に声だって出るわよ。
「何?用が済んだから帰るって言ってるだけなんだけど。それとも衛兵呼ぶ? 黒髪に赤目の不法侵入者がいますって呼んでもいいんだけど」
「どうぞお帰りくださいませ」
二対一でも、生意気に「ふんっ」と鼻を鳴らして立ち去ろうとする、その図太い神経は尊敬するわ。
すれ違う、ほんの一瞬。
テオドロスはノアを視線だけで見上げ、その口を小さく動かし何かをの兄だけ聴こえるよう囁く姿が目に映った。
『────』
「っ!!? どういうことだテオドロスっ!何故それを知っている………いや、お前は何を知っているんだ!!」
「さあ?なんででしょうか? それは君が直接聞いたらいいよ」
不敵に笑いながら月明かりで青く反射する瞳にノアを映し、悪魔と見間違うくらい黒い笑みを浮かべる。
「テオドロス! おい、待てって言ってんだろうが──」
「ノア、落ち着いて!衛兵に見つかったらそれこそヤバいんだから!!」
何を吹き込まれたのか、普段のノアとは全くの別人と言っても過言では無いほど、感情が乱れていた。
焦っているようにも、怖がっているようにも見えて、感情が定まっていない。
いつも魔法にばっかり頼ってるもんだから、弱々しい体をしているのかと甘く見ていたことを後悔するとは……
取り押さえるのがやっとで、もう体力の限界よ。
姿が見えなくなったのを確認して、ホッと一息ついたのもつかぬ間、直ぐ後ろから随分と機嫌が悪そうな声が聞こえる。
声の主は、勿論、ノアさんだ。
「なんであいつを黙って見逃したりなんかした。俺はあいつに用があったんだっ」
「テオ王子だって『危害を与えようとしたわけじゃない』って言ってたし」
「それを信じるなんてお前はバカか。今さっき自分が何されてたか分かっているのか?」
「だって……それに衛兵呼ばれたらさすがにまずいでしょ。ここで変に騒ぎを起こしてみなさい。国レベルの大乱闘が始まるわよ」
スンッと真顔に戻って現実的なところをついていく。
衛兵を呼ばれこの邸の中で逃走劇が始まる未来を想像すると……うん。間違えた選択はしていないわね。
「…………~~~っ、あ"あ"もうっ!!」
しばらく苦悶した後、ノアは頭をくしゃくしゃに掻き回した。
守ってくれようとしたノアに、相談もなく、勝手にテオ王子を逃がしてしまった。
そのことに関しては、少なからず、私も悪いとは思っているのよ。
でも、圧倒的にこちらが不利のあの状況下で、むやみやたらに、売られた喧嘩を素直に買いに行くような子に育てた覚えはないわ。
むしろ、未曾有の危機を無事に回避出来たことに感謝してくれてもいいくらいね。
両手で頭を抱えたまま、その場にしゃがみこむノアに声をかけようと手を伸ばす。
「あの、ノア………?」
「すごく、心配したんだからな」
「っ、うん。ごめんなさ──
言い終わるよりも早く、今度は前から体をギュッと力強く抱きしめられた。
うぅ、苦しい……
背丈だってそう変わらないのに、どこからこんな力が出てくるんだろう。
抱きしめる腕には私の存在を確かめるように、見失わないように、そんな思いが籠っていた気がした。
「心配してくれたんだ? あはは、今日は素直だね、ノア」
辛気臭い雰囲気が気まづくて誤魔化すような笑いで冗談めかして言うと、まだ発展途上な胸にうずめていた顔を上げて真っ直ぐに私の赤い双眼を見つめる。
「あたりまえだろう」
真っ直ぐに、どこまでも真っ直ぐに告げる。
その言葉に、私の胸は、鼓動は、音を出して加速する。
(すごく、胸が苦しい……)
どうしてノアは、こんなにも、私を大切にしてくれるんだろう。
「お前は俺の生徒なんだから、もうちょい先生に頼れよな。これじゃあ心臓がいくつあったって足りない。俺がもっと早く警戒しておけば………いや、そもそもあっちに帰らずに、テオドロスを監視していれば………」
私に向けて文句を言っていたのが、いつの間にか自己反省会みたいのを開いて、ぶつぶつ何か言っている。
(これが始まったら長いのよね~。見回りが巡回してくるかもしれないし、会場から誰かやってくるかもしれないから、一旦私の部屋まで連れて行くしかないわね)
まだまだ子供のくせに、考えている姿も様になるイケメン度合い。
将来有望な貴重な人材。
魔法の才能もあって、私と出会う前は帝国魔道士の称号を得て、この歳にして国の最高級職とも言える、帝国魔導士として上手くやっていた。
だからこそ、魔法の先生になる件を受け入れてくれたことだって不思議ではあったけど、嬉しくて、聞いてしまったら見捨てられるのではないかと思って、その事情に触れようとしなかった。
(たかが一人の人間。それも血の繋がりもない結局は他人も同然の存在なのに、どうして………)
「どうして、私なんかのために、そんな必死になってくれるの?」
ハッと我に返った時にはもう遅かった。
慌てて口を塞いだけど、無意識に出た言葉はノアの耳に確実に届いている。
ポカンとした顔と「はあ?」という素っ頓狂な声がそれを証明していた。
「き、気にしないでいいから!ついでに今こっち見ないで!」
「見ないでって言っても、もう既に顔隠してるから見えねーよ」
「じゃあ顔をあっちの方へ向けておいて」
「それはいいが、顔が赤いぞ?」
「気のせいだから!」
「やっぱり顔見せろ」
「はい? あっ、ちょっと、両手掴むのは反則でしょっ……!?」
両手首を握られ、顔を見ようとするノア。それに対抗する私。
これでも必死に腕に力を込めて抵抗したんですよ、本当に。腕がプルプル、プルプル。
思ったより筋肉が強いことがわかった。
結局、呆気なく真っ赤になった顔を晒された。
「ぷッ、あはは! 変な顔だな」
「~~っ、だから言ったでしょ」
どこまでも失礼なヤツめ!やめてって言ったのに。解せぬ………足で急所でも蹴ってやろうか、コノヤロウ。
最近口が悪くなったことは自覚しております。これもきっとどこぞの屁理屈上等男のせいなのです。
屁理屈上等男、もとい、ノアを下から目線で睨む。
初めこそ笑っていたノアだけど、私が本気で足蹴りし始めたので、「うおっ」と小さく驚き手首から手を離した。
タイミングよく、ドタドタドタと慌ただしく邸内を駆け回る複数人の足音が聞こえ、私たちは顔を見合わせて首を傾げる。
「皇女様ーーー!ご無事ですかーーー!!」
庭を挟んだ反対側の通路から、先頭を走るリーダー格の男が大声を上げて生存確認を始めだしたから、さすがに恐怖だった。
反対側の通路からここまでの距離はおよそ民家一軒は建つくらい離れている。それなのにも関わらず何を言っているのかしっかり聞こえ程の声量。それも「皇女様ーーーー!皇女様ーーーー!」って、ずうっと呼び続けるからなんだなんだと人の気配がそこらかしこに。
「皇女様はご無事か!?」
「ああ無事だ!」
「よし、皇女様を保護した後、素早くテオドロス王子の言っていた黒髪に赤目の不法侵入者を探せ!」
「「ん?」」
今、黒髪に赤い目の不法侵入者って、聞こえたんだけど。
チラリとノアを見ると、「あ"ん"のクソガキ!」と青筋を頭いっぱいに付けて、拳をプルプル震わせている。
かと思ったら、今度はガクッと肩を落として「ふふ、ふふふふふ……」ってなんかすっごい不気味な笑い声が聞こえてくる。
ノアの顔を影がかかり悪役な雰囲気に拍車がかかる。ニヤリと口角をあげて笑い続けるその姿に、引きつった顔が硬直した。
(………見える……見えるわ。ノアの体から湧き上がるただならぬ殺意がの権化が。
今のノアなら、ハーベル王国を軽く握りつぶしてもまだ体力が有り余るわね)
「今度会ったら、灰にすらならないくらい燃やし尽くしてやる」
「テオ王子単体なら大賛成、むしろ加担するわ。でも今は、ここから逃げるのが最優先……よっ!」
ノアの手首を強引につかみ、そのまま通路を猛ダッシュ。
偶然にも、月が雲に隠れて辺りが闇に包まれたおかげで、衛兵の目を盗んで先手を打つことができた。
「! お、おいあれ。皇女様じゃないか!?」
「何ィ!? なんで皇女様が全力疾走しているんだ!!」
「わかりません! ん?隣で走っているのは、黒髪の少年………リーダー、王子の言う特徴って」
「黒髪に赤目だが、それがどうかしたか?」
「………いました」
「は?」
「皇女様と隣り合わせで走っています」
「………」
スゥッと大きく息を吸って……
「確保おぉぉおおおおお!!」
「「「イエッサーーー!!」」」
予想し得る最悪の状況、ここに爆誕。
硬い鎧を身につけた大量の大男達に追いかけられるか弱い少年少女の図。
「あの生意気王子の言うことなんて信じるんじゃなかった……絶対に一発、思いっきし私の全力パンチをお見舞してやるわ」
「お前それ、テオドロス死ぬんじゃ………まあ、反対はしないが、程々にな」
ノアは走りながら肩を竦めた。
さっきまで自分も同じようなことを言っていたくせして一人だけ大人ぶって。
あやすように宥められているところが癇に障るけど、テオ王子への怒りで手一杯だから、今回は見逃してあげるわ。
今回もよんで頂きありがとうございます。
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