21話・氷の都①
「おお~!これが氷の都リケーネ。湖が一面凍ってる……」
城の窓に手を当てて外を眺める。
隣に座る父は興奮する私を見て無表情で話しかける。
「そんなに凍った湖が珍しいか」
「は、はい。初めてこういう場所に訪れたので」
「そうか」
き、気まずい……
あの父と隣合わせの席だから、ただでさえ恐怖しているのに、こんな話しかけられたって会話が続くはずがない。
「…………」
「……あ、あの」
「なんだ」
「城を留守にして大丈夫なのですか?」
「役に立つ宰相に任せてある。第一余計な心配をしたところで、お前には何も出来ないだろう」
「…………」
(実際そうなんですけどねっ。でももう少しオブラートに会話しましょうよ父よ!)
幸先不安な親子の会話とは裏腹に窓から見える湖は端から端まで凍っていてとても美しく、走り回りたい衝動に駆られた。
セントラルでは滅多に見ることの出来ない幻想的な景色。
(さすが"人生で一度は見てみたい名景色"五年連続第三位に入っているだけのことはあるわね)
ジーンと感動を噛み締めている私とは違い、父は見慣れているのか、それともどうでもいいのか、興味が無い様子だった。
ここは氷の都リケーネ。
帝国の北の方角に位置するベネット王国の王都だ。
今までの父と私の関係をご覧の通り、これは単なる家族旅行では無い。
友好関係にある王国との親睦を深める為に、あちらからお呼ばれされた父にイメージアップのためだけについていく。
いわばビジネス旅行なのである。
国際関係の重要な会談のため、招待された父と私と数人の護衛だけでこの城までやってきたのだが。
正直に言うとめちゃくちゃ不安です……
ベネット王国といえばフローシス帝国とは古くからの付き合いでそれなりに関係も続いている。
ここで私が皇女として立派にやり遂げなければ首がとぶ。
即処刑決定!!
凍った湖に向かって闘志を燃やし、拳を握りしめる。
「やあ、久しぶりだね。エルヴィス」
扉をノックする音と共に何人かの護衛騎士を連れた父と同じ歳ぐらいの若い男がエメラルドの瞳を細めてて入ってきた。
柔らかく色素の薄い銀の髪をふわりと揺らすその男はベネット王国現国王サミュエル・ルイス王。
初めて彼を見る人は、その柔らかい笑顔と美しい声音にとても優しいイメージを覚えることだろう。
しかしそれはあくまでも表の顔。
裏では自身にとって不利益となるものを容赦なく切り捨てる冷酷非道な王だという黒い噂も流れている。
「数年前にも一度あっただろう。貴様との会談など、本来なら十年に一度程度で十分だ」
「あはは~。信用されているのかどうなのか。昔からの友達でもあるんだから、たまにはこうやって直接会って話したいこともあるだろう。それにそうしておかないと国民は不安がるからね」
軽い挨拶にも国の未来に関わる話をぶっ込んでいくあたり、父も父だけど、この王様もかなりの仕事人間らしいわね。
「ん?おや、そこに居るのはエルヴィスの娘の……」
「お初にお目にかかります。フローシス帝国第一皇女、ラヴィニア・フローシスと申します。以後お見知り置きを」
スカートの裾をつまみ丁寧に一礼すると美形スマイルの会釈が必殺技のように繰り出される。
美形の笑顔は人をも殺す。また新しい名言が生まれたわね。
兎にも角にも挨拶は無事に済んだようだから一安心。
サミュエルは父と向かい合わせの席に腰を下ろし、何がおかしいのかサミュエルは口元に手を当て上品に笑い始めた。
(もしかして私、何かやらかした? 今まで淑女の挨拶はこうだって教わって生きてきたんですけど? 処刑なの?これはもう処刑確定なの?)
恐怖だとか疑念だとか、色んな感情が混ざって表情のコントロールが上手くできない。
一種の変顔となってしまったその顔でサミュエルをじっと見つめる。
「ふふ、いやすまない。まさかあのエルヴィスに本当に娘がいて、しかもまだこんな小さいのにここまで立派だとは。さすがエルヴィスの娘だねぇ。僕にも息子が一人居て今日も連れてきているんだ。よければ遊んでやって欲しいな」
「機会があれば是非」
「そんなことはどうでもいい。さっさと会議を始めるぞ」
「せっかちな所は相変わらずだね。そんなだといつか誰かに足元を救われるよ。もっと人生に余裕を持たなきゃ」
「余計な世話だ」
常に誰にも隙を見せることのないあの父が、サミュエルに対してはどこか心を許しているというか、気兼ねない普通の友達のような会話をしている。
友達、とはまた別の関係かもしれないけど。
意外だな、と父を見るとちょうど目が合ってしまった。
「会議の間、お前は湖の見学でもしていろ」
「は、はい」
とばっちりで部屋から追い出されてしまった……
皇帝と国王が面と向かって話し合おうとしている場にずっと居続けるのは精神的にも限界だと思っていたからちょうどいいと言えばいいんだけどね。
「ちょっと待ってラヴィニアさん」
「はい?」
「湖の方へ行くなら、さっき言っていた僕の息子も連れて行ってあげて欲しいんだ。普段滅多に外に出ようとしないから、少しは社会勉強をさせたいのだけど。いいかな?」
「もちろんです。失礼ですが王子の名前を伺ってもいいでしょうか」
サミュエルは私の返答に満足したのか、言葉を話さずともその表情で簡単にわかるくらいの明るい笑顔を見せ、意気揚々と王子の名を口にする。
しかも息子自慢を兼ねて。
「息子の名前はテオドロス。今年で六歳になるけど子供とは思えないほど頭がよくキレるから、きっとラヴィニアさんのいい話し相手になると思う」
「それはとても楽しみです。それでは失礼します」
テオドロス王子。どっかで聞いた名前だな。
初めて会うはずなのに何故か聞き覚えがあるんだよね。うーん、全く思い出せない。
それにしても、六歳の息子に対して頭がキレるなんて自慢するとは、よっぽど愛されて育っているんだな。
私が六歳の頃は無邪気にまだ見ぬ父からの愛を信じて庭を駆け巡っていたな。
懐かしい記憶に遠い目をして思いを馳せ、真っ直ぐ出口へ向かう。
部屋を出て扉を閉める頃には既に会議は始められていて父とサミュエルが真剣に話し合っている様子が覗いて見れた。
あの二人が話し合っていることは国家間の関税についてや交通の整備、後は他国との争い事についてがほとんどだろう。
ベネット王国は常に吹雪や積雪で苦労しているらしい。
けれど、そのおかげで他国からの侵入が非常に少なく、たとえ攻めてこられても返り討ちにできるため、軍事国家としても有名で、帝国を守る巨大な盾の役割も担っている。
廊下には一人の執事が壁にそって立っていた。
私が部屋から完全に出たことを確認するとカツンとヒールに似たデザインの靴を鳴らして私と向き合う形になる。
「テオ様の元へご案内するよう命じられたテオ様直属の執事のセドリックと申します」
「今日はよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします。それでは早速テオ様のいるお部屋へご案内させていただきます。この城は少々複雑造りになっておりますので、なるべく私と離れないようお願い申し上げます」
セドリックはクール系の美男子だ。
薄く水色がかった灰髪にサラサラヘアーで、ピシッとした姿勢を一切崩さずに歩き出す。
テオ様直属ということは、私とリディの関係に近いのかもしれない。
(こんな立派な執事がいるなんてベネットはいい国ね。リディももう少し主人を労る気持ちがあれば……)
リディにはリディのいい所がある事も十分理解している。
彼女の存在が過去の私をどれだけ救ったことか、数えたらきりがない。
でも、王国だけではなく帝国中のほぼ全てのメイドは主食を猛獣だとか言わないはず……
そう、もっと主人をたてるはずなんだ!
(こればっかりは私の常識が間違っていないと断言出来るわ)
歩いている時、ほとんど会話をしなかったから一人で妄想に浸かってみたり、邸にいるリディについてしみじみと考えてみたりする。
私が留守の時、邸ではロゼットが私の代わりに邸の主導権を握ることになっている。
以前、ロゼットが「そろそろ邸を大掃除したいですね」と言っていたのを私はしっかり聞いていた。
今頃邸にいる皆はロゼットの命令で大掃除を刺せられている頃だろう。
ユーリはきちんと真面目に掃除をするだろうけど、ノアは多分どっかに隠れて寝てると思う。
その様子を頭に思い浮かべて、あははと乾いた笑いをする。
「──セドリック、テオ王子のお部屋まで後どのくらいなのかしら」
「もう少しで御座います」
「………」
城の構造はセドリックが言った通り本当に複雑で、階段があちこちにあり、いざ上ってみると想像していた場所とは別のところに辿り着く。
私一人だったら今頃迷ってしまっただろうからセドリックを付けてくれてサミュエルには本当に感謝している。
でも一つ聞かせて。
なぜ城の構造をこんなにややこしくしたの!
疲れ果てて明日筋肉痛になりそう。
少しでも現実の疲れから逃げるべく、だんだんと瞑想状態に入り、いよいよ聖職者並に無の心を得た。
「着きました」
「はへ?あ、(ゴホン)。この中にテオ王子がいらっしゃるのね」
あまりに長い道のりで無と化していた状態に声を掛けられて、うっかり間抜けな声が出てしまった。
直ぐに咳払いで誤魔化したけど……
チラッとクレアの顔を見ると口元に手を当てて体を震わせていた。
これってもしかしなくても失礼にあたりますかね。
怒ってるの?ねえ、怒っているというの?
「えと、喉に違和感を感じて。け、決して誤魔化そうとした訳じゃないの!たまたま咳払いしたい気分だったというか……」
慌ただしく手を振り身振り手振りで説明するも、その言い訳の内容が酷いものだと言うことに自分でも気づいた。
喉に違和感って……咳払いしたい気分って……
恥ずかしさよりも諦めが勝った。
「ははっ、ラヴィニア様はとても面白い方ですね」
セドリックの顔を覗くと隠しきれていない笑顔があった。
ただ笑っていただけどわかり、怒っていないことにホッとした。
(そういえばユーリと知り合った時もこんな勘違いしたっけ。勝手に勘違いした私も悪いけど、もうちょっとわかりやすく笑ったって誰も怒らないと思う)
声には出さず一人心の中で呟き、うんうんと頷いているとガチャと内側から扉が開く。
「うるさい。静かにしてくれない?僕の貴重な睡眠時間が削れる」
中から姿を現したのは銀の髪と青い瞳を持つサミュエルそっくりな顔立ちの男の子。
だからこそ信じられない。
今私が聞いたのは幻聴ですか?
セドリックはもう手馴れたもので特に反応する様子もなく黙って扉の脇の方へ移動する。
「セドリック。この女は誰」
「この方はフローシス帝国の皇女、ラヴィニア様でございます」
「へぇ。皇女様、ねぇ」
「初めまして、テオドロス王子」
「ふぅん。見た目以外はどこにでもいるつまらない女みたいだけど」
ブチッと私の中の何かが切れる音がしたけど、無理やりそれを繋ぎ止める。
とにかく態度が悪いぞこの王子。
「私、仮にも歳上なんですけど!?」
「じゃあお姉さんらしいことしてみてよ」
「うっ、そ、それは……」
「ほらできないんじゃん。年上扱いされたいならそれ相応の行動で示してからにしてよね」
これがまだ六歳児とは、サミュエルはどんなふうに育てているんだ。
サミュエル自身はテオドロスを愛しているようだから家庭環境はいいはずなのに、一体どうしてこんなふうに育ってしまったんだ。
どこで道を踏み外したテオドロス……っ!
悔しさのあまり目から零れた一滴の涙がキラリ光る。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ところで、エルヴィス君や」
「………」
「え~~。せめて返事くらい返して欲しいな~。もう!」
「チッ。面倒くさい。早く言え」
席を向かい合わせて紅茶を優雅に楽しんでいた最中に突然サミュエルが話を切り出した。
サミュエルがウザ絡みで話し掛ける時は、大抵こちらが面倒くさい話に入る前触れのようなものだから、無視して終わろうと思っていたが、今回はしつこかった。
持っていたティーカップを皿の上に置き、仕方なく話を聞く体制になってやると、目の前の国王は学生時代から変わらぬ笑顔で喜んだ。
「君の娘のラヴィニアさん。あの子すごくいい子だよねえ」
ラヴィニア。その単語にピクッと眉根を寄せる。
「なぜあの娘の話が出た。関係ないことは口にするな」
「うわぁ、あからさまに嫌そうな顔。でも残念。一応国の将来に関わる重要なお話だから、最後まで聞いてくれるかい?」
「手短に話せ」
「ふふ。あんな丁寧で更に皇女ともなったら、彼女の未来の旦那さんはよっぽど秀逸で、尚且つ皇女という身分に釣り合う立場を持った人間でないといけないだろ」
「………」
昔から、話相手にその先を考えさせようとする言い方がいちいち気に食わなかった。
まるで挑発するように不敵に笑うサミュエルは俺の不機嫌な感情を察しているにもかかわらず、その後を続けた。
「だったら僕の息子と婚約させようよ」
あまりに予想通りの解答でため息が出る。
政略結婚なんてどこの貴族だって行っている事だ。
──俺も婚約するはずだった。
だが生まれたのが女である以上、それに見合った身分の相手と婚約させるには、それこそ他国の王族か自国の王に近い関係の貴族しか婚約は認められない。あくまで世間が思う程度の意見だが。
「帝国としても悪い話じゃないと思うよ」
「ああ。悪い話ではない。帝国としてはな。俺はあの娘に無理に婚約させるつもりはない。俺の迷惑にならない程度に好き勝手に生きていれば関わるつもりは無い」
「………」
今度はサミュエルが黙る番だった。
驚いたと言わんばかりの表情で俺を凝視する。
「まさか君がそこまで肩入れしていたなんて驚いたよ。君は昔からどこか他人と距離を置くタイプだったから、てっきり娘に対してもそうなのかと思ったけど」
「ラヴィニアに対して興味はない。だが政略結婚させるならもう少し先だ。あの娘には価値がある」
「やっぱり、自分の娘も国の道具なんだね」
他人事のはずなのにサミュエルはその薄っぺらい笑顔に影を落とした。
俺にとってラヴィニアは大切な駒。
そうでなければいけない。
そう思わなくてはいけない。
──彼女のために。
「雑談は終わりだ。さあ、会議を始めよう」
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