20話・冬の季節になりました③
私は今、ラヴィニアの捜索を依頼した噴水近くのベンチに腰掛けて俯いて座っている。
──心の奥底には真っ暗に塗り潰された世界があって、そこにはもう一人ユーリ・ロンドという人間がいる。
始めてラヴィニアと出会い、一生忠誠を誓おうと決め、晴れて専属騎士になることができ、自分がそこで止まってしまったことに今更気づいた。
大事な時に大事な人を守るために騎士になったのに。
自分がついていながら先程も彼女は屋根の上から落下してオリジンがいなければ死んでいたかもしれなかった。
(何が専属騎士だ。守れてないじゃないか)
下唇を噛み締めて悔しさに目を瞑る。
悔しい想いをする度に唇を噛むことがクセとなっていた。
そのせいで口の端にプツッと小さく切れ目が入り口内で唾液と血が混ざりあって鉄の味がした。
──現実世界の自分の気持ちと呼応してユーリ・ロンドは暗闇の中へと引きずり込まれる。何も無い、何も考えなくていい世界へ誘われる。
気分はもうどん底を越えて地獄へ到達してしまえる程沈みこんでいた。
「──いつもみたく笑って、ユーリ」
「っ!?」
突然、背後から声を掛けられて反射的に振り返る。
太陽にも似た明るく眩しい笑顔のその人は紛れもない忠誠を誓ったただ一人の主、ラヴィニアだ。
普段だったら気配を察してすぐに対応できるのに、まさか自分の主の気配すら感知できなかったなんて。
──その笑顔に何故か真っ暗なはずの空間に一筋の金の光が差す。
冬だというのに汗が滲み息が荒くなっているラヴィニアを見るに、必死に自分を追い掛けて探してくれていたのだと瞬時に理解する。
それと同時に、主に走らせてしまった事と自分のこの情けない姿をみせてしまった事とが重なって更に落ち込み、何を言えば正しいのか脳が正常に判断できなくなり、ついには俯いてしまった。
それこそ本末転倒だというのに……
「ありがとう」
「……え?」
「ユーリが街の人に呼びかけてくれたんでしょう? 私を探して欲しいって」
「でも結局、姫様を危険な目に遭わせる羽目になってしまいました」
「そうね、あれは危なかったわ」
あはは、と当時を思い出し愉快そうに笑うラヴィニア。
(彼女が屋根から落ちたあの瞬間。私だったらあの時駆けつけられていたかもしれない。どうして守れなかった。どうして走らなかった。どうして今、私は逃げ出したっ)
悔しい気持ちが胸いっぱいに広がり黒いモヤのようなものが心を埋め尽くす感覚に襲われた。
「あなたは私の騎士よ!!」
そう強く断言する彼女の顔は些細な不安など一気に吹き飛ばしてしまえそうなものだった。
けれど、嫉妬や後悔、自分の醜くて汚い部分を正面から見つめられている気がして酷く動揺し、膝の上に置かれただけだった拳にギュッと力が入る。
「もちろん皇女である私の騎士として、それ相応の実力と才能を持っていることは知っているし、評価しているわ。でもね、ユーリ。実力も才能もある人なんて世の中探せば大勢いるのよ」
「いつから姫様はそんな上げて下げる鬼畜スタイルになったんですか」
「話は最後まで聞くものよ」
ラヴィニアは口元に軽く握った手を当てコホンッと一つ咳払いをすると、その白く透けそうな指先を私の胸元へと付け唇を動かす。
「あなたは私の騎士。誰がなんと言おうと私の騎士なの。優れていようとなんてしなくていい。ユーリはユーリよ。他の誰でもない。私から見たらあなたはいつだって優しい笑顔で、たまに真剣な表情で、だけどどれも私の為の顔。私の自慢の騎士」
大輪の花のような笑顔を向けられて、それがすごく綺麗で、上手く声が出せなかった。
──光から差し出される手は暗闇と同化しかけていたユーリの手をしっかりと握り、ゆっくりと引っ張りあげた。
そこで目に映る笑顔と心の中にあるラヴィニアの笑顔が重なる。
この笑顔にどれだけ助けられただろうか。
いつも元気で明るくて、振り回されることも多かったけど、それが不思議と心地よくて、救われていた。
初めて会ったあの時から、貴方は私を救う光だったんだ。
「やっぱり、あなたはいつだって私の太陽なんです。だから、そんなあなただからこそ、私は好きになったんです」
「? ユーリ?」
チュッと軽やかなリップ音をたてて胸元に当てられていた白い手の甲にキスを落とす。
「───!?!?」
「本気、ですよ」
真剣な表情で告げるとそれが真実で何一つ偽っていない本心だと理解し、今度は突然の告白についていけないとボンッと一度爆発したラヴィニアの頭。
真っ赤に紅潮した頬は出会った時と同じで、視線は留まることを知らずひたすら泳いでいた。
照れた顔を見られるのが恥ずかしいのか、素早く背けようとするラヴィニアへ私は敢えて顔を近付ける。
「一旦待って!」といつになく焦った声が動きを制した。
少し時間が経ったというのにまだ頬を赤く染めているラヴィニア。
大きく息を吸い込み、吐き出しを繰り返し呼吸を整えると、覚悟を決めた顔でいつものように視線を合わせる。
「ユーリ、ありがとう。でもごめんなさい」
「そう言うと思いました」
「私は怖いの。家族という枠からはみ出た後のことが。私の大切なものはいつも、求めすぎて壊れてしまうから」
ラヴィニアの表情は暗く、その目は今を映しているようで、遠いどこかを嘆いているようにも見える。
「私の過去は私一人が背負っていけばいい。誰も巻き込まないし、巻き込みたいなんて思わない。一緒に背負って欲しいなんて思っちゃいけないの。私にはまだその準備ができていないから」
ラヴィニアが言った最後の言葉の意味はわからない。
今思えば彼女は家族という枠を執拗にこだわって大切に守っていた。
誰にも家族以上の関係を求められない、その理由は彼女のもっと深い所に位置する何かが原因だろう。
今の私にはどうすることもできない。それにラヴィニアがそうなった理由を聞くことだって叶わないだろう。
だから──
「私は姫様の騎士。今までもこれからも、それは変わりません」
騎士にとって主は絶対的な存在。だから彼女が苦しむ姿も悲しむ姿も見たくはない。
(私ではダメなことは最初からわかっていた。姫様はその小さい体一つで家族を守ろうとしている。それを支える役目は私の役目ではなかったということだ。だけど、いつかきっと、姫様を支えてくれる誰かが現れる。いや、もう現れているのかもしれない。その時まで、私が姫様を守る騎士の役目を果たそう)
彼女にはただ毎日笑っていて欲しい。
「さあ、帰りましょう姫様」
姫様の手を取り笑顔であのうるさく騒がしいもうひとつの家族の元へ走り出した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
手を引かれた先で待っていたのは、邸からの迎えであろう馬車に寄りかかって腕を組んで立つノアと大きく手を振って笑顔で迎えるシェリーだった。
二人が見えるくらいの距離に近づくとユーリは繋いでいた手を離し、隣を私のペースに合わせて歩いていた。
シェリーはある程度距離が近くなると猛ダッシュで駆け寄りジャンプして私に抱きついた。
「ラヴィニア様~~~っ!」
「わっ!」
あまりの勢いに後ろへ倒れそうになったのをユーリが腰に手を回して支える。
「あ、ありがとうユーリ」
「いえ、これも騎士の役目ですから」
上手くユーリの顔が見れない。
お礼を言う時に目を逸らしてしまうなんて失礼極まりないけれど、どうしてもユーリの目を見れない。
顔が熱く感じるのはユーリの言葉を、あの告白を意識しているからだ。
そんな私を見て、肝心のユーリは嫌な顔一つしないどころか、何故か万遍の笑みで微笑みかけている。
その笑顔の理由はわからないけど、無礼な振る舞いをした相手に対して笑顔を向けるユーリにギョッとして険しい顔で後退りした。
「………何があったんですか」
「し、シェリー、 何かありましたか、じゃなくて?」
「そんなの、ラヴィニア様たちの様子を見ていればわかります。ラヴィニア様の少し赤くなった頬、 それを見て嬉しそうに微笑むユーリさん。 これで何も無いと言い張れる理由を聞かせて頂きたいくらいですっ!!」
「お、落ち着いてシェリー。どうどう」
「私は馬ではありません!!」
間髪入れずにツッコミをするシェリー。
だいぶ興奮しているようで、胸の前でグーに握る手を上下に振って顔を近付ける。
ジトーと怪しむ目を私に向け数秒後、隣で待機するユーリに顔を向け睨みつける。
その様子はメドゥーサの如く髪をワナワナさせ、眼光だけで相手を石化させてしまえそうな勢いだった。
しかしそれをものともしないユーリ。
私の目の前では究極の心理戦のようなものが行われていた。
「おい、早く帰るぞ」
ずっと黙って見ていたノアが私とユーリを一瞥した後、親指を馬車へ向け中へ入るよう促す。
ユーリとシェリーの謎の攻防戦、というかシェリーの一方的な攻撃をユーリが笑顔でスルーしているこの状況は終わりそうに無いので、背中を押してせっせと馬車の中へ詰め込む。
全員乗り込んだことを確認した御者は手網を引き馬を走らせる。
邸へ着くまでの間、ノアはただ窓の外を感情の無い目で見ていた。
シェリーのように私に何があったとかそういうことは一切聞くことなく黙って外を眺めていた。
「そういえばラヴィニア様。新しいお洋服をお買いになられたのですね。とてもお似合いで可愛らしいです」
「え? あーうん、ありがとう。本当はシェリーの服を買いたかったんだけど、お店の人の押しに負けちゃって」
「私はラヴィニア様のそんな可愛らしい姿を見れただけでもう十分嬉しいですから」
背景に花畑が見える空間を生み出しほのぼのと会話をする。
こんな時間が永遠に続けばいいのにな、なんて思っているうちに邸に到着。
部屋の中で飲む温かい飲み物が体に染み渡る。
自室のベッドで一人寝そべっていると今日一日の記憶が頭の中をぐるぐると駆け巡る。
じっとしていればしている程ユーリの告白が鮮明に思い出されて、その度に恥ずかしいという感情が生まれる。
それとは別に私の中には暗くて重い塊が見え隠れしているのを感じ取った。
グランセシルのルークはマスターで母親も同然の存在であるアウロラに恋をしている。
(でもユーリは家族でノアもシェリーもリディもみんなみんな家族で、それ以上私の深くへ入ってこられたら……)
──こられたら?
家族の絆は永遠で、絶対に離れてはいかない。そう信じているし、そうでありたいと願っている。
何かを望めば何かを失う。
だから私はそれ以上を求められない。
処刑されたと私同じ私にはなりたくない。
トントントンと扉をノックする音が聞こえる。
「はーい」と返事をすると鈍い音をたてながら扉はゆっくりと開く。
そこにはノアが立っていて、その姿を見て私は何故かホッと安心した。
ノアはずかずかと部屋へ足を踏み入れ未だベッドで寝そべる私の額にデコピンをお見舞する。
「あいたっ! ちょっと、いきなりデコピンって何事よ!?」
「今から修行か雪合戦か、どちらか選べ」
「え、本当いきなりどうしたの?」
「いいからさっさと選べ」
「じゃあ雪合戦で」
「だったら十秒で支度して庭まで来い」
急な展開すぎて何がなにやら。
考える暇もなく、言われるがままに支度を始める。
すると部屋から出ようとしたノアがボソリと呟いた。
「その格好。似合うと思う」
「……………へ?」
馬子にも衣装。とか言われると思ってたから不意打ちで急に褒められると照れるし、反応が遅れる。
それに普段はあんまり褒めようとしないノアがどういう風の吹き回しだろう。
熱でもあるのではと疑いたくなる。
しかし質問をする前にノアは扉の向こうへ姿を消してしまった。
(なんだろう私、熱でもあるのかな……)
体が熱くなっていくのを感じた。
額に手を当ててみるけど熱は無いみたいだし、どうしたんだろう。
ノアに褒められたことがお世辞でも嬉しくて、自分でもびっくりするくらいだ。
(いつもあのくらい素直に褒めてくれればなー)
「ラヴィニア様~~~!早く雪合戦始めましょう!」
「みんな待っていますよ姫様~~!」
「あたしも久々に本機出しちゃおうかしら」
「ジャスティンが本気出したら死人が出るからやめてくれ!!」
賑わう外からの声に不思議と笑顔になる。
ベランダへ出て大きく息をすい、
「今行くから待ってて~~~!」
大声で叫ぶ。
髪をポニーテールでまとめ駆け足でみんなの待つ庭へとむかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
雪合戦を楽しんでいる邸の奴らを俺は外のテラスから眺めていた。
この邸の連中は揃いも揃って祭り事や祝い事が大好きだから毎日が宴会のように騒がしい。
しかしそのどれもラヴィニアが孤独にならない為にと考えて騒いでいることは見ていればわかる。
ここの連中はなによりもラヴィニアを大切に思っている。
今行われている雪合戦でラヴィニアが笑っていることがそれを証明している。
雪合戦を楽しむラヴィニアを見て俺は街で感じた違和感について考えた。
屋根から落下したラヴィニアを抱きしめた時、二つの膨大な魔力を感じた。
そのどちらもラヴィニアのものでは無かった。
一つは説明の仕様が無い、次元がねじ曲がったような、この世のものでは無い何か。
そしてもう一つは、俺と限りなく近く果てしなく膨大な黒い魔力。
(まさかとは思うが………警戒、する必要がありそうだな)
笑顔で雪を丸めるラヴィニアを影で見守りながらその笑顔を守ろうと心に決める。
次回は27日投稿です




