1話・そうだ城下町へ行こう
「んん~っ!よく寝たぁ……わぁ~あ」
カーテンをシャッと開けて朝日に照らされた広い庭を眺める。
離れの屋敷とはいえ木々は綺麗に整っている。うちの自慢の優秀な庭師─ジャック─がいてくれるからだ。
そして驚くべきことに昨日の今日で本日の日程は決まっている。
昨日の夜やろうと思ったことを紙に記入していく。
一、街へ行き平民の生活を見る。
二、護身用として剣術を学ぶ。
三、ついでに魔法も鍛える。
四、なるべくお父様には関わらない。
だいたいこのくらいね。
これさえ守れば処刑回避出来るはず!
こうと決まれば早速行動あるのみよ!
と意気込んだものの……
「ねえリディ。もうちょっと地味なドレスはないの?」
「残念ながら姫様。これでも一番地味なものを選んだのです。以前はもう少し子供らしいドレスをお選びしていたというのに……子供の成長とは早いものですね」
唐突に母目線でしみじみと自分の言葉に頷き始めたリディ。
差し出されたドレスは桃色の生地に宝石の散りばめられたものだった。
ほかと比べればそれが一番地味だというのは一目瞭然なのんだけど。
うーん、いまいちパッとするものがない。
そこで私は閃いてしまった。
ふっ、これはかなりの名案よ。
「ねえリディ。リディの持っているドレス、貸してほしいな♡」
「うっ……!そ、そんな可愛くおねだりされても出来ません!」
一筋縄では行かないか。
チッ、と陰で子供らしからぬゲス顔。めげずに何度でもオネダリを繰り返す。
きっと今の私はこれまでの中で1番キラッキラ、クネックネしている事だろう。
「こ、今回だけですよ!?………もう、私いつ首が飛ぶかわかりません」
ようやく折れた我が専属メイド。思わず笑顔でガッツポーズする私の傍らで顔に片手を当てガクッと項垂れている。
基本、リディは私に甘いから少しでも見込みがある場合粘れば勝利は確実なのだ。
「ありがとうね、リディ」
「もうっ、こういうことは今回限りにしてくださいよ!?」
「ええもちろんよ!次から着る服は今日調達するわ!!じゃっ、着替えてくるわね」
「え、ちょ、待ってください姫様。今日調達って……今回限りって言いましたよね? 着替えに行く前にちゃんと話をっ……ひ、姫様ああぁぁ!」
ガタガタ揺れる馬車内は私とリディの二人だけ。護衛は居ない。
元々あの屋敷は私しか住んでいないため護衛どころか使用人も少ない有様である。
少ないなりに上手く回っているのだから今ではすっかり快適だ。
正直なところ、普通の皇女ってもうちょっと優雅な生活をしていると思うんだけどね。
世間で私は「隔離姫」とか「幽霊皇女」とか何とか呼ばれていたりするのをたまたまメイドが話しているのを聞いて知った。
実に不名誉な話だ。
(社交界に出るのは十二歳。今から約四年後ね。できればそれまでに皇女の座を安心しておりられる準備をするのよ。シェリアが来る頃には城からおさらばしたい所ね)
しかし現実はそう上手くは行かないものだっていうのはよくわかっている。
何より自分以外の誰かを動かすとなれば余計難しい話だ。あの父のように。
色々と考えながら馬車に揺られること数分後。思いの外早く城下町へと着いた。
邸へと走る馬車を見送りながら早速街を探検する。
ちょうどなにかのお祭りが開催されていたようで街はより一層明るく楽しげな雰囲気に包まれていた。
「見て見てリディ! こっちのお菓子すっごく美味しそう! あっ、こっちのドレスは落ち着いた色でとても綺麗ね……こっちにもあっちにも素敵な物がいっぱいよ! もしかしてここが天国なの?」
見るもの全てが新鮮で楽しくて街の人の笑顔が私をもっと楽しい気持ちにする。
あれもこれもと見て回る私をリディは傍らで「姫様ったら」なんて言いながら微笑みながら見守ってくれている。
どんどん続く帝都セントラルの視察。
視察と言いながらもちゃっかり楽しんじゃってる皇女を見てメイドが微笑む、謎のほのぼの空間が生まれていたことに気づくのはそれから少し経ったあとである……
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
見たことの無いものを見て経験して街の人に合わせて慣れない楽しげなダンスをしたり、オシャレなランチを食べたり、ショッピングしたりと忙しくも楽しい時間を過ごす。
リディは周りへの警戒を怠ることはなかったが、それでもいつもよりも足取りが軽く心から楽しんでくれている気がした。
だが問題はいつも唐突に起こるのだ。
暫く景色を眺めていて気づいた。
けれどその時にはもう遅かった。
いつの間にか薄暗い路地裏の方へと足を踏み入れていた。そのまま人混みに押され路地裏の奥の方へと押し込まれるように進んでいく。
困ったことに現在迷子です。
「精神的には二十七歳のお姉さんなのに……もう立派な大人なのに……迷子って………はぁ」
自分の今の状況に若干肩を竦めながらも出口へと向かっていく、つもりだったのだが。
おかしい………
一向につかない。出口へ出るどころか更にくらい方へと進んでいる気がする。
気のせいと思いたいけど、絶対違う。
一人になると思い出してしまう。あの夢の続きを。自分が死ぬその瞬間を。
考えて、思い出して、体が震えるのが怖くてただ出口へ向かってひたすら走る。
あまりに急いでいたからか、
「ぶべっ…いたたた」
顔面から盛大にコケた。
狭い路地裏通りだからなにかに躓くなんて至極当然のように思えるが足に当たった感触に違和感を感じた。
何に躓いたのかと顔の土を払いながら振り返る。しかしそれよりも先に躓いたなにかから声が発せられた。
「いった……、いきなり蹴るとかありえねー」
声からして男の子だろうか。
お腹をさすっているあたり、そこをダイレクトに蹴ってしまったのは何となく想像がつくけども。
あれは痛いわね。
あの感触からして溝落ちだろう。絶対に痛い。
フードを深く被っているから顔などの特徴はイマイチ分からなかった。
じいーと観察し続けていたら「視線が痛い」とか言い出してフードをめくる。
ふわっとした黒髪に、私と同じ血のような赤い瞳を持つ少年。背格好は同じくらいだろう。
「なんだお前。つーか誰だお前。人の顔ジロジロ見やがって、俺は見せ物じゃないからな。そんな見られたら穴が開くっての」
ただでさえツリ目気味な瞳をキリッと上げて文句を垂れるこの少年。
この国で黒髪は珍しい。一番色素の濃い色でも茶色くらいだろう。
だけど、そんなものよりももっと珍しいのはその瞳だ。
生まれたその瞬間から不気味だなんだと何も知らない他国の者から指を刺されて言われてしまうようなこの赤い瞳。
それはこの国だけでなく隣国を含めた多くの国で珍しいとされ、このフローシス帝国では王家にだけ伝わると言われている。
それ程までに類まれなる容姿をしている少年ももしかして迷子だろうか。
同族を見つけた動物の気持ちが分かった気がする。
「カッコつけちゃって~。本当は迷子仲間のくせに~」
「はあ? 一緒にするなこの方向音痴。なんで出会ったばっかりのやつにこんな馴れ馴れしくされて、オマケに迷子だなんだと言われなきゃいけないんだ。俺は元からここにいた。お前みたいな迷子とは違う………それに、いざって時は魔法でいくらでも……」
後半なにか聞こえた気もしたが気のせいだろう。
睨み攻撃継続中だが何故か怖くない。
むしろ好奇心の方が強いというか、なんかワクワクしてきた。
そんな生き生きした迷子─つまり私─を見て、ついついため息がもれている少年。
すると突然、ピクっと何かに反応し辺りをキョロキョロし始める。
今度は一瞬迷ったように考え込み、自分の頭をくしゃりと掻き混ぜた。
どうしたのかと顔を覗き込むように見つめると「おい迷子」と声をかけてくる。
「なんでしょうか。私、迷子だけど迷子って名前ではありません。私はラヴィニアです」
「迷子なのは認めるのかよ……じゃあラヴィニア。出口まで連れてってやるから、俺の腕を掴め」
思わず「はい?」と声に出た。
腕をつかめとはどういうことだろう。
出口まで連れていってくれるのは有難いが、彼の後ろをついて行けばいい話だ。
嫁入り前のレディーとして腕を掴む、しいては腕を組むという行為は避けねばならない。
私のしかめっ面はそこを知らぬほどに深く刻まれていく。
すると突然寄りまくった眉間に「ていっ」とデコピンが飛んでくる。「あ、やられる」と思った時には時すでに遅し。
クリーンヒットして地味に痛い。
「ばーか。ここから出口まで歩くなんて一言も言ってないだろ。魔法で転移すんだよ」
「えっ……!魔法つかえるの?その歳で転移魔法まで使えるなんてすごい……すごすぎて言葉も出ないわ」
私の褒め攻めに「いいから早く掴め」と催促する。なにか焦っているようにも聞こえる彼の口調。
彼を信じて腕をつかんだ瞬間。
ヒュンッ
周りの時空が揺れるのを肌で感じた。
「きゃっ……!」
思わず閉じた瞼をゆっくりと持ち上げると初めに入った路地裏通りが目に入る。
本当に一瞬で転移してしまった。
もしかして彼は天才なのだろうか。実に羨ましい。
こんな天才ならきっといい師匠になってくれるわ。
「ねえあなた名前教えて」
「言う必要は無──」
「ある!私にはあるの!」
「………ノア。俺の名前はノアだ」
名前を教えてもらったのが嬉しくて、何度も「ノア」と忘れないように言葉にする。
その度に顔の綻びが収まらない。ニヤニヤが止まらない。
最後にはまた、変な顔すんな、とノアが額にデコピンする。
「ノアは魔法を完璧に使いこなせるのね」
「生きるために必要な事だからな。ここら辺の路地には生きるために必死にな奴らが大勢いる。時々簡単な魔法だけ教えに来ているんだ」
「ノアはここに住んでいる訳では無いの?」
「ここへは仕事のついでに来ているだけだからな。それに定期的に見に来ないと面倒な奴らが増える」
「面倒な奴ら?不良とか?酔っ払い?」
「もっとタチが悪いやつ。ま、言ってもわからないだろうし、この話は忘れろ。だがいいか、今度からは絶対にここには近づくな。ここはお前みたいな良いなりしているアホ娘が来るような場所じゃない」
突き放すように、投げ捨てるように告げるノアの言葉は一見冷たく見えるけど、本当はとても優しさに溢れているのだと気付かされる。
優しさも実力もあって、実際に魔法を教えているなんてこんな好条件な物件、他に無いだろう。
意を決して私はノアへと一歩詰寄る。
「ノア、私の先生になって」
「は?」
「私も生きる為に魔法を覚えなくてはいけないの。魔法を覚えて、自分で歩けるようにしなければ、私はまた終わってしまうの」
ノアの長いローブの裾をギュッと掴みながら懇願するように頼み込んだ。
私にも魔法が使える。ノアのように器用にとは行かないけど、生きるため、幸せになるために魔法を覚えることは決して損にならないはずだ。
出会って間もないどころか、こんな出会った瞬間のよくわからないヤツに魔法を教えるなんてきっと嫌がると思う。
私が同じ立場なら多分即答で「嫌」と一言言ってやることだろう。
例え断られても何度でも頼みこもうと思う。私にある選択肢はもう限られているのだから。
そんなことを思っていた私だけど、ノアの返事は意外そのものだった。
「別に構わないが、さっき言ったようにこっちにも生活掛けた仕事があるから、ほとんど先生なんてできないと思うぞ」
理解が追いつかなくて初めは「あぁ」とか「うぅ」とかしか言えなかったけど、だんだん正気を取り戻し、それでも教えてくれるなら、と声に出す。
こんなに簡単に決まっていいのでしょうか。
なんて逆に不安になりつつもスラスラ決まっていく予定。
大丈夫よ。きっとどうにでもなるわ。
本当に大丈夫よね?
「俺夜しか空いてないから。お前は普通に家にいてくれれば構わない。暇になったら教えに行ってやる」
「そんな二つ返事でいいの?もっと考えなくて平気?」
「本気なんだろ。俺は生きるために必死になってるやつを見捨てたくはない」
「あ、ありがとう」
「用事はこれで全部か? じゃあさっさと大通りへ戻れ。いいか、絶対にここを抜けるまで振り返るなよ」
有無を言わさぬその勢いに、半ば強制的に頷かされ、されるがまま大通りへと押し出された。
言われた通り、路地を抜けるまで絶対に振り返らず、無我夢中に路地の一本道を抜けた。
大通りに出て振り向いた時にはもうノアの姿はどこにもなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
リディと合流したのは迷子になってから数時間後であった。
「姫様ああぁぁあ! 私すごく探したんですよ!? ものすっごく心配したんですからね!」
号泣しながら抱きつくリディによしよしと頭を撫でてあげる。
しかし探しながらも充分楽しんだようだ。
はぐれる時まではしなかった甘い香りがほんのりと漂ってくる。
(これは街の人が美味しいって言ってたパン屋の匂いでは!?)
ジト目で訴えると、身に覚えがあるのかスィーと視線が泳ぎ始めた。
この、確信犯め!
すっかり夕方になって人も徐々に減っていく街は朝の時よりも落ち着いていて、これはこれで嫌いではないなと思う。
邸のメイドたちにお土産を買ってから馬車で帰路につく。行きと同じように揺らされながら満足して帰る。
何よりノアに魔法を教えて貰えることがとても嬉しかった。
邸へ着くとメイド長のロゼットが出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ姫様。夕食の準備は出来ておりますよ」
「ありがとうロゼット。でもその前にお土産があるの」
背中にまわしていた腕をジャジャーンなんて効果音がついたように見せると、ほかの仕事をしていたメイド達も「なんだなんだ」と近づいてくる。
ある程度人数が集まったところで手にぶら下げていた白い箱に入っているいっぱいのパンをみんなに見せびらかす。
みんな喜んで「姫様大好きっ」なんて言ってくれたりする。
私もみんな大好きだぞ。
この時に戻ってまだ二日。
未だに父とは会っていない。
きっと今会ったら気絶してしまうくらい衝撃を受けると思う。
だからまだ会わないし、会いたくない。
将来のため、選択肢を一つでも増やそう。
そう改めて決心する皇女であった。