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丸い視界

作者: 柿原 凛

 アイツの黒縁メガネの丸いフレームに、果たして四角い教室のすみっこにいる私は映るのだろうか。どうせなら四角いフレームにしてくれたなら、ちょうど四隅のうちにいる私もその視界の中に入ることができるだろうに。


 でもいいや。どうせこちらからは見えないんだ。私は教室のすみっこで、はじめてのコンタクトレンズに苦戦している。


 私はいつもメガネを掛けている。でも、その眼鏡は1時間目の体育の時に壊れてしまって。仕方なくずっと挑戦しようと思ったけど遠慮してカバンの中にしまっておいたコンタクトレンズの封印を解いたのだ。


 あのとき挑戦しようと思ったのは、テレビのCMを観て勇気をもらったからだ。コンタクトレンズに変えて新しい自分をデビューしよう、と私に言い続けてくれたような気がしたあのCM。私は別に今の自分でも耐えられるけど、できることなら少しだけでも変わりたかった。というか、アイツと話せるようになるためには、変わらなければならないと思っていた。


 だから買ったのに。結局変われなかった。というか、コンタクトを付けられなかった。私は性格的に不器用だが、手先も不器用なのだ。コンタクトレンズをつけるのが、こんなに難しかったなんて。結局その時はもう一生眼鏡でいようと決心したのだった。


 でもこんなふうに、眼鏡が使えなくなることは考慮していなかった。完全に私のミスだ。でもこれはある意味、変われるチャンスなのかもしれない。このコンタクトを上手く入れられたら、少しは変われるのかもしれない。


 でも、もしも変われたとして、アイツに見てもらえなかったら同じことだ。アイツの視界に入れなければ、変われたとしても意味がない。あの大きな瞳に直接映らなければ、私はいないのと同じだから。


 そんなアイツが、今日は珍しくメガネをしている。アイツ、目、悪かったんだ。スポーツマンだし目が良いんだと思ってた。


 アイツは新学期早々クラスの中心人物として常に教室の中心にいる。一番遠いのはすみっこにいる私。わかり易すぎるこの構図。そうか、多分、遠いから私のこと見えてなかったんだ。ということは、メガネを掛けている今のうちなら、私はアイツに見えていて、しかもコンタクトで新しい私に生まれ変わっているはず。上手く行けば……一発逆転もありうる。


 でも。

 アイツのメガネは丸い黒縁。四角い教室のすみっこまでは届かないかも。じゃあ私から近付こうか、なんて思うけど、すみっこ族の私にそんな度胸はない。見つけられないと輝けない宝石なんだと自分を慰めつつ、異物を目に入れる恐怖に立ち向かう。


 コワイ、痛そう、眼鏡がいい。何度心の中で繰り返したことか。

 しかもよりによってなんでこんな時にアイツはメガネで視力をアップさせているのか。

 丸いフレームなのが幸いしている。今ならきっと見えていない。見えていないうちに私は変わるんだ。

 すみっこ族を脱してアイツの視界に入るには、今が最大のチャンスなんだ。


 でも結局入れられなかった。2時間目も、黒板に何が書いてあるのかさっぱり分からず、ただ目の前で板書しているふりをするばかり。変な汗も出てくるし。それでとうとう、昼休みになってしまった。


 鞄の中で手だけで弁当箱を探す。だってどうせ見えてないし。

 ものすごい至近距離で包の結び目を解く。だって見えてないから。

 弁当箱を開いて食べようとしたその時。箸が床に落ちた音がした。

 慌てて下を見てみても、なんだかぼやけててよく分からない。木目の床と木製の箸の色がかぶっているというのも、なんだかアンラッキーな感じ。

 拾わなきゃいけないし、洗わなきゃいけないし、でもメガネがないから不安だし、どうしよう。


「ねえ」

 右側から声がした。聞き覚えのある声。

「箸」

 誰かがとってくれたんだ。

「ありがと」

 でも、どこにあるのか分からず、一瞬だけ触れて、受け取りに空振りした。

「お前、見えてないの?」

 あ、やばい。絶対からかわれる。こっちは丸腰だ。どうしよう。

「あ、えっと……その……」


 なんて言えば伝わるんだろ。どこから説明したらいいんだろう。


「いつものメガネは? 忘れた?」

「あ、うん、体育の時に壊れちゃって」

「まじかぁ。コンタクトは?」

「あ、うん、あるけど下手過ぎてつけられない」

「まじかぁ」


 聞き覚えのある声に重なって、お箸が机の上に置かれたカラカラという小さな音が聞こえた。


「俺、いつもコンタクトだから、つけてあげようか?」

「え? あ、じゃあ……」


 誰だかわかんないけど、そうしてもらえるのはありがたい。自分では何度やってもできないから。終わったらちゃんとお礼しなきゃ。


「おっけ。ちゃんと目ぇ、おさえてて。閉まらないように」

「はいっ」


 それはたしかにうまかった。全然痛くないし、なんならちょっと良い匂いするし、スルッと一瞬で終わった。異物感は多少はあるけど、思ったほどではない。この人、上手い。目をパチパチして、黒板の方を見ると、さっきの授業のときの消し忘れがはっきり見えた。いつもの視界が戻ってきて、ほっと息をついた。


「はぁ、見えた、良かったぁ」


 ありがとう、と言おうと振り向いた瞬間。目が丸くなった。

 目の前にアイツ、いや、吉岡くんがいる。

 メガネ越しの吉岡くんの瞳の中には、メガネをしていない私の顔がはっきりと確認できる。吉岡くんの瞳の中に、視界の中に、私がいる。というか、私しかいない。

 ということは、吉岡くんが私にコンタクトをつけてくれたっていうこと。吉岡くん、目が良いんじゃなくて、いつもコンタクトだったんだね。

 なんでも似合いそうな端正な顔立ちに映える、丸い黒縁メガネ。メガネでいつもより小顔が際立っているような気がする。真正面から見たそんな吉岡くんの真顔が眩しすぎて、ゆっくりと手元に視線を戻した。


「よかったな。メガネより全然いいじゃん」


 何も返せない。見られない。固まってしまう。

 無理だよ、吉岡くんだもん、あの良い匂いも吉岡くんなんだ。ダメだよこんなの。

 褒められるのに慣れてないのに。なんて言ったら良いんだろ。


「ていうかなんでコンタクト持ってたの?」


 そんなの言えるわけないじゃん。吉岡くんに見てもらうためだよ。

 でも、なんとか答えなきゃ。答えなきゃいけない。


 と思っていたが、吉岡くんはいつの間にか私の前からいなくなって、またいつものメンバーと教室の中心で盛り上がっていた。

 そりゃそうだよね。すみっこにいる私といるより、中心にいたほうが楽しいよね。何も答えられない私といるより、中心にいるみんなといるほうが良いよね。

 珍しくメガネをしている吉岡くんをガリ勉だとかのび太だとか囃し立てているクラスメイト達。その輪に入るためのコンタクトだったのに、やっぱり駄目だった。丸く収めてくれた吉岡くんに、ありがとうの一言も言えなかった。


 でもいいや。

 黒縁の丸いフレームのメガネでも、四角い教室のすみっこにいる私を見つけてくれて、助けてくれた。別に丸いからってすみっこまで目が届かないってことはないんだよね。いつかまた、話すチャンスはあるよね。

 少なくとも向こうからは私は見えてるんだし。

 それだけでお腹いっぱいだ。


 ちょうど始業のチャイムが鳴って、四角い弁当箱が四角い机の上に残ってしまった。急いで丸めてカバンに詰めて、吉岡くんが作ってくれた丸い視界で初めて授業を受けた。

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きかく
― 新着の感想 ―
[良い点] 文章に自然なリズムがありますね! それが内省的な一人称のこの作品によく似合っています。 意識されてか無意識か、もっと御作を読ませていただかないとわからないという、不甲斐ない読者ですが。 …
[良い点] 情景描写、心理描写ともに自然なもので、どこにも無理が感じられませんでした。しっかりと描写されてあるのもあって、文を『読む』という意識がなくても、文章がすっと頭に入ってきました。 中盤の『…
[良い点] 甘酸っぱい、隅っこ女子の心情をうまく表現していますね。 黒縁の丸いフレームのメガネでは、四角い教室のすみっこにいる私に気付かない と言う表現、とても好きです。 最後にも出て来てなお良か…
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