オリオン
妹はしばらく立ち尽くした。腕組みをしたあと、僕に尋ねた。
「ハルちゃん傘は?」
そう、僕は傘を持って出掛けたはずなのだが……。上から下までビショ濡れだった。
「あと、鞄は?」
そんなものは何処にもない。傘も鞄も放り出して来てしまった。
「あと……。もういいわ」
妹の言わんとしていることはわかる。
彼女が再び口を開く前に、スライディング土下座をした。
「妹よ、お願いがあります」
そして、額をこすりつけて嘆願する。
「その猫は一体?」
今度は子猫の両手を可愛く広げながら、僕は飛び上がった。
「この猫が飼いたい」
「ハルちゃん。ストップ」
妹は、難色を示す。
「ハルちゃん、猫を飼う経済的負担わかってるよね?」
「わかってる。そんなに裕福ではないのもわかってる」
「だったら、捨て……」
言いかけて、悩みながら妹は言い直した。
「元の場所に戻してきて」
「嫌だ」
「ハルちゃん」
妹は困った顔になる。
「僕が拾ったのに、また捨てるなんて嫌だ」
絞り出したように唸る。
りこは、観念した。
「わかったよ、ハルちゃん。言い出したら聞かないもん」
その通りだった。よくわかっていらっしゃる。
「ちゃんと勉強して環境省に就職して。約束よ」
「わかってる。りこにも不自由はかけないよ。約束だ」
そのつもりで名門校に進学したのだから。
「そこまで心配してないよ。だって、ハルちゃんは頑張り屋さんだもん。私も頑張るもん。いつかハルちゃんと同じように働くから。それなら猫飼えるでしょ?」
さすがは、僕の妹は自慢の妹だ。
「風邪ひくよ。ハルちゃん達はお風呂に行って」
改めて、自分の体を見るとビシャビシャ。さらにはドロドロだった。腕の中の子猫が短くニャーと鳴いていた。こいつも寒いのだろう。そそくさと僕は風呂場へ向かった。
お風呂場で、僕は猫を洗う。汚れていたので、黒猫かと思っていたのだが洗うと白い毛が見えた。
「おやおや」
さっぱりした僕はお風呂場から飛び出す。
「妹よ、見てくれ」
「どうしたの、ハルちゃん?」
「この野良猫、白のブチ猫だったんだ。ほら、白い体に茶色いの模様の点々だあるだろう?」
「それが?」
呆れながら、妹が猫にタオルを持ってくる。
猫を後ろ向きにして、子猫を広げて見せた。
「この模様。この点々が星座みたいなんだよ。ほら、これとこれとこれ。ちょっと足りないけど、オリオン座みたいだよ。すごいだろ」
「無理あるけど?」
「だから、この子の名前をオリオンにする」
「えっ?オニオン?」
妹は聞き返す。
「オリオンだよ」
「はいはい。ハルちゃんの好きにしなよ」
僕はオリオンを抱き上げ、高い高いする。
「今日からお前も家族だな」
ほっとしたような。嬉しいような気持になり、体の力がぬけていく。嵐のような出来事に疲れてしまったのかも。ああ、天井が白い。ふわふわする。
「……ちゃん、ちゃん、ハルちゃん」
遠くで妹の声がする。
そうだ、まるで夢を見ているみたいだった。
そうか、夢だったのか。
目覚めると、そこにはオリオンがいた。
「おっ?」
フカフカのベットで僕は寝ていた。
朝日がカーテンの隙間から入る。ああ、そうか夢じゃない。
「おはよう、ハルちゃん」
「妹よ」
「ハルちゃん、覚えてる?お風呂からあがって、オリオンを抱き上げたあと倒れたんだよ。運ぶの大変だったんだからね」
可愛く妹がプンプンしていた。
「ごめん。あっ、学校」
「熱があるよ。学校には私が連絡入れておいた。一日くらい休んでも大丈夫だから早く治してね」
「わかった」
体が重くて起き上がれなった。
「私は学校行くね。食卓に水とおかゆだけは置いてるからね。帰りに買い出しとのキャットフードも買ってくるから遅くなる」
妹は身支度をすませて、きちんと綺麗な恰好をしていた。
「りこのごはんは?」
「コンビニでレーションでも買うから」
「すまないな、妹よ」
「いいから、早く治してね」
パタンとドアが閉まって、妹は出掛ける。
濃い霧のせいか。
冷たい雨のせいか。
飛び込んで水路に落ちたせいか。
顔を赤く火照らせ僕は思った。
それとも君のせいか。
ああ、夢であればよかったのに。
優しい君のことだ。何か事情があったかもしれないのに。僕は何も聞きもせずに、彼女を引っ叩いた。君の頬を殴った手がまだ痛かった。ああ、悪い夢であればよかったのに。