完璧な君
それは偶然の出来事だった。
いつものように公園で天体観測をしようと、そのことばかり考えていた僕は、うっかり課題の提出を忘れてしまった。
しかたない学校に戻ろう。
薄暗くなりかけたオレンジ色の中、のんきに僕は公園から引き返す。
ふと、後ろから声が聞こえた。
「……くん」
「碧くん!」
「はい」
急に大きな声で自分の名前を呼ばれて立ち止まる。
振り返れば、水色の髪の美しい少女がいた。
神崎冬子。
その人だった。
「えっ?」
白い肌をほんのり朱に染めて、すこしばかり髪が乱れていた。
「忘れてるよ、課題のレポート」
レポートは、成績に関わる大事なもの。クラス委員の彼女は、気付いて追いかけてくれたのだ。
「ご、ごめん。有り難う」
「よかった」
彼女は、僕の課題を丁寧に受けとる。
「なに?」
僕は驚いていた。
「神崎さん、わざわざ追いかけてくれたの?」
「うん。私、クラス委員だからね」
嫌な顔をせず、彼女は微笑んだ。
「有難う。でも、悪いから。職員室に行って僕が担任に謝ってくるよ。神崎さんは先に帰って大丈夫だよ。ごめんね」
「そんなのかまわないわ。私も一緒に謝りに行くから」
「えっ、なんで?」
「慌てて学校に鞄置いて来ちゃったの。それに、クラス委員なのに私のうっかりね。ちょっと考えごとをしていたら、君に声を掛けるの忘れてしまって」
彼女でもうっかりすることがあるのか。いや、うっかりは僕か。
学校に引き返しながら、はじめて僕は彼女と言葉を交わす。
「碧くんは、急いでたみたいだけどどうしたの?」
「いや、あの……」
変な人と思われないだろうか?
「えっと、星を見るのが好きで、天体観測をしようと思ってて」
自分で言ってて、恥ずかしくなる。それで彼女に迷惑をかけたのだから。
「星が好きなの?」
怒ることなく、神崎さんは微笑んだ。
「うん。すごく綺麗なんだ。今日は霧が薄いみたいだから、きっとよく見えると思って」
緊張して何かしゃべらずにはいられなかった。
「ねぇ、どの星が好きなの?」
静かに彼女は聞いた。
「シリウスが好きだな。あの明るく輝く星が好きだ」
それを彼女は黙って聞いていた。
「神崎さんも星が好き?」
正直、余計なことを聞いてしまったなと思った。けど。
「どうかな?」
声が僅かに冷たかった。
「ご、ごめんね。余計なことだったね」
「ううん、いいの」
その日も彼女は美しく笑っていた。見慣れた笑顔だったのに、はじめて僕は作り物のようだ。そんな馬鹿なことを思った。
僕は彼女のことを何も知らない。
きっと、これから先もかわらないのだ。ただのクラスメイトなのだろう。だから、僕がなんで?なんて聞けやしなかった。
「でも、そっか残念」
「君が星を好きなら、僕の好きな星空を見せてあげたかったな」
彼女は驚いたような僕を見て、またいつもの表情に戻る。その僅かな表情の変化は、完璧な君の。完璧じゃないところが一瞬だけ見えたみたいで新鮮だった。
それは星の輝きに似た、儚さのようだった。
あの日の表情が心からずっと離れてくれなくなったんだ。