嵐のまえの静けさ
次の日も彼女は来た。
そして、その次の日も来た。
その次の日も、次の次の日も来た。
彼女は、ただ静かに僕の作業を見ていた。毎日、僅かながら僕達は言葉を重ねる。彼女は重い口を開いてたずねる。
本当はそれが聞きたかったのかもしれない。
「碧くん」
「どうしたの?」
神崎さんは僕の眼を見ないで聞いた。
「あの猫は、どうなった?」
でも、僕は神崎さんを見た。
「オリオンなら僕が飼ってるよ」
「君が?」
「うん、名前を付けたんだ。オリオンて名前だよ」
「そう……。なの」
表情を少し歪める。
「ご両親がいないそうじゃない?生活は大丈夫なの?」
「知ってるの?」
「担任から聞いたわ」
神崎さんは言葉を濁す。
「大丈夫だよ。そんなに贅沢な暮らししてるわけじゃないし、学校も奨学金で通ってるからね。猫一匹くらいなんとかなるよ」
「なら、いいのだけど………。そういえば、スレイブ使ってたわね」
彼女は話題を変えた。
「うん。僕は人より努力しないとね」
「あれは、三年生の範囲だわ」
「とはいえ、まだ画像を反映できる程度だよ。絶対に僕は落第出来ないからね。予習してるんだ」
落第でもしようものなら奨学金もただの借金になって、妹にも苦労させてしまう。だから、僕は優秀な成績でこの学校を卒業しなければ。
成績は普通だけど。
まだのびしろもあるはず。と、思いたい。
神崎冬子が校門に行くと、親衛隊が待っていた。
「お待ちしておりました、冬子様」
お辞儀をして、それからジュリは手を伸ばす。
冬子は鞄を渡した。
「ジュリ、頼みたいことがある」
「はい、なんなりと」
「猫という物についてなのだが、餌、日用品、病気など、生涯どれくらいの出費になるか、すべて調べて欲しい」
「明日にでも資料をまとめておきます」
「頼んだぞ」
そして、冬子は後ろに控える男にも声を掛ける。
「神室、スレイブの件はどうなっている?」
眼鏡をかけた、黒髪の美少年が顔を向ける。
「はい、順調に」
「あれは、三年の課題だと聞いていたのだが……。クラスメイトの碧くん、あと頭角を現してきた他の連中もチラホラ使い始めている。スレイブ、統合思念体だというが、私達が使えないとなると目立つので避けたい。地球人は適正によってそれが使えるらしい。形だけでいい。使えるようにしろ。ここに来て数年、我々の体内のナノマシンもこの環境に馴染んできたはずだ」
「かしこまりました」
深々と神室は、頭を下げる。
そして、冬子はふと気が付いた。
「あいつはどうした?」
「祐希ですか?なんでも、バスケットの試合に応援に呼ばれたみたいです」
「人気者だな。だが、戯れがすぎる。たまにはこちらに顔を出せと言っておけ」
やれやれと冬子は肩を落とした。
「冬子様、ですが顔なら毎日合わせているのでは?」
「顔は合わせてるが、公衆の面前では込み入った話は出来ない」
それを聞いて、神室は納得する。
「わかりました。では、俺から」
「頼むぞ」
「ですが、少しあいつが羨ましいですね」
「そうか?」
「あいつは感受性が高く、一番この生活に馴染んでるような気がしますね」
それには冬子も納得した。
だが、そこまで馴染めとは言っていない。
彼等と私達は体内の構造が違うのだから。地球人の振りは出来ても、地球人にはなることは出来ないのだから。それなりの距離は取るべきだ。
冬子は溜息を吐き、肩を落とした。
あいつは、本当に手がかかるのだ。