ルーデンビリア
「ハルちゃん」
血相を変えて、妹が部屋の奥から走ってくる。
「お、追い剥ぎ???」
青ざめた顔で聞いてくる。
妹がそう言うのも頷ける。
僕は裸足で、シャツと下着と必要なもの以外は全てあげてしまった。警察に見つかっていたのたらば、公然わいせつ罪で捕まってしまうところだった。
「違うよ。困ってる外人さんがいたから助けてあげたんだよ」
「ハルちゃん。ハルちゃんって、いや。うん、なんでもない」
何か言いかけて、諦めたような妹の顔を覚えてる。
そんなことがあったような。なかったような。
「ハッ!!!」
ハルは目を覚ました。
「やばい。意識を持っていかれるとこだった」
崖を自力で登っていたが、霧の濃度に目眩がした。もう一度、手足に力を入れる。が、それ以上は行けなかった。酸素が薄いのと、そもそも運動神経は良くないほうの自分なので仕方ない。
「ここまでか」
ザーザー。と滑るように綺麗に落ちていく。ここまでかとか言いながら、そもそもそこまで高く登ってないので怪我はないが、顔から膝から軽く擦りむいた。さすがに、コントかよと自分に突っ込みたくなる。
「お手あげだぁ」
見上げるとそこには、月が出ていた。
白くて明るくて、不思議なかんじだった。
あっ、でも霧は薄くなったのかも。あっ、でも霧がなくなっても遭難だよねこれ。恥ずかしいなぁ。こんなところ誰にも見られたくないなぁ。
おっと。
心の声が口で出てしまった。
「それは、すまなかった。私も急いでいたものでな」
「えっ?」
それは、頭上から降ってってきた声だった。
優雅に崖を滑り、優雅に着地をして、髪一つ乱れてなく僕に語りかける。フィギュアスケートだったら百点満点だ。その美しい少女は見間違うはずもない。
「あっ、の。神崎さん?」
「他に誰に見えるんだ」
呆れたような。でも柔い口調で彼女は言った。
「何故ここに」
「君がいなくなったというから探しに来たんだ」
「あっ、有り難う」
「でも、こんな夜に霧の中なんて危ないよ」
「その台詞、そのまま返すぞ」
「僕は、ただ君が心配で」
「私もそうだよ。だから、これからはもっと行動に気を付けてくれ」
「ごめんね。助けに来てくれて有り難う。神崎さん」
「気にするな」
「でも、何でここがわかったの」
「スレイブにこの変一帯の地形をインプットさせた。おそらく崖にでも落ちたものと推測してその付近を探していたのだ。視界は悪いので、その都度スレイブの誤差を修正させながらナビゲーションをさせながら走ってきた」
「凄いね。それは……」
ふと、神崎さんは黙る。
「なに?」
「いや、助けてきてなんだが。本当に崖から落ちるということがあるのだなと思ってな」
「ごめんねドジで」
お願いそんな真剣な顔で悩まないで。
「とにかく早くシェルターに戻ろう。霧が薄くなったとはいえ身体に影響がないとは言いきれない」
「そ、そうだね」
「案ずるか。崖を登らずとも他のルートもある。少しの遠回りにはなるがな」
僕は立ち上がる。
「怪我をしてるのか?」
「かすり傷だよ」
「手を貸そう。私の背中に乗るがよい」
「えっ?」
そう言って、彼女はしゃがんだ。
「えっ?とはなんだ」
「女の子の背中に乗るなんて出来ないよ」
いや、マジで。
「しかし、そのフラフラの体ではシェルターに着くのが朝になってしまうぞ」
いや、それはごもっともなんですがね。
男としてのプライドというか。
何か大事なものを失ってしまった。
「何か失くしたのか?」
「なんでもない。気にしないで」
彼女は、僕をおんぶしながら歩く。
普通逆じゃない?めちゃくちゃカッコ悪い。でも。
「でも、神崎さん。有り難う。いつも僕のこと助けてくれて」
僕は彼女の顔を見ることは出来なかった。
「君も助けてくれたじゃないか」
ポツリと神崎さんは口を開く。
「なんのこと?」
「覚えてないならいいんだ」
「ただ、君がしてくれたことを私もしてるだけだ。気にするな、蒼ハル」
「ハルでいいよ。友達は僕のことハルって言うから」
「私が友達になってもいいのか?」
「神崎さんが友達になってくれるなら光栄だよ。ずっとまえから友達になりたかったんだ。もっとたくさん話しがしたいよ。迷惑かな?」
「そんなことはない。私も友達になりたかった。でも、友達のなりかたがわからなかった。あまり親しくするのも君に迷惑がかかるかもしれないと思って。でと、彼等がするように私も君とたくさん話がしたかった」
「ハルでいいよ」
「じゃ、ハル」
顔は見えない。
でも、見えないほうがいい。だってお互い恥ずかしいから。
「僕はなんて呼んだらいい?冬子さん?」
「別に、神崎でも冬子でもなんでもいい」
「あっ、でもなんか女の子を下の名前で呼ぶとかハードルが高いや。やっぱり、神崎さんでいいかな」
「構わない。二人だけの時は名前で呼んでもいいぞ」
「冬子さん?って?」
「いや、忘れるところだったな。自分の名前」
「わっ」
神崎さんは立ち止まり、僕を抱え直す
「一度もだけしか言わないから、よく覚えておいてくれ」
白い月の光が辺りを柔らかく照らす。
「私の名前は。アーノルド・シュバルツ・エーデルランス・アルフォンス・ウィリアム・マリア・ルーデンビリアという」
「ルーデンビリアでいい。呼んでくれなくて構わない」
もう忘れたと思っていたんだ。
忘れてしまえたら。
でも、本当は忘れたくはなかった。
「ただ、ハルにだけは覚えていて欲しい。私の名前」
彼の顔は見えない。
見えなくていい。
「ルーデンビリア。素敵な名前だね。絶対に忘れないよ」
「そうか……」
私の声はひどく掠れていた。
もし、人間のように感情が豊かなら涙を流して喜んだだろうに。
そうだ。
私は、ルーデンビリア。
あの遥か遠く彼方のシリウスで生まれ育った。
私の名前は、ルーデンビリア。