第六章 ロワールを発つ 2
【雷龍の社】
「いよいよですね、勇人。」
「ああ、行ってくる。」
社への道は拓かれた。が、それは昨日のことで一晩待った理由は霧払いの使徒、つまり父さんが内側から掛けた風の結界が強すぎて中に入れなかったからだ。
「おおっ、マジで勇人来てるの!?ちょっ、風強すぎて急に止められないから明日来て明日!」
この一言で感じ取ってもらえると幸いだが、ガルオムと同じレベルで勢いだけは物凄い父親なんだ。ああ、本当に生きていてようやく会えるんだと思うとちょっと感慨深いな。
「ふん、さっさと行くぞ。」
「あ、ああ……」
ミューは雷龍に会う為について来るようだ。リリィク達はカスタードの父親を捜すらしい。……といっても本当は見つかっている。あまりにひどい惨状だったからか、岩が消えてから俺達が戻ってくるまでの間に手早く埋葬を済ませてしまったそうだ。カスタードだけがその事を知らない。ほとぼりが冷めてから、つまり一連の騒動が無事解決したら伝えるそうだ。普段は結構適当に扱われているように見えてちゃんと大事にされているんだな。
「肉親の死か……私にも何かそういうことがあったような……」
「それは……あんまりいい思い出とは言えないかもしれないけど、思い出せるといいな。」
「ああ、当然だ。私の記憶だからな、欠けていられては困る。」
長い岩の階段を上って社へと近付いていく。
「む、これは中々に……」
「ああ、でかいな……」
社、と言われていたからか勝手に控え目な感じを想定していたんだが、これは宮殿と言っても差支えないほど立派な建物だ。よくよく考えれば雷龍と呼ばれる存在がここに居るわけで、龍である以上守護龍と同じようなものということなんだろう。そう自分を納得させながら中へと入っていく。
「勇人ぉっ!会いたかったぞぉぉぉっ!!」
「おわあっ!」
驚いて反射的に顔面を殴ってしまった……。倒れ伏して何が起こったのか分からない表情で頬をさすりながらこちらを見てくる父さん……ごめん、俺も何が起こったのか分からなかったんだ。
「あー、うん、急に駆け寄ってこられたらそりゃあ驚くわな。すまんかった。」
「いや、こっちこそ思いっきり殴ってごめん……」
あらためて父さんと向き合う。こうして会えるのは一体いつ以来だろうか?
「久しぶりだな、勇人。元気にしてたか?」
「まあ、それなりに。」
「少し大きくなったんじゃないか?」
「もう成長期は過ぎてると思うんだけど。」
「そういう意味じゃなくてだな。まあいい、俺が去ってしまった後も母さんは美しかったか?」
「うん……うん?いきなり何言ってくるんだよ……」
「ハハハッ!冗談だ。まあ、聞くまでもなく母さんは美しいに決まってるんだがな!」
ミューが呆れた顔でこっちを見てる。すまん、これが俺の父さんなんだ。
「まあ、積もる話もあるだろうが一先ずは奥に移動しよう。お茶ぐらいは用意するさ。あ、お前はあっちな。バゼルが待ってるぞ。」
一際大きな扉の方を指差してミューを促す。あの扉の向こうに雷龍が居るんだろう。ちょっと見てみたい気もするが、まずは父さんに話を聞かないとな。
「ふん、行ってくる……」
不安でもあるんだろうか?少し語気が弱い気がした。
「俺達はこっちだ。行くぞ、勇人。」
「あ、ああ。」
横目でちらりと様子を窺う。胸の前で拳を握って深呼吸、扉を開こうとして躊躇ってまた深呼吸。自分の記憶に関わりのある人物に会うんだ、緊張もするだろう。俺も今から自分の事を聞きに行くんだ。同じように緊張している。そして、知るのが怖いという気持ちもある。俺も彼女も無くした記憶や知らなかった事実を知ったとして、今まで通りに人と接することは出来るんだろうか?漠然とそんな考えが浮かんでいた。
奥の部屋に通されてお茶を出される。が、特にこだわった物とかであるはずもなく、ザッと茶葉を入れてドバッとお湯を注いでダンッと目の前に飲めと言わんばかりに叩き付けられる。
「飲め。」
言われた。
「とりあえず一息つけ。階段長くて疲れただろ?」
「そうでもない。これでもだいぶ鍛えられたからな。」
「そうか……俺の知らない間に随分と苦労したんだな。まあ、一応情報としては知ってたんだが、よかったらここまでの話を聞かせてくれよ。」
「ああ、わかった。」
父さんが居なくなってから何があったか、思い出しながら話していく。話しながら思う、本当に随分と時間が経ってしまったもんだ。母さんは元気にしているだろうか?もし向こうに帰れるのなら父さんは無理やりにでも連れ帰らないとな。
「……そうか、それでお前は自分の事が知りたいんだな?」
「ああ、自分で思い出せればそれが一番いいんだが、どうしても限界を感じてしまって……」
「いいや、俺の事もそうだが母さんの事は一切話してなかったからな。そこは思い出せるわけないから仕方ない。父親としては何の問題も起きないならそのまま知らないでいる方がいいと思っていたんだが……」
腕を組んで眉をひそめて少し唸る。そこまで言いにくいことなんだろうな。だが、リクシーケルンに人間じゃないと言われている分、少しは心構えが出来ているつもりだ。
「しかしまあ、あの姫様がお前の所に来てたことがここまでの事になっているとは思えなかったからな……。そうなるとその態度はお前のせいってことになっちまう。それも母さんの特性を受け継いでしまったことが確定だ……」
そんなに焦らさないでくれ……。せっかく出来てた心構えが揺らいでしまいそうだ。ただ、その表情からは「お前は人間じゃない」という言葉が飛び出て来そうで……
「まあ、単刀直入に言えばお前は人間じゃない。」
飛び出て来たよ……。ああ、皆が俺の顔で色々察してる理由が実感できた。これは完全に遺伝じゃないか。
「と言っても種族的に見たらって話でな。俺がこの通りなのはお前が聞いてきた話で理解してると思うが、母さんのことは全く情報がなかっただろ?で、それを聞きたいと……」
「いや、ここはもうはっきり言ってくれ。言いにくいのかもしれないけど頼むよ……」
「よぉしっ、分かったぁっ!お前の母さんはな!!多尾狐なんだ!!!」
……………………
「勢いは考えてほしい……」
「うん、すまん……」
「で、多尾狐ってどういうことなんだ?」
母さんは人の姿をしていたし、なんなら機械人形みたいに尻尾が生えていたわけでもない。
「多尾狐の能力だ、尾の数が増えるごとにより強い力を持って人の姿を取る。母さんは六尾だ。機械人形は九尾だったな。あれは純粋なものじゃないから少々違うが……。」
そこまでの事は知らなかった。多尾狐は尾が沢山あって妖しい術を使っていたという伝承ぐらいしかない。妖しい術……その中に人の姿になる術もあったんだろうな。
「隠蔽されてるからな。多尾狐は基本的に人間の社会に溶け込んで暮らしてるんだ。お前が大学で専攻してた分野でも核心に迫るような情報は出てこなかっただろ?昔から普通にそうして暮らしてたらしい。当然人間と恋愛関係になる奴だっていた。そうして生まれてきた子供には不思議な事に多尾狐の特性が備わることはなかった……筈だったんだがな。」
さっきちらっと言っていたが、俺が例外的にその特性とやらを受け継いでしまったということか?
「多分そうなんだろうな。いや、多分とはもう言えない、リリィクの状況からしてお前は確実に受け継いでいる。……できればそうであってほしくはないもんだが……」
またしても言いよどむ。さっきは勢いでだいぶ緩和してくれたが、今度もそうしてくるかな?
「いや、流石に勢いで流そうとはしない。別に母さんが多尾狐だとか俺も人間じゃないとかそこまで気にしないだろ?昔からある程度の事はすんなり受け入れてしまうからな、お前は……」
「まあ、確かにな……。特に今回は色々と前振りもあったわけだし。」
「ああ、だがな、この特性に関しては伝えとかないといけないと思う反面、もう伝えても遅いし解決方法もほぼ無いからそのままにしておいた方がいいかもしれないとも思ってる。……だが、知りたいんだろ?覚悟、してるつもりなんだろ?」
「やけに圧力掛けてくるな……」
そんなに重要なことなんだろうか?……いや、そうなんだろうな。
「まあ、どうあっても聞くつもりなんだろ?どうするかは聞いたお前次第だ。いいか、母さんの、多尾狐の特性は『誘惑』だ。それも一過性のものじゃない。一生付き纏う呪いのようなもんだ。本来なら物心ついた時に発動条件が自ずと分かるらしいが、お前の場合それが分かる前に発動してしまったのか、それとも例外故に分からなかったのか、詳しくは分からん。だが、リリィクに対してその条件を満たしてしまった。そしてそのタイミングで彼女はこっちに帰って来てしまった訳だ。」
「呪い……」
「さっき、伝えても遅いって言ったよな。あれにも理由がある。多尾狐の『誘惑』は強すぎる為か一生に一度、一人にしか使えない。お前が例外的にどうなのかは分からないが、既にリリィクが掛かっていることを考えるとおそらく大丈夫だとは思う。」
呪い……呪い、か……呪い……。俺が彼女のあの状態を作り上げてしまったということだよな……。リリィクが森の中で俺のせいだと言っていたことも、俺が彼女に呪いを掛けてしまったことを責めていたんだな。だとすると彼女の俺に対する想いというのは……
「そこまでは俺にも分からん。だが、彼女は『誘惑』を、呪い解こうとした。現状失敗したようにも見えるが、解除する条件はあるんだろ?ココの奴は教えてくれなかったが……」
ああそうだ、条件は知っているじゃないか!だったら落ち込む必要はない。
「ん?なんだ、いい顔するじゃないか。男の顔ってやつかな。さっそく呪い解いてくるか!?」
「いや、流石にそれは気が早いと思う。まだリリィクのことで知らない事がある。」
後はそれをどうやって知るか……ココがミューに預けるとか言っていたか?そこを頼るしかないんだろうが、流石に本人が居る場でそれは頼めないな。タイミングを見計らわないと。
「………………。ところで勇人よ、父さんふと思ったんだがお前って母さんの方からの遺伝が強いみたいだけど耳とか尻尾が生えたりしないのか?」
「一瞬深刻そうな顔したからどうしたかと思ったら、いきなり何を言い出すんだよ……俺にそんなのが生えたら嬉しいのか?」
想像してみる……俺的には無しだ。というかこの人はいきなり何でこんな話を……
「いや、別に嬉しくなんかはこれっぽっちもならないんだけど、何となく気になってな。」
何となくで話の流れをぶった切ってまで変な事を聞くな!
「あ、そうそう、風の魔法が得意だってのを聞いて父さんはとても嬉しんだけど、どうしても腑に落ちない事がある。聞いてもいいか?」
腑に落ちない事……魔法に関する事なら、あれか……
「あまり聞かれたくない。彼女との約束だし、どこから情報が漏れるか分かったもんじゃないからな。」
「……お前、もしかしてとんでもない隠し事してるのか?わかった、詳しくは聞かないでおく。それからお前の風の魔法、扱い方さえうまくなれば俺なんかよりもっと上達できると思う。鍛錬だけは怠るなよ。」
「ああ、良かったら後で一度見てもらってもいいかな?ちゃんと風の魔法が得意な人からの指導が欲しいんだ。」
「ああ、もちろんだ。さ、そろそろ皆に挨拶に行こうか。あっちはもう少し時間がかかりそうだし、しばらくここに籠りっきりだったから外の空気も吸いたいしな!」
そう言うとそそくさとお茶を片付けて外に出る準備を始めてしまう。まったく、久しぶりに会えたんだからもっとゆっくり話してもいいじゃないか。
とは思うものの、正直こうやって次々と話題変えてくれたのは助かった。いくら俺があまり気にせずに物事を受け入れる性格とはいえ、場合によっては咄嗟に自己暗示のように思い込ませてなんとかしてきた面もある。少し間があって考え始めてしまったらそれは簡単に崩れてしまう。母さんの事もリリィクの現状を生み出した根本が俺にあることも、深く考え始めてしまえばきっと押し潰されてしまっただろう。父さんもそれを察したからこそ露骨に話題を逸らしたんだと思う。
だからといって向き合わないということじゃない。記憶の事もある、今は胸の奥底に秘めて、彼女の呪いが解けるその時にすべてを曝け出すんだ。今の俺じゃ、まだ迷いがあるんだから……




