第一章 強襲 3
なるほど、確かに洞窟の中は適度に明るい。足場も滑りやすい場所に気を付けて歩けばそれほど悪いわけじゃない。一応、歩道は整備されているというほどではないが分かりやすくなっていた。おそらく防壁が張ってあるラインなのだろう、それをたどって行けばいいわけだ。
「この防壁のラインは機械的な見た目なんだな。」
「この装置はラトラの製造です。こういった場所は魔法で障壁を維持するよりも機械に任せた方が、継続させるという点においては非常に有用ですからね。」
魔法で維持する場合、おそらく相当な人数で交代しながら絶え間なくということになるんだろうか。そうなると、防壁を張り続ける人への負担は計り知れない。そこで、機械に任せておけば定期的に確認とメンテナンスをするだけで十分ということになるのだろう。
「ラトラと言えば、アリスさんはいったい何で呼び戻されたんだろう?」
「このタイミングで、ということはよっぽど重要なことなんだろうけどな。」
「ええ、バーゼッタでの重要な役も持っていたわけですし、それを放棄してでも戻らなければいけないこと……。ロワールでの件が片付いたら一度連絡を取ってみましょう。」
考えても仕方がないな。今はロワールを目指そう。
しばらく周囲を警戒しながら静かに進む。防壁のおかげだろう、特に気になるようなことはない。奥の方に水源でもあるのか時折水の流れるような音が聞こえて来る気がする。
ロワールは山の中腹ほどの位置にある。したがって洞窟も次第に上方へと向かう斜面が増えてくる。ゼオを背負って行くのが段々辛くなってきた。
「ゼオ、少し軽くなってみないか?」
「えっ?何言ってるのさ、君。ああ、疲れてきたんだね。それなら休憩したいと言いたまえよ。」
「勇人、無理して急ぐ必要はありません。少し休みましょう。ちょうどそこに……」
座りやすそうな岩がある。彼女が指差してそう言い掛けたのは分かった。だが、
「うっ、何だ!?」
突然、鼻を突き刺すような猛烈な臭気が漂ってきて、全員慌てて手で鼻と口を覆う。
「これは……肉が腐った臭い……死体の臭い……。死体が動くわけがない……誰かが死体を持って後ろから近付いてきてるんだよ!」
ゼオが臭いの近付いて来る方向を分析して知らせてくれたが、どうするべきか。いや、流石にそんな人物とは対峙したくない。後方から来てるなら好都合だ。一気に走って逃げよう。
「賛成です。行きましょう!」
からからと謎の音を響かせながら後ろから迫る追跡者。そちらには目もくれずに一目散に走り出す。まったく、今日も走り回るはめになるのか……。たまにはゆっくり進みたい。
「ねえ!ねえねえ!何で逃げるの?」
寒気を覚えるような声で呼び掛けられる。当然、答えるつもりはない。結構な速さで追い掛けてきているのか臭いもきつくなってきた。返事の為に息を吸うのも辛い、だからひたすら走って逃げる。
「あはぁ、逃がさないよ!」
何かが投げ付けられた。咄嗟に避けたそれが前方に転がったのを見て、俺もリリィクも驚愕して足が止まってしまう。
「うっ、こ、これは……」
それは、溶けかけた肉が辛うじて骨に付いた状態の……腐った人の……
「そいつ、死んじゃったんだ。私は死ねないのに。私が死に方を聞いてるのに!いろんな死に方を見てきたのに!どんなやり方をしても死ねないのに!そんな私に黙って死んじゃうなんてひどいよね?」
追いつかれた。これは逃げられそうもない。リリィクと目配せして、意を決して振り向く。
「くっ……」
振り乱された長い髪、狂気に満ち見開かれた目、かつては白かったであろう服は血で染まって異様な雰囲気を醸し出している。そして何よりも目立つのは夥しい数の骨、人の物だけじゃない、様々な生き物の骨をまとめて引き摺りながらマントのように身に付けていた。中にはまだ肉片の付いているものさえあった。先程の死体が臭いの元だと思ったが、どうやらこの人物に染みついた臭いそのもののようだ。
「誰も教えてくれないんだ。なのに簡単に死んじゃうんだ。もっともっともっともっと色々試したいのに脆いの。……ねえ、君達は教えてくれる?メリアに死に方を教えてくれる?ねえねえ!死んで見せてよ!新しい死に方を見せてよ!そしたらメリア、また自分に試すからさあっ!」
こちらに手を突き出すと同時に大量の骨が嵐のようにうねりながら襲いかかってくる。咄嗟に風の障壁を張ったが、どうしたものか。骨の数があまりにも多すぎて前が見えない。後ろの死体を踏まないように気を付けながら後退するしかないか。
「ゆ、勇人っ!」
リリィクの声が耳に届くと同時に、ねちょりと足首を掴まれる感触があった。
「死体が動いて……?」
あまりの気持ち悪さに障壁への集中が途切れそうになる。だが、ここで気が散っては障壁を破られてしまう。なんとか掴まれた部分に小さな障壁を発生させて掴んでいた手を弾き飛ばす。
「あは!死体はメリアの物だよ。メリアの役に立たずに死んだんだから罪を償ってもらわなきゃ!ねえ、掴まれた瞬間どんな気持ちになった?恐怖で死にそうになった?じゃあ、そのまま死んでよ!じっくり恐怖で追いこんで死んでくれたのはたくさんいたけど、瞬間的な恐怖で死んでくれたのはまだいないんだよねえ!」
骨の猛攻は維持したまま、また死体を動かそうとしてくる。辛うじてリリィクが炎の障壁で押さえ付けてくれたが、それでもまだ動こうともがいている。
「ユウト、ゆっくりでいいから後退しよう!君が障壁の維持で手一杯なら後方の案内は僕がするから!」
「風の障壁の外にこの死体を出せれば私の手も空きます。障壁の補強もできますから、まずは障壁と一緒にゆっくり後ろに!」
「わかった!」
リリィクの頬を汗が伝う。彼女ははおそらく全力で押さえ付けている。だがそれでも凄まじい力で抵抗されているのだろう。霧四肢の時は徐々に削られていく感じだったが、今回は手を抜いて遊んでくれるような敵じゃない。彼女だけでなく俺も常に全力で対処しなければ確実に、死ぬ。
「何で抵抗するの?そんなに死ぬのが嫌なの?メリアはこんなに死にたいのに。死にたくて死にたくていろんな死に方を試しても死ねなくてイライラするのに。なんで死んでくれないの?何で皆と同じように死ねないの?生意気だ。抵抗するなんて生意気だ!さっさと死んで!その死に方で私を殺してよぉっ!」
突き出していた手を左右に広げていく。それにつれて正面から襲い掛かっていた骨が彼女の下へと戻っていく。
「攻撃が止んだ?……やってみるか!」
危険な賭けだが障壁を解いてリリィクの真横へ向かって飛び退く。戻っていった骨が激しい音を立てながら洞窟の壁にめり込んでいくのが見える。おそらく壁の中を掘り抜けて障壁の横から襲い掛かるつもりだったのだろう。障壁を解いた瞬間驚いたような表情をしたのが見えた。
「リリィク、障壁を解除だ!」
「はい!」
障壁の解除に合わせて突風を発生させて死体を吹き飛ばす。
「音が近い!来るよ!」
間一髪、間に合った。リリィクと同時に俺達を球体状に守る障壁を張り直し再び襲ってきた骨の猛攻に耐える。
「なんで……なんでなんでなんで!なんでこんなに抵抗できるの?荷物まで背負ってるのになんで。こんなの初めて……絶対逃してあげないんだから……」
予想外の抵抗に不機嫌になっているのが伝わってくる。攻撃するのは諦めたのか骨が静かに彼女の方へと戻っていき、マントのように元通り装着されていく。そして彼女の方は、ひたひたからからと足音を響かせながらこちらに近付いて来る。何をされるか分からない。障壁は維持したまま退路はないか探るが、横の壁に出来た穴ぐらいしか目に入らない。
「ねえ、これ邪魔だよ。」
障壁の前に立つとひとしきり眺めた後、
「あはぁ、あははははは……っあひゃあいひぃひぇひぇひぇひゃあひゃ!」
おもむろに障壁を掴むと奇声を上げて笑い始めた。
「障壁を引き千切る気なのかい!?」
「滅茶苦茶だ……」
障壁は炎と風が混じり合っている。そんな物を素手で掴めば切り裂かれ、焼かれて無事では済まない。だが、今障壁を掴んでいる彼女は恍惚の表情を浮かべて快楽に身を委ねているようにしか見えない。
「ひひっ、何これすごぉい!刻まれると同時に焼かれるなんて試したことなかった!ねえ!ねえねえ!ねえねえねえ!!これ、死ねるかな!?もっと強くしてみてよ!」
そう言いながら手だけでなく、抱き締める様に全身で障壁に貼り付いて来る。
「うっ……」
「やめてくれたまえよ……」
「勘弁してくれ……」
正面からその様子を見ることになるこちらの身にはなってくれないらしい。彼女がずたぼろになっていく様を直視するわけにもいかず、かといって障壁を解除するわけにもいかない。しばらく目を逸らしつつ様子を窺っていたが、ふと彼女が障壁から離れた。
「なんだ、駄目じゃない。」
見る見るうちに体の傷だけでなく髪や衣服までもが修復されていく。死ねない、と言っていたのはこういうことか。
「ねえ、それどうやったら壊れるの?水をかければいい?凍らせればいい?電気を流せばいい?砂を噛ませればいい?もっと強い火で燃やせばいい?もっと強い風で吹き飛ばせばいい?メリア何でも出来るよ?ねえ、教えてよ。教えて……死んで。」
「障壁を破れないなら今のうちに逃げようよ。」
「ええ、勇人、障壁を維持しつつ後退します。」
「ああ。」
逃げても追っては来るだろう。だが少しでも時間を稼いで何とか障壁が効いている内に打開策を見付けなければ……
「メリア、逃さないって言った……」
スッと手をこちらにかざすと、俺達の後方に光の壁が発生していく手を阻む。呪文の詠唱なしにこんな強力な障壁を張れるのか!
「メリア何でも出来るって言ったけど、一番得意なのは凍らせることなんだ。だって、後で融かした時生き返っちゃうことがあるんだよ!だからね、凍っただけで死なないで何度も死んでね!」
急に肌寒くなってくる。恐怖で寒気がしているわけじゃない。周囲の温度が急激に下がっているんだ。
「炎の障壁で温度は上昇しているはずなのに……」
リリィクの頑張りを嘲笑うかのように、地面が、壁が、天井が、俺達を障壁ごと取り囲むように凍り付き始めた。それは表面だけでなく段々と空中へ広がってきている。
「まずいな……」
リリィクは障壁の出力を上げて温度を上げようと尽力してくれているが、力の差がありすぎる。凍る速度を遅くすることは出来ても、完全に押し返すことができないでいた。
「あの方はおそらく、いえ、間違いなく完全にエーテル特異体ですね。これは、どうしようもないかもしれません……」
エーテルによって身体を変化させられた、人と似た何か。イメージだけであっさりと魔法を使う姿を見ると、これほど恐ろしいものなのかと戦慄する。リリィクにもその兆候はあると言っていたし、俺のような魔道砲使いもそうだと言っていたが……。いずれ、あんな風になってしまうのか、俺達は……
「ねえ、まだ抵抗するの?なんで私の為に死んでくれないの?君達が新しい死に方を見せてくれたら、メリアだって死ねるかもしれないのに、ねえ?…………えっ?何この音……っ!!」
それは突然の出来事だった。壁の穴から飛び出した巨大な影が一瞬にして彼女を壁に叩き付けた!
「あれは、ロックヘッド!」
頭に岩の王冠を乗せた巨大な蛇は、さらに激しく頭を打ちつけ彼女を叩き飛ばしていく。さっき骨が掘った穴が障壁の発生装置を壊し生息域に達してしまっていたのか、それとも彼女の放つ強烈な臭気に耐えかねてやって来たのかは分からないが、逃げるなら今しかない!
「凍り付くのは止まりましたね。しかし、光の障壁が……」
おそらく彼女が一時的にでも気を失ったのだろう。それに合わせて凍結が止まったのなら、障壁だって消えてくれて構わないんだけどな。
「どうしたものか……」
逃げ道を探していると何処からか何か聞こえてくることに気付いた。
「おい!こっちに来い!急げ!」
それは壁の中から聞こえてくるようにも思えたが、どうも違う。慌てて声の出所を探すと岩の陰に見えにくいが穴が開いているのを見つけた。
「早くしろ!ヤツが戻ってくるぞ!」
ヤツというのが彼女の事か大蛇の事かは分からないが、逃げ道はここしかないか?
「と、ともかく行ってみようよ!ほかに行けそうなところはないんだし!」
気が付けば大蛇が頭を叩き付けていたであろう音が止んでいた。光の障壁は消えない。どちらが戻って来るにしろ、もう迷っている暇はない。
「わかった、行こう!」
意を決して穴に飛びこむ。少し間をおいて何かが這いずり回る音が聞こえてきた。おそらく大蛇が戻ってきたんだろう。あれに対して穴は小さいから無理矢理入ってくることはないだろうが、ここでじっとしているわけにもいかない。穴の奥には光が灯っていて、おそらく声の主はそこに居るんだろう。さて、どんな人物なのか。ちゃんと話が出来る人だと良いな、と思いながら俺達は奥へと進んでいった。