第四章 紛い物の結末 6
障壁が軋む音がひどくなっていく。瓦礫がどんどん上に積み重なっていくのが分かる。後どれぐらい耐えられるか、信じたくはないが限界は近い。
「我々の提案を飲んでいればこうはならなかったな。」
ああ、天上の意思か。死にかけの俺を見て笑い物にでもする気か?たしかにエーテル特異体になる提案を受け入れていればこんな事にもならなかったろうな。だけど……
「良い、我々の総意は決まった。君はここで潰れて死ぬ……我々はそうだ、だが……だけどここの管轄は私、もう少し猶予を与えてもいいと思うんだ。」
どういうことだ?急に口調も声色も無邪気な少女の様に変わってしまった。
「少し時間の流れを遅くしたよ。これでようやく君とゆっくり話せるね。」
少し、と言ったが瓦礫の隙間から見える光景は完全に止まっているようなものだ。瓦礫の重みはそのままだが増えていく感じはしない。
「改めて初めまして。我々は天上の意思の残滓に触れた者達、その最初の人物の名より『リクシーケルン』と名乗っているよ。そして、その中の私が『ルンナ・リルケー』、よろしくね。」
リクシーケルン?ルンナ・リルケー?それは……
「ああ、アレね?パーキュリスだっけ、自力で天上の意思に近付こうとしてきたから少し利用させてもらったんだ。なかなかいい感じに踊ってくれたよね。」
楽しそうにケラケラ笑いながら言い放つが、訳が分からない。
「難しく考える必要はないよ。意識・記憶を共有できる我々が個々に散らばって世界を監視しているだけなんだから。それで、君をエーテル特異体にしてこれから先の世界をより良い方向に動かそうとしたけど諦めたのが我々の総意。でも、私はちょっと勿体無いかなと思って一つ案を持って来たの。」
何かが頭に触れる。そこから身体を焼き焦がすように強烈な力の奔流が流れ込んで来る!
「ぐぁっ!いったい何をする気だ!?」
「一時的にだけど体験してもらおうと思ってね、エーテル特異体というものを。そしたら君の考えも変わるかもしれない。」
やめてくれ!前にも言ったはずじゃないか、そんな物は必要ないと!
「うん、聞いたよ。でもね、ここで君を死なせるのは惜しい気がするんだ。それにさ、他人から貰った力でもしっかり使いこなせるようになればそれは君の力と言っても過言ではないんじゃないかな?」
そういう問題じゃない。俺は、強くなるなら自分の努力だけで強くなりたい。それだけなんだ!
「はぁ、でも今の状況でその生き方選んでしまうと君はここで潰れて死ぬんだよ?残されたほんのわずかな時間で劇的に成長できるわけないよね?ここで死にたくなんかないんでしょう?」
それは……そうだ……だけど……
「確かに努力で手に入れた力は素晴らしいよね。きっと君の事を裏切らない。……でもね、それだけじゃどうにもならないこともあるって君は分かってるよね?」
まさに今のこの状況がそうだな……。
「だったらここでエーテル特異体になっても問題ないと思うんだよね。どうせ近い内にそうなるんだし。」
いや、流石に近い内にそうなるとは思わないんだが。
「いいや、なるよ。君は魔法を、エーテルを使う時に必要以上に吸収し過ぎてる。そういう人間の身体をエーテルは嬉々として作り変えていくからね。誰も気付いてないみたいだけど君の身体は想像以上にエーテルに侵食されてる。私の予測だとあと二回か三回、大きな戦闘を経験すれば確実に君はそうなるよ。」
突然の宣告に混乱だけが増していく。俺がエーテル特異体になる可能性があるのは賢者様に聞いていたしリリィクもそうだと言っていた。だが、こんなに早いものだとは思ってもいなかった。
「まあ、普通の人に比べれば格段に早いね。……何故だか分かる?」
「俺が……魔道砲使いだから?」
この子が言っていることは間違いなく賢者様から聞いた話と同じ……ああ、そうか、賢者様は「やがて遠くない内に」と言っていたか……。だが、それにしても早すぎると思いたい……
「魔道砲使い?そんなもの些細な事だよ。君はただ単にエーテルを吸収することに長けた身体を持っている、それだけだよ。リリィ=クレストルも同じ……おっとまだ早かったね、これは忘れて。」
クレストル?誰だ?リリィ……クレストル……?もしかして……
「さて、君はエーテル特異体にはなりたくないみたいだけど、それはやっぱり人間じゃなくなるのが怖いと言ったところかな?」
人間じゃなくなる……確かにそうかもしれない。それに、アントラメリアみたいなのも見ている。ああはなりたくないと思っているのも確かだ。
「でも、そんな君の気持ちを一発で砕き折る事実を私は知っているよ。聞きたい?」
「そんなものがあるなら是非聞いてみたいものだ。」
「うん、じゃあ心して聞いてね。君は人間じゃないよ。」
「…………」
……流石にそれはないだろう。
「なんで呆れるかな……。考えてもみなよ、君の父親は出自不明の魔道砲使いだよ?」
出自不明……まあ、それも父さんらしいかな。あの人ガルオム以上に自由奔放すぎるからそのぐらい気にならないというか……
「それに母さんは家柄もしっかり分かってるから、最悪謎のハーフでも半分人間ならそれでいいかな……」
「分かってないね。その母親の家がどんなものかを分かってない。」
寒気がした。別に威圧されたとかそういうのじゃない。直感が、この先を聞いてはいけないと告げている気がした。しかし、今の状況では自分の耳も相手の口も塞ぐことは出来ない。
「もう一度言うよ、君は人間じゃない。この世に生を受けた時からずっとそう。魔道砲使いの父親と……」
「やめろッ!」
「いいよ……ちょうど我々の総意も変わった。私で居る必要は消えた。この状況を打破するため一時的にエーテル特異体となるがいい。」
動揺している心の隙を突かれたか!?力の奔流がさっきまでとは比べ物にならない程の熱量で身体を満たしていく!それに従って意識も段々と朦朧になって……
「おそらく力が暴走してしまうだろう。虚ろな意識で抗えるならば元の状態に戻ることもできよう。そのまま身を委ねて新たなステージに進むことも、どちらを選ぶかは自由だ。その結果を見て我々は動くのみ。」
近くにあった気配が急激に遠ざかっていく。それと同時に周囲の時間が元の速さに戻っていき、瓦礫の隙間を縫って風が入り込んでくるのを感じた。
もう圧し潰されている感触はない。障壁は風の奔流に変わった。狭苦しい瓦礫の下に際限なく集まって、そして、爆発した。瓦礫を、壁を吹き飛ばし、天井を、床を抉って、その中心に自分の体が立っているかのように浮いていた。
怖い、今はそう感じている。視界は双眼鏡を覗いているかのような感覚。しかし、身体の方といえば自分の身体であるはずなのに、周囲の全ての状況・感覚が頭の中に流れ込んできて、まるで全てと一体化してしまったかのようだ。
「勇人!」
ああ、リリィクの声がこんなにも近くで聞こえる。ゼオもカスタードも状況を飲み込もうと必死だ。ミュー、来てくれていたのか。そして、あれが光の牢獄。確かに中に誰か捕らえられているのが見える。
「俺は……」
爆発で吹き飛ばされていたロックヘッドがゆっくりと頭をもたげて威嚇している。ああ、そうか。まずは始末してしまわないとな。そう思うと同時だったか、大蛇は一気に距離を詰めて頭を打ち付けようとしてくる。それは視線を送るだけで簡単に防げた。防ぎたいと思うだけで、いや、これは防ぐものだと直感が働いた瞬間に障壁が展開され、いとも簡単に受け止めてしまった。
「外からの攻撃を受け流すなら……」
障壁を何とか突破しようと激しく頭を打ち付けている大蛇の口めがけて右腕を突っ込んだ。直前で障壁を解いてやるとここぞとばかりに喰い付こうとしてきたのは好都合だな。肘の辺りまで口内に侵入したのを見計らって障壁を再度展開、頭部を空中に固定させた。もう逃げられない。ありったけの風を集めてその体内へと一気に放出すると大蛇はあっけなく破裂して死んでしまった。
「なんだ、簡単じゃないか……」
この力があれば……こんなにも簡単に事が進むのか……。ああ、あの光の牢獄も壊してしまえばいいんじゃないか?発電施設を巻き込んで壊してしまうかもしれないが、目標は簡単に達成できる。そう思い至って両手をそちらの方へ向けて風を集め始めた。あれを一瞬で消し飛ばせるほどの風が必要だ。
「何をする気だ!?エーテル、彼に何をさせているんだ!?」
ミューが何か叫んでいる。が、そんなことは関係ないな。さっさとあれを壊して……
「勇人!駄目です、勇人!!」
視界の端でリリィクが窓から飛び降りるのが見えた。器用に障壁で足場を作って降りてくる……
「ああ、リリィク……邪魔をしないでくれ……」
俺はあれを壊すんだ。君だってあそこから妹を解放するのが目標だっただろう?邪魔をするな、と思えば風の壁がリリィクを阻んでくれた。なんて素晴しい力なんだ。
「うう、このぐらい……ッ!」
障壁で風の壁をこじ開けながら進んでくる。どうしてそこまでして俺の邪魔をしようとするんだ?
「ユウト!」
「キリくん!」
ゼオもカスタードも必死に俺の名を叫んでいる。何故だ、何故……
「もう……少し……」
逡巡している間にリリィクの手がもうすぐ触れられる距離まで近付いていた。俺はあれを壊すんだ。邪魔をするなら、その一生懸命に伸ばされた手すらも……
「勇人、そんな力で何をする気ですか!?」
「あれを壊すんだ。それが目的だったはずだから。周りに被害が出てもそれは仕方ないだろう。」
その手を振り払えば……
「それでは中にいるココもただでは済みません!勇人お願いです、正気に戻って!」
その手を……
「勇人……お願いですから……あの時みたいに私から離れていかないで……」
その手が辛うじて俺の服に触れた。そして力強く掴んで放さない。
「俺は……違う、俺はこんな力を欲しいわけじゃ……」
……そうだ、違う!そして、抗えばこの力を捨てられると言っていたはずだ。たとえ近い内にエーテル特異体になってしまうとはいえ、強制的にそうさせられるのは……今は御免だ!
「リリィク、俺は……」
体中を駆け巡る力を強く否定した瞬間何かが体から抜けていったように感じ、それと同時にふらりと倒れそうになってしまう。咄嗟にリリィクが支えてくれたのと自力で踏ん張ることが出来たおかげで辛うじて転倒はせずにすんだ。
「勇人、大丈夫ですか!?」
「ああ、なんとか……」
大丈夫だ、そう言い掛けて視界の端で制御室の中で何かが立ち上がろうとしているのが見えてしまった。どうやら休んでいる暇はないらしい。慌てて緊急停止装置の方を見やる。幸い瓦礫には埋まっておらず、レバーが破損している様子もない。
「パーキュリス、意識を取り戻したんですね!」
「キリくん、こっちはいいから早く停止装置を!」
「ああ、任せてくれ!」
加速を使うほどの距離じゃない。一気に駆け寄って力一杯レバーを下げた。
「させるかッ!」
パーキュリスが何かしたのか、フラッシュの様に一瞬点滅しただけで発電装置が停止した様子はない。
「フフッ、残念だったね。この程度のアクシデントは想定済みさ!フフフハハハハハッ!」
勝ち誇ったような高笑いが響く。駄目だったのならせめて急いで合流しないと!
「いや、残念なのはそっちの方さ……。こちらにはたった一瞬でも影が出来ればそれでいいんだから……。よくやったね、魔道砲君、リリ姉さん。」
足元の影から声が聞こえたかと思うと俺もリリィクも突然足を掴まれて影の中に引きずり込まれた。
「おわっ、これは!?」
「大丈夫です、勇人。これはココの能力、影を使った転移魔法です。」
そう言われたとおり、一瞬で制御室に移動させられた。なるほど、転移魔法はこんな感じなんだな。
「ああああ、そんな馬鹿な!ほんの一瞬だったじゃないか……それなのに!」
「はあ……一瞬で充分なんだ……。そちらもそれを知っていたからこそあちらのような物を作り上げたんだろ……?こちらを捕らえたのはなかなか見事な手際だったよ、パーキュリス……」
この人がリリィクの妹『ココ・バーゼッタ』?なんだか妹には見えないというか、気だるそうに吐息混じりに話すのもあって大人のお姉さんといった印象だ。黒いマントに動物の耳のような突起の付いたフードを目深に被っているから表情はよく見えないが、ちらりと見える輪郭や体つきからは声とは裏腹にやや幼い印象を受ける。一番目を引くのは影に少し埋まっている足とマントだろうか。
「ふう……魔道砲君、あまりこちらをじろじろ見るものじゃない……。自己紹介は後で、まずはあちらを片付けてしまおうか……」
言いながらゆっくりとパーキュリスへと近付いていく。
「く、来るな!」
「そうは言われてもな……別に近付かずともそちらは始末できる、それをわざわざ近付いて行ってやる意図ぐらい汲んでみたらどうか……?」
一歩一歩と近付いていくにつれてパーキュリスの顔が引きつっていく。それほど彼女の存在は恐怖の対象なんだろう。
「やめろ!私をどうするつもりだ!?」
「はあ……まだ何もしていないのにそこまで怯えられると困る……。こちらにあれだけの恥をかかせてくれたんだ、それ相応の報いは受けてもらうよ……」
「はっ!それは君の慢心のせいだろう?まったく、自分が龍種との合成に成功しているからと言って私を格下に見られては困る。現に一度は私の術中に嵌まってあられもない姿で光の中に無様に捕らえられていたじゃないか?所詮君もその程度ということさ。ああ、そうだ!質問させてもらうよ、今の気持ちを……」
焦りを隠すこともできずに一気にまくし立てながら後ずさっていくパーキュリス。その背中はもう壁に触れてしまっていた。
「……影よ、我が言霊を溶かし込み、現を貫く槍となれ……」
「ひいぃっ!や、やめろ!ああ、な、何だこれは!?エ、エーテルが!?エーテルがぁ!!」
「シャドウ……」
詠唱を終えたココが魔法を発動させようとした瞬間、
「やめておけ。」
ミューが止めた。
「エーテルが教えてくれた。打開の方法なし、以後の観察は不要。そいつはもうただの人間だ。」
「……そうか、流石にそうなると命を奪うことになる、命拾いしたな……おや、気絶している……」
この時は何が起こったか分からなかったが後々聞いた話によると、エーテル特異体になりかけていたパーキュリスではあったが、最後の状況においてエーテルがこれ以上の状況改善は望めないからという至極簡単な理由で身体から抜け出して行ったそうだ。その結果普通の人間に戻されたパーキュリスは気絶したまま駆け付けてきた人々によって牢屋へと運ばれていった。
さて、なんとも呆気ない決着だったけれども、これにて一件落着……とは言い切れない。まだまだやらないといけない事が山積みだ。少し休みたいところだが、カスタードの屋敷は一部吹き飛んでしまっている。まずはある程度の片付けをしてしまわないと、ゆっくり腰を落ち着けて今回のことも今後のことも話し合うことは出来ないだろう。
外に出て、陽射しの眩しさに目を細める。ああそうだ、まだ朝だったな。




