第三章 暗躍 5
遠くで見覚えのある姿が揺れている。懐かしいな、龍弥と七美と俺と……。いや、待ってくれ、あの場所にリリィクが一緒に居るはずがない。しかも、今と変わらない姿で……俺達もか?もう少し前の俺達だと思っていたんだが、どうもはっきりしない。これは……いったい何だ?
これは夢の話。在って欲しいと心の奥底で描いた空想。
夢、か……随分はっきりと知覚できる夢だ。以前ミューに意識だけを引きずり出された時もこんな感覚がしたものだ。しかし、今回はあまりいい気分がするものじゃない。見たくもない物を強制的に見せられているような、そんな嫌悪感がする。
それは、こんな世界があったとしても?
周りの風景が一変する。ここは俺のお気に入りの公園、そこに俺とリリィクの姿がある。爽やかな木漏れ日に包まれて仲よさそうに手を繋いで歩いて行く。ありえない光景に夢に対して羨ましいとまで思ってしまう。これが俺の願望だというなら、このままでは叶うこともないし、ましてや以前にあった状況でもない。
眺めるだけでいいのか?そこに居るのは自分自身ではないのか?
ありもしないものに手を伸ばすつもりはない。それがどんなに望んだ光景であってもだ。大事なのは今、たとえ記憶を取り戻したとしても今のリリィクと向かい合うことが大切だから。
全てを在ったことにしてしまえばいい。思い通りに、君が望むならばそれも出来る。
ぼんやりとした声だが俺に話し掛けてきているのか?誰かは知らないが、世界を思い通りに出来るなんて恐ろしいな……俺にはそんな力必要ない。今必死にあがいて少しずつ手に入れている力だけで十分だ。
こんな事が起こったとしても?
突然、歩いていたリリィクの姿が消える。残されたのは赤い水溜りと絶望に顔を歪める俺の姿。……仮定の話でもこういう趣味の悪いやつはやめてくれないか?
有り得ない話ではないのに?無力な存在でしかないのに?我々が力を与えてやろうというのに?
得体の知れない力ならますます必要ないな。エーテルと向き合うだけでも手一杯なのに、余計なものなんて貰っても持て余すだけだ。
エーテルだ。そのエーテルとの結び付きを強くするだけの話だ。向き合う必要もない。煩わしい手順もない。ただ意識するだけでエーテルを行使できる。
今すぐエーテル特異体にしてくれると?冗談じゃない!こっちは必死にやってるんだ。それを全部捨てて、力を貸してくれている人たちまでも全部否定するようなやり方を出来るなんて思うなよ。そもそも、我々って言ってたがお前たちは誰だ?
我々の名を、君達はもう知っている。教える必要もない。さあ、我々を受け入れよ。世界を救いたいのだろう?
世界を救いたいわけじゃない。恩を返したいだけだ。ミートゥリアに来て、たくさんの人に出会って、何も分からない俺に皆色々善くしてくれて、そんな人たちが大変なことに巻き込まれて、俺だって当事者なんだから動かずにはいられない。また皆が笑顔で語り合える世界を取り戻したい。その為に全力を尽くすだけだ。
力があればすぐではないのか?何故拒むのか?
理論や理屈じゃない、人から貰った力で勝ち誇っても嬉しくなんてない。仲間と乗り越える過程もなければ絆なんて有り得ない。そんなもの、俺が死んだって受け入れるものか!
なるほど、それが君という人間。そう、だからこそ彼女の横で支える存在になれると我々は考えたのだが、相容れぬか。だがこれでは?
周囲の風景が目まぐるしく変わりだす。幸せそうなリリィクの姿、苦しそうなリリィクの姿、何かに立ち向かっていくリリィク、泣いて、笑って、怒って、様々な表情を見せるリリィク。時には息絶えそうな姿、逆に死にそうな俺を泣きじゃくりながら抱き締める姿、ああ、それだけじゃない。喜びも悲しみも苦しみも、全ての姿を見せて心を揺さぶってくる。希望と絶望が綯い交ぜになって夢という無防備な心に容赦なく突き刺さってくる……
そこにある希望も絶望も、全ては君次第。それに無くした記憶であっても、我々ならば寸分の狂いなく戻すことが出来る。取り戻したくはないか?
自分で取り戻すと約束した。ズルはしたくない、そんな誘惑になびくものか!お前たちはそうまでして何をしたいんだ?
世界の均衡を取り戻すのだ。そもそも、エーテルがミューだのストラーだのと騒いでいるのは我々としては好ましくない。人々の心の奥底にまで飛び火してしまっている。ストラーが残れば世界は恐怖と絶望に沈む。だからこそ我々は天上の意思の代行としてその使命を果たす。その為に君の力が、自らの力で前に進むことを是とする心が必要だ。
世界を思い通りに出来る力があるんだろう?だったらなんでそうしない?どうして俺なんかに拘ろうとする!?
天上の意思も所詮は残滓、今は限定的な改変しかできない。それが盤石な物になるまで世界に滅んでもらっては困る。滅んだものを元に戻す力はここにはないのだから!
くっ、訳の分からないことを……。いい加減にこのふざけた映像を止めてくれ!いくら俺の心を揺さぶってもお前たちの言う通りにするつもりなんてない。
ああ、どうやらそのようだ。未だ時期尚早、いずれまた会おう。
映像の奔流が治まって消えていく。同時に聞こえていた声も気配もすっかりと消えてしまっていた。
「何なんだ一体……」
「勇人、大丈夫ですか?」
心配そうにリリィクが俺の顔を覗きこんでいる。どうやら夢から覚めたらしい。体中嫌な汗でびっしょりだ。
「ああ、大丈夫だ。ちょっと変な夢を見ただけだよ。」
「そうでしたか。なかなか起きてこないので起こしに来たのですが、すごくうなされていたので何かあったのかと心配しました。何もなくてよかった……」
ホッと胸を撫で下ろす姿が愛おしいと思った。まったく、リリィクにこんなにも心配してもらえる俺は贅沢者だな。まだ何も思い出せていないのに、必ず思い出せると信じて傍に居てくれている。そんな彼女に、よく分からない存在から記憶を戻してもらいましたなんてことは言いたくないからな。また会おうなんて言われはしたが、それは出来れば勘弁願いたいものだ。
「朝食、冷めてしまいますよ。先に行ってますね。」
「ああ、着替えたらすぐ行くよ。」
今日はカスタードと模擬戦の予定だ。……何か夜中にもやってた気がするが、それよりはうまく立ち回れるといいな。
「よし、行くか。」
着替え終わって勢いよく襖を開く。その瞬間、危険なはだけ方をした寝間着を辛うじて身にまとった寝惚け眼のお姉さんが目の前をのそのそと歩いて行った。彼女に稽古を付けてもらうのが急に不安になってきたが、まあ、大丈夫だろう……




