第三章 暗躍 3
当然、負けた。完敗だ。加速で距離を取っても一気に踏み込まれるし、かろうじて放った魔法も気功で硬化されて防がれる。遠距離攻撃は出来ないようだからとなんとか弾き飛ばそうとしたが、身のこなしがしなやかで素早くとても捉えられそうにない。対応を考えている内に鳩尾に強烈な一撃をもらってそのまま膝を付いて崩れ落ちていた。
地面に寝そべったまま空を仰ぐ。星が奇麗だ。
「落ち着いたかな?」
「なんとかな。しかし、だいぶ戦えるようになってたつもりだったから、今はちょっとへこんでる。」
カスタードは、仕方ないよと笑う。確かに相対し合って一対一の勝負はこれが初めてだ。誰も邪魔する者がいない、お互いに万全のまま極限まで集中した状態での戦いでは実力差が如実に表れる。逃げることを重視しているわけでもなく、協力して防戦に徹しているわけでもなく、隙を作り出してくれる仲間もいない。考えて動く時間が増えれば増えるだけどんどん不利になっていく。俺の場合、一気に発動まで持ち込める魔法が加速と障壁ぐらいしかないのも欠点だ。
「協力して戦っている分にはそれでもいいと思ってたんだが、流石にそうもいかなくなるか……。」
「そうだね、君の場合魔法の発動は戦闘において必要不可欠だろうし、もう少し近接戦闘の面を魔法に頼らずに伸ばしていくと戦闘中の詠唱もやりやすくなるかもね。……というわけで、まずは筋トレと模擬戦での対応能力強化かな。」
「……まさか、今からとか言わないよな?」
肯定も否定も無く、ただ満面の笑みでこっちを見てくる。地獄の特訓はもう始まっているようだ。ようやく息が整ってはきたものの、先程の疲れが抜けるわけがない。が、逆らうにはこの笑顔は怖すぎる。とりあえず腕立てからやらされるようだ。
「んぅ、もう少し身体下げようよ。そうそう、顔は上げて胸を下に付ける感じで……あぁ、駄目じゃん……」
やめろ、上から押すな……
「じゃあ腹筋だね。ゆっくり上体を上げて、うん、いい感じ。はいじゃあそこでストップ!……何秒いけるかな?気になるからしばらくそのままで、いい?」
よくない……
「次は背筋かな。……よいしょっと。」
「ぐえっ、何で腰に立つんだ!?苦し……」
「とりあえず上体を反らしてみてよ……そうそう、いい感じ。じゃあ、両手を引っ張るね!」
「やめろ!降りてくれ!絶対遊んでるだろ!?」
「うん、ちょっと退屈するかなぁと思って……」
普通にやらせてくれ……
「でもさ、キリくんってそんなに筋肉付いてるわけじゃないよね。かといって贅肉まみれってわけでもないし、それでいて戦闘慣れしてないわけじゃない……今まで一体どんな特訓をしてきたの?」
特訓か……思い出されるのはバーゼッタでの死と隣り合わせの特訓の日々……。ワイズマン隊長の強力な魔法を避けながらリリィクの剣を辛うじてかわしつつ加速で逃げ回る。後半はユリアルの木を薙ぎ倒し大地を抉る一撃も加わってまさに地獄絵図だった。
「うわぁ、よく生きてられたね……。」
「ゼオにも同じようなこと言われて慰められたよ。」
しかし、そう考えるとこれから行われる地獄の特訓なんて屁でもないのでは?うん、なんかやる気が湧いてきた気がするな。
「妙なことで前向きになれるんだね……。んぅ、ということは戦うことよりも生き残ることを重点的に伸ばされてた感じかな?」
「たぶんそうなんだと思う。最初から間違いなく本気で来られてたからな……。」
思えばそのおかげで加速と障壁が得意になってるんだな。
「でもさ、加速って確か浮遊移動系の飛翔に発展しやすいって聞いたことあるんだけど、キリくんそんな感じないよね。」
「ああ、どうも俺は加速には体当たりのイメージが強いらしい。ともかく一直線にぶつかるのが気持ちいいんだろうな。速度ばっかり上がって曲がろうという気にならないというか、いざとなれば足で蹴ったり障壁加工して曲がれば大丈夫かなとか考えてるみたいだからな。」
実際洞窟ではそれでなんとかなったし、そもそも攻撃のことしか考えてないのは間違いないな。初めて見た魔法が魔道砲だったことも意識の奥底にこびり付いてるんだろう。下手すれば障壁すら攻撃に転用することを考え始めそうだ。
「うん、実際考えちゃってるんじゃないかな。加速とか障壁を展開しての体当たりなわけじゃん?」
攻撃は最大の防御とはよく言ったものだ。まさか自分が実践してるようなもんだとは微塵も考えていなかったわけだが……いや、指摘はされていたな。
「自分に合った方法で伸ばせたのは悪いことじゃないと思うよ。アタシがやるのは他の部分の底上げ、ってことになるのかな?とりあえず避けてみて。」
その瞬間、左頬に拳が突き刺さった。
「あ、ごめん。」
「…………」
痛い。結構な勢いで殴りやがった。普通に雑談してる感じだったし、まさか再び特訓が始まっているとは思いもよらなかったから防御すら出来ていなかったというのに……。
「えぇっと……不意打ちに弱いということでいいかなぁ?あはは……」
「まあ、間違ってないと思う……」
思うが、納得いくものじゃない。不意打ちとはそういうものだと言われれば仕方がないが、今のは絶対そういうのじゃなったからな。
「とりあえずこれで冷やしとく?」
「石じゃないか!」
確かに夜風で冷えて気持ち良さそうではある。……うん、気持ちいい……。
「んぇ、半分冗談だったのにホントにやるんだ……。」
「いや、せっかくの提案だし無下にするのも悪いかなって……。」
冷やしたかったし丁度いいやと思ってしまったりとか……。
「ふぅん、そういう所なのかな?たぶん無意識なんだろうけど優しいよね、キリくんは。そこにリリちゃんは惚れこんでしまった、と……少し納得。」
「納得されてもな……」
正直、リリィクが俺を好きでいてくれる根本の所は分からない。全ての原因は俺の記憶の問題のようだし、何かその頃のことを知っている人がいれば……
「あっ、いるじゃないか!」
「うわっ、ビックリした!誰かいるの?」
「あ、いや、そうじゃなくてだな。父さんや龍弥なら知ってるはずだろうと思って……」
龍弥はすぐには無理だが父さんならこの国に居る。あの日行方不明になるまでは、小さい頃からずっと一緒に暮らしていたわけだから知らないはずはないだろう。これはなんとか手早く片付けて話を聞きに行きたいものだ。
「手早くって……うん、アタシも頑張るけどさ、キリくんもしっかりやってね。ココさん助けられなかったら次の手をすぐに考えないとまずいし。」
だいぶ痛みも引いた、頬を冷やしていた石はその辺に戻しておこう。しかし、これは明日も腫れは残るんじゃないか?そうなるとリリィクに心配を掛けてしまうな。
「……ねぇ、キリくん、これは興味本位で聞くから答えたくなかったら答えなくていいんだけど……。リリちゃんの制約って一体何を抑え込んでるのか知ってる?」
「いや、具体的には知らない。ただ俺に関する事だというのは分かってるんだが……」
そういえば、森で話をした時におかしくなったことがあったな。全体に靄が掛かったような、それでいて瞳は曇りなく真っ直ぐに俺を映し出していて、「俺を守ると約束した」と、そう言っていたな。
「んぅ、さっぱりだね。守ることを抑えてるんだったら防御魔法しか使えないような制約なんて設けないと思うし、そもそも攻撃魔法の方が得意なわけじゃん?それを抑えてまで何がしたいんだろう?……もしかして、対価に差し出した?でもでも、好意を抑えてるわけじゃないのに伝えてはいけないって訳が分からない!」
一人で考察を始めてしまった。カスタードは見た感じだと何も考えてないように見えるが、常に色々と考えを巡らせているようだ。首を傾げながら考えに耽る姿は可愛さを存分に溢れさせている。これはゼオの気持ちが少しわかる気がする。
しかし、そのポーズ、もう少し何とかならんだろうか?右手を頬に当てて、右肘を左手の甲で支えているわけだが……うん、左腕の上に立派なお餅がずっしりと乗っかっていて物凄く強調されているのだ……。これは目のやり場に困る。困るんだが、何故か目を逸らせなくて眺めてしまう。くっ、これは生物学的な本能とも言うべきものであって、決して邪な気持ちで見てしまっているのではなくて……。
「……キリくん、正面から殴り飛ばしても良いかな?」
そう言いながら右手を握り拳に変えて脅してくる。
「そ、それは遠慮しておこうかな……」
慌てて目を反らす。本当に俺ってこういうことに耐性無いんだなと思う。
「へぇ、そうなんだ。もしかして、裸でも見たら失神するんじゃない?見せないけど。」
「やめてくれ……」
もしそういう事態になったとして、失神してしまうのはもったいないなとは思うけどな。
「まぁ、アタシの身体はゼオくんのものだから、出来ればそういう目で見るのはやめてね。」
「……努力はする。」
「うん、難しくさせてる自覚はあるよ……。」
何か思いっきり話がそれてしまっているな。特訓はどうなったんだろう。
「はっ!そうだったね。えっと、うぅん、それじゃあとりあえず正面から殴り合いでもしようか?」
「普段しっかり考えてるんだから、こういう時にもやることはちゃんと考えてから口にしような?」
さっきの疲れも残っているし、とりあえずで実戦形式の特訓なんて始められたらしばらくは生死の境でも彷徨うことになりそうだ。
「んぁ、ごめんごめん。でもさ、アタシもさっきので疲れてるから頭が回らないんだよね。キリくんなかなかしぶといし、生存力特化の特訓されてたのは十分生きてるんだと思うよ。」
「そうなのか?結構あっさり負けたと思ってたんだが。」
「あれであっさりとか、たぶん普通の人からかなり感覚ずれちゃってるよ……。」
そうだったのか……。実のところここまでこれたのは運が良かったからだと思っている部分も多くあったんだが、ちゃんと身に付いていたんだな。
「うん、だからね、結局のところアタシがキリくんに教えてあげられることって自信を付けろってことだけなんだよ。話を聞いた限りじゃ結構ここ一番ってところで迷ってるみたいだし、何より魔法は意志の強さでエーテルの反応が思いっきり変わってくるしね。それを後押しする為に体を鍛えてみたらどうかなって提案をしてみたんだ。」
「ほう、そうだったのか。」
へえ、なるほど、そこまでしっかり考えてあったのか。
「ちょっと、さっき普段しっかり考えてるって言ってくれたのにその反応はなくない?」
「すまん、なんかやっぱり初見のイメージが抜けないみたいだ。」
なにか、こう、そういう反応をしなければならないような気になってしまう。明るく元気でふわふわしていて、きっとどんな人とも仲良くなれるけど、ちょっと抜けた所があってそこをからかいたくなる。そういうイメージだ。
「はぁ、皆そういうイメージ持ってるから仕方ないってのは分かってるんだけど、流石に少しはお姉さんとして扱ってほしい時もあるんだよ?」
「おねえ……さん?」
えっ、何を言ってるんだ?と言わんばかりの俺の反応に絶望にも似た表情を浮かべられる。
「アタシ……皆より少し年上……」
「……?」
「アタシ、皆より、キリくんよりも少し年上……」
「ほぁ……?」
一瞬何を言っているか分からずに気の抜けた声を上げてしまう。その瞬間、両肩を掴まれガクガクと揺さぶられ始めた。
「うわぁん、わかってたけど!わかってたんだけどひどいよ!そりゃあ一度も年齢の話なんてしなかったけど最初にちらっと言ってたじゃん!そこで気付かなくてもキリくんたちより背高いんだからちょっとぐらい可能性を考慮してくれてもいいじゃん!!何が、ほぁ……だよ!」
たしかに、馬鹿みたいな声を上げたことは反省しよう。だけどな、行動とか言動見てるだけで年上の可能性が尽く消えていってることには気付いてほしいと思う。ほら、やっぱり年上って聞くとゆったりと落ち着いてるイメージがあるというかなんというか。
「はぁ~あ、疲れた……帰ろうか?」
「すまん、そうだな。」
手合わせの後特訓のはずが雑談になってしまったが、カスタードとはゆっくり話してみたいと思っていたしこういうのもいいだろう。
明日一日インターバルを挟んで明後日にはついに継承戦が始まる。それぞれ出来ることは限られているが、仕損じることがないようにしっかり準備をしておかないとな。




