043話 久しぶり
『まだかなぁ……まだかなぁ……』
ここ最近、そわそわと忙しなくドアの近くを動き続けているカヤ。先程のように『まだかなぁ……』と言ったり、『大丈夫かなぁ……』と心配したり、心の面でも忙しない。
こんなカヤも可愛いのだが、カヤがこんな状態だと俺と遊んでくれないのが非常に悲しい。それこそ好きな子に告白してフラれたくらいには。
カヤと遊びたくてこの状態をどうにかしようとしたこともあった。猫じゃらしを使ったり、全力で機嫌を取りにいったりと、様々な事をした。
しかしその全てが失敗に終わり、気付けば俺の体は引っかき傷でいっぱいになっていた。体の傷なんてものの数秒で癒えるのに、心の傷は深くなるばかり……どうしたものか。
『うぅ……はやくぅ……』
では、なぜカヤがこんな状態になっているのかを順を追って説明しよう。
先週くらいだろうか。カヤが今日の日付を聞いてきた。その日は特に何も無い日だったが、フィーが遠征から帰って来る予定の一週間とちょっと前だった。それも交えてカヤに言うと『ほんと!?』と言って目を輝かせていた。
その日のカヤはそれだけで、今のように忙しなく動いていた訳ではなかった。しかし、その次の日の朝から玄関前で鎮座し、ずっとフィーを待つ姿勢を取っていた。
だが、フィーが帰ってくるのはまだ後の予定なので、待っていても帰ってくる訳がない。それがカヤにとっては心配の種になるようで、うずうずし始めて、立ったり座ったりを繰り返すようになり、最終的には、今の状態へとシフトしていったという訳だ。
まあ、心配そうにうろうろしているカヤを見るのも癒されるから別に何かが悪いという訳ではないのだが、やっぱりカヤと遊びたい気持ちもあって、俺の心も忙しない。どうにか出来ないものか。
フィーが帰ってくれば、カヤのこの状況も改善されると思うのだが、フィーが帰ってくる日程じゃないし、後数日程は要するだろう。
「はぁ……寂しいぞ……」
『フィー……帰ってくるよね……』
ここは一か八か直球勝負を仕掛けるか。
「カヤー。遊ぼ――」
『――や! わたしは忙しいの!』
「さいですか……」
分かりきってたことだが、カヤに面と向かって拒否されるのって想定以上にキツい。俺のただでさえ少ないライフがごっそり持っていかれる感覚だ。要するに死にそう。
『フィー……大丈――はっ!? この足音!』
突如カヤが何が聞いたらしく様子が変わった。今まで曇り空だったのが一気に快晴へと移り変わったかのようだ。
『帰ってきた! フィーが帰ってきたよっ!』
興奮したカヤが人間の姿になって、俺の腕を引っ張りながらそんな事を言う。
しかし、先述したようにフィーが帰ってくるのはまだ先だ。カヤの聞き間違いかなにかだろう。
「フィーが帰ってくるのはまだ先なんだぞ? カヤの気の所為じゃないのか?」
『ちがうもん! 絶対フィーだもん! ほら、もうすぐそこに来てる!』
「すぐそこって言うと……玄関近くか?」
『うん!』
カヤには何かが聞こえているらしいが俺にはまだ何も聞こえていない。もし、カヤの言っていることが本当だったら、もうすぐ俺にも足音が聞こえるのではないかと思う。
『出迎えに行っていい!?』
「カヤの好きにしていいぞ」
『じゃあ行ってくる!』
カヤは一目散に玄関まで行き、慌ただしく部屋を飛び出して行った。カヤにしては珍しい位に興奮している。この調子でフィーに会ったらどうなる事やら。
そんな一抹の不安を抱える俺は、カヤがフィーと一緒に帰ってくるのをしばし待つことに決めたのだった。
◇◆◇◆◇
「ふんふふーん♪」
本来の遠征期間である四ヶ月よりも少し早めに帰って来れた私は、自分でも分かるほどに機嫌が良かった。
ローティルの街からこっちに戻ってくる馬車の中では、新しくハピネスラビットの仲間になったジンさんも加えてより一層賑やかだった。
こっちに戻ってきてからも、冒険者協会に行けばエレナさんが恋をしたという話を小耳に挟んだり、将来有望な冒険者を見つけたと支部長が自慢げに話していたり、私としても心躍る話が幾つかあった。
しかし、それのどれを差し置いても到底叶わないくらいに嬉しい事が一つある。
それが――
――カヤにやっと会える事!
カヤとの約束もあるし、待ちに待った日が今日訪れた事がとても嬉しい。
もうそろそろ自分の家に着く。カヤは何をしているだろうか。カナタさんは変な事をしていないだろうか。確認するのが楽しみだ。
『――ィー……』
思いを馳せていると、懐かしい声が頭に響いた。これはカヤの声で間違いないはずだけれど、当たりを見渡してもそれらしい姿は見当たらない。
「今、カヤの声が聞こえたような気がしたんだけど……?」
『――フィー!』
「やっぱり聞こえる。どこから?」
『フィー! 上だよー!』
「上?」
私はカヤの言う通り上を見た。黒い月が浮かぶ青い空を幻想的に彩る白い雲、そしてこちらに落下してくる人間の姿のカヤが目に映った。
『おーかーえーりー!』
カヤは満面の笑みで私の元に落ちてきた。
地面に激突してしまう、と思ったのだけど、地面に激突する寸前にカヤがふわっと減速して綺麗に着地した。流石カヤだなと懐かしい感覚を感じた。
「ただいま。約束通り帰ってきたよ」
『うぅ……寂しかったよぉ!』
嬉しいのか悲しいのか分からないような表情をしたカヤが私の胸に飛び込んで来た。ギュッと力強く抱き着いて来るカヤを愛おしく感じながら、私も同じように抱き返してあげた。
『懐かしい匂い……』
「まだお風呂入ってないから匂い嗅がれるの恥ずかしいですね……」
『フィーはいつもいい匂いだよ!』
「それもそれで恥ずかしいです……」
カヤは私の胸に顔を埋めてすりすりと頬をすっている。とても幸せそうな顔をしていて、見てるこっちまで心が暖かくなる。
でも、ここは人通りのある道の真ん中。さすがにこういうのを他人に見られるのは恥ずかしい。
「カヤ? そろそろ家に帰りましょう?」
『うん! ……手繋いでもいい?』
「もちろんですよ。どうぞ」
『ありがとー♪』
久しぶりに繋いだカヤの手は小さかったけど、心まで暖かく出来そうなくらいに優しかった。
◇◆◇◆◇
「『ただいまー』」
玄関から聞こえて来たのは、帰ってきたカヤの声と、懐かしいフィーの声だった。
どうやら、カヤが言っていた事は正しかったらしい。
「おかえりー」
『カナタカナター! フィーだよ! フィー!』
「そうみたいだな。カヤの言った通りだったな」
カヤがフィーの手を引っ張って部屋の中まで入ってきた。カヤもフィーも嬉しそうだ。
久しぶりに会ったフィーは、前に比べてどこか雰囲気が落ち着いた感じになっている。この四ヶ月の遠征で何かあったみたいだ。
それと、若干痩せたように見える。遠征はそれだけハードなものだったのだろう。
俺がフィーの方を見ながらそんな事を考えていると、不意にフィーと目線が合った。
「あ、えっと……」
「は……はい……」
なんでか分からないが少し気まずい雰囲気になってしまった。こういう時に自分のコミュ力の低さを恨む。
だが、俺は男だ。これしきのことでへこたれている訳にはいかない。何とかしてこの雰囲気から脱却しなければ。
「そ、その……久しぶり」
「お久しぶりです……」
「遠征、どうだった?」
「得るものが多かったです。それこそ一言では表せないくらいに」
「そうか」
「はい」
「…………」
「…………」
コミュ力低い奴あるあるの会話が続かない現象が現在起こっています。誰か助けて! この雰囲気どうすれば脱却出来るのか教えてくれるだけでいいから!
『んー? 二人ともどうしたの? ヘンだよ? あっ! もしかして、カナタがフィーの部屋に入ったのがバレて――』
「ストーップ! ストップストップ! あははは! なな何を言っているのかなぁ! おおおお俺がフィーの、へへ部屋に入ったって!? そんな訳――」
「――カナタさん。少し口を閉じて貰えませんか?」
「はい。すいません……」
なんという爆弾投下。唐突過ぎて一瞬何を言っているのか分からなくなりかけた。咄嗟に話を遮ったけど、結局はフィーにバレてしまった。
手汗やべぇ。背中を伝う冷や汗やべぇ。フィーのマジ顔やべぇ。……俺死んだな。
「カヤ、その話詳しく聞いても良いですか?」
『うん。それがねー、ちょっと目を離した隙にカナタがいつの間にかフィーの部屋の中にいて、なんか唸ってたんだよ』
「カナタさん。これは全て本当ですか?」
「い、いや、あの時は少し寝惚けててな――」
「言い訳はいいので、"はい"か"いいえ"で答えてください」
「……はい」
怖い。物凄く怖い。母のお怒り? 父のお怒り? そんなのまだ甘いと思える位に怖い。あのフィーの目は確実に仕留める時の目だ。俺、何回死ぬんだろうか……。
『あとね! フィーの部屋に入った罰を与えてる途中で、カナタがねこまんま作ってくれるって言ってくれたの! あの時のねこまんま美味しかったんだよ!』
まさかの追撃。これは死体蹴りでは無いだろうか。俺のライフは既にゼロを超え、マイナスに振り切っている。このままではフィーの殺気だけで死んでしまうぞ。
「へぇ……罰を与えてる途中ですかぁ……ふーん……」
「あ、いや、これには訳が――」
「言い訳はダメですよ?」
「うぐっ……」
言い訳をしようとしても先に塞がれるという、どうしようもない状況。これはもう八方塞がりというやつだな。素直に謝るしかないだろう。
「これはキツいお仕置きが必要みたいですね。何が良いですか? 火炙りとかどうでしょう?」
「それ完全に殺しにきてるよな!? お仕置きの範疇を超えてるって!」
「じゃあ、殺します」
「そこは妥協してふつうのお仕置きする所だよ!? 何飛躍しちゃってんの!?」
これは間違いなくマジのガチギレというやつだ。フィーのこんなに冷たい態度とか出会ってから一度も受けた事ないし。
「もういっその事、目をくり抜いてしまいましょうか? そうすれば見られる事もなくなりますし」
「そんな怖い事いわないでくれる!? 確かに入ったの悪かったって思ってるし、反省もしてる! というか、あんなに可愛いもの一杯の部屋くらい女性なら普通でしょ!?」
「…………なく……」
「――えっ」
「記憶を無くせぇ!!」
「ひいぃっ!!」
それはもうこの世の終わりとも言うべき何かが俺に襲ってきた。果てしなき殴る蹴るを受けながら俺はただ一つの事を考えていた。
――女性って怒らせると怖いな。
と。
ちなみにカヤは面白いものを見るかのように笑い転げている。何度かカヤに助けを求めているが、それが余計にカヤのツボに入って更に笑い転げるだけだった。
それから数分後。俺の顔が一頻り腫れ上がってから殴る蹴るの暴行は収まった。俺が悪いんだし、当然の報いかもしれないが、何もここまでしなくても良かったと思うのは俺だけだろうか。
「ぐすんっ……誰にも見られたこと無かったのに……」
「ごべんなばい」
口元が腫れているせいで上手く話せない。ちなみに、俺はごめんなさいと言ったつもりだ。
『カナタの顔、大きくなったねー』
「ずぐになぼるどおぼうへど」
今のは、すぐに治ると思うけど、と言っている。俺は死んでも生き返る、傷はすぐに治るという特異体質だからな。もうそろそろ腫れも引いてくるはずだ。というか、もう引き始めているな。
「遠征中に嫌な予感はしんたんですよ……まさか的中するとは思いませんでした……」
「俺もフィーの部屋に入るとは思ってなかった。寝ぼけて入っただけだし、何もしてないから安心してくれ。それと、部屋の中身だけど年相応らしくていいんじゃないか?」
「……本当……ですか?」
「今までに俺が嘘を吐いた事があったか?」
「結構あります」
「うぐっ。日頃の行いがこんな所で出てくるとはっ。だが、信じてくれ。別にあの部屋は恥ずべきものじゃない」
「うぅ……やっぱり無理です! カナタさんには罰として一日食事抜きです!」
「なん……だと……食事抜きでどう過ごせば……」
食事抜きと言うことは、その日のエネルギーが得られないということ。そうなると、頭が働かない、身体のパフォーマンスが落ちる、ついでに筋肉も落ちる。悪いこと尽くしだ。
だが、これくらいしないと罰にはならないか、と考えると妥当だと考える自分がいる。
『いつもの二人に戻ってくれたみたいで良かった! ねぇねぇフィー! 久しぶりにフィーのご飯食べたい!』
「任せてください……と言いたいところですが、お風呂に入ってからでもいいですか?」
『うん! 大丈夫だよ!』
「では、少しお風呂に入ってきます」
フィーはお風呂へと向かっていった。遠征での汚れを落とすのだろう。
『カナタ、大丈夫?』
「俺は平気さ……ご飯が食べられないくらいどおってことない……」
『なんで泣いてるの?』
「これは心の汗さ……泣いてなどいない……」
見ての通り強がりだが、カヤに泣いてる所を見られるのは恥ずかしいからな。こういうしかないのだ。
そして、その日一日の食事は本当になかった。夜とかは飢え死にするのではないかと言うくらいにお腹が空いていた。次の日にめちゃくちゃ食べたのは言うまでもないないだろう。
こうして、フィーと久しぶりに出会った一日が終わったのだった。
二度目の遠征が終了しました。次回からまた、カナタとフィーの生活が始まります。
それでは、次回もお会い出来る事を願って。