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煮物の匂いが漂う酒場の扉を開けると、仕事終わりの男性達がすでに何杯も酒とつまみをかっ食らっている。
王都内で最大の酒場『デルタ酒蔵』は世界中の様々な酒を扱っていて貴重な酒も置いてある事から開店する昼過ぎからいつも満席状態だ。
野太い喧騒の中奥の方へ向かうと一人でジョッキを傾ける女性がテーブルをひとつ独占して座っている。彼女がルルエの探していた人物だ。
「ダニエラ、いてくれて良かったわ」
「おおー、ルルエじゃん!呑んでる?」
ジョッキを掲げて顔を向けた彼女はすでに赤ら顔だ。ダニエラはルルエの飲み友達で服飾関係の商人だ。王都を中心に商売をしている事からよくこのデルタ酒蔵に出入りしている。
向かいに座ったルルエはつまみの少ないテーブルにバスケットを置いた。
「なになにぃ?差し入れ?」
「酒のつまみには甘すぎると思うけどね」
「あ、高そぉなコート!買ったの?言えば良いとこ紹介したのにぃ。てか、その服にコートいる?ついに限界感じた?良い年だもんね!!」
言葉に容赦がなく、喋り出すと止まらないのは大分飲んでいたからだ。しかも声が大きい。ルルエも服装に関しては悩んでいるところもあるが動きやすさから目をつぶっていた。周りの視線に辟易しながらもルルエは掻い摘んで先程までの話をした。勿論、仕事の内容や関係者の名前は伏せて。ついでに通りがかりの店員に発泡酒をジョッキで頼む。
「マジ?玉の輿じゃん!宮殿に知り合いがいる相手が気になるけど、決まったら連絡して!良い布とデザイナー準備しておくわ」
「だ・か・ら、違うって。何の話聞いてたのよ」
酒の勢いがついた二人のテーブルはグラスやジョッキでいっぱいだ。つまみは勿論、宮殿料理人の作ったケーキ。そして女の会話はすぐにケーキに脱線する。
「このケーキ最高ね!酒のつまみになるなんてねぇ」
フォークに刺して口に頬張り、味わうことなく酒で一気に流し込む。近くに座る男達に負けず劣らずの食べっぷりでバスケットに入っていたケーキは跡形もなく無くなった。すると話は唐突に戻る。
「それにしてもあんたが結婚するなんて聞いたらあいつら度肝抜かれて放心しちゃうね」
「え、誰?」
「それは言えなーい」
にやにやしながらダニエラはスルメイカを噛む。ルルエには商売柄知り合いは男だらけだが放心するほど仲の良い人はいただろうか。難しい顔をして心当たりを探すが全く見当がつかない。と言うか、なぜ放心するのか分からない。結婚するのは嘘だが、普段からする気はないと豪語している人間の噂話は驚くとは思うが……。悩むルルエが面白いのかダニエラは椅子に片膝を立てて頬杖までしてほくそ笑んでいる。
「あぁー楽しい」
完全に酔いが回ったのか、ダニエラは虚ろな目で辺りを見回している。彼女は絡み酒だった事を思い出したルルエは被害が出る前にお勘定をしてデルタ酒蔵からダニエラを引きずり出した。勢いのまま切り刻む予定だったフレアコートも持ってきてしまった。あのまま置き忘れていれば良かったのだ。
今はそれを考えるよりもダニエラだ。立てないのか壁に寄りかかってぐてっとしている。それでも通行人に突っ掛かるのはやめない。
「そこのオジサン、あたしと王都の酒場巡りする?」
話しかけていたのは横に鎮座する牛のマスコット。デルタ酒蔵の隣は牛肉料理専門店で厳つい顔をした二本足で立つシェフの服を着たマスコットだ。ルルエよりも背が高いそれは威圧感がある。マスコットだと気づいていないダニエラは延々としゃべっている。その内にオジサンからルルエに呼び名が変わり始める。彼女には牛がどう見えているのか不思議だ。
「編みタイツとかどう?エロいよねぇ。大人のエロさにシフトチェンジよ!」
大声で恥ずかしい話を繰り広げるのは衆目を集める。ルルエは半眼でため息をつくと牛に話しかけ続ける脱力した友人に肩を貸して宿屋まで歩き出した。夕闇が深くなる王都にダニエラの笑い声がこだました。
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