6
「お兄様ったら思い込みが激しいですから」
対面に座ったニコリは口元に手を当てくすくすと可愛らしく笑った。
「それでいつ結婚します?お相手がいるならお兄様より先に私達が結婚するのは気が引けて……」
「だから違うってば……」
「お兄様から紋章入りのフレアコートまで頂いてるのに?お姉様にぴったり」
「サイズ違いがたくさんあったけど」
扉の近くの壁際にコート掛けが置かれ、ゼウロの家の紋章が入ったフレアコートが綺麗に掛けてある。ルルエにとっては後数分から数時間でお別れするものだ。
「宮殿内は皆祝福してくださっているわ。陛下も王妃様も喜んでくださってるの」
外堀がどんどん埋められていく。国王陛下まで知っているとあれば、もう逃げられない。
頭を抱えて悩むルルエにニコリは不思議そうにした。
「私、貴族と結婚する気はないしゼウロとはそういう関係でもないわ」
「だったらお兄様は貴族の爵位を返上すると思います。先々代までは商家でしたから成り上がり貴族で大した位でもないですし、アドリヤの代表は貴族とか関係ないので。あ、知ってます?貴族という制度を見直そうって話が出てきているんですよ。お兄様は賛成してます」
「だから?」
「お兄様には些細な事なので、人柄でお話ししてほしいなと思ってます」
やっぱり逃げられそうにない。妹が協力的過ぎる。しかも貴族制度の見直しという話は決まってもいないのに庶民に話すものではない。
無難な返事をして話題を切り替えてさっさと帰る方がいいだろう。
「それは考えておくわ。ところであなたへのプレゼントだけど」
預かっていた小箱を取り出してテーブルに置く。受け取ったルルエは小箱を自分で開けて中身を見ると嬉しそうに顔を綻ばせてそれを取り出した。花のブローチはニコリの手のひらでキラキラと煌めいている。
「お守りのブローチですね。小さい頃に私がおねだりしていたのを覚えていたのかしら。ありがとうお姉様」
「私は届けに来ただけよ」
仕事の依頼で受けたのにどうしてこうなってしまったのか、ニコリが喜んでいるから良いかと思ってしまう。それにプレゼントを渡したのだからもう関わる事はないのだ。
そういえばゼウロの家名は何だったか、元から興味は薄く、住所を確認しただけで出発した。受け取り拒否する為にも家名をニコリに聞いておく方がいいだろうと訊ねた。
「家名ですか?ファイザーですけど」
急に家名を聞かれて不思議に思ったのか、きょとんとしながらも答えてくれた。ルルエは忘れないように何回も頭の中でそれを反芻した。
ニコリは貴族について色々説明してくれているが、あまり関係を持たないルルエには浮世離れした話ばかりだ。やれ派閥がどうだ、お茶会がどうだ……程ほどに相槌を打ちながら聞き流してサンドイッチやケーキを楽む。流石は宮殿の料理、仕入れた材料は高級品で料理人も腕が良い。ルルエは今後食べる事のできない味に舌鼓をうった。
「もう帰られるのですか?」
もう、と言われたが三時間はいたと思う。ニコリはルルエの仕事の話に興味津々で思わずたくさん話してしまった。ニコリにも予定があるだろうしルルエもあまり長居する気はない。
ケーキスタンドに残っていた物は持ち帰られるようにメイドが小ぶりなバスケットに入れてくれた。美味しそうに食べていたからということらしいが、ケーキも入っているので太ること間違いなしだ。
見送るニコリの胸にはゼウロからプレゼントされた花のブローチが太陽に照らされて輝いている。
入る時と同じように兵士と案内役の使用人に囲まれて門まで案内された。必要なら馬車を出すと申し出られたが、王室の紋章付の豪華な馬車にどこまで送られるのか……考えただけで恐ろしくなったルルエは丁重にお断りした。
門から出て市街地まで歩いたルルエは思わずため息をついた。まさか宮殿を訪れる日が来るとは思っていなかった。全てが終わって実感が湧いてきた。小脇に抱えたフレアコートと手に持つバスケットが何とも今の自分には不釣り合いだ。
それでも中身の美味しいものはすぐにでも食べなければいけない。山歩きをしたらグチャグチャして食べられなくなる。しかし食べたばかりの自分には量が多い。王都に知り合いはいただろうかと思った時にこの仕事を受ける時に見かけたあることを思い出した。
今ならまだ居るかもしれないと夕暮れの中、ルルエは行きつけの酒場に向かった。
ご覧いただきありがとうございます。