プロローグ
寒い冬の風がただでさえ凍え死にそうな体をついばむ。
吐息を吐けば、白い息吹が前方へ吹かれる。
かじかんだ手をこすり摩擦熱で温める。
しかし想像を絶する寒さにそんな行動は意味をなさないと実感させられた。
空一面は灰色の雲で覆われ、白と白銀に覆われた世界が一面に広がる。
「さむっ!」
思わず反射的に身を縮める。
季節的には例年から鑑みても、もう春に入ってもおかしくはない時期だ。しかし、今年は一向にその気配が感じられない。寒冷前線でも直撃しているのか、これなら天気予報を毎日欠かさずチェックする習慣でも身に着けておくんだったとアヤトは思う。
今まで経験したことのない人ごみに圧巻されてしまい、数秒金縛りにあったかのように硬直する。右も左も分かららない状況で次に何をするべきなのか。360度見渡し、何か助け舟がないだろうかと探し求める。そして西方向にインフォメーションセンターと書かれた掲示板。
助け舟を見つけ出したと心の中で歓喜する。移動すると濃い化粧をした20代の女性職員らしき人影。アヤトはごくりと唾を飲み込み決心する。
「すびばっ!」
「はい?」
内情、アヤトには焦りしかなかった。長年引きこもっていており、家族以外とはまともに会話したことがない。数年ぶりの他人との会話にどきまぎした結果がこれである。思わず羞恥で死にたくなる。いったん心を落ち着かせるために深呼吸をする。
「申し訳ございまちぇっ!」
「お、お客様。いったん落ち着かれてはどうでしょうか。大丈夫です、焦る必要はありません」
お姉さんの暖かな言葉がアヤトの心に突き刺さる。
一度目は偶然で済まされたが二度目は流石はぐらかせないだろう。業務的会話すら出来ないほどに重度のコミュ障だという現実にアヤトは思わず現実を投げ出したくなる。お姉さんのフォローがなく、笑われでもすれば今頃、重度の人間不信になっていたかもしれない。
「あの、ホテルを探しているんですが」
「条件として何かご要望はございますか?」
「高くてもいいので、ここから近い場所がいいいです」
同じ語彙を二度使うのはいただけない。しかし、今のアヤトにしてみれば最大限の努力をした結果である。
受付の女性はタブレットを出し検索した場所をアヤトへ見せる。広げられたマップに記されたのは、ここから5キロ圏内のホテル。やはり都市中央の駅なだけあって多い。最低限の条件として、コンビニはホテルから出て見える場所にあることが好ましい。
「ここがいいです」
「承知しました。よろしければ、こちらからホテルを取らせていただきますが」
「お願いします」
「お名前をお伺いしても」
「才波アヤトです」
アヤトは急ぎ足でタクシーに乗り、目的の場所まで向かう。タクシー運転手は中年のおっさんだった為に緊張はするはずない。目的地を言い向かってもらう。窓から眺める風景は今まで自分が過ごしてきた環境とは一変していることが分かる。
いや、その表現は正しくない。中学生の頃から不登校になり今まで引きこもっていたのだから、場所さえ整えば今まで過ごしてきた環境と変わりのない生活になるだろう。
ふとアヤトは自分の右目を手で隠す。
(なんで……あんな未来を見たのだろうか)
未来を見通す目。
それがアヤトに宿る唯一無二の異能。
物心ついたころには、その事象がどうなるのか、その未来を視ることが出来るようになっていた。最初はテレビで放送されていた予知能力ではないのかと思った。しかし、そんなバラエティ如きで済まされる物ではないとアヤト自身が確信する。試しに来週発表する宝くじを買いに行き、一週間後に自身の選んだ数字と確かめてみると見事に一致していた。最初は喚起した、しかし同時に普通の人間ではないという恐怖心も芽生える。その時は、すぐに当選した宝くじを捨てた。それが恐怖心から逃げる唯一の道だと思ったからだ。
そこから両親と妹にもしばらく顔向けできずに部屋へ引きこもる始末。自身を人とは違う何かだと卑下してきたが、それすらも家族は受け入れてくれた。あとから聞くと、アヤトが立って歩けない頃からうすうすと感じていたらしい。アヤトの大泣きに足を止めた両親が公園で休憩をとっていた後に通るであろう道筋でダンプカーの爆発事故があった。自身の大泣きがなければその事態に自分たちが巻き込まれていたと。
それは偶然だろうと思ったが、その話をきっかけに家族と心を打ち明けることが出来るようになったのは。
その日からだろうか。
誰に何を言われようと自身の力を自主的に使おうと思ったのは。手始めに株の売買を始めてみれば、面白いくらいに金が手に入った。それはそうだろう、なんせ未来の変動が見えるのだから。まるで世界が自分の手のひらに収まるかのような感覚。妹の学費、家のローン、その他もろもろの資金はこれで補える。
そして妹が東京の高校へ行くと同時にアヤトも便乗して田舎から脱出したというわけだ。
そんな右目のせいで左目の視力は無いにも等しい。見えていることには見えているが、異常なまでに左右の視力が均等でないため、とてつもない違和感が襲い掛かるのだ。
どうしても必要だと思う時にはメガネなりを使用すればいい。
ふと手元のスマホが鳴り響く。噂をすればその妹からだ。
「もしもし」
『あっ!やっと繋がった。お兄ちゃん、何で電話に出ないのよ!』
耳元に響く高音の声。間違いなくご立腹な様子が直接会わなくとも目の前にいるかの様に感じられる。
「飛行機に乗ってたんだから電源を切ってたんだよ」
『む、むぅ。それなら仕方がないか』
「それよりも何の様だよ」
『お兄ちゃん、今日泊まるところあるの?』
「ホテル」
『うわっ、無駄使いだ!ずるい!』
盛大に抗議されるが、そんなことを言われるような筋合いは微塵もない。
実際に金はアヤト自身が稼いでいるのだから。
「そっちはどうだ?」
『うん、寮の友達も出来たし何の心配もないよ』
「それは良かった」
『じゃあ、家買ったら連絡してね。絶対に遊びに行くから』
それだけを告げると、なんの前触れもなく通話が切れる。自身のターンに発動するはずだった拒否権も言わせないあたり、策士なのか天然なのかは今いちピンとこない。
妹と話している間にタクシーはすでにアヤトが泊まるであろうホテルに到着していた。現金を運転手に渡して車から降りる。着いたホテルは存外見事なものだ。クルクル回る自動ドアに赤い絨毯が敷かれておおり、中は大きなシャンデリアがロビー全体を明るく照らす。
「ご来店ありがとうございます」
「さっき駅から予約した才波です」
「お待ちしておりました。部屋の方はどうされますか?」
「過ごしやすい部屋がいいです」
「ではご案内します」
言われるがままに手続きをして案内されたのは最上階だ。エレベーターは部屋に直接つながっており、専用のカードキーを差し込まないと起動しない仕組みになっている。高速で移動するエレベーターにかかる重力がアヤトの体に十数秒の違和感をもたらし停止する。係員が先に出てアヤトを誘導するように手招きをした。そして、その光景に思わずゴクリと唾を飲む事になった。
ワンフロア一帯がすべて部屋になっている。適当に選んだ部屋はいわゆる最高級ルームだ。都会に来て早々やらかしたと若干の後悔をしたが、払えない金額ではないので支障は全くない。
部屋の説明をして貰い、パソコンが使えることだけ確認し出て行ってもらう。
大きなキングサイズのベッド、一人では余分すぎる。思っていた以上に快適な空間に満足しここにしばらく居座ることを決める。カバンの中からケースにしまわれているノートパソコンを取り出す。電源を入れいつもの株の相場サイトへ移動。
(さて、始めるか)
いつもの調子で左目をつむり、右目を見開き未来を視る。
その瞬間にこれからの未来が目の前に写し出された。その中で購入した当初よりも高値になるであろう株を選んで上昇が最高ピークになる時間まで待ち売却する。
「んぁー!疲れた」
目の前の時計の針はもうすぐ日付変更の時刻を知らせる。
集中し過ぎたせいで忘れていたが、すでに夕食の時間は過ぎている。それを意識したせいか空腹を知らせる大きな音がアヤトの腹から聞こえた。
「確か迎えにコンビニがあったよな」
今日の遅い晩飯はコンビニ食に決定だ。というよりは、今からの時間ではルームサービスを呼ぼうにも厨房が開いていない。再び脱いだコートを着直して部屋からホテルの外へ出る。外は昼間が生易しいほどに感じられるほどに冷えた空間と化していた。
街灯は真夜中なのに照らされており、車もちらほら通っている。流石は都会だと感心せざる得ない。
ピロローン♪
地元のコンビニとも変わらない落ち着くメロディーがアヤトの耳に入ってくる。流石にアヤト以外の客はいないようだ。中年に入ったアルバイト社員が退屈そうに変わることのない店内の光景を眺めているだけだ。
アヤトは適当に冷蔵された弁当を手に持ち、素早く会計を済ませる。
先ほどの疲れが残っているのか大きな欠伸が出る。夜型の生活をしているアヤトは起床している時間帯だ。今日は短い間だったが、外にも出たのだ。引きニートの身からするとフルマラソンをしたした症状が己の身に起こっているのだろう。そう自分に言い聞かせ納得させる。
「ありがとうございやしたー」
コンビニから出る際、扉が開くと同時に店員からのお礼が言われる。さして、当たり前のことなので振り向かずに無視して数歩前に出て自動ドアが閉まる音が聞こえた。
(あー、やっぱり何か今日は異様に疲れる。変な違和感といい、都会ってなれないなー)
あまりの疲れにこめかみを開いている手で掴み重いまぶたをゆっくりと閉じる。
そして開いてしまった。
何気ない気持ちだったのだろうか、無意識だったのだろう。
だがしかし、アヤトの目は視てしまった。
自分とは無縁だったが、関わるべき、いや、関わざる得なかった運命の歯車を。
目の能力が発動する。未来を見通す能力を己の意思とは関係なく。あまりにも唐突過ぎる、自身の人生を一変してしまうかの選択を問われるひと時この後迎えるとも知らずに。
「おいおい、マジかよ」
アヤトは真冬の凍えそうな中で、一滴の汗を顔から垂れ流す。もちろん暑さからではなく冷や汗からだ。なぜここまで焦るかというと、無条件で発動してしまう未来視は己に災厄が起こるであろう前兆を示すからだ。過去にも何度かそんな事態が起こった。そして例外なく何かしらの災厄が降りかかる。
だがしかし、今自分が見ている光景は今までのレベルとは常軌を逸脱し過ぎている。起こり得るであろう可能性を有している未来ならばここまで取り乱さない。それほどまでに非現実的な事象が起ころうとしている。
そして、それはすぐに起こった。
理由は分からない。果たして自身が原因なのか、世界がアヤトを狂わせたのか。
凍り付いたかの様な空間。比喩ではなく、アヤトの目の前では実際に空間自体が止まっているように見える。小降りの雪もその場を動かずに停滞している。それだけではない。突如として目の前を通っていた車すらもなくなった。まるで世界で自分しかいないかのような時間。
そして、突如としてアヤトの目に映る。
数えきれないほどの人数の司祭服を着た集団。杖も持つ人物もいれば剣を腰に携える人物もいる。先頭には長髪の男、腰には周りの者とは比べ物にならないほどの異質さを纏う剣。そして目を疑う光景が移る。
タンカにしては大きすぎる。六人が左右三人ずつ肩に荷を担いでいる。そして手足に口をふさがれた少女。まるで悪魔への生贄を運ぶかのように見える。
必死にもがく少女の瞳がアヤトの瞳と重なる。
今思えばこれ以上の劇的な再開もなかっただろう。
理を暴きし目を持つ少年と魔神と呼ばれた少女のまだ見ぬ物語の始まり。