4回裏 乱闘2
「寒い……」
朝の燕高校校門わきの茂みにひっそりと息をひそめている。五月中旬だが朝はまだ少し寒かった。服装が薄着というわけではないけれど、俺が着ているのはどう考えても燕高校に殴り込みに行く容姿ではない。いつプレイボールがかかってもすぐにグランドに立てるほどにバッチリと上下に野球の純白の練習着を着こなしていた。これでは早朝から練習試合に行く野球少年にしか見えない。
集合をかけたのは何を隠そう木村桃だ。西岡さんの勇気をふりしぼっての真実を聞いた阿坂茜はすぐさま学校に逆戻りして部室にいた桃にそのすべてを知らせた、高松美夏は川端麻美を刺していない、と。水を得た魚のように部室内を駆け回って喜ぶ桃は闘う権利を獲得して血沸くコロシアムのファイターさながらに全員に明日の朝、燕高校に乗り込むことを宣言した。
「あいつら時間も守れないのかよ。燕のやつらもう集まってるじゃねーか……」
見ると学校敷地内にある自転車置き場にはゾロゾロと反抗期真っ只中であろうガラの悪い男子生徒たちが数人群れていた。世紀末にタイムスリップしたみたいだ。
確かに阿坂茜は八時に校門近くに集合と言った。しかし彼女の姿はない。こんな決死の作戦をするというのにどういうつもりだ。
「ぬぁんでぇぇぇぇぇぇ! 阿坂茜と木村桃はこないんだぁぁぁあぁぁぁ……ふごぉ!」
「黙れ! 聞こえるだろ!」
おまけに来ているのは横にいるアホの亀とガチガチに震えてるのが遠目からでもはっきりわかるキャプテンの山海というクソの役にも立たないやつだけだった。
「ク……クンカクンカ? ななななな……なんで彼女たちは来ないの?」
「大丈夫か? あんまり喋れてないし顔が真っ青……通り越して真っ白だな。おい」
山海は血の気の退いた顔をしていた。その気持ちがわからないわけでもない。お不良さんたちと戦うにあたって幽霊である木村桃の存在は喉から手が出るほどほしかった戦力だ。それは学校の敷地内にいるお不良さんたちが目に入ったことでより一層強く思う。霊体という現実離れしたことを心から願っていた。
「だだだだあだっだっだだ! ……大丈夫なわけないだろ! 目の前にあんなやつらがいて、俺たちはそんなやつらに金属バット持ってケンカ売ろうとしてんだぞ!」
極限の恐怖に耐えれなくなったのか山海はマヌケにも握りしめていた金属バットを手放してしまった。
「カランカラン! ……カラーン……」
静かな朝の街に金属バットによる乱暴な打楽器演奏が響きわたった。それはお不良さんの注目を集めるには十分すぎるサウンドだった。
「バカ山海! 何してんだよ!」
「しょしょしょ、しょうがないだろ! むむ武者震いってやつなんだよ!」
「なんだおまえら?」
聞き覚えのない声に冷や汗が背中ににじむのがわかった。振り返ると四~五人のお不良さんたちが目の前にまで来ていた。そしてそれを確認しているといつのまにか俺たちは囲まれていた。四面楚歌。
「金属バット? それで何する気だよ」
お不良さんの一人が俺に対して質問(一つ間違うと殺される)を投げかけてきた。しかし俺は瞬時に応えることができる。なぜなら俺たちの恰好はどこからどう見ても健全な高校球児だ。そうか、こういうカモフラージュで相手を油断させる作戦か。さすがだぜ策士阿坂茜さま!
「イヤ~、今日は燕高校さんと野球の練習試合させていただきに来たんですよ~」
低姿勢、完璧な理由。オールオッケーだろこれ!
「そうかい……だがな……燕に野球部はねぇんだよ! コラァ!!!!!」
「……ふぁ?」
囲んでいたお不良さんたちは全員一歩前進して俺たちをジリジリと追いつめてきた。今にも殴り掛かってくればふくろだたきにされる寸前だ。なんという誤算だ。今時野球部のない高校だと……考えられん。
「おまえどこかで……そうだ! 清水原真子と一緒にいたやつじゃねぇか!」
やっべ、しかもあの時喫茶店にいた……名前がでてこない……けど真子に吹っ飛ばされたやつにまちがいなかった。
「てことは……俺たちの敵だな。武器も持っているしな……てめぇら! こいつらを生きて返すなぁ!」
世紀末救世主伝説を思わせるような怒声を長身の男が発した瞬間に俺たちめがけてお不良さんたちが襲い掛かってくる! 野生のオオカミのように牙をむき出しにしながら俺は胸ぐらをつかまれた!
『やられる!』
脳裏でそう思った瞬間に視界を閉じた、が、いくら待っても手痛い一発が頬に衝撃をあたえることはなかった。おそるおそる目を開けると……俺の胸ぐらをつかんだままに気を失っているお不良さんが目の前に現れた。よく見るとあわまでふいてやがる。
「清水原……真子……だと? ……なんでおまえがここにいる!」
名前がでてこないお不良さんがそう言ったのを聞いて周りを見回すと、いま起床しました、と言わんばかりに髪の毛ボッサボサでスウェット姿の清水原真子が健康サンダルをはいて突っ立っていた。
「なんでじゃ……ふぁわぁ~……眠い。ったく、朝っぱらからアタシの仲間に手だしてんじゃねぇよクソツバメ」
「真子、どうしてここに?」
「桃だよ。壁通り抜けれるからって人の家に勝手に侵入してくるからベッドの上にいきなり現れやがったんだよ。自分がいけなくなったから代打だってよ」
「代打? どうしてこれないんだよ」
「詳しくは後だ。こいつらをぶっ飛ばしてからな」
やけくそになったのか「うらぁあああああ!」と、ツバメの連中は束になって真子に玉砕覚悟で突っ込んできた。窮鼠猫を噛む、とはこのことか。そんな決死の覚悟も実らずに、小説家ができの悪い原稿をくしゃっとするように真子は襲いかかるツバメを一人ひとり蹴り、裏拳、と、ひねりつぶしていった。
「強すぎるだろ……真子」
「おお! あれが我が部員である桃ちゃんの幼馴染の清水原真子ちゃんか! なんと頼もしい」
真子の底なしの強さにあっけにとられていた俺の横に山海がいつのまにか並んで傍観していた。
「あんたよく無事だったな。今頃ボコボコにされてると思ってたのに」
「こわっ! 部内に敵がいたよ! いや~勇敢に戦おうと思ったら援軍が来てくれてな。なんでも真子ちゃんのお仲間だそうだ。っていうかよく見たら、喫茶店でクンカクンカにからんできたやつらだよなあれ?」
山海の指さすほうを見ると、長髪の男と大きな体につばの真っすぐな帽子をかぶった二人組がツバメの連中と死闘をくりひろげていた。たしかあれはビッグっていうやつと……ヒャハ! っていうのが口癖の真子の仲間だ。真子と一緒に加勢しに来てくれたのか! あの時はものすごく嫌悪感をいだいていたけど今はとてつもなく心強い! と眺めているとその少し先のほうで亀がツバメの一人を持ち上げてバットがわりにして他のツバメの連中をバッタバッタとなぎたおしていた。そういえば怪力だったなあいつは。
「クソっ! なんで殴り込みに行こうとしてたのに逆に殴り込まれてるんだよ!」
「ウダウダ言ってねーでおまえもこいよ山田ぁっ! アタシはこんな朝から起こされてむしゃくしゃしてんだからよ!」
映画のアクションシーンを見るように山海と傍観すること数分でフィールドに立っているのは山田一人だけだった。あらら……これは降参したほうがいいと俺は思うけどな山田よ。
「おいおいおいどうしちまったんだよこれ! 山田さん? 状況を説明してくれよ~」
白旗をあげる寸前の山田の前に軽快な早口で一人の男がスタスタとモデルのように歩み寄ってきた。
「パックマンさん! それが……とにかく助けてください!」
この場にいるだれよりも長身、そしてなんといっても視線を釘付けにしたのはそのアフロだ。神社とかのおまいりするときにあるカランカランの上のほうにある大きな玉を俺は連想した。
「おいおいおい~まぁ、なんとなく想像はつくけどだな……清水原さんもう来たのかよ。だけどやりたい放題はここまで。あいつ連れてきてくれる山田さん」
「やっと来たかこのやろう。トップのてめぇとさっさとケリつけて二度寝だコラぁ!」
真子はよほど二度寝したいのかいつにもまして全力でアフロ男に突撃していった。会話の内容と登場の仕方からしてこのパックマンという男がツバメの頭らしい。今、俺は虎とツバメの頭同士の因縁の対決を目の当たりにしようとしている。そのわりには真子はスウェット姿でパックマンは黒の短パンに赤のパーカーとどちらも寝巻にちかいラフな格好で迫力が半減している。
パックマンの間合いに入った真子はすかさず足を大きくあげて左頬付近に強力なケリを入れる。しかしパックマンはよける動作を見せずにそのまま左手で冷静に受け止めた。迫力が半減しているといった俺が間違っていた。まぎれもなくこの二人はケンカ慣れしていて、さっきまで山海と傍観していた戦闘とは歴然の差だ。
「おいおいおい~さすがに手が痛いな清水原さん。よくそんなに足があがるな。もしかしてお酢とか飲んでる人?」
「だまれクソアフロ。さっさと手を離せ」
「離すけどさ。おっ! 来たみたいだな。山田さんが早く来ないからもう清水原さんと始まっちゃうとこだったじゃないか」
「なっ! ……美夏? ……てめぇら」
パックマンの背後から山田が両手を拘束された下着姿の女を連れてきた。顔が少しはれ上がっていたが誰かは確認できた。全身が少しあざだらけの彼女はまぎれもなく高松美夏だった。
「いやいやいや~自首ってやつかな。山田さんの彼女さんを刺したのは私です、って俺のところにノコノコ来たからさ。ドMなのかと思ってビシビシやっちゃったよね。でも大丈夫さ。まだ骨とかそういうのはボキボキやってないからさ。今はあざとか打撲とかそういう程度。けど清水原さんがこれ以上俺に抵抗してきたらへし折るから、小指から順にな」
「……どうすればいい」
さっきまでの闘志むきだしの真子は一瞬で奴隷に成り下がるように直立不動で突っ立って言った。
「おいおいおい~これがあの百獣の王、清水原さんかよ。私的な感情ってのは厄介だな、こういう時に蛇足でしかないんだからな」
さっきのお返しと言わんばかりに真子と同じようにパックマンは左頬に右足で豪快にケリをいれた。真子は吹っ飛ばされてからその場に糸の切れた操り人形のように倒れこんだ。
「もう山田さんの女を刺したのが誰かなんて関係ないね。ここで虎を再起不能にまでぶちのめして俺の代でツバメが頂点とんだよ。それが俺の悲願だからな。そのためなら女の一人や二人利用してやるさ!」
完全無欠の悪役だなこのパックマンってやつは。いや、俺もそんなに変わらない。悪い顔でそのまま笑い続けるパックマンを見ていることしか俺はできないでいるからだ。倒れている真子を桃に合わせたのは俺だ。そのせいで今真子はパックマンにボコボコにされている。前科もちじゃないからわからないが犯罪を犯して人の命を奪ったらこんな気持ちなのかもしれない。胸の奥深くでドロッとした液状のものが凝縮されて気持ち悪い。吐きそうだ。
真子がパックマンに五発目のボディーブローを受けた時だ。
「まこぉおおおおおお!」
俺は耐えられずに叫んだ。
「おいおいおい~外野は黙ってろよ。ってかなんだおまえ野球部か?」
「俺は小読の野球部だ! それでこの横のやつはそこのキャプテンの山海だ!」
「ちょっ! なんで俺をわざわざ紹介した!? 名前覚えられたらどーすんだよ!」
「おいおいおい~それがいま俺の手を止めて言わなくちゃいけないことかよ」
パックマンはノソノソと長身でアフロを揺らしながら俺の方向に歩み寄ってきた。近くまで来るとさっきよりも大きく感じる。あと迫力と香水の匂いがした。
「いや、俺はこの山海キャプテンの指示に従っただけです。すいませんでした!」
「あ……てめ……。おおおおお、おはようございます! キャッチボールします?」
「いやいやいや~殺されたいんだなおまえ」
いい感じに山海に矛先がいっている。いけぇ! パックマン! やっちまえ!
「ギャアアアああああああああああああああああああああああああ!」
ちょっとした茶番を繰り広げているとパックマンの後ろのほうで山田の断末魔が超音波のように耳に飛び込んできた。見ると山田はコンクリートの上に倒れていた。そして腹からは大量の血が流れだしてコンクリートをみるみるうちに赤く染めていく。
「山田ぁ! そこのてめぇ! やりやがったな!」
パックマンの口調が変貌したのにも驚いたが、それ以上に俺は自分の視界に飛び込んできた状況のほうが驚きに満ちていた。
イチゴジャムのような真っ赤な血痕のついたナイフを全身を震わしながら西岡さんは握りしめていた。
「西岡さん! 逃げろ!」
パックマンは怒りに我を忘れて一直線に西岡さんに向かっていく。女にも躊躇なく手をだすようなやつだ。今から西岡さんは確実に殺られる。くそ! 走っても間に合わないし、真子は虫の息だ、誰か止めてくれ!
そんな願いが叶ったのか、パックマンはピタリと進撃を停止させた。
「おまえ……今、どこから現れやがった……」
パックマンの目の前にはだれかいるのだろうか。美夏、西岡さん、倒れている山田、それ以外の誰かと話している、俺は少し横に移動して確認すると、パックマンの前に仁王立ちしているのは桃だった。
「地面かな? 壁とかは知ってたけど地面もいけるのは最近知ったんだよ」
桃はいつもと変わらない表情と口調で話す。
「てめぇがそこのイカれた女連れてきやがったのか」
「そんなわけないよ。逆に彼女にはここに来てほしくなかった。感情に支配されてこういうことになるのが怖かったからね。最悪のケースを想定してたらそれが現実になっちゃったよ」
「そうかい。じゃあそこをどけ。感情に支配された女には制裁が必要だ」
「君が制裁なんて言葉を使わないでくれるかな。さんざんモモの友達を傷つけてくれたんだからね。制裁が必要なのは君のほうだよ」
「さっさとどけやぁ! 殺すぞ!」
こぶしを桃に向けて振り下したパックマンだったが、桃の体を通過するだけで、そのまま体制を崩して前のめりに倒れこんだ。
「は……? う、嘘だろ!? お、おおおまえなんなんだよ!」
「ミカは昔から自分を犠牲にする悪い癖があった……でもそれは優しいってことなんだ! その優しさを踏みにじって……モモは死んでるんだよ。一緒に地獄に連れてってあげるね」
「寄るな! ひっ! あああああああああああああああああああああああああああああっ!」
桃はパックマンの頬に手をあてて顔を近づけた。その瞬間、パックマンはカクン、と気を失った。
「お開きです。こんな気味の悪いお祭りは」
桃の号令で抗争は終了を迎えた。
遠くで救急車のサイレン音が近づいてきているのがわかった。
RYOです!
今回も読んでいただきありがとうございます!