3回表 乱闘
「部活に行きますよクンカクンカ君」
帰りのホームルームが終わった直後、俺の席にトコトコ近づいてきたのは阿坂茜。昨日の衝撃的な一日が終わり、翌日変わったことといえば俺の名前の呼び方ぐらいか。小笠原妄想クンカクンカ君からクンカクンカ君に変更されて悪意のレベルに変動がみられた。でもそれは罪悪感を感じ始めたからではなく、ただ単に呼ぶときに長くて面倒だったからだろう。それ以外の変化点である幽霊少女の出現や俺が再び野球をすることになったこと、それらは夢ではなかったらしい。今までの人生の中で今日の朝ほど夢オチを期待したことはない。
「行くのか……俺は本当に行くのか……」
いつぶりだろうか、こんな気持ちになるのは。ダルすぎる授業がやっと終わって、放課後の自由な時間の始まりだ! という時に部活に行かなくてはいけない……この感覚は本当に憂鬱だ。ほんと嫌だ、逃げたい、帰りたい……。今からゲリラ豪雨でもこいよ。
「ぶつぶつ呟いて精神状態不安定な患者ですか? それともアホなんですか? 早く立ってください。昨日言っていた喫茶店に行く前に部室に行ってみんなと合流しますから」
グサグサ突き刺すように毒を吐いて俺の気持ちをさらに下げやがって。そうか、喫茶店に行けと言われていたことをすっかり忘れていた。なんだよ、ちょっと気合い入れてジャージ持ってきたのに恥ずかしいじゃないかよ。ユニフォームは当然野球をやめるときに燃やしたから無い。
「行きたくねぇ……はぁ~、今日帰ったらダメか?」
「別にいいですけど。部活動の俗にいうサボりは一般的に顧問の教師に怒られるか評価が下がるだけですけど、クンカクンカ君の場合『死』にあたいすることは昨日理解してもらっていますよね? それでもサボりますか?」
「はは! おお! 晴天じゃないかよ! こんな日はバッティング日和だな!」
心に鞭を打って思ってもいないことを口にする。そう、俺の部活動は命、正確に言えば今後の人生がかかっている。全てを握るのは蘇った幽霊少女の木村桃。彼女の機嫌を損ねれば即アウトだ。たぶん世界中を探してもこんなに死に物狂いで部活をしている生徒はいないだろう。
絶対に休めない部活動がそこにはあった。
阿坂茜の脅しにも似た言葉をカンフル剤のように体に投与した俺は教室を後にして野球部部室に移動する。その途中で何人もの帰宅部の連中を目撃してカンフル剤はすぐにその効力を失いかけた。うわ~、マジで帰りたい~。とくにすることは無いけどさ……人間束縛されることは本能的に大嫌いな生き物なんだと思う。ソースは俺。ま、ドМの人は違う意味で束縛とか好きな人もいるかもだけどな(俺は……束縛もいいと思います。ヤンデレとか……)。
そんな気持ちをガン無視で阿坂茜は一直線に部室へ猛進する。ツーサイドアップの髪を左右にかわいく揺らしながら歩いていく姿を後ろから見ていると思うことがある。こいつも実際のところ桃がいなければ野球部なんか百パーセント入部しなかったんだろうな。まだ彼女のことは全然知らないけど、今日も教室では常に一人でいた。入学式から全く学校に来ていなかったという要因もあるけど、ボッチのテンプレ的な休み時間の過ごし方の耳にはイヤホン、手には小説で(たぶんラノベ)固めてしまっては気を遣って喋りかけようとしているやつがいたとしてもそれを拒んでしまうだろう。暗い人なんだ、と。
「おい、ここじゃないのか? どこ行くんだよ?」
靴に履き替えて外を歩いて、さまざまな運動系の部活動の部室が隣接して建っている部室アパートのような建物まで来た。が、その前を阿坂茜は完全に無視して通り過ぎてしまった。
「違います。野球部の部室はこっちです」
振り向かずにそう言うと、阿坂茜は教職員の駐車場に向かって歩いていく。こっち? 野球部は別なのか? そうか、なんていっても弱小だから仕方がない。たぶんグランド自体がないのだろう。俺が頭で描いていたのは大きな四角形のグランドをサッカー部、そして四百メートルトラックが中央にあるため陸上部、なんかと共同で使用しているのかと思いきや、その底辺の想像を悪い意味で上回る……まさかの運動部から離れた敷地内隅っこの空き地が活動場所なのかよ。まあ、贅沢は言わないけどもう少しマシな場所は無かったのかよ。駐車場越えてって、遠いんだよな。
「この上です」
勝手に俺が不満をふくらませていると阿坂茜は石段を上り始めた。この上はなんだっけか? まだ入学して1ヶ月弱なので初めて来る場所だった。こんな教職員の駐車場なんかに用事なかったしな。これを上れば悲しい風景が見えるんだろうな。石とか砂利とかいっぱいで、おまけに何年草むしりしてないんだよってぐらいにボーボーに伸びきった雑草がところ狭しと生えまくってんだろうな。
「歩幅のでけー石段だな、よっと。それで、ここが小読高校自慢のグランドで……えっ? ……おいおい……マジかよ……」
石段を登りきって見えた光景に俺は驚きを隠せない。
目の前に広がっていたのは俺の想像をいい意味で裏切っていた。
内野は黒土、外野は天然の芝。そして両翼は九十メートルあり、照明設備も完備された完璧すぎるグランド、いや、球場が俺の目の前に広がっていたからだ。どこをどうとっても名門野球部の球場だ。
「知らなかったのですか? 小読はかつて甲子園にも出場したこともある古豪なんですよ」
「小読の野球部なんて全く興味なかったからな。グランドすら見たの初めてだよ」
「私も最初は驚きました。古豪といってもそれは昔の話。今は人数が二人しかいないと聞いていたので想像していたのは草が無造作に伸びたジャングルのような密林地帯でしたけど」
「ああ、俺も全く同意見だ」
そう、グランドの環境もそうだが、もっと驚いたのは綺麗に整備されているということ。それは遠めでもわかるほどに、今からすぐにでも試合ができるレベルだ。
「それでこちらが部室です」
「えっ? これか?」
石段をのぼり、正面のグランドにばかり気をとられていたが、俺と阿坂茜の横にはトタンを張り合わせた大きな倉庫が建っていた。正面右側に入口と思われる扉があり、左側の半分以上はシャッターが占めていた。部室というよりは田舎の大きな農業倉庫のようだ。
「なんで弱小なのにこんなにでかい部室あるんだよ」
「これも強かったころの名残でしょう。当時は特別強化クラブにもなっていたらしいですし。今では影も形もありませんが。どうぞ中に入ってください」
今の時代の小読高校野球部しか知らなかったがこうも環境と設備がいいと相当昔は活気にあふれていたことがわかる。当時のことは今日まで知らなかったけどなぜか少し寂しい気持ちになる。別にこれから強豪校に俺がしてやるぜ! なんて気持ちは微塵もないけどさ。
そして言われるままに俺は扉を開けて部室内に入っていった。
「失礼しま~す……」
なぜか職員室に入るような感じになる。新鮮な気持ちがあったのかもしれない。
「悪霊退散じゃ! ゴルァ!!!!!!!!!」
――ガンっ!――
「おわっ!!!!!!!!!!??」
鈍器のようなもので床を叩きつけたせいで部室内に鈍い音が響く。
室内に侵入した俺は何者かに強襲された。なんだ? ってか誰だ? 男だ。し、しかも髪の毛が無い! スキンヘッドだ! 俺と同じ制服を着ていることから男子生徒(ヤ○ザかと思った)ということがギリギリわかる。手には金属バットをもってやがる! 殺す気か?
「き~む~ら~も~も~……貴様を成仏させて俺は明るい未来を取り戻す! がぁっ!」
「待て! 俺は木村桃じゃない! よく見ろ! そして落ち着け!」
俺の言葉が耳に入ったのか男はピクリと反応すると振り上げていた金属バットをゆっくりと下げた。
「あ? ……なんだ? ちっ! 誰だ貴様は」
「俺が聞きたいわ!」
「なんだその口の利き方は! 初対面の人間に対してなんてやつだ!」
「てめぇ! 初対面の人間に対して金属バットで後頭部強打しようとしただろうが! どの口が言えるんだよ!」
「んだと! 口の利き方を教える前に貴様には制裁をくわえてやるわ~……」
再び金属バットを振り上げるスキンヘッド。目つきが怖い怖い! やるきだ! このハゲ殺る気だよ!
「亀さん。その人は昨日話していた小笠原妄想クンカクンカ君、改めてクンカクンカ君です」
「何? こいつが……けっ! 命拾いしたな貴様。なるほど……よく見れば中々の野球実力者の風貌がここまで伝わってくる」
阿坂茜の仲裁のおかげで頭部を強打して即死はまぬがれた。やっぱり名前は正しく言ってもらえなかったが良しとしよう。それよりこのハゲが言う野球実力者の風貌ってなんだよ。中にはユニフォームの着こなしとかでこの人上手いなとかわかることもあるけどさ、俺、今、制服なんだけどな。なんかオーラ的なの出てるのか?
「それにしても亀さん。さっき桃の名前を悲痛に叫びながらその金属バットを振り下ろしましたね。このことは報告しておきますからね」
「阿坂茜よ! 待て! 今のは木村桃だった場合、般若神経を試したかったんだ!」
「般若? 大乗仏教の空のことですか?」
「反射神経だろバカ亀。ごめんなクンカクンカ。ビビらせちまって」
部室の奥から声を発したのは山海キャプテンだった。山海は人質のように柱にロープでグルグル巻きにされていた。
「なにを遊んでるんですか山海さん。昼間からマゾ体験ですか。それでは山海さんは今日から……」
「うわっ! 待ってくれ! これはそこのバカ亀がやりやがったんだよ。俺は桃ちゃんには打撃なんか効き目ないからやめとけって言ったのによ。それよりも変なあだ名だけはつけないでくれ! そんなことされたら人生終わったのと同等の屈辱なんだから!」
「それもそうですね。もし下ネタ系のあだ名なんかで毎日の学校生活を送らなければいけなくなったら自殺ものですからね」
「おまえら俺の存在を知りながら会話してるだろ。表出やがれ」
この二人……実は結構仲いいだろ。
「いやあ、すまんすまんクンカクンカ。縄ほどいてくれるか」
「もうその名前を訂正しない時点で何に対してすまんって言ってるのかわからないぞ山海。しかもそのうえ、俺に頼み事してくるとはな。逆に少し笑っちまったよ」
文句を言いながらも俺は山海の縄をほどいてやった。
「あれ? なになに? 昼間からよからぬ遊びとかやっちゃってる感じかい?」
ほどいている途中でホワイトボードの中心から声が聞こえる。桃の顔だけがホワイトボードから飛び出していて、まるで観光名所の写真撮影のための顔だけをくりぬいてあるやつみたいだ。
「よー桃ちゃん。いや、これはそこの亀の仕業でさ。なんでも、桃ちゃんを殺そうとしたんだぜ」
「き、貴様! 友人を一瞬で売りやがったな!」
「はは! 亀ちゃんまだモモのこと殺そうとするんだ~? そんなことしても野球部のグランドは一時的に使わせてもらうからね。それと、私を必死に成仏させようとするのはいいけど、あんまり度が過ぎたら亀ちゃんの体内を通過するときに心臓の付近に五寸釘おいてきてあげるね。呼吸するたびに激痛が襲うけどいい?」
「……~っ!」
眉間にしわをよせてスキンヘッドの表情がさらに険悪になっていった。そして俺も桃の発言に眉間にしわをよせる。釘を体内にって、考えただけで痛すぎるだろ。
そういえば桃が部室に出現したことに驚いたのは誰もいなかった。ということは部室内にいるすべての人間がもう桃のこの世での存在を認識しているということか。
「はは、冗談だよ亀ちゃん。それより亀ちゃんはクンカクンカ初めてだよね。キャプテンは会ったことあるんだっけ? 自己紹介してね」
「貴様がクンカクンカか。俺は亀力男。覚えておけクソ野郎」
「誰がクンカクンカだ。このハゲ野郎」
「いいね! これぞ高校野球名物! 男の友情だね!」
「私にはただの悪口の言い合いにしか聞こえませんが桃」
一応、亀が握手を迫ってきたので仕方なくしてやった、が、痛い痛い! なんだこいつの握力は? 野生のゴリラか?
「亀は俺と同じ二年だからなクンカクンカ。あとパワーだけはあるから気を付けろな」
「はやく言えよ!」
「痛いか~クンカクンカよ~」
「おい、亀。それぐらいにしとけよ。全員そろったんだからミーティングするぞ」
山海の掛け声と同時に亀は一方的な握手をやめた。俺の手からは血の気が失せていた。
「よしそれじゃあ、まず、今日から入部した小笠原道明だ。一応野球経験もある期待の新人だから仲良くするように、って、どうした?」
話を中断して山海が心配そうに俺を見てきた。それは俺が半泣きになっていたからだ。それもそのはずさ、すごく久しぶりな気がする。人に俺の正しい名前を読んでいただけたのは……。
「悪い、話の腰を折って……続けてくれキャプテン」
「そうか。それで今日は俺とクンカクンカは部員集めのために少し出かける。みんなも知ってると思うが我が野球部は深刻な人数不足……って、またかよ!」
山海が心配そうに俺を見てきた。はは……やっぱ俺は下ネタ系あだ名を一生背負っていくのか。
「ったく、変なやつだな。それじゃあ俺とクンカクンカは行くからな。あ、あと俺たちはそのまま直帰するからまた明日な」
「おい山海。残った俺たちはどうすればいい」
「モモとアカネは二人で部員集めに行くんだよ。だから亀ちゃんだけお留守番だね」
「そういうことだ。えーと、そうだな……亀は素振りしてスイングスピードに磨きをかけろ」
「素振りかよ。おもしろくない」
「おっと、素振りをバカにするなよ。考えてみろ、スイングによって生み出した風速だけでピッチャーが投げた球をスタンドまで運ぶことができるようになればおまえは必ず史上最強のスラッガーになるぞ」
いやいやいや、説得が相変わらず下手くそだな山海キャプテンよ。
「そうか……その手があったか!」
納得しちゃった? このハゲ納得しちゃったよ! っていうかどの手があったんだよ! 何千年かかるんだよ、それ!
「それじゃあ今日は各自で与えられた任務を遂行してくれ。解散!」
一回目の小読高校ミーティングはあっさりと終了した。「やるぞおるぁ!」と終わった瞬間から亀は俺に殴り掛かった金属バットを片手にグランドに降りて行った。今から風速でボールをスタンドまで運ぶためのスイングを身につけるための素振りが始まるのか。がんばれ。
「私たちも残りの部員を集めに行こうかアカネ。キャプテン、クンカクンカ頼んだからね」
そう言い残して桃と阿坂茜も校舎のほうに姿をくらませていった。
「俺達も行くか」
「あんたも行くのか。喫茶店」
「一応、キャプテンってことで今朝アカネちゃんとモモちゃんに頼まれたんだよ。この写真の子を野球部に勧誘すればいいんだろ」
山海は昨日阿坂茜のマンションで見せられた写真を俺に見せた。一人で行かなくてはいけないと思っていた俺は少し安心した。女の子に話しかけるなんて一人ではリスクが高すぎたから、心強い。
部室を後にするとき、グランドか「ブン! ブン!」と音が聞こえたよう、聞こえなかったような……まさかな? 空耳だよな?
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俺と山海はそのまま校門を出て駅で電車に乗り隣町の上虎高校、通称虎高を目指した。
「なあ、聞きたいんだけど、あのグランドはあんたが整備してるのか? ものすごく綺麗だから聞いたんだけど」
道中、少し沈黙が続いていたのでちょっと気まずくなり俺は山海に気になっていたことを問いかけた。
「あれか。去年俺と亀が入部したときは部員が一人もいなくてグランドは植物園状態で野球ができる環境じゃなかった。で、亀が言ったんだよ、『どうすれば俺はホームランが打てるようになるんだ?』って。だから俺は言ってやった。『まずこのグランドを最高の土、芝、環境にしてからだ』と。そしたら亀は次の日にはどこからか土を運んできて、草刈りをして、壊れたベンチを治したりして、今の状態まで一年かけて再生させたんだよ」
「すごすぎだろ!」
亀はすごかった。いや、アホなのか? ホームランを打つために遠回りしてないか? それよりも野球部に入った動機が「ホームランを打ちたい」ってすごく曖昧というか不純というか的を得てないことはないか?
「俺も驚いたさ。頭のネジが五、六本抜けてるが力と行動力と純粋な心を亀はもってるからな」
「フランケンシュタインみたいだな。あっ、でもフランケンは頭にちゃんとネジささってるな」
「はは、確かに。亀からすればそんな綺麗にしたグランドをどこの馬の骨か知らないやつに使わせたくなかったから今日みたいに桃ちゃんを襲ったのかもな。おっ、見えたぜ。喫茶カントリー」
喫茶カントリーという文字が目に入る。長方形の建物には大きな丸い窓が三つ、外壁は植物のツタでおおわれていて、年季の入りようが窺える。こんなところに一人で入ってコーヒーの一杯でも啜ればかっこいいんだろうな、と少し考えた。
三段ほどの階段をのぼって、これまた年季の入った木製のドアを開けると「カランカラン」とベルの音が店内に響き渡った。店内は落ち着いた曲調のBGMがかかっていて、長細い店内には客が一人だけで、いや、漫画や雑誌が置かれている本棚の細い通路の向こうにわずかに空間が広がっているのを俺は発見する。そしてそこから煙草の煙がいくつも立ち込めているのを確認できた。後は、カウンターにマスターと言わんばかりの風貌の髭を生やした男性が一人コーヒー豆を焙煎っぽいことしていた。
「おいクンカクンカ。あの子じゃないか?」
店内に入りカウンターの目の前のテーブルに腰かけるのとほぼ同時に山海が小声でつぶやいた。俺もちらりとその子を見る。虎高の制服は全然知らないけど(人探しなのに情報不足なんだよな……)彼女は学校指定であろう制服を着ている。そして黒髪のロングで顔も……写真をもう一度見たがたぶん成長したらこんな感じの顔立ちではないだろうか、ぐらいの顔だ。
「たぶんそうだな。髪型とか表情も似てるし」
「どうする? 早速話しかけるか?」
「いや、一人だしな、友達とか来たら気まずくなりそうだからもう少し様子をみないか?」
「おいおいおい~チキンかよ。男なら先手必勝よ」
「ナンパするんじゃないんだから」
「何? したことあんのかクンカクンカ」
「ねーよ!」
コツン……コツン……。
水の入ったコップが二つ置かれ、マスターが渋い表情を浮かべながら俺たちのテーブルの側まで来ていた。
「ご注文は?」
「あ、俺は……これ、コーラフロートで」
メニューを指さす俺。
「アイスコーヒーお願いします」
姿勢よく一礼するとマスターはカウンターの奥に戻っていった。
「これから野球部で汗を流していく人間がコーラフロートなんて頼むかね~、炭酸は厳禁、ご法度だぜ」
「うるせぇよ。俺は今までの野球人生の中でさん……ざん! 飲みたいものや食べたいもの我慢してきたんだからいいんだよ」
「まあ、小読の野球部はそんなのどーでもいいから気にしないけど」
「気にするほどの部活じゃないだろう」
「ま、せっかく注文したし飲んでいこうや。あの子も本読んでるみたいだから結構長くいるだろうし」
清水原真子(仮)はページをゆっくりめくりながら小説を読み、時折コーヒーを啜っていた。その光景はとてもこの喫茶店とマッチングしている。少しミステリアスな雰囲気を醸し出している彼女に俺はほんの少しみとれていた。
少ししてからマスターが注文していた飲み物を届けてくれた。メロンソーダを置いている店は結構多いけど、コーラフロートは案外少ない。俺は断然コーラフロートが好きだ。この上に乗っかっているバニラアイスがコーラに溶けている個所なんかの優しい味がたまらない。しばらくそれを堪能した後、マスターが清水原真子(仮)の席に近づいていった。注文かと思っていたが彼女はそんな素振りを見せていなかったので少し会話の内容が気になって耳を傾けた。
「……そろそろ……店の外が……だしますので……」
「……はい……」
途切れながらの会話はこれぐらいしか聞き取れなかった。
会話が終わったころ、彼女はスクっと立ち上がり会計をその場で払い出した。店内から出ていく気だ、そう思った俺は咄嗟に、反射的に彼女に問いかけた。
「ちょっと待って! あ、あのさ、君は清水原真子さんか?」
しかし、彼女は頭上にクエスチョンマークを浮かべたような顔をした。外した? 嘘だろ?
その場の空気が凍りついて、たまらなく恥ずかしくなった俺は助けを求めるように山海のほうを振り向いたが山海はテーブルに顔をうずめていてかすかに揺れている。笑ってやがるなこいつ、後でしばく。絶対しばく。
「いえ……人違いだと思いますよ」
「そ、そうですか……すいませんでした」
軽く会釈して彼女は店の外へ出て行った。うわ、くっそ恥ずかしいじゃねーかよ! 呼び止めて人違いで俺は何がしたいんだよ。よし、この気持ちを山海という男に百二十パーセントぶつけてやろう。
「くっそが! 違うじゃねーかよ! 清水原真子じゃなかったのかよ……」
振り向きざまに文句を言いつつ山海のほうを見ようとすると、目の前がふさがれていた。黒い……壁?
「おまえ。真子になんかようなのか」
見上げると一人の大男が立ちふさがっていた。つばが真っすぐでイケイケの帽子を横向きにかぶり、パーカーのフードの部分だけを制服から出していた。かろうじて高校の制服ということはわかったのでこの男は高校生か。いや、なんとも怖い表情というか迫力ありますね、はい。
「へっ? いや、その、真子っていいますか……清水原真子っていう人を探していて」
「おまえ名前は」
やーばい、やーばいよ! 絶対なんかやばいよ! とにかくやばいよ! ここで名前とか言ったら何されるかわからないし、ってかこの喧嘩番長みたいな男はなんなの? 清水原真子のなんなのよ?
「ヒャハ! おいビッグ。どうだ。やっぱそいつさっき真子の名前を口にしてただろ」
俺が名前を言わないで黙っているともう一人お仲間が奥の席からおいでなさった。今度は長髪のホストのような男だ。ヒャハ! って……モヒカンなら確実に世紀末を生きてただろおまえ……。
「ああ。聞こえたとおりだ。ロックディー、おまえは相変わらず耳がいいな。……それで真子になんのようなんだよ」
「いや、えっとですね」
野球して一緒に青春の汗を流そうと勧誘に来ました! ……口が裂けても言えないだろ。いや、ここで何も答えなければこの人たちは気が短いと思うから俺は確実にフルボッコにされる。やばい。漫画とかでこういうシーンは何度も読んだことあるけどこんなにも緊張というか、空気が一本の糸を張ったように張りつめているものなのかよ。汗が止まんねー。
くそ山海は何してるんだよ。
少しバレないように体を横にずらして山海を見る。……はっ? ……いない?
俺たちが座っていたテーブルに山海の姿はなかった。
「あ? ああ、てめーのツレならさっき出てったぞ」
俺の様子に気づいたビッグと呼ばれていた大男が親切に教えてくれた。悲報、パーティーメンバー逃走。
「あいつ……絶対駆逐してやる……」
「ヒャハ! なにボソボソ言ってんだよ! さっさと質問に応えろやぁ!」
「ひっ!」
予想通り気が短い人たちだ。どうしよう。あっ、発想の転換とかどうよ?
「質問を返すようですいませんが……清水原真子さんとどういうご関係で?」
「質問を質問で返すのかおまえ」
「ですよね。はい、すいませんでした……」
「ヒャハ! いいじゃねーかビッグ、教えてやろうぜ。俺たちは清水原軍団の幹部だ」
長髪の男が応えてくれた。軍団? 戦争でもしてるのか清水原真子は?
「この喫茶店はそんな清水原軍団のアジトみたいな空間なんだよ。そこでノコノコと来た見ず知らずの男が軍団長である清水原真子の名前を店内で口走ったらツバメのやつらかと誤解するだろうが。ま、制服からして……おまえ小読だな。小読にはそういうやからいないからいーけどよ。もしかしておまえツバメに脅された鉄砲玉じゃねーだろうな?」
「てっぽうだま?」
「ヒャハ! 相手のとこに武器持って単身で乗り込んでいくやつのことだよ。その意味も知らないなら違うってことか、なにより見た目がヘボすぎるしな」
あなたたちのようなイカした格好をしていなくてすいません。アジト、軍団、それに鉄砲玉……物騒な単語が出すぎて俺は嫌な予感がする。
もしかして、もしかしなくても、この人たち不良さん?
そんなことを考えていた、
――瞬間――、
耳を覆いたくなるような衝撃音があたりに響き、俺の横の丸いガラスが豪快にぶち割られた。
すかさず俺は頭をおさえて身をかがめる!
あたりにガラスの破片が飛び散り、店内に流れていた音楽も劇場の幕が下りたように演奏をやめた。
「っ! くっ!……ツバメか! ……来やがったな……」
「ヒャ……おい! ビッグ! 血が……」
ビッグと呼ばれていた大男は割れたガラスの破片で眉間あたりを切っていた。
そして割られたガラスから白い服を着た数人の鉄パイプを持った男達が侵入してきた。あの一風かわった制服は見覚えがある……そうだ、燕高校にまちがいない。白を基調とした制服はここらへんだけではなくて全国的にも珍しいだろう。
「よお、弱い虎ども……お礼参りに来てやったぞコラァ!」
侵入してきた先頭の一人が威勢よく怒声をまき散らした。
「へっ……誰かと思えば燕高校の頭の悪い山田君かよ」
「ツバメをなめてんのか虎高のビッグ君」
「ツバメ自体はなめてねーよ。俺がディスってるのはおまえだよ山田。今の俺の言葉のどこがツバメをなめてるように聞こえるんだよ。まあ今みたいに日本語の聞き取りも困難な脳だから仕方がないか」
「ヒャハ! 正論だなビッグ!」
山田という男のこめかみがピクピク微動しているのがわかった。
「てめえら……今の状況がわかってんのか……」
ビッグとよばれている大男、長髪の男を除くと店内にはざっと見ただけでも数十人の燕高校の生徒が取り囲んでいた。もし乱闘にでもなれば勝ち目はないだろう……誰が見てもわかる。
「だから何が言いたいんだよ」
場慣れしているのか大男はこんな状況下においても動揺しているそぶりは見えない。
「強がるんじゃねーよ! 俺の女に手出しやがって! ぶっ殺すぞ!」
まさかの超展開。危機的状況が悪化してしまってる。しかもなぜか知らないけどすごくこの二つの集団仲が悪いんですね。まあ他校の不良同士ってこんなものなのか。そっちの世界はよく知らないけど。
この騒ぎに乗じてここから逃げれるんじゃね?
そう思った俺はなんとか入口に行こうと試みたが……ドアを開けてぞろぞろ白い制服のツバメの団体様が入店してきた。そこからも入るんなら窓なんか割るなよ。
「この前、真子とそっちのパックマンがけりつけたんじゃねーのか? 今日はパックマン来てねーのか」
「俺の腹の虫がおさまらねーからこうして来てんだよ! グタグタ言ってねーで腹くくれや!」
「何言っても無駄みたいだな……こいやぁ!」
「最初からそう言えやクソ虎が!」
えっ? 待って、ここでやるのか? 山海なんかじゃなくて亀力男を同行させればよかった……なんて後悔しても遅いか。俺は関係ない! 助けてくれ!
「てめぇらぁ……全員黙れ」
乱闘勃発の寸前で、地に響くような低い声が奥のほうから聞こえてきて喫茶店の空気を振動させる。殴り掛かろうとしていた両校の猛者は互いに動きを止めた。
「ヒャ……真子……」
迫力のある声がしたほうを見ながらロックディーという男が恐る恐る口にした。その名前は俺がこの喫茶店に来た最大の目的と一致する。真子? もしかして彼女が清水原真子なのか? 俺は胸ポケットに忍ばせておいた写真を取り出して穴が開く勢いで目をやった。いや、全然違うだろこれ! プリ詐欺のレベルだ! どこから言っていいか分からんが、とりあえず髪の毛が金色なのが……これだけ見るとグレた女の子のテンプレだな。
その視界の先から現れたのは寝起きの機嫌最悪のような顔をした女で、髪型はボッサボサの長髪で色は金髪、一応高校指定らしいブレザーを着用していて、サイズが合っていないのか発達しすぎてしまったのか知らないが胸がものすごくでかい……下手したら学校の机に乗っかるのでは? ぐらいの巨乳だ。
「あーあ……窓割っちまいやがってクソツバメが。マスターわりー。後で弁償するんで」
「気にするな。若いときにやっておけこういうことは。他のお客さんはいつもみたいに非難させておいたから」
「ほんといつもわりー……」
マスター。俺、取り残されてます。そして助けてください。
「あ? おい店の中ちゃんと確認したのか? なんで清水原真子がいるんだよ!」
「いや、確かに奥の席にやつの姿は……」
「このアホが! こっちは清水原真子と唯一互角に闘えるパックマンさんがいないんだぞ! ……へ、へへ……出やがったな化け物」
コキ、コキと首の骨を鳴らしながらダルそうに清水原真子が山田の前に立つ。
「あいにくアタシは寝相がウルトラ悪くてな、どうもソファーから床に転落してたみたいだ。首が痛ぇ……せっかく人が寝てたのに、それ起こして、しかも仲間傷つけてアタシのことは化け物呼ばわりかよ……」
「う、うるせぇ! 清水原真子! そもそもてめぇらが何もしてねぇ俺の女を刃物で刺しやがったじゃねーかよ! あの事件のせいで先代の先代のそのまたずーっと先代から受け継がれてきていた休戦の掟が解かれちまったんだからよ! 責任とって全面戦争しやがれ!」
清水原真子にビビりながらも男は怒鳴りつけた。
「おい、その事件は前にてめえらのとこのパックマンにも話しただろうが……めんどうくせぇ……アタシの仲間は誰もおまえの女を刺してねーよ。第一に目撃者は誰だよ? 誰が言ってんだ? ああん?」
「それは……」
「なんだ結局言えねぇのかよ。乗り込んできたと思ったらウジウジしやがって……あーっ! ムカついてきた! 見ればビッグがケガしてるし……ってことは、おまえらここでボッコボコにしてもちゃんとした理由があるな。正当防衛だ! 覚悟しやがれ!」
真子はヒュンっと空中に飛んでからドロップキックを男にさく裂させた。山田は「グフっ!」と発し体をくの字に曲げながら窓の外へ吹っ飛ばされた。
「山田さん! 大丈夫っすか!」
「清水原真子は分が悪すぎる……退くぞ……」
一発でノックダウンした山田という男の撤退命令を聞いた他の連中もその場から一目散に逃げていった。
「弱いくせに調子に乗りやがって」
その光景を冷めた目つきで見ながら真子がつぶやいた。クールビューティー、それでいてデンジャラスボイン。カタカナで表現した清水原真子はそんな感じだ。
乗り込んできた連中が一瞬にしていなくなった喫茶カントリー。これはやばい。窓が割られて殺風景な店内には清水原軍団と俺しかいない。標的が俺になるじゃんかよ……。
「ビッグ大丈夫か」
「真子、悪い……油断した。大丈夫だ、傷は浅いからよ」
「ヒャハ! ツバメのクソどもが! まだ俺たちのこと疑ってんのかよ!」
「落ち着けロックディー。アタシもそのことと寝起きで機嫌が悪いんだ。勘弁してくれ」
およ? さっきの乱闘で俺の存在は忘れられてる? よし、今しかない。俺は出口に向かって、
「おい待てよ。てめぇには聞きてえことがある。もとはといえばてめぇに気を取られてたせいで俺は傷を負っちまったんだからな」
歩き出した足に停止ボタンを押す。
「そういえばおまえ誰だよ」
「こいつは真子の名前を店内で口にしてたんだよ。ツバメのとこのスパイかと思ってな」
「スパイが堂々と対象であるアタシの名前を言うかよ。直接聞くか……おいおまえ、アタシに何のようだよ」
初めて清水原真子本人に話しかけられた。さっきまでの言動や行動から考えて、ここで質問の答えを間違えれば確実にあの世行きか街を平和に歩けなくなるだろう。デッド・オア・ダイ……。嫌だ、何て言えばいいんだ。『同姓同名の友達がいてですね……偶然ですね♪』いやいや、ないない、逆効果すぎるだろ。それに、ここでごまかして明日阿坂茜や桃になんて報告するんだよ。それこそ桃に残酷な人生を宣告されるかもしれない。まて、山海はどうなる。あいつ光速の速さでこの喫茶店から出て行ったじゃないか。それに比べればよくやったほうだろ俺。よし、ここは嘘を言ってこの場をきりぬけよう。この場にいない桃よりも今目の前にいる清水原軍団のみなさんのほうが百倍怖いしな。
「す、すいません。人違いというか名前が一緒の知り合いがいまして……はうっ??!!!!!」
「おい、ふざけてんのか」
ビッグと呼ばれている男が俺をギロリと睨みつける。
ふざけてなんかいないさ……誰だって俺と同じ境遇なら声を張り上げるにきまってる。そこに顔が……視界の先に人間の顔が急に飛び込んでくればな。少し前に野球部の部室で見たホワイトボードのように、桃が顔だけを本棚から突き出していた。ニシシ、と八重歯を出してお決まりの笑顔をきめこんでいる。イタズラに成功した幼い子供ようだ。
何してんだよおまえ! の表情で桃に視線を送ったがそんなことは気にしていないようで、顔だけでは満足しなかったのかスルっと本棚から全身をすりぬけてきた。
そのまま清水原真子に歩み寄って、ああ……とうとう目の前に出やがった。
「マコ! 久しぶりだね~。金髪にしたのかい? かっこいいね!」
乗り込んできた不良軍団を強烈な蹴りで退散させた男勝りの清水原真子もさすがに木村桃の出現に驚きを隠せないでいた。目の前に桃が現れた瞬間、顔面蒼白。彼女にとっては寝耳に水だ。そらそうなるよな。
「そ、そんな……マジかよ……」
清水原真子の言葉は空間に耐え切れないほどに震えている。
それは一字一句間違えずにセリフを言う新人声優のように緊張しているようにも思えた。
言葉だけではない、体も小刻みに震えている。
「真子、こいつは誰なんだ? 野球のユニフォームを着てるが……知り合いか?」
「ビッグ、ロックディー、今日は帰ってくれ」
「どうした真子? 顔色が悪いぞ」
「体調がすぐれないんだ……ほんとわりー」
無理もない。目の前にいきなり死んだと思っていた人物が現れたのだから。
「分かったよ真子。おおかたこの野球少女みたいなやつと話があるんだな。無理には聞かないが話せるならまた事情を聞かせてくれ。それが仲間だ」
「ああ、わりーな。さっきのやつらがまだうろついてるかもしれないから夜道は気を付けろよ」
「ヒャハ! 誰に言ってんだよ真子。遭遇したらぶっ潰してやるからよ!」
清水原真子の言葉通りにビッグ、ロックディーという二人の男はマスターに一礼して喫茶店から出て行った。なんとも礼儀正しい不良だな。
「さっきの二人はマコの友達かい? 強そうな人たちだったね」
がらんとした店内で桃が清水原真子に問いかける。応えは返ってこないが、清水原真子の表情はさきほどよりも和らいでいるように思えた。その表情は肩の荷が下りた、という表現で合っていると思う。
「ああ、不良仲間のビッグとロックディーだ」
以外にも清水原真子は木村桃の存在を受け入れているのか、桃と自然に話した。それとも目の前の現実を受け入れられないでいるのか……。
「不良? マコついにグレちゃったのかい?」
「はは、アタシもガラの悪いことしたくないけどさ、気が付いたらこうなっててさ、いつのまにか虎高のヘッドだよ。笑えるよな」
「昔からマコは力強かったからね」
「桃も昔から変わってない」
いや、清水原真子は木村桃の存在を否定していなくてむしろ肯定的に話していた。
「モモのこと信じてくれるの? 死んじゃってるんだよ? っていうか初見でよくモモのこと気づいてくれたね。結構あのころより成長してるんだけどな……胸とか」
「そのユニフォーム姿を見ればわかるさ……これは現実なのかよ、アタシ……夢見てるんじゃないだろうな」
「夢かもしれないよ。モモがここにいるのも、この世に蘇ってこれたのも全部誰かが仕組んだ夢物語じゃないかって最近ずっと考えてるんだ。だって、だってね、こうしてマコにもう一度会うことがモモにとっての夢だったからね」
「桃……アタシはあの日から……ずっと会いたかったんだ」
真子は桃に抱きついていった。その姿はまるで母親に甘える子供みたいで、喧嘩番長の清水原真子の面影は消え去っていた。
どうもRYOです。
読んでいただき本当にありがとうございます!
未熟なので誤字脱字、物語の感想ありましたらぜひお知らせください!
ではでは続きもはやめに更新しますのでよろしくお願いします!