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2回表 ダイビングキャッチ

 突風にも似たものすごい強風が俺と自称野球部主将の山海を襲った。吹奏楽部や運動部のへたくそで耳障りな音も消滅している中、屋上に勢いよく出た俺たちは全身をオレンジの光によって染められ、もう日が傾きかけていることを知る。

 その夕日に重なるようにして美しいコントラストを創り出している人影のモデルがいる。小柄な体格の彼女は間違いなくさっきまで俺が怒鳴り声を浴びせていた相手で、立っている場所は……俺の目がおかしくなければ明らかに、いや、確実にあれは飛び降り防止のための金網のわずかに傾斜になっている部分に立っている。

 最悪のケースを想定する。想定した俺は思わず声をもらしてしまう。


 「お……おい、あいつ、まさか」

 「ああ……なんてバランス感覚だよ」

 「違うだろ! どう見ても屋上から飛び降りる気だろうが!」

 「いや、考えてもみろ。この強風の中であのわずかに傾斜がかった金網に直立できるか?」

 「ま、確かにそうだけど……って、それより早くあいつを止めろよ!」

 「止めるって、おまえが茜ちゃんを追い込んだんだろ?」


 スッと自殺未遂の動機のバトンを渡された気がした。っていうか渡された。なんて男だ、この山海というやつは、こんな状況でよくこんな平常心でいられるな。さっきも変なボケかましてきたしこいつは何者なんだ? 確か名乗っていたな野球部主将と、なるほどこの男がこの弱小野球部を束ねるキャプテンってことか。


 「あんたキャプテンなんだろ。阿坂茜は野球がしたいらしいんだよ。何とか説得してくれ」

 「知ってるよ。そのことで少し前も死のうとしてたからな」

 「は、はぁ?」

 「いや、だから、茜ちゃんは小読ここの野球部に入部したいって言ってきたんだけど、ほら……女だろ? だから高校野球に女子は試合に出れないよって言って断ったんだ。そしたらそれでもいいから入部させてほしいって言われて、でも、小読うちって弱小だから公式戦はおろか練習試合もまともにない愛好会レベルだから気の毒だろうと思って最後まで入部を拒んでたら部室に金属バット片手に籠城ろうじょうしてさ」


 なるほど、俺と教室で話す前にそんな一波乱ひとはらん騒動そうどうを巻き起こしていたのか阿坂茜よ。制服や顔が少し汚れていたのは籠城戦の後だったからか。そして山海がなんとかほとぼりを冷まして、俺と教室で第二ラウンドを勃発して今に至るわけか。

 『和解しました』阿坂茜の言葉を思い出すと確かそう言っていたな、まぁ金属バットで部室内に立てこもられたら入部を認めなくてはいけないだろうな。

 それにしても、この阿坂茜は何者だよ。さっき山海が「茜ちゃん」とさらっと言ったけどそんなキャラじゃねーだろ。武器を持って部室に立てこもって、俺が入部を断れば命を絶とうとする。原動力はなんなんだよ。


 「おい! あっかねちゃーん! 降りて来いよ! ほら……その……なんだ……そっから急降下三回転スクリュー決め込んでも誰も評価してくれないぞ! それよかさ、今からキャッチボールしようぜ!」


 説得しようとしていると思うが、山海の声のトーンが明らかにおかしい。陽気すぎるだろそれは。しかも内容に軽いボケを入れている所も否めない。相手は死ぬか生きるかの瀬戸際にいるんだからどう考えても逆効果だろ。バカ山海。


 「評価とか相変わらず意味がわかりません山海さん。わかりにくいんですよ。それに飛び降りるのはそこにいらっしゃる、心に病を持っている小笠原妄想クンカクンカ君の治療のためです」

 「治療? この俺の横にいる小笠原クンカクンカは病気なのか?」

 「妄想がぬけています山海さん。そうです。病は野球が出来なくなってしまった精神的なもの。治すには私がここから飛び降りて小笠原妄想クンカクンカ君に罪悪感を与えて、私の遺言の『再び、野球をしてください』の言葉をズシリと心に受け止めてもらって小読ここで野球をしてもらうしか方法はありません」

 「ちょっと待てよ茜ちゃん! その行動で小笠原妄想クンカクンカが立ち直っても小笠原妄想クンカ……」

 「がぅあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 百獣の王、を意識した俺の雄叫びは屋上の上空の雲を突き抜けて遥か上空の大気圏を通過し、月の表面にあるクレーターの形を変える、ような気持ちで叫んだ。こいつらの会話が俺に対する悪意でしかないことに気付いた結果、こうするしかなかった。ふざけんじゃねぇ。


 「てめえら! おかしいだろ! 俺は小笠原道明だ! 妄想もしてねーし! クンカクンカもしてねーよ! そこの阿坂茜の濡れ衣だ!」


 一瞬、二人が俺の方を見た。そして。


 「とにかくまずそこから降りろ、茜ちゃん。さっきここに来るまでの間で……小笠原妄想クンカクンカとは話をつけた。野球部に入るらしい」

 「本当ですか。小笠原妄想クンカクンカ君」


 完全無視パーフェクトスルースキルが発動していたとは、恐れ入ったよ、お二方。そして阿坂茜がこちらを目を輝かせて見てるけど、無視されて応えたくないがこの状況で俺がそっぽを向けば事態は最悪の方向に進路を変えて突き進むだろう。大人になれ俺。


 「お……俺は」


 究極すぎるだろう。やっとの思いで手に入れようとしている高校ライフを放棄して、また俺はあの野球という留置所りゅうちじょ強制送還きょうせいそうかんされそうになっている。しかも今から自らが発する言葉で、だ。


 「野球部に……は…」


 『うわ~、あいつだけまた出場させてもらってないぜ』『なんであんな球も当たらねーのかね』『マシンの直球だぜ? 嘘だろ』『また応援に行ったのにおまえだけだぞ出てなかったのは! 恥を知れ! 道明!』


 頭によぎる地獄の日々、い……嫌だ。もうあんな理不尽な思いをするのは……。


 「入らない」


 強風が俺と阿坂茜の間を吹き抜けていく。


 「そうですか。わかりました」


 ガシャン!

 勢いよく金網を蹴った阿坂茜は宙に一瞬だけ舞って、その後急降下して姿が見えなくなった。


 『うぉぉォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?』


 山海と俺は顔中の血管がはち切れるぐらいの表情で叫びながら、たぶん生涯最速の速さでさっきまで阿坂茜がいた場所へダッシュした。嘘だろ? マジで飛び降りやがった! 狂ってるだろ! あいつ!

 ガシャン! と金網を両手で掴んで遥か真下を見た。

 アスファルトには血しぶきが豪快に飛び散って……いなかった。

 紅白の紅を想像していた俺は正反対の白が目に入り唖然とする。真っ白なパラシュートが不時着した後のように布がアスファルト一面に広がっていてその隅を何人もの腕力に自信があるであろう男子教員が持っていた。その布の中心に阿坂茜が頭を抱えたまま寝転がっている姿が目に入る。その様子は布が羽に見えて、こんな時に変かもしれないが、羽を広げる美しい蝶のように見えた。

 よく見ると下の芝生広場には部活終わりの生徒やらの野次馬でたむろっていた。おそらくその中の生徒の一人がいち早く屋上にいる阿坂茜に気づいて教師を呼んでいたのだろう。ナイスだ。


 「よ、よかった」

 「よかった? おまえバカかよ……あの状況で首を縦に振らないやつがいるかよ。アホ」


 二人とも力が抜けたように金網に背中をベッタリつけてズルズルと腰を下ろした。


 「うるせぇ。嫌なもは嫌なんだ」

 「何が嫌なんだよ。そんなに野球が嫌いかね~エリートのくせしてよ。ボーイズリーグだっけか? 硬式で野球してたんだろ?」

 「知ってんのかよ」

 「茜ちゃんの立てこもりが終わって入部を許可した後にいろいろ聞かされたんだよ。そしたら今から連れてくるって部室を飛び出して行ったんだ」


 勝手に話を進めやがって。


 「補欠……だったんだよ」

 「はっ?」


 何故だろう。急に俺のトラウマを話したくなった。このままでは一方的に悪者にされるのが嫌で山海に同情をひこうとかそういうのでは無い。ただ、今まで貯めこんだ毒素を吐き出せば少しは楽になれる気がしたんだ。山海に小、中の暗黒時代の俺の野球歴を話した。案外、山海は話を聞くのが上手でタイミングよく相槌あいづちを打ってくれた。なんていうか、聞き上手だ。


 「……だから俺はもう野球はしたくない」

 「ちょっと待ってくれ、それが理由か?」

 「そ、そうだが? 何だよ」

 「それなら大丈夫さ。なんたってここは県下でも屈指の弱小校、小読しょうどくだ。部員なんて数えるぐらしかいないし、おまえの野球センスの無さはどれほどか知らないが今までのステージが悪すぎただけさ。小読ここなら即レギュラーだ。補欠の心配はない」

 「バカ、そんなこと知ってる」

 「じゃあ、なんなんだよ」

 「俺がこんなとこで野球してるって中学で一緒に野球してるやつらに知られたらもう二度と街中なんて歩けなくなる。下手だから絶対に出れる小読ここに入った、って噂になるだろ」


 へっ、と鼻で山海は笑った。流そうとすれば流せた何気ない動作だったけどバカにされたような気がして問いかけた。


 「なんだよ」

 「小笠原クンカクンカって本当に損してるな」

 「は?」

 「いいか、これは俺の知り合いから聞いた話だけどな、この世で大金持ちになった人物がいて、まぁ俺達のような一般的な凡人でありきたりの人生を送ってるやつらがその大金持ちにインタビューしたらしいんだよ。『どうしたらあなたのような大富豪になれるんですか?』と」

 「じゃあ俺帰るわ」


 山海が語りだしたところで話が長くなると確信した俺はその場所から離脱しようとする。


 「ちょいちょいちょーい! 待て待て待て! 帰るな! 話を聞け! ここは聞く場面だろうが!」


 制服のすそを掴まれて「ちっ」と小さく舌打ちして再びその場に座り込む。


 「最近の若いのは忍耐ということを知らなすぎるぜ」

 「おまえも充分若いと思うけどな」

 「いやいや、小笠原クンカクンカより一学年上なわけだから年取ってるさ」

 「あんた先輩だったのかよ。それはすいません」

 「いいさ、別にタメ口で。気にすんな」

 「わかった。じゃあ帰るわ」

 「気にしろ! そして先輩をうやまえ!」


 山海が高二と知って少し驚きと今後の受け答えをどうしようか迷ったが、すでにこんなやり取りで話せているのでどうでもよくなった。野球部の頃なら上級生にタメ口なんてしたら懲役ちょうえき、もしくは死罪しざいに値する愚弄ぐろうだったので考えられないが今の俺にはもう過去のことだ。


 「でな、大富豪は言ったんだよ『恥の多い人生を送ってきた。簡単に言えばプライドを捨てた』と」


 んふー、と鼻の穴から二酸化炭素を放出して山海はドヤ顔だった。


 「別に俺は心底大金持ちになりたいとは思ってないぞ? そりゃあ、なれるならなりたいけどさ」

 「違う、そんなことは言っていない。俺が言いたいのは小笠原クンカクンカに足りないのはバッティングのセンスでも守備のセンスでもない。その無駄に高いプライドを捨て去ることだ。笑われたっていいじゃないか。野球が好きなんだろ? ラブなんだろ? だったら入部しろ。それにプライドってのは時に第三者を傷つけることもある。実際、目の前で人が死ぬかもしれなかっただろ」

 「あれは……あいつが勝手に……」


 プライド? そんなもの俺にあるわけがない。あるのは補欠の時に磨き抜かれた雑草魂のみ。常に打撃も守備も走塁も人並みにしてきた。人並みに……普通であろうとしていた、それだけのこと。


 「それに茜ちゃんはおまえを必要としてる。今まで所属した野球チームに命を懸けてまで必要としてくれたチームがあったか? レギュラーメンバーと対等の扱いをしてくれた監督がいたか?」

 「なんでそんなに俺を勧誘したがるんだよ。あんたも阿坂茜に弱みを握られたのか」

 「そんなつもりで言ってないさ。弱みは握られてない、握ってしまった、が正しいな。それに俺だって腐っても野球部主将だからな。一人でも仲間が多く欲しいと思うのは当然だ。……おっ、やっと来やがったな事情聴取の時間が、適当に答えようぜ」


 掴みどころのない返答で俺の質問を濁らせた山海はスクっと立ち上がった。屋上の重い扉を開けて男性教師軍団が登場して俺と山海は生徒指導室へ連行となった。




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 駅の改札を抜けてタクシーが鎮座する駅前のロータリーに出ると、もうすでに日が暮れてあたりは真っ暗になっていた。時間帯は帰宅ラッシュを通り越して人の数もまばらになっている。鎮座しているタクシーもこうなってくると暇人の集まりにしか見えない。働いているのに哀れだ。


 「遅くなってしまいました。しかし、まさか小笠原妄想クンカクンカ君が私の家の近くだったなんて、これから私は危機感を常に感じて生活しなくてはいけないのですね」

 「遅くなったのはおまえのせい。俺の名前は小笠原道明。危機感を感じて生活しなくてはいけないという発言自体が意味不明だから頼む説明してくれ」


 俺の先頭をズンズン歩く小さな女子高生の発言全てを否定した後で俺は小さなため息をつく。なぜ阿坂茜を家まで送らなくてはいけないんだ。悪いのはもちろん先頭を歩いている悪の根源が俺を変なことにまきこんだのが一番の原因だが、教師たちの対応が気にくわない。というか問題だろ。

 あの後、俺と山海は生徒指導室で阿坂茜の未遂に終わった屋上からの飛び降りの真意を迫られていた。当然といえば当然だ、屋上にいたのだから。重い空気の中、本当のことを言っても信じてもらえないと思ったのか山海は「阿坂さんが屋上に行くのを見かけたので興味本位でついていったら急に飛び降りて……」と大根役者のようにへたくそな芝居と嘘をついた。信じてもらえるわけがない、と思ったが教師たちの反応は意外だった。「そうか……」とボソッとつぶやく、ただそれだけに終わった。それだけ? ああ、それだけ。

 そして何を思ったか「自殺するほどの精神状態の生徒を一人で帰らすわけにはいかないし、よし、小笠原、おまえ一緒に下校しろ」と生徒指導の堀内ほりうちがアホみたいな提案を言い出した。これにはさすがの俺も反論する。いくら教師でも、いや、教育する立場の人間だからこそ言っておかねばいけないだろう。


 「先生、俺なんかより親御さんとかに迎えに来てもらったほうがいいんじゃないですか?」

 「いいんだ。おまえが送ってやれ、責任もって家までだぞ。いいな」


 よくない。それに何がいいんだよ。正論だろ俺のほうが。

 その後は強引に押し切られてゲームセット。山海はというと「ほいじゃ!」と片手をあげながら一言告げて帰って行った。あいつ、絶対下駄箱に石詰め込んでやるからな。覚えとけ。


 「駅からは近いのか?」


 駅前から少し歩いて沈黙をやぶるように質問した。


 「近……確か徒歩五分と書いてありましたから近いほうだと思います」

 「書いてありました?」

 「はい。広告に」


 阿坂家は最近家を購入したのか。マイホームかそれとも中古物件か、どちらにせよ順風満帆の暮らしに何の不満と気の迷いがあって飛び降りたりしたんだこいつは。ますますわからん。俺が野球をすることがこいつにとっての幸せなのか、それともただの不思議ちゃんなのか、考えるだけ無駄な気がしてきた。

 そのまま殺風景なシャッター商店街をまっすぐ……右折……と歩くこと約十分(五分じゃなかった)で阿坂茜の足が止まる。


 「つきました」

 「どこだ?」

 「ここです」

 「え? おわっ! でかっ!」


 見上げたのは数十階建ての高級そうなマンションだ。比較的田舎のここらでは飛びぬけて都会の雰囲気を出している建物で、入口のエントランスがすでに都会だ。たぶん入居者以外は入れないようなシステムでロックされているような防犯対策もバッチリのやつだろうな。なんだよやっぱ順風満帆じゃないか。しかも金持ち。


 「いいとこに住んでるじゃないかよ。それじゃ、俺は帰るからな」


 阿坂茜のことだから別れ際でまた入部を進めてくるんじゃないかと予測した俺は早口でそう告げると百八十度クルっと回転して歩き出す。

 しかし、返答は何も返ってこなかった。それはそれでおかしいだろ。せめてここまで送ってやったんだから「ありがとうございます小笠原君。また明日学校でね」ぐらいのかわいい挨拶してもバチあたんねーだろうが! まあ、阿坂茜は絶対に小笠原君とは言わないだろうけど。

 チラリ……。

 振り返ると阿坂茜が額に手を当てて膝をついていた。まるで貧血を発症させた人のように。


 「阿坂! おい! どうした!」

 「いえ……少しよろついただけです。紐無しバンジーの後遺症が今頃きたみたいですね」

 「バカなこと言うなよこんな時に」

 「小笠原妄想クンカクンカ君は帰ってください。家の前ですしもう大丈夫です」


 いやいや、この状況で先に帰るってどんだけ鬼畜なんだよ俺は。


 「家の中まで送るから、立てるか?」

 「いえ、本当に大丈夫ですから」

 「ここで帰ったらこっちがモヤモヤしてぐっすり寝れないんだよ」

 「わかりました。助けてください。お願いします」

 「変わり身早いな!」

 「時に小笠原妄想クンカクンカ君はショックや心臓が強いほうですか?」

 「なんだよ急に……まあ今日を境にかなり耐性はついたと思うぞ。自分の机から白いひわいなのが付着した女ものの下着が出てきたり、目の前で女子高生が屋上から飛び降りるのとか見てたしな」

 「そんな体験をしてきたのですか小笠原妄想クンカクンカ君は。波乱万丈な人生ですね」

 「突っ込むところだろうが今は俺の肩に掴まれ。面倒くさいから」


 阿坂茜に肩をかして(背が低い分少し俺のほうが体勢がキツイ)なんとか立ち上がりエントランスの入口に侵入してから設置してあったキーパッドで阿坂茜は暗証番号を入力し、エレベーターに乗って阿坂家を目指した。七が点灯したところでエレベーターは止まり扉が開く。


 「こっちです。七0七号室です……」


 室内は完全防音になっているからなのか、それとも高級すぎて人が一人も住んでいないだけなのか、生活音とか人の気配が全くない。カツーン、カツーンという歩く音が必要以上に反響してそれしか聞こえない廊下を歩いているとなぜかホラー映画の中に入り込んだ気分になっていた。突き当りまで歩くと七0七と刻印してあるプレートが掲げられている扉の前にたどり着いた。


 「ここだよな。インターホン鳴らして親に出てきてもらうけどいいな?」

 「いいですけど出てくるのは親じゃないですよ。あっ、それにもう出てきてます」


 阿坂茜はさっき来た廊下の方向をスッと指さす……その先に目を向けると一人の女性が立っていた。

 その女性が視界に入ると俺はギョッと目を丸くする。なぜならさっきまで人の気配なんてこれっぽっちもなかったのだから。それなのにその女性は今の今まで一緒に居たように存在していた。忍者?


 「アカネ! おかえり! おっ、おやおや? 彼氏かい?」


 真っ黒な髪の毛を高い位置でポニーテールにしている目の前に現れた彼女は八重歯を見せながら「にししっ!」と笑みをこぼしながら陽気な声で俺たちに問いかけてきた。長年一緒に学校生活を送ってきた友人のように。友人のように思えたのは話し方のほかに彼女の顔立ちや容姿、背丈が俺と同じ高校生ぐらいの年頃に見えたからなのもある。しかし俺はあまり仲良くはできないと思った。彼女が来ていた服は俺の嫌いな野球をする正装、ユニフォームを着用していたからだ。プロ野球の中継でもテレビで見ていて熱のこもった応援をしていた途中なのか?


 「彼氏じゃない。この人は小笠原妄想クンカクンカ君です」

 「えっ、この人がそうなのかい? 途中で帰ったから見てなかったんだよ」


 いや、ちょっと待てポニーテールの野球大好きっ娘よ。阿坂茜の発言におかしいと思う個所は無かったのか? 名前とかさ。しかも「この人が」ってどういうことだよ。


 「ふーん。名前のわりには普通だね。犯罪者予備軍はんざいしゃよびぐんみたいな名前だからそれなりの服装と顔を期待してたんだけど。それより肩なんか借りてどうしたのアカネ?」


 学校帰りなんですよ。それにその名前が本名だと本当にお思いで? おめでたいアホですね。


 「少しめまいがしたからここまで小笠原妄想クンカクンカ君に連れてきてもらっただけです」

 「そうなんだ。鉄分とらなきゃね。今夜はとことんほうれん草を食べよう、ほうれん草のバター炒めなんてどうかな? まぁ、なんにせよ早く部屋に入ろうよ」

 「そうですね。小笠原妄想クンカクンカ君開けてくれますか」

 「……」

 

 ここで返事をすればそのデスネームが定着(もう遅いか)してしまうと思い返事をせずに扉を開けようとした。いつか裁判をおこしてやる。

 ドアノブに手をかけて回すが、扉には鍵がかかっていた。


 「あっ、ごめん、すり抜けてきたから鍵かけたままだよ」

 「そうですか。もう一度中に行って内側から開けてくれますか」

 「あいよー」


 二人の会話の内容がいくら考えても理解できないでいた俺は二人に冷たい視線を送る。人をおちょくってるのか? それとも友達同士でツッコミがいなくて互いにボケを言い合っているだけのかわいそうなやつらなのかもしれない。それならば逆に温かい目で見守ってやろう。せめてこいつらが社会の厳しさを知るその日まで。


 しかし、次の瞬間――ポニーテールの彼女は黒い装飾を施された扉へ体を沈めた。

 水の中に気泡を出現させずに入水するように、効果音をつけるならシュルン、と。

 彼女はドアをすり抜けた。


 「うぇっ!?」


 奇声をあげたうえに鳩が豆鉄砲を食ったよう顔になったどうしようもない俺は変な汗が額から噴き出していた。本当に……本当に扉をすり抜けやがった。世にも奇妙な物語すぎるだろう。へたな怖い話よりずっとか怖い恐怖感が立ち込めてきて、驚きが恐怖に変わろうとしてるころ内側から「ガチャ……」と開錠かいじょうを知らせる嫌な音が聞こえてきた。

 扉が「ギィ……ギィィィ……」と開く。なんでこんな時にホラーみたいな演出するんだよ!


 「仕切り直すね~……おかえり! アカネ! お風呂にするかい? ご飯にするかい? それともあ・た・し?」


 緊張感をいい意味で壊すようにポニーテールの野球大好きっ娘がひょこっと顔だけを扉から出してかわいく問いかける。先ほどとは違い俺はまじまじと彼女を見つめていた。どこからどう見ても普通の女の子だ。忍術を使うのか? それともこの扉になにか細工が施されているのか?


 「お風呂で」

 「だめだよ! 私がここに暮らすようになったらこれだけはしようって決めたよね? じゃあ、せめておかえり、ただいまのコミュニケーションだけでも言ってよ!」

 「面倒くさいんですよ」

 「それが共同生活だよ。またいつ会えなくなるかわかんないんだからね。おかえりアカネ!」


 冷や汗をかいて一言も喋れない俺を他所よそに低能な会話をしている二人。


 「ただいま、も……桃」 


 恥ずかしそうに、阿坂茜はつぶやいた。



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